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第七章 伝説は蘇り大きく変る

第七章 伝説は蘇り大きく変る


        1


 龍禅の家で餅パーティを急遽開催した。白餅を焼いて醤油、黄粉、芥子味噌、餡子を付けて準備する。ケリーは醤油や味噌が好きではないので、ジャム、チョコレート・ソース、マーマレードを付けて食べた。


 まだ、午後三時だが、各自のコップには貴醸酒を並々と注いだ。

 郷田が「乾杯」と叫ぶと、ケリーも「Cheers」と呼応した。


 龍禅が一人、グラスを片手に、難しい顔をしていた。

「今日は仕事がないし、日本酒は好きよ。乾杯もいいけど、なんで十月の頭に餅パーティなの。芋煮会ならわかるけど」


 餅を焼きながら説明した。

「式神を修得したんですけどね。最後の白餅二升と酒二升を、神饌に使ったんですよ。一人で餅二升を食べて、酒二升も飲む行為は無理なんで。それで、お裾分けです。餅も酒をまだあるからドンドンいってください」


 龍禅がコップを片手に、半笑いで郷田の言葉を否定した。

「嘘でしょ。四月に陰陽師を始めた人間が、たった半年で式神まで修得するなんて、有り得ないわよ。あったら、笑ってしまうわ」


「先生、それがラッキーだったんですよ。式神に聞いたらね。式神のほうでも、ちょうど陰陽師を探していたんですよ。季節外れに求人を出したら応募者一人で即採用、みたいな感じで決まったんですよ」


 龍禅が信用せずに「またまた」と相手にしなかった。


 だが、ここは引き下がれない。龍禅に太鼓判を押して貰わないと、鴨川が経費を振り込んでくれない。カードの引き落とし日は迫っているので、猶予がなかった。


 愛想笑いを浮かべて、空になった龍禅のコップに酒を注いで下手に出ながら頼んだ。

「本当ですよ、龍禅先生。それで、社長に報告するために、龍禅先生から式神修得のお墨付きをいただきたいんですよ」


 龍禅が小馬鹿にしたように笑って「だったら、式神を呼んでみなさいよ」と口に出した。ここまでは、想定どおり。おそらく、龍禅は式神を呼んでも「うん」とはいわないだろう。


 なので、首を縦に振ってもらうために、リュックの中には賄賂を用意していた。

 賄賂その一。龍禅が魚を捌くときに「買い替え時かしら」と漏らしていたマキリ包丁。関の刀鍛冶が打った品で、価格は五万円の高級包丁。

 もし、包丁だけでは足りなかったときのための賄賂その二も、用意していた。賄賂その二、古今東西万国共通の品、現金。「お礼」と欠いた祝儀袋に現金二十万円を包んだ。


 賄賂その二は、できれば使いたくない。けれども、本の翻訳から神饌代までで、百万円近い金を使っているので、背に腹は替えられない。ここで、出費を惜しめば、却って高く付く。


 郷田は体裁を繕うために、畏まって祭文を読んだ。最後に式神の名として「シャイニング・マスク二号」と呼びかけると、龍禅が酒を噴き出して(むせ)た。龍禅の咽方は普通ではなかった。


 最初は笑いから入り、酒が気管に入った後、亡き祖父の霊にでも直面したごとく驚き、酸欠状態に近くなったような咽方だった。


 隣で見ていたケリーが慌てて、龍禅を介抱した。郷田もリアクション芸人も真っ青な龍禅の態度に驚いた。


 龍禅が苦しんだのち、息も絶え絶えに真顔で「ちょっと、これ、どういうことよ」と口にした。

 酒に毒も盛った訳ではないのに、「どういうこと?」と言われても郷田が聞きたいくらいだった。

 ケリーが水を持って来た。


 龍禅が水を飲んで一息ついてから、信じられないとばかり口にした。

「郷田君。本当に式神を使えるようになったの。君は何者なの」


 賄賂を渡さなくても、認めてくれた態度は嬉しい。でも、少しばかり、腑に落ちなかった。

        

