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最終章 刮目して、しかと見よ

最終章 刮目(かつもく)して、しかと見よ


        1


 地主は、かなり根に持っていたと理解した。まさか、虎を境内に放して妨害してくるとは思わなかった。明らかに殺意がある。


 北海道で熊と闘った経験なら、あった。北海道で闘った熊は、まだ親離れしたばかりの小さい熊で、郷田と同じ体重七十キロ・クラス。


 あのときは、猫騙しの要領で熊の眼前で手を叩いた。熊が怯んだところを投げ飛ばし、大声を上げて威嚇したら、熊が驚いて立ち去った。


 熊が驚いたからいいようなもの、本気で闘ったら、勝てなかったろう。今回の相手は体重二百キロ・クラスの虎。勝負にならない。


 郷田は体が縮む思いがした。だが、背を丸めず、できる限り郷田自身の体を大きく見せるように注意した。

 注意しながら、ゆっくり下がった。虎なら後ろを見せたら終わりだ。視線も外さないように注意した。


 虎が動いた。虎の動きが全く見えなかった。虎の攻撃は、体当たりだった。数メートルを突き飛ばされた。


 どうにか受け身を取ったが、頭を打った。意識が半分、飛んだ。

 龍禅の大きな声が聞こえるが、理解できない。死ぬのかと漠然と思った。


「しっかりせい」と横で声がした。

 横を見ると、シャイニング・マスク二号がいた。二号は郷田の頭を掴むと、顔を上げさせて「よく見ろ」と指示した。


 虎が祠の前に立っていた。正確には、虎ではなかった。虎に見えたのは足だけ。顔は猿、胴は狸、足が虎、尻尾は蛇だった。完全な虎もどきだった。


 虎もどきが「ヒューヒュー」と鳴き声を上げた。


 郷田は、すぐに理解した。

「虎なのは足だけ? 俺、何と戦っているんだ」


 虎じゃないとわかると、恐怖心が去った。よくよく考えれば、京都に虎が出るわけがない。


「じゃ、あれはなんだ」と疑問に思うと、シャイニング・マスク二号が注意した。

「馬鹿なセリフを吐くなよ。しっかりしろ、あれは(ぬえ)さん。お前の対戦相手だろう」


 頭を打って意識がはっきりしないが「試合ってなんだっけ」と疑問に思った。


 エレキ・ギター音が響いた。聞き覚えのある曲だった。鰐淵棺のテーマだ。

 プロレスの試合中なのかと、ぼんやりと思った。見渡せば、いつのまにか、四角いリングの中にいた。周りには観客らしき多くの人影が見えた。だんだん、現状が理解できてきた。


