3 今の幸せを噛み締めているから
「あーあ、また雨かよ。最近多くない?何か嫌になるよなぁー」
「そりゃ梅雨だからな」
太鼓のような音が響く中、まだ昼間だっていうのに深いため息をついたのは友人の一人、友喜だ。
そして友喜の言葉に頷きつつも、カツ丼をガツガツとかきこんでいるのは幸広だ。
先に食べ終わった友喜はぶつぶつと文句を垂れつつ、時折幸広にちょっかいをかけては、幸弘の華麗なる受け流しで右から左へと流れていく。
そんな様子を見ながらもゆっくりとしたペースでカレーライスを食べるのは僕で、まだ半分も減っていない。ざわざわと声が響く中、友喜が僕を見てビシッと指をさす。
「ていうか、梅雨の季節に文句を言うのは時也の仕事でしょ!!」
「ええ??でも言ったじゃん、僕は雨大好きになったって」
「時也は二年前に生まれ変わったの?そうなんだね?」
何とも失礼な奴である。
「僕が生まれ変わってたなら肉食系男子になってると思うけど」
「それもそうか。時也はいつまで経っても草食系だもんな」
だから!!!失礼なやつだな!!
むすっとした表情でカレーライスを頬張ると、甘すぎず辛すぎずという絶妙なバランスの味に顔はすぐにほころんだ。
その様子に二人は苦笑して見てくるけど、しょうがないだろ!食べ物に罪はないんだから。
むかついた僕はもぐもぐと食べるスピードを上げると、前方から声がした。
「あ、近松さんだ! !」
「え?」
突如として声をかけられた友喜は、間抜けな声を出して振り返る。
思わず向かい側に座っている僕と、友喜の左に座る幸広も声のする方向を見ると、そこには二人の女子が居た。
一人は長い茶髪をポニーテールにしてメイクバリバリの顔と、ちょっと暑いからとはいえ、派手な露出の多い服装をしている今時の子だ。
もう一人はといえば、肩の上まで伸ばした黒髪のボブヘアをピンで止めて、隣の子と比べると露出も少ない青色の多い服を着た、全体的に落ち着いた子だ。
多分、友喜に話しかけたのはポニーテールの子だろう。
ちなみに近松とは友喜の名字で、ついでに言えば幸広の名字は杉田だ。
どちらも歴史人物と同じ名字で、ちょっとだけ羨ましい僕である。
「えーと、……ああ、こないだバス愛に居た子だ」
バス愛とはバスケット愛好会の略称である。
友喜はバスケが趣味だからそのサークルに入っているのだけれど、どうやら相変わらず女子からは絶大な人気を誇っているようだ。モテる男は違うな。
「そう!私こないだ近松さんを見た時からバス愛入ろうと思ってて!!これからよろしくお願いします!」
「あー……うん、よろしくー」
ポニーテールの子が元気よくそう言うと、友喜は気の抜けた返事をする。
それを気にせず彼女は友喜と二、三の会話を交わすとボブヘアの子と颯爽と去っていった。
慌ただしい彼女達にどうやら友喜は辟易しているらしく、振り向いていた顔を戻すと疲れ切っていた。
「モテる男は違うな」
ようやく食べ終わったらしいカツ丼の皿を綺麗に並べながら幸広がポツリと漏らすと、友喜はムッとして顔をしかめた。
どうやらモテない人には分からない悩みがあるらしい。
「別にモテたくてモテてるわけじゃないし。どうせ顔だけ目当ての良くない奴でしょ」
そう言い放った友喜の顔はいつものような人受けするような表情ではなくて、本当に迷惑をしているのだと気づく。その露わになった感情に、僕と幸弘は口をつぐんだ。ムードメーカーの彼にしては珍しい。本当に嫌なのだろう。
「あー、それよりもさ!」
自分の発言で空気が悪くなったと思ったのか、友喜は数秒後にはいつもの顔に戻っていて明るい声で言う。
ようやく食べ終わったカレーライスの皿を置いて、首を傾げると、友喜はにんまりと笑っていた。なんだか嫌な予感がして僕は視線を逸らした。
これは、もしや。
「時也はその、雨宮さん?とどうなったわけ?」
その一言で、幸弘も興味津々といった様子で僕に視線を向けた。え、なんで二人とも僕をそんなに見つめるの。やだ照れちゃう。
「恥ずかしがってる場合か。全部話してもらうぞ」
「なんでさ!」
「なんでって、友達の恋がちゃんと実っているのか、知りたいに決まってるからだろ。心配だし」
「幸弘……」
感動しかけたところで、横から友喜の面白いし、という言葉がボソッと聞こえてきて一気に正気に戻る。こいつら僕の事を退屈しのぎにしか思ってないんじゃないかな……。
