3 それはまるで、蛇のにらみ合い
川上さんを手伝うと決めた次の日、僕は早朝から唸っていた。
結局僕と川上さんの二人ではいい案がすぐには思い浮かばず、お互い考えて、聞きこみなどをしてからまた対策を練りましょうということになった。どの道僕も恋愛に関しては疎すぎるし、そういうことなら友喜の方が充分に詳しい。女性からの意見も聞きたいから雨宮さんにも聞いてみようと思う。
僕は家に帰ってから何やかんやと雨宮さんに話さず一人で唸っていたせいで、彼女にも無駄な心配をかけてしまっているに違いない。事実、雨宮さんはさっきから不安そうに眉を寄せてこちらの様子を伺っている。
「……雨宮さん」
僕がベランダに出て、祠にお供え物をしつつ、手招きすると、彼女は少しだけ顔を輝かせて早足で近寄って来た。考えてみれば僕はいつも彼女の前で何かしらの悩みを抱えている。 本当に申し訳ないけれど、その都度察して適度な距離感を取ってくれている彼女には感謝するばかりだ。
「はい、どうかしましたか?」
僕が手を合わせて、念入りに気持ちを捧げ終わったのを見計らった頃、雨宮さんは問うて、ウキウキとした様子だった。実際、僕から事情を聞きたくて仕方なかったのだろう。
僕はそんな彼女の可愛い様子に癒されながら、リビングに戻ると、事情を説明した。
かくかくしかじか、川上さんのこれまでの恋愛経験のなさと、迫る結婚記念日。
昨日あったことを話し終えると、雨宮さんまで深刻そうな顔になり、ちょっとだけ笑う。感情移入をしやすい彼女は、相変わらず自分の事のように考えてくれている証だろう。
「いつも赤瀬さんが買ってきてくれている和菓子のお店の人ですよね」
「そうです。神社の署名活動でも助けてもらった人ですよ。……口は悪いけど、良い人なんです」
同じく口が悪い人で天城さんが挙がるけれど、彼とはまたタイプが違う。川上さんは、皮肉めいた言葉にどこか優しさが含まれているのだ。付き合いにくい人ではあるけれど、僕のような人付き合いが決して得意ではないタイプからしてみれば、共感が出来てしまう。
「それは是非とも私も手伝いたいです。……奥さんはどんな人なんでしょうね」
「僕も見たことがないから何とも言えないんですけど、声は元気で溌溂としていましたよ。長年、川上さんに文句ひとつ漏らさず付き添っているから相当な忍耐力を持っていそうですよね」
「きっと、よほど川上さんの事が好きなんでしょうね」
雨宮さんの言葉に、僕はハッとさせられる。僕は奥さんが我慢強い人間だとしか考えていなかったけれど、そうだ。
好きじゃなかったら、あんな頑固で皮肉屋で、仕事一色の男にいつまでも付き添っていられるわけがない。
そうか、そういうことか。なんだか世紀の大発見をしてしまった気分に陥った僕は妙に感心して、うんうんと頷いた。
「プレゼント、悩みますね」
「そうですよね……。出会ってから今までの想いを乗せたプレゼントですから。慎重にやらなきゃ」
いわば数十年の集大成だ。そんじょそこらの物ではあの川上さんの事だ、納得はしないだろう。職人あるあるとして、彼は一つやると決めたら絶対に手を抜かず、最後まで細かい所まで管理する。
僕は自分が提案するプレゼントを川上さんの毒舌でばっさばっさと切り捨てられるのを想像して苦笑した。これはかなり大変だぞ。
財布を鞄に入れて立ち上がると、僕は雨宮さんにまた手招きした。首を傾げつつ近づいた彼女に、立ち上がって目線を合わせると、実は、と大発表する。
「今からデパートに買い物に行きます」
「……はい」
「それで、ついでに何かいい案はないかと探しに行きます。……雨宮さんも一緒にどうですか」