 入門試験で崖のぼりをして入門が許され、デビューが決まった。そうして、現在、俺はリングにいる。

 鰐淵の良く通る声が聞こえてきた。

「シャイニング・マスクー。随分と(ぬる)い試合をしているじゃないか。貴様を倒していいのは、俺だけだー!」


 体を起して、声のする方向を見た。

 黒いマスクを被り、両手の中指を立てている鰐淵の姿があった。やっぱり、ここは試合中だ。

 鰐淵が走り込んできて飛び上がり、そのまま、ボディ・プレスをかましてきた。


 二号は素早く避けたが、郷田はもろに受けた。郷田が痛みを覚えたが、それほど痛くなかった。重くもなかった。


 落下するときにきちんと体同士が重なり合うようにして、鰐淵が手と足を浮かすようにして体重が乗らないように工夫してくれたのだろう。


 鰐淵がマウント・ポジジョンを取って郷田の体を引き起こすと「気合だ」と頭突きをかました。

 頭突きも加減してくれたので、ほどよく意識が戻る刺激となった。


 鰐淵が立ち上がると、鵺を指差して「本当のプロレスを見せてやるよ」と突撃した。


 二号がすぐに郷田の体を起しながら説明した。

「鰐淵さんが時間を稼いでいる間に、体力回復だ」


 疑問を小声で投げかけた。

「でも、いいのかな。これって、実質、鰐淵先輩と俺とお前の三人懸かりだろう」


 二号が郷田の頭を平手で叩いて、早口に順序を説明した。

「馬鹿たれ、シナリオを思い出せよ。鵺さんのパートナーが遅れる。鵺さん対、俺とお前の一対二形式の変則タッグ形式で試合開始。途中で鰐淵先輩が乱入。二対二に戻る。後半で鰐淵先輩と鵺さんが仲間割れ。鵺さんが鰐淵先輩を倒して、そのあと、俺とお前で、鵺さんを倒すんだろうが」


 大事なシナリオが完全に頭から飛んでいた。最初の立ち上がりで、鵺の強力な一撃を貰って、倒れて打ち所が悪かったのが、まずかった。


 試合がなんの盛り上がりなく終わる最悪の展開を避けるために、鰐淵が予定を早め、アドリブで鵺に襲い掛かったといったところだろうか。


 完全に郷田の失態だった。

 鵺を見ると、猿のマスクを被り、虎柄のリング・シューズを履き、二本足でしっかりと立って闘っていた。なんか、さっきまでは、獣と闘っていたような気がするが、おそらく錯覚だろう。


        2


 完全に鰐淵が劣勢だった。というより、鵺の攻撃が激し過ぎる気がする。一方的に鰐淵が猛攻に曝されていた。鵺の攻撃は、まさに殺すような勢いだった。


 鰐淵にも申し訳ないが、鵺に悪いことをしたと理解した。

 いきなり、勝ち役の郷田が一発ノックアウトで終りそうな、つまらない試合。沈んだ試合を盛り上げるために、二人は演出過剰になろうと、危険な技の掛け合いに持っていくしかなかったのだろう。