「さあ、洗いざらい話してもらおうか!」
友喜のその言葉に、僕は首を捻る。雨宮さんとのことで、そんなに話すことってあったっけ……。
もちろん、雨宮さんとの日々はかけがえのないもので、充実したもので、それこそ語りだすと止まらないだろう。
だけど、それは二年前と変わっていないのだ。僕たちの関係は、そのまま、ただ穏やかな日々が流れているだけ。この二人に、彼女とどうなったと報告できるほどのものは、ないのだ。
「雨宮さんと、再会して……、それで、いつも通り、雨の日に会う、だけかな。和菓子食べて、話をして……」
「……それで?」
「え、それでって?これだけ」
「………………はっ!?」
友喜は大袈裟に後ろにのけ反り、あり得ない、と呟いた。幸弘は穏やかな顔を引きつらせて無言で首を振る。え、なんでそんな反応なの?だからたいして変化はないんだってば……。
「お前、雨宮さんのこと、好きなんだよな」
「そ、そりゃあもちろん……」
僕は頬が赤くなるのを感じて、両手で顔を覆った。言われるまでもなく、好きだ。じゃなきゃ、あんなに長い間、未練がましく神社に通ったりしなかった。
それを言うと、二人は同時に長いため息をついた。はああああ、と五秒間くらい。わあ、二人とも息ぴったりだ。
「あのさ、時也」
「うん?」
「この際だから言うぞ。ヘタレのお前に言うぞ」
「え、なになに、ちょっと怖い」
友喜はキリッとした顔つきで僕に指を突きつけた。そして、草食系男子には厳しい一言を言う。
「そんなんじゃ、雨宮さん離れてくぞ」
「……え?なんで?」
「なんでって、お前なあ。二年もの間、一人を想ってストーカーよろしく神社に通ってたお前はどこ行ったんだよ。神社にその人が居るわけでもないのに」
言われて僕は口ごもる。友喜が何を言いたいのかわからない。でも、そのうち雨宮さんが僕の目の前から離れてしまう、というのは重たい事実として突きつけられたような気がした。
だって、きっと放っておいたら本当に居なくなってしまう。僕の前から、消えてしまう。
ちなみに、二人には雨宮さんが海外に行ってしまって僕は落ち込んでいた、という話をしてある。彼女が人ならざるものだというのは、僕だけの秘密だ。
黙りこくっていた幸弘は僕と友喜の顔を交互に見て、それから口を開いた。どちらの味方になるか、決めかねていたのだろう。
「離れてくっていうのは大袈裟だと思う。だけど、折角再会して、何の進展もないのは、ちょっと不安じゃないか?」
「……それは、そうだけど。でも、僕は会えなかった分、これからを大事にして、平穏に過ごしたいというか」
「まあ、それも大事だけどさ。でも、雨宮さんまた海外に行っちゃうかもよ?それで疎遠になってもいいの?」
「いや、良くない」
「じゃあ、関係をもっと深くして、恋人になればいいじゃん。そしたら、雨宮さんと離れても、安心じゃん」
また、会える可能性がある。それは、そうだけど。
僕は俯いて、しばし考え込む。そういう問題じゃない。海外とかじゃないんだ。雨宮さんは、もっともろくて儚い。知らない場所に、一人で行ってしまうこともあり得るんだ。彼女がまた消えて、それで僕の根性でどうにか出来る問題とは思っていない。たまたま、今回は僕の願いが届いて、雨宮さんの力を取り戻すことに成功しただけで。
僕は、雨宮さんに会うたびに、もう会えないんじゃないかといつも不安なんだ。それで、どうしてもその先が言えない。
好きです。
愛しています。
貴方とずっと一緒に居たいです。
そんな言葉が、何も言えない。
ただ、彼女が消えないように、いつも必死で、いつか太陽の下でも会えるように僕でもどうにか出来ないか、考えるだけで。
無力な僕には、簡単な口約束しかできない。
とてもではないけれど、雨宮さんとこれ以上の関係を築くのは厳しい気がした。
ネガティブな僕には、いつだって勇気が必要だから。
「雨宮さんと、恋人になりたいとは、思うけど。だけど、今はこのままでいいんだ」
「ホントに?」
「……うん。ホントに」
いずれ、雨宮さんとこれ以上を求めるようになるだろう。恋人になりたい、二人でデートしたい、もっと一緒に居たい。
だけど、それには色々な壁が立ちはだかる。その壁を、僕は乗り越えられるように準備しなければならない。だからこそ。
それまでは、臆病な僕のままで居させてほしい。
それに、もう僕は、二年前に雨宮さんに想いを伝えたのだから。