かき氷 (マルカミ食堂の夕日)
かあっと照り上がった道路が黒く燃えている。
足の裏が熱い。アスファルトの細い路地はじゅうじゅう、焼肉の鉄板のよう。ちっさなヒロちゃんはアチチと片足をあげ、お気に入りのサンダルの裏を心配げにちらりと見下ろした。
「やけちゃってない? だいじょぶかな」
足首あたりにベルトがついてるピンクのサンダルは、白地にいちご柄のワンピースによく似合っている。
食堂をやってるばあちゃんちの路地向かいに、でんと建ってるデパート。そこでだだをこねて粘りたおした末、買ってもらったものだ。お母さんはがんとして「高いからダメ」と言ったので、財布の紐をゆるめてくれたのは、ひとり娘がかわいいお父さんである。
『まあなんだ、小学校の入学祝いだ』
『もう夏だわよパパ。今年いっぱいその言い訳使うつもり?』
しかしいかんせん今日は暑すぎる。ガラスの靴をはいたシンデレラごっこをする気力も暇もない。
「あっついなぁ」
ひいふうだらり。両手をさげるヒロちゃんの右手には、水の入ったバケツ。もう一方の手には、おっきなひしゃく。サンダルの裏底を気にしながら、黒いアスファルトにじゃばじゃば、一所懸命撒いているのだけど……
「サウナじゃん、これ」
ひしゃくで撒いた水は、もうもう湯気立つばかり。焼け石に水とはこのことか。
ヒロちゃんの後ろでは、「マルカミ食堂」という真っ赤なのぼりがこれまただらりんこ。隣に立っているサンプルケースは年季が入ってほんのり黄色い。ぎとぎと暑苦しい色だ。
すぐそこ、路地のつきあたりに見えるアメ横の喧騒が、いつにもましてどろどろ濃ゆい気がする。
『七月はじめての日曜日、西街は本日も朝からすでに、摂氏三十度を越えております。
猛暑です、みなさま熱中症にお気をつけください』
食堂に据え付けているテレビから、正午前の天気予報の声が流れてくる。
『原因は人工太陽反応炉の、過多燃焼です。
現在、月政府が天候システムを再起動中です……』
「うひゃ。おてんとさまが、またいかれたの?」
額の汗を腕でぬぐい、ヒロちゃんは食堂の上を見上げた。
ヒロちゃんちは、五階建ての雑居ビルの四階にある。てっぺんの階に住むばあちゃんの、ひとつ下だ。アーケード街の細路地にずらり並ぶのは、そんな細っこいビル。ビル。ビル……。
林立するビルの森に、眩しい光がかっかと降り注ぐ。雲一つない空にはりついているのは、輝く大きな円盤。
中天にある人工太陽は燦然と燃えていた。まっしろまばゆく。
西街は大きな方舟だ。重力調整機や酸素生成機が毎日フル稼働。蓋はプラネタリウムのようなまっしろ半円ドーム。人工太陽を使った天候システムが導入されており、昼と夜がかっきり十二時間で変わる。
ゆっくり西から東へ昇って沈む太陽は、春夏秋冬、その季節に応じたほどよい温度や湿度になるよう調節されている。雲が生成され、雨や雪が降り、作物を育てることが可能だ。
「地球では、おてんとさんは東から昇るってホントかなぁ」
まばゆい太陽は、稼働し始めて百年たつ代物。西から登って東へ沈むが、最近どうもガタがきているらしく、微調整が効かなくなっているらしい。
七月は夏温度に設定されており、常に摂氏二十五度ほどになるはず――なのに、連日三十度越え。ちまたではオンシツコーカのせいとかそろそろ人工太陽がバクハツするとか言われてるが、小さいヒロちゃんには、そのへんの事情はちょっとよくわからない。
「お父さん、まだ寝てるのかな」
マルカミ食堂はデパートの休みに合わせて、火曜が定休。
店長はばあちゃん、店員はお母さんとバイトさんひとり。お父さんは月政府の公務員で、日曜はがあがあ、ひがな一日四階の自宅で寝ている。
額の汗をぬぐってくるり。ヒロちゃんは、踵を返してお店の中に入った。
「うへええ?!」
とたん、ごおうごう。
ものすごい熱気が、ブレスを吐くドラゴンのように襲ってきた。
カウンターに座るお客さんたちは、汗だらだら。テーブル席のお客さんたちも、汗だらだら。
壁についてる細長の冷房機は止まってはいない。盛大に風を吐き出している。ものすごい風だがしかし――
「うわっ、なにこれえ! 暖房になってるじゃん」
たじろぐヒロちゃんに、おひやを盆に載せた母さんが、シッ、と人差し指を口に当てた。
