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神様の涙2  作者: 美黒
1 2年後の僕たち
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21 神様の心臓、僕たちの雨

 祠の鍵を見つけるのは、意外にも簡単だった。あの大きなお屋敷の中で、手のひらに収まるそれを探し当てるのは、正直骨が折れそうだと三人で向かい、相変わらずの年季を感じさせる屋敷に踏み入れると、天城さんは玄関で立ち尽くして顎に手を添えた。

 きっと鍵のありかを思案しているのだろうと僕ら二人は黙って佇み、招き入れられることもなく無言で雨音を聞いていた。

 すると、天城さんはため息をついて、肩をすくめた。

「ふむ、考えても分からない。私は先祖の話にあまり興味がないのでね」

 大袈裟に言った彼は、無駄な行動をしたとでも言うように無造作に靴を脱いで、僕らを上がらせた。雨宮さんと僕は顔を見合わせて、本当に見つかるのかと不安な気持ちをぶつけていると、彼が突然大声で誰かを呼んだ。

「轟、いませんか」

「はい、ただいま。お帰りなさいませ、優成様」

 廊下の奥からすり足で現れたのは、濃紺の半着に薄墨の袴を履いた、おじいさんだった。顔に刻まれたしわ、ところどころに入り混じる白髪は、僕らよりずっと人生経験が豊富で、この天城家で大きな役目を担っているのだろうと予想できた。何より、天城さんの家来という雰囲気が漂っている。

 彼を見るその眼差しは尊敬と情熱が入り混じっているのだし、轟という人はこの大きな家に仕えているのだろう。でなければこんな若い人にそんな顔を向けられない。

「轟、天神社の話はしましたね。あの祠の鍵を探しているのですが、知りませんか」

「天神社、ですか」

「お願いします。どうしても、鍵が必要なんです」

「お願いします!」

 僕が頭を下げて頼むと、隣で雨宮さんも慌てて頭を下げた。若い二人に頭を下げられて驚いたのか、轟さんは頭を上げてくださいと柔和な声で制止する。顔をあげると、そこにはどこまでも優しい顔が僕らを慈しむように見ていて、少しだけホッとする。どうやら、いい人そうだ。

「彼らが、優成様の言っていた神社を守ろうとしていた方々ですか」

「……僕らを知っているんですか」

「ええ。もちろん。優成様が面白い勝負をしてきたと、ご機嫌で帰ってこられましたから」

 くすくす笑う轟さんの横で天城さんは不機嫌面を引っ提げて、彼の腕を引っ張る。その仕草が、なんだか子供染みていて、初めて彼に親近感を抱いた。

 しかし、面白い勝負っていうのは今日の署名活動の結果の事だろうか。

「面白がっていたんですか?僕らは真剣だったっていうのに」

「……ええ、それなりにはね。大学生が、必死になって青春を送っているなあと思いまして」

 耳が少しだけ赤いのにも関わらず、結局くえない物の言い方をするのは変わらない。雨宮さんが苦笑している横で、轟さんはこら、と叱りつけていた。天城さんはそっぽを向いてつんとした態度を取っている。まったく、大きな子供だ。

「それで、場所は分かりますか」

「ああ、鍵でしたね。勿論ですとも。先祖代々の大事な品、忘れるわけがございません」

「しかし私はその存在を一切知らなかったのですが」

「またそうやって減らず口をおっしゃる。優成様は事業に手を伸ばすのに必死で、話なんてろくに聞いてくれやしなかったからじゃないですか」

 やがてこっちだと言うように轟さんはゆったりと歩き出す。以前通された客間を通り過ぎ、長い廊下の奥を歩くと、一つ、小さな物置部屋があった。

「天城家に伝わるお話で、天神社は特に歴史が長いのです。まがい物の神社と言えど、そのご利益である雨に、初代が見たという不思議な女性。それらは、大切に伝わってきました。だからこそ、私も最初は天神社を取り壊すのはどうかと思ったのですが」

