13 活動開始、だけど
最近、僕は友達に関して、特に感慨深く思いふけることがある。ない頭を必死に使って、それでも割り出たその考えは、どうにも恥ずかしいけれど、それでも伝えずにはいられない。こっそり言うのも、恥ずかしさのせいなのだけど、それなら真正面から伝えたい。だから僕は、改めで、深々と頭を下げて、こう伝えるのだ。
「二人とも、ありがとう」
すると、幸弘と友喜は何でもないように、気にすんな、と笑うのだ。友達っていうのは、理屈ではなくて、言葉ではそうそう表せないものなんだと気づいたとき、僕も二人のために何かをしてあげたいと思った。本当に、ありがとう。
ビラを配って、署名活動をすると決めた日から丁度二日後の午後。僕は神社から一番近いスーパーの駐車場付近で、必死に声を張り上げてビラを配っていた。
「天神社がもうすぐ取り壊されてしまいます!大切な場所がなくなってしまうんです!どうかご署名を!」
実際にやってみて、僕はビラ配りや署名を集めるという、地道な作業がどれだけ大変か思い知った。
どれくらい大変かっていうと、突然の雷雨が襲ってきて、電車が止まり、家に帰れなくなるくらい。これは僕の高校時代に経験した大変なことだけど、この時に匹敵するほどには苦労している気がする。
なにせ、まず人を集めなければならない。人が集まらなければ何も始まらないので、出入りが激しいスーパーの駐車場を選んだけれど、これも許可が居る。幸い、スーパーの店長さんは快く快諾してくれたので良かったものの、時には買い物で来ている人々に鬱陶しそうに見られることも多々ある。正直傷つく。
興味本位で近づいてくれる人も居るし、あからさまに避けて通る人も居る。それぞれ違う反応をしていて、それを一心に呼び集めるのは生半可な覚悟ではいけない。それに、呼びかけるにも興味を惹くような言葉じゃなければいけない。皆さんが慣れ親しんだ、天神社がもうすぐ消えてしまいます。誰かの大切な場所が、いつの間にかなくなってしまうんです……。色々試したけれど、天神社がそもそも無人に等しい場所なので、立ち止まってくれる人はなかなかいない。
たいして大きくもない声を張り上げて、必死に人の流れを掴んで、ひたすらビラを配って、署名を集めるためにペン片手に笑顔を振りまく。やってみて初めて、勧誘目的で話しかける人々は大変なんだと思い知らされる。だって、ナチュラルに無視されるだけならまだしも、嫌味を言われたりして毎度耐えるなんて、僕には出来そうにない。事実、今にも心が折れそうだった。
「神社ぁ?知らねえな、そんなとこは。壊しちまえばいいじゃねえか」
「そんな事よりあなた大学生でしょう?勉強は?いいのかしら」
「天神社って、あの廃れた場所だろ?別にいいじゃん、壊せば」
正直、否定的な言葉しかもらっていない気がした。恩田さんのビラはやっぱり出来具合が抜群なので、受け取った人は少し考えてくれるけど、署名はしてくれない。これは難しいことになったぞ。
ちなみに、幸弘と友喜も別の場所で活動をしてくれている。無言でビラを持って立ち去る二人の姿は正直眩しくて直視できなかった。感謝してもしきれないこの二人は、一生大事にしようって改めて思わされた。今度お礼をしなければならない。本当にいつも世話になってばかりだ。
そんなこんなで、本日の署名、未だゼロ。活動を始めてから二時間は経過しているものの、そう簡単には行ってくれないようだった。そろそろ日も傾き始めている。ふと携帯を見ると、既に六時を回っていた。これ、本当に成功するのかなあと自信を無くし始めてしまう。
それでも、ふとした瞬間に脳裏をよぎる雨宮さんの笑顔が、僕を奮い立たせる。取り壊しが伝えられたあの日、子供のように泣きじゃくった雨宮さん。僕はもう、二度とあんな姿を見たくない。そう思うと居てもたってもいられなくて、僕は結局、諦めることを諦めた。
絶対に、譲れない戦いだから。
「天神社がもうすぐ取り壊されてしまいます!皆さんの、慣れ親しんだ場所が消えてしまうんです!どうか、ご署名をお願いします!取り壊しを、阻止しましょう!そして、天神社に復興のチャンスを!」
何度声を張り上げたか分からない。何度汗を拭ったか分からない。必死に、必死に、全身を焼く様な太陽の光に睨みを利かせながら、僕はそれでも叫んだ。思いのたけを。