「ヒロ、大声でいわないで。お客さんに迷惑よ」
「あーあー、これって二十年戦士だからねえ。ついにイカれたかね」
しわくちゃの手でリモコンをぽちり。送風を止めた冷房機を見上げ、店主たるばあちゃんがカラカラ笑う。余裕かましてる場合じゃありませんと、お母さんは汗だらだらのひきつり顔だ。
「早く電気屋のエイさんに電話しないと。今日はすごくあっついんだから、冷房なかったらだめですって」
「ミッさん、あわてんでも大丈夫だって。電気屋さんくるまで、とりあえずアレでしのぐべし」
五階建てビルにベーターはない。しかしばあちゃんは何食わぬ顔でひょいひょい階段を昇っていき、よいこらせと、てっぺんの住居階からプロペラのついた機械を担いで降りてきた。
女手ひとつで男三兄弟を育ててきただけに、腕っぷしは男並み。というのもあるが、重力調整で西街の重力は地球の三分の二。おかげで地球から来た輸入品はみな軽い。らくらく運んできて、さっそくスイッチオン。
「三十年戦士だけど、まだまだ動くわ」
首振り扇風機が、たちまちブルルルと稼働し始めたのだが……。
「あ、あついよばあちゃん!」
かつ丼だのうどんだのラーメンだの。湯鍋ぐつぐつ油鍋じゅうじゅう。盛大に湯気立つ厨房から、熱気がカウンターを越えて流れてくる。扇風機は、その熱をぐるぐる回すだけだ。
お店に入ってこようとした家族連れが、うひゃっと声を上げて逃げていく。
「あれま。でもほら、汗かいたら、気化熱でちょっとは涼しく……」
「なりませんって!」
ひきつるばあちゃんよりさらにひきつった母さんが、急いで分厚い電話帳をめくり、お店のピンク電話をジーコロロ。電気屋のエイさんを呼んだ。しかしあえなく撃沈。
「だめですっ。忙しすぎて、今すぐにはこれないって。明日の朝になるみたい」
「あれま。どこでも冷房機が酷使されてて、うちみたいに故障しまくってんのかね」
というわけで暑い日曜の昼どきに、マルカミ食堂は大ピンチ。しかし首に巻いたタオルで額を拭うばあちゃんは、さすがの貫禄。まったくたじろがなかった。
「仕方ないね。夏メニューを出そう」
夏メニュー。
その言葉を聞いたとたん、ヒロちゃんの胸は躍った。
夏メニュー。
ということは。ということは……。
「六日の梅雨明けのあとからって思ってたけど、こんな天気じゃ仕方ない。今日はサービスで出すよ。ミッさん、アメ横行って」
「了解っ」
ばあちゃんの指示に、お母さんは合点の顔。阿吽の呼吸でさっとエプロンを外し、厨房の奥からキャリーを出してきた。
「シロップはいつもの三種類でいいわよね」
「ヒロもいくー!」
ヒロちゃんはわくわくしながらお母さんとお店を出て、路地のつきあたりのアメ横通りに走った。
いそげいそげ。
お昼どきが過ぎてしまう。
いそげいそげ……。
氷屋さんは魚屋さんの隣。人並みすごい通りに入り、お店に着くなり。お母さんは店主のおじさんに指を四本立てて突き出した。
「マルカミですっ。ブロックアイス四貫目、八等分されてるのひと箱、急いでちょうだい!」
「お、マルカミさん、夏の名物始めんの?」
「冷房壊れちゃってね。今日はサービスで出すわよ」
「うわちゃあ、そいつは大変だ。富士山麓麗水と六甲山名水、どっちにするね?」
「いつもので」
「安定の南極ルナアイスっすね」
透明な地球の水は、高級品。地元民には高嶺の花だ。
月の氷は南北の極地で採れる。表層の砂の下に埋まっており、「ルナアイス」と呼ばれているが、砂のような銀色の不純物が入っている。ゆえに地球では珍しがられるだけで、あまり食用にはされないらしい。でも地元民にとっては、一番なじみの氷だ。
キャリーに氷が入った箱と、シロップ瓶が入った箱をどどん。ヒロちゃんとお母さんが急いで引っ張り食堂へ戻れば、扇風機がもう一台増えていて。
「お父さん!」
助っ人がひとり。ばあちゃんがヒロちゃんちから、容赦なく叩き起こしてきたらしい。
まだ寝ぼけまなこのお父さんは、あくびを噛み殺しながら鉄のタワーのようなものをどっこいしょ。ばあちゃんと二人でたんがえて、カウンターのすみにセットした。
「氷がきた。たのむよヒロ」
「了解」
ばあちゃんの命令に、おっきなヒロちゃん――すなわちお父さんは、もひとつあくびをしながら、もそっと腕まくり。