 殺し合いにすら見える現状は、まさに鵺と鰐淵のなせるプロの試合だ。だが、あれでは、負け役の鰐淵が辛すぎる。早く、試合に戻らねばと、立ち上がろうとした。


 二号が肩を叩いて「マスク」と注意してきた。マスクを探すと、隣に落ちていた。攻撃の時に脱げたのだろう。二重の失態だ。


 これは、かなり体を張らないと、取り返せない。

 マスクを被ったところで、鰐淵がリング下に転げ落ち、どよめきが上がった。まずい、と直感した。


 ここで場外戦までやらせたら、勝ち役である郷田ことシャイニング・マスク一号と相方の二号の活躍が(しぼ)んで、試合が鰐淵と鵺に喰われる。


 鵺が場外に鰐淵を追っていこうとしたところで、郷田は立ち上がった。

 調息法を取って大声を上げた。


 郷田の大声に、会場が一瞬シーンとなった。鵺も鰐淵を追わず郷田を見た。


 発声が終った瞬間に、エレキ・ギターロック調の音楽が流れた。ここから本当の戦いが始まった事態を、鵺や観客に理解させる曲だ。音楽で会場の空気が変った。


 鵺に向かって走り、ドロップキックを放った。鵺がてっきり受けてくれると思ったが、避けられた。

 勢い余って郷田は場外に飛び出した。鵺の最初の体当たりを受けきれなかった行為に対する抗議プレーと見ていい。


 どうやら、鵺は不甲斐ない郷田に、かなりお冠な様子だ。鵺が郷田を追って、場外に下りて来た。

 鰐淵が鵺の背後に立った。鰐淵が鵺を背後から椅子で「避けてんじゃなえよー」と叫んで殴りかかった。


 椅子は鵺に当って、豪快に壊れた。鵺が悠然と振り返った。

 鵺は拳を作ると、大きなモーションで鰐淵を殴った。鰐淵がまともに受けて、派手に吹っ飛んだ。


 いよいよ、後がなくなった。鰐淵が試合中に抗議行動に出た鵺に対して、本気で怒っている。

 鵺が抗議する気持ちもわかれば、プロレスに真剣な鰐淵の心中もわかる。


 このままでは、四人の息が合わなくなり、プロレスではなくなる。しかも、原因は、簡単にマットに倒れた郷田にある。どうにかしても、挽回せねば。


 郷田は身を低くして、鵺に肩からぶつかっていった。

 鵺の体が少し揺れた。鵺が郷田を見下ろした。鵺がお返しだとばかりに、一歩踏み込んで、同じように肩からぶつかってきた。


 郷田は両腕でガードして、リング方向へ飛んだ。勢いを利用して、転がるようにしてリングに戻った。


 鵺は強い。数メートルとはいえ、助走を付けた郷田の体当たりを受けた鵺は、揺らいだだけ。


 対して、鵺の一撃は、一歩踏み込んでぶつかっただけで、郷田もリングの中に押し戻した。

 真剣勝負なら、勝ち目がなかった。だが、プロレスなら問題ない。


 リングで手招きして「来いや」と大声を上げた。


 鵺が貫禄の歩き方で、ゆっくりとリングに戻ってきた。

 郷田はゆっくりと距離を開けた。リング中央に鵺を誘導する。誘導してから、ゆっくりと鵺の周りを回った。


 鵺が、郷田の動きに合わせて、軸を合わせる。必然的に、鵺が二号に背を向ける瞬間ができた。

 二号がコーナーに登った。観客がどよめくと、鵺が振り向いた。


 郷田は鵺が振り向いたタイミングで仕掛けた。全力で鵺の膝裏を蹴った。

 鵺が転倒した。二号がコーナーから高く飛んだ。二号が膝から鵺の上に落ちた。見事に連携が決まった。


 試合は、鵺対シャイニング・マスク一号と二号の変則タッグ形式。なら、一号と二号で連携して技を掛ける行為は、有りだ。


 郷田が鵺の右足を持つ。二号が鵺の左足を持つ。二人で同時に、鵺に対して足関節技を掛けた。

 鵺の片足を郷田の足で挟み、両手で鵺の足首と爪先を掴んで膝と足首を決めた。トー・ホールドだ。


 鵺の返し方としては空いている足で、郷田を蹴るのが一般的。けれども、今回はもう一本の足を二号が決めているので、簡単には脱出できない。


 体格差があるので、郷田の技だけなら鵺が力業で外せただろう。だが、二人懸かりなので、これも難しい。


 本来なら、これで終わり。けれども、鵺ほどのレスラーなら、ピンチになっても脱出してくる予感があった。鵺がなにかをした。わからなかったが、二号が鵺の足を離して転がった。


 鵺の蛇のような飾りの尻尾が、二号を噛んだ気がした。気のせいだろう。尻尾は飾りだ。もっとも、本当に噛んだとしても、問題ない。プロレスなので、五カウント以内なら噛み付きはOKだ。


 郷田は鵺の片足だけでも極め続けようとした。されど、鵺が自由になった足で蹴りを入れてきた。

 脇腹に蹴りが入った。あまりの痛さに、転がった。


 鵺は立ち上がって悠然とポーズを決め、客にアピールした。リングに転がる一号と二号、完全に流れは鵺に見えるはずだ。苦痛の中、いい流れだと感じた。


 一人の選手を二人懸かりで普通に倒しては、盛り上がらない。

 圧倒的に強く敵わない相手を前にピンチになり、共闘で倒す。だから、盛り上がる。二号を見ると、二号も郷田の考えを理解しているようだった。


 二人でゆっくり立ち上がった。二号が鵺に向かっていった。郷田は少し距離をとって、鵺の相手を二号に任せた。


        3


 普通なら、シャイニング・マスクを応援する「シャイン」コールが、そろそろあっても良い気がする。

 だが、コールはなかった。今日の客は、乗りがいまいちだと感じた。


 二号が鵺に捕まり、吊し上げられた。郷田は鵺の死角からスライディングをした。

 鵺が前のめりに倒れた。すかさず、鵺の背に乗って、首から顎を掴んでキャメル・クラッチに持って行く。


 鵺の下にいる二号が、両手で鵺の両手を取った。次に、二号が両足で鵺の胸を押してキャメル・クラッチを補強する。この体勢は、ちょっと鵺が危険かもと思った。ところが、鵺は鍛え方が違った。


