13 仲直りの、証拠
「ここ最近、雨宮さんがここに通っていますよね?何なら匿っていませんか?」
「おや。頭が弱いと思っていましたが、彼女の事となると回転が速くなるようだ。褒めて差し上げましょう」
「そういう茶化しはいらないです。雨宮さんに会わせてください」
勢いのままに大学から走り、天城家のインターホンを息切れ寸前で鳴らすと、天城優成は僕を見るなり毒舌を披露してくれた。のらりくらりとかわすことが出来ずに半分以上のダメージをくらいながら、何とか質問をすると、それでも返ってくるのは嫌味ばかり。本当にこの人は何なんだ。毒から生まれたのか。
「茶化しくらいさせてほしいものですね。神を貴方に託しきって安心していたのに、どうして今更迷惑をかけられなくてはいけないんです」
「それはどうもすみませんね!」
皮肉の割合が多すぎて話が全然進まないのだから、むしろ褒めてしかるべきのような気もする。だがここで彼のペースに乗ると、一生進まない気がして、何とか会話の切り口を探す。
「という事は、やっぱり雨宮さんはここに居たんですね」
「ええ、そうですとも。人の迷惑を考えずに蔵で何やら調べごとをしていましたよ。他の者の目を背けさせるのにどれだけ苦労したことか」
「じゃあ、今もあの蔵に?」
かつて雨宮さんの心臓を巡って、この家の蔵には一度だけ入ったことがある。僕は無遠慮にも蔵へと向かうために足を踏み出すと、天城さんがとても怖い笑みで引き留めてきた。あ、これはあまりよくないやつだ。
「散々引っ掻き回しておいて、貴方にまで蔵へ連れ込むものですか。彼女ならここには居ませんよ。今なら、あの神社の跡地に居るはずです。これからどこに向かうべきか、その空っぽの脳みそで考えてごらんなさい。何なら私が詰めてあげてもいいですよ」
「それは遠慮しておきます」
丁重にお断りした僕は、早速あの神社があった場所に向かうことにした。
思い出の詰まったあの場所は、彼女の家であり故郷だ。
彼女はそこで、一体何を思っているのだろう。
神社のあったあの場所は、今や完全に取り壊されていて、見る影もない。あるのは、テナント募集中の文字が大きく書かれた看板のみ。後は更地で、天城さんが新しい事業を始めるのかどうかは、先送りにする気なのだと勘づく。
神社がないのにこんな場所まで来たって虚しいだけ。僕はそう思って、この一か月以上をここへ足を運ばないようにしていた。きっと、雨宮さんもだろう。天神社のあったその場所で、想い出を語り合うには少々時間がかかる。
僕は神社に繋がるはずだった道を、感傷に耽りながら一歩一歩踏みしめて歩いた。ここには鳥居があった。あの先には本殿があった。
そして、正面の賽銭箱には階段があって、僕たちは語り合った。
けれど、今は何もない。広大な土地に砂がさらさらと流れるだけだ。
「雨宮さん、居ますか」
ぼやくように呼び掛けて、ほとんど物がない場所を見渡す。どこにも彼女の姿が見えなくて、すれ違いだったかと肩を落とした時、ようやく人の気配を感じた。
右隅に、入り口で見たようなテナント募集中の看板が立てられていて、そこに隠れるようにして一人の女性が座っていたのだ。
間違いない。あれは雨宮さんだ。
「雨宮さん」
僕が僅かに駆け足で近寄ると、気づいた彼女は肩を震わせて、視線を落とした。回り込んで雨宮さんと向かい合うと、彼女は座り込んで、自分の心臓である石を抱え込んで落ち込んでいる。
「ようやく会えた。雨宮さん、帰りましょう」
「…………嫌です」
僕はこの時、ちょっとだけ嬉しくなった。彼女が口をきいてくれないのではと思っていたからだ。頑固者の雨宮さんは、こうと決めたら一切を譲らない。そうそう絆されることがないのだ。
けれど、口をきいてくれるという事は、まだ、僕と話をしてくれる余地があることに他ならない。
「こないだは、ごめんなさい」
「……ごめんなさいって?何に対して、謝っているのですか?」
「その、僕が無理やり聞こうとして」
「それなら謝る必要はありません。私は、私の意思を貫いただけです。ただ、お互い譲れなかっただけ」
「雨宮さんは、いつだって優しいですね」
「どうしてそうなるんですか!」
無意識について出た言葉は何故か雨宮さんの顔を赤くさせた。そろそろ夕陽が姿を現す頃だけれど、今のは完全に僕のせいと分かる。おかしいな。そんなつもりはなかったのに。
「だって、そうやって僕の事を悪い人にしようとしないから」
「……だって、赤瀬さんはとってもいい人ですもの」
「でも、僕はあの日、雨宮さんの気持ちを無視して問い詰めたんですよ。なのに、自分一人が悪いなんて言って。やっぱり優しい」
「そんなこと。だって、私の、勝手な悩みで赤瀬さんに迷惑をかけているから……」
閉め忘れた蛇口の水のようだと思った。雨宮さんは、ぽつぽつ、ぽつぽつと独白を続けて、だけど肝心な言葉を発さずにひたすら僕に謝り続けた。喧嘩をしているにしては、お互い謝りすぎて逆に気まずい。たまらなく可笑しくなって、僕は笑い声をあげてしまった。
「分かりました。それじゃあ、お互い悪いことにしましょう。ね、それでいいですよね」
「……そんな。だって、赤瀬さんは何も悪くないのに。私の事が気になるのは、当たり前じゃないですか」
「それでも、ですよ。このままじゃ埒があきません。ねえ、そろそろ仲直りしましょうよ。それで、帰ってきてください。雨宮さんが居ない生活なんて、もう考えられないんです。寂しくて死んでしまいそうですよ」