「轟さん……」

「だが、それも仕方ないでしょう。あの神社を残して、一体何の意味があるのです」

 天城さんは、後ろに雨宮さんが居るというのにそんなことを言ってのける。一発頭を殴ってやりたくなるくらい、ストレートな物言いだ。ちょっとは遠慮というものを覚えてほしい。

「それもそうですね。……しかし、あの神社に棲む雨神様は、どうか別の場所で平穏に暮らせればと思います」

 横で雨神様が聞いているとはつゆ知らず、轟さんはそう言うと、部屋の襖を開けて中に進む。

 物置部屋は、綺麗に整頓されていた。こんなに大きなお屋敷の歴史ある部屋だというのだから、誇りにまみれていたり、所狭しと物が置かれているかと思えば、実際は丁寧に飾り物や引き出しつきの棚が置かれていて、そこは一つの博物館のようだった。

 壺に食器、和綴じの本などなど。天城家が古くから伝わるであろうことが一目でわかるような室内で、轟さんは迷うことなく奥に飾られた小さな木箱を躊躇いなく手に取る。

 そして、箱を開けると、小さな鍵が入っていた。それは、丁度祠の穴に差し込めそうな、小さな木製のものだった。

「これが鍵ですか」

「ええ。……時に優成様、この鍵をどうするので?」

「……轟。あの神社の何処に、ご神体があるか知っていますか」

「ご神体ですか。確か、祠の中でしたね。見たことはございませんが、それはたいそう、綺麗な石だったと伝えられています」

「らしいですね。それを、神社が潰れる前に取り出して、彼に譲ります」

 天城さんは僕に目配せをすると、轟さんが取り出した鍵をさっと奪い去った。轟さんは、僕に驚いた顔をすると、やがて納得したように頷く。

「なるほど。必死に神社を取り壊さないよう、訴えられていたと聞いております。そんな方なら、大丈夫でしょうね。いやはや、実は取り壊す際、ご神体はどうすればいいのか考えていたところなのです。……きっと、雨神様も、喜ぶでしょう。これだけ、想ってくれる方がいらっしゃるのですから」

「……ありがとうございます。必ず、大事にします」

「いえいえ、こちらこそ」

 僕らが薄暗い部屋で頭を下げあっていると、突然、雨宮さんが声をあげた。一体どうしたのだろう、と雨宮さんに問いかけると、彼女は和綴じの本を見て、肩を震わせていた。

「これ」

 震える声でしなびて黄ばんだ、いつ書かれたものか分からないその本を撫でると、雨宮さんは轟さんに顔を向けた。天城家の古株と予想される彼は、ああ、と声を漏らす。

「それは、初代天城家の当主が書いた日記のようなものです。そういえば、中には天神社が出来る以前の頃からの、女性の話やご神体の話が書かれていましたね。子孫にあれこれしてほしいとの文章もありましたよ」

「ええ。……ええ。覚えています。一度だけ、見せて頂いたことがあります。全く思い出せなかったのが申し訳ないくらい。……彼は、とても楽しそうに、日記を書いたんだと、聞かせてくれたのを……思い出しました。ここにあったのですね」

 轟さんだけが首を傾げて、雨宮さんの言葉に疑問を持つ中、僕と天城さんは、彼女が撫でた本を見つめた。

 古びたその本は、天城家初代の男性が、雨宮さんについて書いた、日記だった。彼女は、未だに戸惑っている轟さんに顔を向けると、少しだけ目を潤ませながら、儚い笑顔で、精一杯の力強い声で言う。