 郷田が上から鵺の上半身を引っ張り、二号が下から足で押しているのに、少しでも手を緩めると、郷田の体が前に持っていかれそうになる。


 鵺が腕力で、二号に掴まれていた両腕を自由にした。鵺はどんな鍛え方をしているのか、筋力だけでなく、柔軟性も凄かった。


 鵺が両腕で郷田の両腕を取ると、郷田を投げた。体が宙を舞って叩きつけられる。即座に受け身を取った。


 すぐに、二号も腕力だけで投げ飛ばされて、横に落ちてきた。


 鵺が見せ付けるよう仁王立ちした。

「どけやー、こらー」とドスの利いた、聞き覚えのない女性の声がした。


 郷田、二号、鵺が、声のした方向を見た。強烈な光の中、神々しいまでに煌びやかな平安貴族のような格好をした女性が立っていた。


 女性の周りには、貧弱な半裸の男たちがいた。されど、女性が半裸の男を次々と掴んでは投げ、掴んでは投げ飛ばして、リングに向かって突進してくる。


 どうしたら、そんな格好でそんなに早く動けるのか、疑問だった。


 女性がリングに上ってきた。まずい。興奮した客がリングに上がってきた。

 鵺が女性を止めようと、立ちはだかった。だが、鵺は女性のラリアットを喰らうと、郷田を飛び越して、場外に飛んだ。


 鵺ほどの体格を吹き飛ばすなんて、神様でもなければ無理。きっと、鵺が観客に考慮して、演出して飛んだのだろう。


 女性が郷田の前に来た。女性の目は、とても活き活きとしていた。女性が興奮した口調で、口を開いた。


「ねえ、こ、これ、相撲でしょ。そうでしょう。そうでしょう。私、相撲には目がないのよ」


 よくわからないが、「これはプロレス、洋相撲。OK? OK?」と聞くと、女性がわかったようなわからない顔で「洋相撲? わかった、わかった、OK OK」と首を振った。


 二号が改まった口調で女性に話しかけた。

「山の神様、申し訳ありません。ここは危険なので、土俵の外で見ていてくれませんか?」


 土俵と言われて、女性が気まずそうな顔をして、リングの外へすぐに出て行った。どうやら、二号は女性について何か知っていそうなので、「今の女性は誰?」と小声で聞いてみた。


 二号が視線を数秒ほど泳がせてから、教えてくれた。

「タイアップ企業のプロダクションから来た演歌歌手さんだよ」


 確かに一般の人が試合に来るのに、平安貴族の格好はしない。だが、タイアップの演歌歌手なら、理解できる。演歌の世界も、歌だけでなくビジュアルで差別化しないとやっていけない時代に入ったのだろう。


 二号がそっと親指と人差し指で丸を作って言い切った。

「鵺さんほどのレスラーを外から呼ぶとなると、ギャラが高いんだよ。だから、興行主が持ち出しを少なくするために、タイアップしてくれそうな企業のスポンサーを探してきたのよ。今回は、音楽プロダクションだった。それだけだよ」


 試合にスポンサー企業が付いてくれたほうが良い選手を呼べる。会場探しも格闘技団体単独で探すより、定期的に地方を回る音楽プロダクションが協力してくれれば、有利になる。


 でも、気になる言葉もあった。

「さっき、お前、山の神様が、とか言わなかったか」


「き、聞き違いだよ。あの女性は山之上(やまのかみ)優香さん、だから、山之上様と呼んだんだよ。有名人だよ。今、もっとも勢いのある演歌歌手さん。スポンサーが力を入れて売り出している人なんだから、様をつけないと、失礼だろう。スポンサーには金を出して貰っているんだから」