「い、いいんですか!」
僕が頷くと、雨宮さんは掌を合わせて嬉しそうにその場で回転した。久しぶりの外にうきうきしてしまうのも仕方がない。
祠とご神体をこの家に移してからというものの、雨宮さんがこの生活に慣れるまでは余計に力を使ってしまってはいけないと外に出ることを控えていたのだ。
しかし、そろそろ慣れてきた頃合いだし、ずっとこの家だけで過ごすのも飽きてくるだろう。僕だってまた雨宮さんとお出かけがしたいし。
よし、準備完了、と気合を入れて洗面所で身だしなみを整えると、鏡に映った後ろの雨宮さんと目が合う。
二人で笑いあうと、どちらからともなく、玄関に向かって、靴を履いて、家を出る。
雨は降っていないけれど、最近は力も蓄えているはずだし、ご神体を置いてきても問題はないだろう。
そんなことを考えつつ玄関を出て、鍵を閉めていると、隣でドアの開く音がした。
そして、恩田さんとばっちり視線が合う。
「……先輩」
「お、恩田さん。おはよう……?」
どうして疑問形なんだ。そこは間違っていないから堂々としろよと内心でツッコミを入れつつ、目の前で佇んだ後輩を見る。恩田さんは、隣でひょっこりと顔を出した雨宮さんに釘付けだった。
「赤瀬さん、こちらは……?」
雨宮さんに問われて、僕はハッとした。そうだよな、気になるよな。普通の隣人っていう雰囲気でもないし、何より向こうも先輩って、呼んでるわけだし。
僕は一度深呼吸すると、ようやく口を開く。やっぱり、女の人は苦手だ。
「後輩の、恩田さん。隣に引っ越してきたり、同じサークルに入ったり、何かと縁がある人なんだ」
「そうなんですか」
雨宮さんはサークルの言葉にピンときたようで、頷いた。サークルと言えば幸弘と友喜の話ばかりしているから、そこからイメージをしやすかったのだろう。
まさか僕の知人に会わせる初めてが恩田さんとは思わず、ちょっとだけがっかりする。いつか友喜と幸弘にも紹介させてやりたい。二年前のように姿を消すことなく、しっかりと三人を対面させてやりたい。今なら、きっと叶うことだろう。
と、そんな横道に逸れたことを考えていると、雨宮さんが一歩前に踏み出して、頭を下げる。
僕も慌てて雨宮さんの事を紹介しようと口を開いた。
しかし。
「この人は雨宮さん。……僕の」
何て説明したらいいんだろう。雨宮さんは、僕の何だろう。それは、二年前にもぶち当たった問題。僕と、雨宮さんの、関係。曖昧で、だけどずっと濃密な、これにはどんな名前がつくのだろう?
結局行き詰った僕は、隣で揺れる長い髪を見て、意を決して言う。
「大事な、人です……」
消え入りそうとはいえ、言い切った僕は次第に顔が真っ赤になって俯く。間違っていない。そうだろ?
「ああ、あの時の……」
恩田さんがぽつりと漏らした言葉には、少しだけとげがあった。そうだ、彼女には僕に大事な女性が居るということは以前から伝わっていた。それだけで、雨宮さんがその人だと分かってしまうのだろう。色々協力してもらっていた分、申し訳ない気持ちで再び恩田さんを見ると、彼女はどうしてか、きつい眼光で雨宮さんを睨んでいた。ぎょっとして雨宮さんの顔を覗き込むと、こっちも無表情に恩田さんを見つめている。決して睨んでいるわけではないのだけれど、いつもと雰囲気がまるで違う。
「え、えっと……」
何だこのぎすぎすした雰囲気は。僕は頬をひくつかせると、どうして睨みあっているのか分からない二人の間に入ると、雨宮さんの手を引っ張って、恩田さんに会釈。そそくさとその場を立ち去る。
一体何だったというのだろう。
繋いだ手は、夏とはいえ熱すぎる体温だった。