汗だくのお客さんが眺める中、半貫ある銀まだらの氷の塊がごとりと、タワーの中に挟まれる。
てっぺんの調節弁を回して氷を固定すると、お父さんは横のハンドルを回し始めた。
回すごとに腕の動きが速くなる。かと思えば、いきなりペースダウン。銀色まだらの氷の様子をじいっと見ながら、削っているようだ。
しょりしょり小気味良い音。タワーの真下におかれたガラスの器にできていくのは、きらめく銀の雪山。
お母さんがお客さんにシロップのオーダーを聞く。
「ヒロ、赤いの一丁!」
「はーい」
ヒロちゃんはルビー色の瓶の栓を開け、お父さんがさしだした雪山にどぷんどぷん。するとお母さんがさっと客席へ持っていった。家族三人、見事な連携プレーである。
「おお、なんだこれ、ふわっふわ!」
「すごいな。ルナアイスってふつうざらざらじゃん?」
たちまち、驚きの声が汗だくのお客さんからあがった。
「うちのかき氷はふわっふわなのが売りですよ。その機械、四十年戦士ですわ。開店以来使ってるんです」
カウンターに入って麺を茹で始めたばあちゃんが、愛想よく笑う。
「自動でばーっとできるAOYUKIかHITAKAの最新式が欲しいって毎年思うんだけど。なかなか壊れなくてねえ。いまだに手動ですわ」
「いや、手動だからふわふわになるんだ。TIDORIは名機だよ。削る速さを手加減できるのがいい」
すっかり目を覚ましたお父さんの目は、なんだかきらきら。ハンドルを回す腕はもりもりたくましい。
ヒロちゃんは雪山を作り出す緑の鉄タワーを見上げた。高さは八十センチぐらい。年季が入っているようで、ところどころちょっと錆びている、淡い緑色のボディ。美しいアイアンワークの模様が目を引く。和風の流れ雲の中を、鳥が数羽飛んでいる。
次から次へとできていくふわふわ銀の山に、ヒロちゃんはシロップをかけた。
色とりどりに染まる雪山たち。イチゴにメロンに酸っぱいレモン。やっぱり鮮やか真っ赤なイチゴ味が、一番人気があるようだ。
テーブル席にちっさな雪の火山がいくつも並んでいく。
(あたしも食べたいなぁ)
お昼ごはんは開店前に早めに食べてしまったから、お腹は空いてないはずなのに。ぐうぐう鳴るのは別腹の方だろうか。
(三時までがまんがまん)
こうしてマルカミ食堂はなんとか、暑い暑いお昼どきを切り抜けて。
「おつかれ!」
「おつかれだよ、みんな」
「お客さん引けた。いったん休憩っしょ。エネルギーのチャージタイムだべ」
夕飯どきに突入する前に、みんなホッとひと息。
おやつはもちろんかき氷。疲れも暑さもクールダウン。ヒロちゃんはピンク色にそまったであろう舌を、ふべっとみんなに見せた。やだはしたないと黄色い山をつついて笑うお母さんのそばで、緑の山を突っつくばあちゃんがおどけていう。
「あした冷房が直り次第、かき氷は二百円で販売すっからね。ヒロ、あんた有給取って氷職人やってくれたら助かるわー」
「ええっ、バイトさん来るじゃねーの?」
「ざらざらルナアイスをふわっふわに削れるやつなんぞ、そうそういないからねえ」
おっきなヒロちゃん――お父さんは困ったように頭を掻いたが、まんざらでもなさげ。食べてる雪山は銀色で一見何もかかってないようにみえるけれど。
「ふべっ!」
ちっさなヒロちゃんはその匂いを嗅いで顔をくしゃりとさせた。
「やだ、お酒はいってる―!」
「食うか? 焼酎かき氷」
「やだやだいらないよー」
「まったく! 夜も働かそうって思ってたのに。できあがってどうすんだい」
呆れ顔のばあちゃんにお父さんは手をひらひら。
「いやあ、大さじで三杯ぐらいだもんよ。これぐらいでそうそう酔わんわ」
「お父さん、イチゴ山おかわりしたい」
「おう、了解。削ってやるぞ」
「ああヒロちゃん、そんなら今度は店の前で食べてくれっかね」
ばあちゃんが厨房の奥から板の長椅子をもってきた。
「これに座って、おいしそうにかき氷食べるべし」
「なんで?」
「宣伝だよ、宣伝。ほら看板娘ってやつだわ」
ばあちゃんはからから笑いながらどずんと店先に椅子を置いて、ヒロちゃんを座らせた。
『猛暑につき、本日かき氷一杯、サービス!』