道行く人が、ちらちらと僕を見やって、立ち去っていく。時には、買い物袋片手に立ち止まって、ビラを受け取ってくれる。優しい人なんかは、差し入れとして水をくれた。それでも、署名をしてくれるわけじゃない。
言葉で表すのは簡単だけど、それが必ずしも行動で示せるわけじゃない。物事っているのはそう簡単に進まない。僕は、また一つ成長したような気がして、落ち込まないようにした。
そうしていると、さすがに長時間声を使っていたので、身体に疲れが出てきた。僕は一休みするために、小休憩として、スーパーに備え付けられているベンチに座ってスポーツドリンクをごくごくと飲む。ちなみに僕はアクエリアス派だ。しかもゼロカロリーのもの。身体によさそう、なんて単純な考えだけを持っていつも飲んでいる。
「ふう」
一息ついて、沈みかけた太陽を拝む。すると、その太陽を隠すように誰かが僕の目の前に立った。
誰だ誰だと顔を見上げると、そこには『せせらぎ』店主の川上さんが、ぶっきらぼうに立っていた。僕は驚いてベンチから腰を上げる。どうしてこの人がここに?お店はいいんだろうか。
「川上さん!?どうしてここに?お店はいいんですか?」
確かせせらぎに定休日はなかったはずだ。いくら近いとはいえ、店を開けて大丈夫なんだろうかと心配になる。
「嫁が店番やってる。ずっと籠りきりなんて、やってられるか」
川上さんは吐き捨てるように言うと、ベンチに座って遠くを見つめた。僕も空気を読んで、再び腰を下ろす。ふと横を見ると、いつも多く刻まれた眉間のしわが、ちょっとだけ少ない気がした。
「店番してたら聞こえたんだよ」
「……え?」
しばらく沈黙が流れて束の間の休息を取っている時だった。唐突に川上さんは、語りだす。
「遠くの方で大きな声が聞こえて、何事だと思った。しかもずっとだ。気になって嫁に店番を任せて外に出たら、学生が大学の近くで何かを配ってやがる」
「それ……って」
「気になって近寄ったら、神社の取り壊しを阻止したくて署名を集めてますって呼びかけてやがった。ビラも貰ってな。その神社の近くではもう一人の学生が同じことしてた。そんでここ来たらお前もだ」
幸弘と友喜だ。幸弘は大学近くで、学生を対象に。友喜はその容姿を使って人の注目を集め、天神社の近くでここが壊れるんだぞと説明をしてくれていたはずだ。
川上さんは、そんな二人を目撃している。僕は友人の勇姿を聞いて、涙が出そうになった。僕一人でもこんなに辛いのに、二人はそれでも頑張ってくれている。それがとてつもなく、嬉しい。
「うちの大事な客が何やら困ってるみたいだが、どうしたんだ。この活動してんの、メインはお前か?」
「はい。川上さんが見た二人は、僕を手伝ってくれているんです」
「この神社は」
「その……和菓子をいつもあげている人との、大切な思い出の場所なんです。僕らはいつもそこで会っていて」
「なるほどな。その女のためだけに、こんな活動してやがんのか」
川上さんはふーっと息を吐いた。呆れられただろうか。それもそうだろうな。傍から見たら、一人の女性のために必死になってる哀れな男にしか映らないだろう。こういう時、話せない事情があるっていうのはとてつもなく辛い。本質を隠して、何かをやり遂げるっていうのは想像以上に難しい。だから雨宮さんの、神社での事情は何一つ話せない。話す気はないけれど、それが時折酷くもどかしくて、僕は俯いた。 そして、ノートとペンを握り締める。何一つ成し遂げていないこれを、雨宮さんに見せられない。もっと、頑張らなければ。
「それ貸せ」
川上さんは唐突にそんなことを言うと、強引にノートとペンを奪い去り、何やら書き始める。真っ新な罫線のページに、達筆で『川上孝則』と書かれた時、僕は彼の顔を凝視した。 彼は眉間にしわを寄せて、ぷい、とそっぽを向いた。そして、再び強引に僕にノートとペンを渡すと、そそくさと立ち上がり、こんな言葉を残したのだ。
「大事な客が困ってるんだから、助けてやらないとな」
早足で立ち去っていくその背中は、そこらの俳優よりもかっこよくて、僕は立ち上がって頭を下げた。頑張ろう。やる気が再びむくむくと湧いてくる。
川上さんが眉間にしわを寄せているのが、照れ隠しと気づいたのはその時だった。