7 宝物はいつもそばに
経験も何もない男が二人集まって、洋菓子、果てには聞くからに難しそうなケーキを作れるかどうかなんて、正直不安しかない。
川上さんの奥さんが仕舞いこんだレシピには苺のショートケーキという無難なものが書かれていた。大事にされていたそれには、きっと僕では想像もつかない思い出が詰まっているはずだ。となると、作るのはそのレシピを頼りにしたケーキということになる。
僕はあの後、川上さんと二日後に材料と資料を持参したうえで練習をすると約束した。時間が経つにつれて不安ばかりが過るけれど、うだうだ言っていられない。
「重いなあ。誰か手伝ってくれないかなあ」
そんな中で、次の日の僕の仕事と言えば資料を集める事だった。職人気質の川上さんは、レシピだけではなく、コツやあらゆる作り方を考慮したうえで挑むという用意周到なタイプらしい。僕は早速、午後の講義が終わると大学の図書室に行って、片っ端から洋菓子専門の本を十冊借りてみた。
けれど、重すぎる。非力でか弱い僕には少々きつい任務だった。思わず漏れた独り言だって誰も聞いてくれなくて、もう、寂しい。
花の水やりもするために、植物研究会の部室にやっとの思いでたどり着くと、そこには幸弘と友喜がすでに集まっていた。そういえば友喜はバスケ愛好会のサークル活動は大丈夫なんだろうか。最近、幸弘につられてこっちばかりに来ているけれど、それなら入ってしまえばいいのに。
そんなことを思いつつ、部室に入って雑然とした床にひとまず本を置くと、二人は興味津々と言った様子で近寄って来た。
「おう、なんだなんだ、今度は本?それって図書室のでしょ。何を借りてきの?」
「花の育て方なら俺が一から十まで教えてやるから借りてこなくたっていいのに」
「残念、花じゃないんだな」
二人が覗き込んでいるのを他所に、僕はエボルブルスの苗に近づいて、水の準備をする。幸弘の用意した肥料もそろそろ与えなければいけない。
「これ、お菓子のレシピじゃん!なに、ついに目覚めたの?」
「時也って和菓子派じゃなかったっけ?」
「そうだよ。でもちょっと事情があって」
じょうろを土に傾けながら僕はかくかくしかじか、うんぬんかんぬんと川上さんの事を説明して見せる。
すると、二人は納得して本をめくり始めた。その顔は、心なしか微妙に不安をわだかまらせているような気がした。
「なるほどなあ。いつもお世話になってる人の頼みだし、優しいお前なら引き受けちゃうの、分かるけど」
「でも時也って不器用じゃん?天下取れるじゃん。大丈夫なの?」
「正直不安でいっぱいです」
だよなあ、と声をそろえて言う辺り、二人の息はぴったりだと思う。ナイス。僕も混ぜてくれ。
湿った土に一指し指を押さえて、湿り具合を確かめる。弾力のある土に満足した僕は、備え付けられた水道で手を洗うと、二人の傍によって、話を持ち掛ける。
「で。僕、出来ると思う?」
「いやあ、それこそ普通の男の人だったら可能性はあるけどなあ」
「時也だからな」
「なんてったって」
「時也だからな」
「酷いよ二人して!」
悪ノリがすぎる。おかげで僕のハートは既にボロボロです。
でも、二人が言う事は僕もちゃんと実感しているのだ。
なんてったって。
僕だから。
という冗談はさておき、僕は高校生の調理実習でお菓子作りを経験したことがある。その時はクッキーを焼いていたのだが、材料の分量を間違える、調味料を間違える、果てには焼きすぎて黒焦げにする、という地獄の三連打をかました。漫画のような展開はないだろう、大丈夫だろう、と思っていただけにショックを受けていたのを覚えている。その時、二人も他の班とはいえ一緒に作っていたので、僕の実力の底辺ぶりは十分わかっているのだ。その日は他の班に分けてもらってもらったけど、お菓子はもう二度と作らないと決意した日だった。
そんな僕が、メインではないとはいえお菓子を再び作ろうとは。世も末である。
「その一緒に作る人だって、結構な年上で和菓子しか作らなかったんだろ?まあ和菓子職人ってことは繊細な仕事も大丈夫だろうけど、ケーキっていうのはまた違うからなあ」
幸弘の言葉はもっともである。三人揃ってううんと唸ると、なんだか先行きが怖くなってきた。大丈夫、と言いたいところだけど相手も川上さんだし、さてパティシエを目指していたほどにケーキを愛する奥さんに満足してもらえるかどうか。
「ま、あんまり気張るなよ。普通の料理が出来てお菓子が全く作れないっていうのは、コツを知らないだけだ。覚えれば簡単さ」
「幸弘ってお菓子作ったことあるの?」
「ううん、少しな。昔、姉貴の手伝いで作ったことはある」
「友喜は?」
「俺、毎年バレンタインのお返しに手作りでみんなにクッキー配っているんだよね。だからそれなりには出来ると思う」
なんだと。出来る男の言葉は僕にグサッと刺さり、離れてくれない。なるほど、これがモテモテ男子の違いか……。
「二人ともそこそこ出来るってことだね」
「まあね、あの調理実習で失敗しなかったから」
「傷をえぐるのは勘弁してください」
頭を下げると、二人は笑い声をあげて肩をすくめた。そして、背中を軽く叩かれる。
「出来ない時はまた相談しろよ。俺たちも出来る限り協力するさ」
「当たり前。川上さんって人にも伝えときなよ。俺たち、待ってる」
「どうしたの、二人とも。僕涙出てくるよ」
「やめろ気持ち悪い」
ごめん、と謝りつつ、僕は肥料をやっていないことに気付いて立ち上がる。幸弘が用意してくれたエボルブルスの苗は、着々と成長を見せてくれていて、芽も出始めていた。いい土に肥料、エボルブルスの苗。全て二人が用意してくれたことに僕は感謝してもしきれない。いつもいつも、雨宮さんの事や家庭の事で何度も話を聞いてもらって助けてもらっているのが情けなくて、だけど嬉しい。
その時の僕はたぶん、どうかしていたんだろう。気づけば振り返って二人に頭を下げていた。
「いつもありがとう。……俺、二人が居て本当に良かったと思う」
「何だよ急に」
「それこそ俺たちだって時也に感謝してもしきれないのにさ」
僕はその続きを悟って、そうだね、と相槌を打つ。結局僕たちは、お互いがお互いを助け合って生きているのだ。
「俺たちこそ、お前に助けられてばかりなんだ」
幸弘のつぶやきに聞こえないふりをして、肥料をやり終えた。もちろん分かっている。友達って、宝なんだ。そう実感し続けるのは、僕たちがちゃんと壁を乗り越えた証拠だから。