それから威勢のいいマジックの赤文字踊るポスターを、入り口にべたり。
「でもヒロちゃん、真っ赤な舌は見せちゃだめだよ?」
「えへへ」
「おー、俺も看板息子しよう」
ちろっと舌を出すヒロちゃんの隣に、おかわりの雪山を持ったお父さんがどかりと座ってくる。ちょっとお待ちと、ばあちゃんはさらに呆れ返った。
「あんたそれ、今度は何かけてきたの」
「おう、ブランデー。いやダイジョブだって、炙ってアルコール分飛ばしてきたからさ」
「まったく!」
「これでもっと涼しくなるわよ」
お母さんが上の住居階から持ってきた風鈴を店先に吊るした。
ちりん、ちりん。
細い路地を抜けるわずかな風が、短冊のついた鈴を揺らした。
ちりん、ちりん。
涼しさが耳を撫でる。
「うほ。一気に体が冷えるわ」
「あは。そうだねー。でもほんとおいしいねー」
「ヒロ、ふわふわにする削り方、教えてやっか?」
「ほんとー? わーい」
ちりん、ちりん。
おっきなヒロさんはちっさなヒロちゃんにこしょこしょ耳打ちした。
「でも結構難しいぞ? TIDORIは気難しい。手強いオンナだ」
「オンナ?」
「ハンドルの手加減がだな、なんつうかこう、乙女の柔肌を撫でるようにしないと……」
――「ちょ、あなた娘に何吹き込んでるのよ」
「ふがっ!」
お母さんの手がぺしりとお父さんの頭をはたく。
ちりん、ちりん……
ふわりとひと吹き。細い路地を涼風が吹き抜けた。
「うっは!今日も照り照りだなや」
「四十度とかマジ地獄っすね」
「でもま、来月になったらよう……やく、新しい人工太陽が取り付けられるからさ。もう少しの辛抱だっしょ」
「ほんと、爆発しないでよかったよなぁ。よくもったよ」
夕闇迫るマルカミ食堂の入り口にひょこり。サラリーマンのおじさんコンビがあらわれた。
「クーヤ、ここのカツ丼うまいんだぜ。たぶん宇宙一だわ」
「このあっついのに丼ものとか、ちょっと無理」
「まあそういうなって。熱いのが嫌だったら冷やし中華にしたらいいさ。ルナアイスのかき氷もうまいぞー」
若い方は公務員だろうか、ちょっとすかした感じだ。カウンターに座るなり、ぶっすり頬杖をつく。
「ルナアイスなんて、砂入っててざらっざらじゃん?」
「いやほんと、ふわふわでうまいんだって」
「でも表のサンプルケースのかき氷、溶けて水になってたし」
――「あ、もう溶けちゃいました?」
カウンター越しに若い店主がちらと顔をあげる。
「さっきあげたばっかりなんですけどねえ」
とたん若い公務員はぴたりと一瞬硬直した。
「え……美人」
「ああ、店長はもと、ここの看板娘ってやつ? 前の店長のお孫さんなんだよな。店長のお父さんは俺の先輩でさ、定年なる前に病気で……いやまあなんだ、そんなわけでずうっと馴染みなんだけど、贔屓目なしにうまい店だぜ」
「いつもありがとうございます」
美人店主ににっこりされ、頬をほんのりそめる公務員のうしろで冷房機がぶぶん。変な音を立てる。どうも調子が悪いようだ。
若い店主は苦笑してリモコンをぽちり。ドラゴンブレスを吐きはじめた冷房機を止めた。
「これ、四十年戦士ですから」
「ヒロ、扇風機!」
調理場にいた年配のおかみさんが急いで厨房の奥から首振り扇風機をたんがえてくる。
たちまち店内で温風がかき回され始めた。
「あは。すみません、今日もかき氷はサービスさせてもらいますね」
「おお、やった!」
若い店主はさっそくカウンターに置かれた緑色の鉄タワーに氷をセット。ハンドルを回して銀の雪山を作り始める。
酢っぱいレモン山をオーダーした若い公務員は、ひとさじ口に入れるや目を丸くした。
「え?! まじふわふわ……なんで?」
「あは。六十年戦士のおかげです」
驚く彼の後ろをサッと美人店主が通り抜け、店先に出る。
手にはこんもり、まっさらの銀の雪山。
黄色がかったサンプルケースを開け、若い店主はすっかり溶けてしまったものと交換した。
東に沈む太陽は、こんがり熱く茜色。
細い路地の隙間に入り込んできていて、サンプルケースをまばゆく黄金色に輝かせている。
ちりん、ちりん。
風鈴の音がかすかに鳴った。
焼け付くような熱がすうと消えていくような気がして。店主は涼やかな笑顔で微笑んだ。
「もう一杯どうぞ、お父さん」
――かき氷 了――