 そうか、山の神様ではなく、山之上様と呼んでいたのか。納得した。


 有名人と言われても、演歌は全く聴かないので、知らなくても無理はない。されど、二号の言葉は本当だろう。山之上は一般人にはないオーラがあった。


 鵺も山之上を知っていたと見て良い。そうすると、全て説明が付く。

 先ほどの山之上に投げられた幽鬼のように痩せた人間は、仕込みのパフォーマーだ。場外に飛んだ鵺も、事前に山之上と打ち合わせていたのだろう。


 なんのことはない。勘違いしてリングに上ってきた客だと思った人間は、シナリオが頭から飛んでいた郷田だけだった訳だ


 下手に動かなくて良かった。危なく、タイアップ・スポンサーの演出を潰すところだった。

 そんな行為をしたら、大目玉を食らう。


 二号が軽く手の甲で、郷田の腹を叩いて発言した。

「見ろよ。山之上さんのファンが大勢、会場に入ってきているだろう」

 会場を見ると、確かに客がさっきより増えていた。最初は百人もいなかったが、いつのまにか夜の野外会場に、五百人近い人が入っていた。

 会場の客には高齢の人間が多かった。普段は見ない昔の服装の人もいる。おそらく普段はプロレスを見ない人が、山之上さん目当てで見に来たのだろう。


 今日の客はノリが悪いわけが、ようやっと、わかった。プロレスを初めて見る人が多いのだろう。

 ならば、積極的に盛り上げなければならない。盛り上げて、次も見たいと思わせねばダメだ。


        4


 鵺が怒りの声を上げてリングに戻ってきた。鵺の怒りを表現する態度は、中々さまになっていた。


 ロックが中断した。ロックを歌っていた女性歌手が「シャイン、シャイン」と、シャイニング・マスクを湛えるシャウトを始めた。ここぞとばかりに、郷田も手を叩いて「シャイン、シャイン」とファンを煽った。


 山之上さんに顔を合わせると、「シャイン、シャイン」と手を叩いてやってくれた。山之上さんが、「シャイン」コールをすると、会場に「シャイン」コールが響いた。


 会場が歓声に包まれた。声援の中心にいるとは、なんて心地よいものだろう。力が溢れ出るとは、こういう心境をいうのだろう。


 リングに上がった鵺が、会場の声に戸惑う仕草を見せた。明らかに負ける前振りだ。


 郷田は心の中で感心した。

「さすが、鵺さんだな。強いだけじゃない。場に合わせて細かい仕草で、さりげなく悪役を演出するのがいい。また、流れとして、きちんと負ける行為が自然なように見えるツボを心得ている」


 ロックの音楽が激しい調子に変った。女性歌手の早口の英語ラップが入った。完全に決戦モードだった。


 郷田は正面から力比べを挑んだ。鵺も力比べに応じた。

 鵺の力は強く、郷田はすぐに膝を突いた。郷田のピンチに、会場の応援が熱を帯び始めた。応援され力が溢れ出るように感じた。


 さっきまで力では対抗できなかった鵺と、張り合えた。徐々に鵺有利の体勢が逆転していった。応援されたからといって、筋力が上がるわけではないと理解している。きっと、鵺が絶妙に力を抜いていっているのだろう。