「神社は確かになくなってしまいます。だけど、雨神は、幸せです。大切な人達に祀られて、大切な人にご神体を見てもらえるのですから。きっと、幸せです」

 雨の神様は、本を撫でていた手を抱きしめるようにすると、轟さんに一礼した。それは、神様からの、最大限の感謝の気持ちだったに違いない。


 天城さんが見守る中、ついに雨の奏でる音楽が聞こえなくなった神社の中で、僕は鍵に力を込めて、雨宮さんと頷き合った。

 再び天神社に戻って、一目散に祠の前に立つと、半ば奪い取るかのように僕は鍵を預かった。

 そして、恐る恐る、鍵穴に差し込む。

 やがて、ガッと鈍い音がして、何かが外れた。期待に満ちた心境で鍵を抜き、そのまま祠の取っ手を引いてみる。そうして、祠は。

 開いた。

 ゆっくりと開けたその扉の中には、確かに入っていた。

 天神社のご神体であり、雨宮さんそのものであり、彼女の心臓となるものが。

「これが……、雨宮さんの、本体」

 それは、とても美しい石だった。煌々と輝くそれは深海のように青く揺らめいていて、色彩を僅かな角度で変えていく。ある方向からは森のように、またある方向からは太陽のように色合いを変化させ、それを青空の中に閉じ込めたかのような、不思議なものだった。本当にこれが自然の中にあったものなのかと疑いたくなるくらい、神々しい。それはまさしく、雨の神様と呼ばれていた雨宮さんの心臓と言って間違いない。

 両掌に収まるほどの大きさのそれを、雨宮さんはそっと取り出して、間近で見つめた。真っ白な肌に、青い光が射す。僕はおろか、皮肉屋の天城さんでさえ、口を閉じて見守ってしまうような神秘さが、そこに広がっていた。

「こんなところに、あったんですね。……ずっと、ずっと、忘れていてごめんなさい。貴方は、私だというのに。私は寂しいばかりで、全く思い出すことが出来なかった」

 ぽつりぽつりと溢れ出るそれは、懺悔。僕はそっと雨宮さんの肩を抱き寄せると、石を隣で見つめた。いつもなら恥ずかしくてできないはずなのに、今は雨宮さんに触れてしまえる。この石が、そうさせてくれているような気がしてならない。

 僕らは石を見つめて、ただただ、無言で感慨にふけった。

 雨宮さんであるこの石に、僕は言いたいことがたくさんある。この神社に居てくれてありがとう。雨宮さんと惹き合わせてくれてありがとう。雨を降らせてくれてありがとう。雨を、好きにさせてくれてありがとう。

そして。

「「ごめんなさい」」

 二人同時に、謝った。

 僕らは肩を寄せて、頭を下げた。たくさんのありがとうをくれた、この石と神社。僕らの、かけがえのない場所。

 だけど、明日からは消えていく。僕と出会って、たった二年という歳月を、濃密で儚くて、苦しくて、幸せな時間をくれたこの場所は、なくなる。守れなくて、本当にごめんなさい。雨宮さんの家を、守りきれなかった。

 雨は既に止んでいたというのに、地面にはぽつりぽつりと雫が流れ落ちる。神様の涙は、静かに地面を塗らして、想い出の彼方へと消えていく。

 こんな時ばかりは天城さんも、後ろで見て見ぬふりをしてくれる。それが何よりの気遣いで、僕らは遠慮することなく雨を降らし続けた。

「この石があれば、私は何処へでも行ける。この家がなくなるのは、惜しいけれど、それでもいい。だから、赤瀬さん。私を、連れて行ってください」

 やがて雨宮さんは頬を拭って、心からの笑顔でそんなことを言う。僕は手渡された煌めく石を包み込むと、精一杯頷いた。

「勿論です」

 これからは、雨宮さんと何処へでも行ける。神社という家をなくした彼女は、神様という立場を捨てることになるかもしれない。それでも、僕と一緒に居てくれるというのなら。ずっと、僕は彼女と居ようと思う。

 雨宮さんの手をとって、しっかりと握りしめる。そんな突飛な僕の行動に、雨宮さんは照れ笑いすると、二人一緒に天城さんに頭を下げた。

 苦笑した彼は、肩をすくめると、もう何も言うことはないというようにそそくさと立ち去った。

「雨の神は、自分の家より、一人の男を選びましたか。それもまた、一興」

 愉快そうなその背中は、何処までも恨めしく、憎たらしく、だけど、感謝の念に堪えなかった。


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