「それは嫌です」
「なら、ほら」
僕は手を差し伸べると、彼女が掴んでくれるのを待った。やがて夕陽が立ち昇って、西に沈んでいく。キラキラと輝く石に反射して、辺りは不思議な空間に包まれた。オレンジ色の波が、僕らをそっと導く。
「……ありがとう」
ようやく雨宮さんは僕の手を掴むと、そのまま立ち上がって頭を下げた。僕は頷くと、あっけなくも辛かった喧嘩の終わりにホッと息を吐いて、彼女を引き連れて家路につく。
無言で歩いていると、やがて雨宮さんが罪を告白するかのように重い口を開いた。彼女はずっと俯いたままで、僕と目を合わせてくれない。
「私は、正体不明の存在です。人々から神様と呼ばれていたからそうだろうと思って、今まであやふやなままで居ました。……でも、最近、それが不安に思えて仕方ないんです」
「不安?」
「はい。……隣に住んでいる、赤瀬さんの後輩さんから言われたんです。得体のしれない人。怖い。……どうして、赤瀬さんと居るのか。それが、ずっと心に引っかかって、何も手がつかなくなりました」
恩田さんだな、と思った。実はその場に居合わせたのは黙っておく。ここで話を折ると、先へ進みそうにないから。このことは後で報告したって問題ないだろう。
「私は、一体何なのでしょう。どうしてこの世に存在しているのでしょう。人間ではない私は、どうして赤瀬さんと居るのでしょう」
「そんなの」
「考えたって、仕方ないって知ってました。でも、考えられずにはいられないんです。私は、こんな正体不明の身でありながら、赤瀬さんと共に居る資格なんてないかもしれないのに」
それを言うなら僕の方だ。神様なんて高貴な存在の傍に、僕が居ていいはずがない。まして、恋をして、あわよくば両思いになりたいなんて、おこがましい。
けれど、雨宮さんはきっと、神であることをそこまで自覚していない。みんなが言うから、雨の降らすことが出来るから。きっとそんな理由で、流されるままに神の名を出すのだろう。自分では、得体のしれない、ある意味幽霊のような存在だと思っているに違いない。だから、僕たちの意見は食い違ってしまう。
「だから私は、天城さんの蔵でずっと自分の事を調べていました。彼のご先祖様と交流があった頃へ遡れるのなら、何か情報があるはずだと」
「……それで、何かいい情報はありましたか?」
雨宮さんは唇を噛み締めて、眉を寄せた。首を振るのもやっとだった。彼女は何一つ、自分の事を分からないまま、この一週間を過ごしていた。
僕たち人間の感覚で言うのなら、それは親が分からない、名前が分からない、なんてレベルの底知れなさなのだろう。自分の事が分からないのは確かに辛い。他者と違うかもしれない。自分の存在が、実は仲間外れであるかもしれない。人間は孤独が嫌いだから、仲間外れを酷く恐れる。
「私は、不確定な存在です。赤瀬さんと居ても、迷惑をかけるばかりです。……本当に、このままでいいんでしょうか」
「雨宮さんは、僕と離れたいんですか?」
思い切ってそう聞いてみると、彼女は立ち止まった。繋いだ手がぱっと離れて、茫然と立ち尽くす神様の姿がある。夕焼けの下で見る雨の神様は、この世の終わりのような顔をして、涙すら浮かべていた。
「そんな。そんなの、いや……」
「なら、それでいいじゃないですか」
僕は軽く言ってのけると、肩をすくめた。大袈裟に。雨宮さんが笑ってくれるように。
「だって、考えたって、調べたって分からないんですよね。じゃあいつか分かる日まで、とりあえず自分のしたいことをするべきです。それに集中して楽しめないなんて、勿体ないですよ。雨が降って喜んで、僕とお菓子を食べて、おこがましいかもしれないけれど、僕との生活に満足してくれているのなら、それでいいじゃないですか」
「おこがましくなんかないです。この生活がとても好きです。でも、赤瀬さんに迷惑を」
「迷惑なわけない。僕は僕の意思で雨宮さんと居るんです。僕が極悪非道の人間だったら、迷惑だと感じた時点でその石を壊しています。でも、僕は大切に祀って、雨宮さんの言葉に一喜一憂しているヘタレですよ。迷惑どころか幸せです」
「幸せ?赤瀬さんが?」
「そうです。ねえ雨宮さん。よく聞いてください。貴方だって不安に感じるかもしれないけど、僕だって不安なんですよ。だって、雨宮さんは神様で、僕は神様と暮らして独り占めしているんですから。でも、それでも僕は貴方と一緒に居たいからそんなの無視しています。自己中だって分かってるけど、仕方ないじゃないですか。雨宮さんが正体不明なら、僕はそれで安心して暮らせる。神様だっていう確信がなくなるんですからね」
一息に言い切ると、僕は再び彼女の手を強引に掴んで歩き出した。彼女はされるがままだったけれど、やがて手を握り返してきてくれた。たったそれだけで、全てが丸く収まった気がした。
どうだっていいじゃないか。僕たちがお互い幸せなら、それでいいはずだ。
「もうすぐ大学祭なんです。雨宮さんに渡したいものがあるから、ぜひ来てほしいんです。……来て、くれますか?」
恐る恐る尋ねると、雨宮さんはさっきまでの重苦しい空気を振り払うように、元気な声を出した。それがいつもの彼女で、何よりの幸福だった。
「勿論です。ぜひ、連れて行ってください」