 鵺は力を抜いていて戦っているはずだが、闘っている姿が全力に見えるところが、プロだ。

 鵺のマスクの下の顔は知らないが、ついつい、伝説級の存在なのでは、とすら思ってしまう。


 鵺が力負けしそうになると、頭突きをしてきた。郷田も、意地だとばかりに、頭突きを返した。

 骨と骨がぶつかる良い音がした。されど、痛みは、ほとんどなかった。どうやったらこんなに怪我をせずに良い音が出せるのか、後で秘訣を教えてもらいたいくらいだった。


 どこかで聞き覚えのある老人の「おお、これぞ、まさに昭和の熱気だ」と喜ぶ声が聞こえた。


 鵺に「行きますよ」と合図をして、隙を作った。鵺が郷田の合図で、郷田の背後を取った。

 鵺が郷田の腰に手を掛けて、ジャーマン・スープレックスの体勢に入った。


 郷田は鵺の足に片足を絡めて踏ん張る。投げようとする鵺。投げられまいとする郷田の体勢を作った。会場から、どよめきが起こった。


 次に郷田は、力業で上半身の力で体を起した。郷田は両肘で鵺の脇を激しく打った。


 鵺が怯んだ隙に、今度は郷田が鵺の背後に回った。鵺のお株を奪い、逆にジャーマン・スープレックスの体勢をとった。鵺が受けられるように「せーの」の合図で投げた。


 綺麗にジャーマン・スープレックスが決まった。そのままブリッジを維持して、フォールした。

 これで、終わりだと思った。だが、鵺が体を捻って脱出した。鵺が体を半分だけ起して、強い視線で郷田を睨み付けた。


 郷田は恥ずかしくなった。確かに、先ほどのジャーマン・スープレックスで試合を終えれば、郷田は面目が立つ。しかし、二号の見せ場が、まるでない。


 鵺がきちんと二号の見せ場を作ろうとしている。郷田は鵺の配慮に応えるために、鵺に全力で前蹴りを放った。


 鵺がよろけたところで、鵺に背を向けた。二号に向けてバレーのトスの姿勢を作った。二号が郷田の意図を察して、走り込んできた。


 二号が郷田の手を踏み台にして、宙に飛んだ。試合でアドレナリンが出ていたせいか、二号には全く重さを感じなかった。


 すぐに振り返った。二号が鵺の上に落ちるムーンサルト・プレスが決まって鵺が下敷きなって倒れる光景が見えた。


 郷田もすかさず、飛び乗ってフォールした。

 女性の声でスリー・カウントが入った。郷田と二号の勝利が確定した。


        5


 郷田は飛び上がって二号と一緒に両手を挙げて、勝利の雄叫びを上げた。


 観客にアピールが終えると、鵺に近づいて手を差し出した。

 鵺が、なぜか少し躊躇った後に、郷田の手を取った。郷田は鵺を起した。健闘を称えて鵺と抱き合い、鵺を肩車した。


 再度、歓声が上がった。目を閉じて歓声に酔った。


 歓声が急に止んだ。郷田が目を開けたときに、リングはおろか大勢いた観客が姿を消していた。

「狐に(つま)まれたような」の形容のごとく、郷田はうろたえた。


「試合は? リングは? 観客は?」と思うが、さっきまでの熱狂した会場がなかった。

 気が付けば、寂れた神社の境内に、たった一人で取り残されていた。


 小さな拍手がする音がした。振り返ると、京極が立っていた。

 京極は顔を綻ばせて賞賛した。


「素晴らしい。こんなに面白い試合は、平成に変ってからは見ていない。しかも、山の神の機嫌を取っただけでなく、幽鬼の陰の気に誘われて現れた鵺を殺さず鎮めたとあっては、京都の人間として、認めないわけにはいきませんな」


 そうだ、思い出した。除霊の最中だった。

 祠を見ると、靄が消えていた。気のせいか祠から清浄な気がするのを感じた。京極も満足しているようなので、除霊は完了したとしていいだろう。


 不思議だった。試合をしていたが、気が付けば除霊が完了している。


 郷田は急に地面に膝を突いた。興奮が切れて、受けていたダメージが出たような感じだった。


 大きく手を打つ音が聞こえてきた。見れば、鴨川が笑顔で立っていた。

「郷田君、ありがとう。おかげで、関西方面での足掛かりができたよ。これで、関西の人にも美味しい豚カツを食べてもらえるよ」


 鴨川が手を差し伸べた。鴨川の手を取って郷田は立ち上がった。

「よくやった。よくやった」と鴨川が郷田を褒めながら、郷田の背中を叩いた。


 鴨川が郷田を称えながら発言した。

「ワシは、働いた人間には報いるよ。今回の報奨金として、二千万円を出すよ」


 とてつもない額のボーナスが出た。郷田は喜び「本当ですか」と聞くと、鴨川が笑って応えた。

「ああ、本当だよ。でも、退職金込みの二千万円だからね」


 一瞬、意味がわからなかった。

「待ってください。ちゃんと働いたのに、退職金って、どういうことですか?」


 鴨川が普通の顔に戻って首を傾げて評価した。

「君の活躍は見たけどさあ、どう見ても陰陽師ではないよ。ワシが依頼したのは鴨川新影流陰陽道の復興だよ。君の所業は完全には別物。だから、半年間は働いていなかったと見做して、解雇だよ。ワシは、働かない人間にも、きっちり報いるからね」


 郷田は、すぐに反論した。

「でも、社長、以前、ゼロから新たに作ってくれてもいいって言ってくれましたよね」


 鴨川が「努力は認める」といった感じの苦笑いをして、拒絶した

「言ったけどね。陰陽道としての原型がないと、最低限、駄目だよ。ロースカツ定食を注文したのに、豚カツとキャベツがなかったら、君だって怒るだろう」


 京極も鴨川の横で、難しい顔をして評価した。

「確かに。郷田さんを陰陽師として認める行為は、京都の人間としては難しいですね」


 郷田が助けを求めて龍禅を見ると、龍禅が顔を背けた。

「ごめんなさい。鵺まで鎮めた郷田君は霊能者としては凄いけど、あそこまで陰陽道から離れた業なのに、郷田君を陰陽師だと言い切れるほど、私は面の皮が厚くないのよ」


 祝勝モードが一転して、アウェイになった。


 郷田が戸惑っていると、京極がスッキリとした表情で締め括った。

「ほな、終ったことですし、帰りましょうか。後片付けは朝になったら、うちの若いものにやらせますさかいに」


「帰ろう」「帰ろう」と京極、鴨川、龍禅が帰って行く。


 呆然とすると郷田に、ケリーが声を掛けてきた。

「残念ですが、郷田さん。新しい物は、世の中に認められるには時間が掛かるのです。でも、よろしければ、一緒に活動しませんか」


 郷田はすぐにケリーの申し出を受け入れられなかった。

「すぐには返事できないよ。陰陽師もいいけど、やっぱり俺、プロレス好きだって今回、わかった」


 ケリーが微笑んで提案した。

「ノー・プロブレムです。私の知り合いに、面白いことならなんでも好きなプロモーターがいます。格闘技の仕事はプロモーターから、除霊の仕事は龍禅さんから、回してもらうんです。こうなったら、両方でデビューして、二足の黄金の草鞋を履きましょう」


       *

 年が明けて、次の秋が来る頃。一人の男が格闘技会と除霊業界に熱狂の嵐を巻き起こした。

 人々は彼を、こう呼んで称えた『我流覆面陰陽師シャイニング・マスク』と。

                                          【了】

©2017 Gin Kanekure


 『素人が陰陽師やったらこうなった』を最後まで読んでいただきありがとうございました。自分では人に薦められる作品と思っても、読んでいただいた方の目に、どう写っているのか不安です。


 評価が気になるところですが、面白くなかったら素直に「面白くなかった」と感想を残していただいて結構です。何も語らず、他の作品に移動してもらってかまいません。ただ、私は自分の文芸が「小説家になろう」でどこまで通用するのか知りたい。


 以上をもって「あとがき」とさせていただきます。

 お付き合いいただき、ありがとうございました。

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[良い点] いい! [一言] 学生の頃大好きだった秋津透先生の作品を彷彿とさせるような破天荒さが気に入りました
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