        2


 鴨川に連絡を取ると秘書が出た。

 秘書に鴨川の予定を聞くと「社長は明日から出張で、京都に一週間、行きます。本日なら、会議のために本社にいます」と教えてくれた。


 まずい。一週間後に領収書が経理に回ったのでは、カードの引き落とし日に間に合わない。餅パーティを早々に切り上げて、《カツの新影》の本社に向かった。


 本社に着くと、会議が長引いている、という理由で待たされた。先に経理に行って清算を頼んだ。

 経理係の若い男が対応した。若い男が領収書を見て、電卓を叩いて行く。


 若い男の顔が段々と険しくなり、とうとう「合計金額が百万円越え!」と最後に驚かれた。

 若い男が係長に相談すると、経理係長が出てきた。経理係長は領収書を確認すると、すぐに眉間に皴を寄せた。


 次いで、胡散臭い人物でも見るかのような軽蔑的な顔を郷田に向けて「用途を説明してくれますか」と、米や酒の領収書を一番上に置いて、強い口調で説明を求めてきた。


「陰陽師の修行で式神を覚えるために使いました」と馬鹿正直に報告しようものなら狂人扱いされるのは目に見えていた。


 曖昧な笑顔を浮かべてお茶を濁した。

「社長直轄の文化事業の一環で使いました。社長には事前にOKを貰っているので、後で社長に聞いてください」そこまでいうと逃げるように経理係を後にした。


 後ろで「ちょっと、君」の声が聞こえていたが、気にしなかった。


 社長室に向かうと鴨川が三分とせずに戻ってきた。鴨川は鼻歌交じりで気分よく「郷田君か、いいよ。入りたまえ」と声を掛けてきた。


 郷田が社長室の扉を開けて、鴨川を先に通した。


 いつもの座椅子に鴨川が座ると、聞いてもいない自慢話を口にした。

「我が社は、今年も好調だよ。これで、四年連続、増収増益だ。来年は、いよいよ西日本に進出するよ。まずは、京都と奈良に、同時に出店する。ここがうまくいったら、大阪と名古屋もいけるよ」


 鴨川の機嫌をとるために深々と頭を下げ、お世辞を口にした。

「おめでとうございます。社長の豪腕、お見事と言うほかありません」


「なに、それほどでもないよ」と鴨川が口にしたが、満更でもないといわんばかりに表情は崩れていた。


 郷田は畏まった態度で用件を切り出した。

「実は今日は、嬉しいお知らせがあった、参上しました。式神の修得に、ついに成功いたしました」


 鴨川が冗談だろうとばかりに言い放った

「馬鹿な言葉を口にするなよ。そう簡単に行くわけがないだろう。本を渡して二月も経ってないよ」


 郷田は携帯を取り出し、殊勝な態度で申し出た。

「式神については、すでに龍禅先生に御墨付きを頂きました。これより龍禅先生に電話いたしますので、ご確認ください」


 鴨川が疑うような顔で「なに、本当なの」と聞いたので、真剣な顔で両手を突いて「左様にございます」と答えた。


「ちょっと、待て」と鴨川が疑り深い顔で命令して、席を立った。


 郷田の電話を使わずに、社長机の上にある電話を使って、鴨川が気軽な口調で、龍禅と会話を始めた。

 電話を始めてすぐに、鴨川の表情の変化が現れた。本当なのかといわんばかりの表情で、郷田を横目でチラチラ見るようにしながら、会話を続けた。


 電話を切る頃には、難しい顔をして丁寧な口調で龍禅に礼を述べて、電話を切った。


 鴨川が座椅子に戻ると、目を細めて、懐疑的な口調で感想を漏らした。

「にわかには信じられんな」


 武士のような改まった態度で、頭を下げて発言した。

「普段の私の言動を聞いていれば、無理のないこと。私めをお疑いになる気持ちは、わかります。ですが、今回は龍禅先生が証人です」


 鴨川が「とはいってもねー」と素直に郷田の業績を認めなかった。

 あくまでも礼儀正しい態度を心掛けつつ、申し出た。


「無礼を承知で、申し上げます。社長は陰陽道については、素人同然。しかも、霊能力はないご様子。式神の使役は陰陽道の奥義をなす双翼が一つ。軽々しく行える技ではありません。仮に式神を使役しましても、視えない社長に真偽のほどは、確かめようがありません」


 鴨川が頬を引き締め口のへの字に閉ざした。


 頭を少し下げて言葉を続けた。

「もし、私めが式神を呼んで、社長が鴨川家に代々伝わる式神を侮辱するような発言をすれば、どうなりましょう。私は一向に気にしませんが、相手は神。いかなる災いが起こるやもしれません」


 鴨川が不快な顔を隠さず、率直な感想を口にした。

「君が畏まると、どうも嘘臭くて、堪らないんだよな」


 嘘臭いと指摘されても、郷田は時代劇口調のまま言葉を続けようと決めた。

 このままいけば、社長を押し切れる自信があった。きっと、『裸の王様』の仕立屋も、こんな気分だったのだろう。


「こればかりは、信じてください、と申し上げるしかありません」

 御伽噺の王様なら騙せたかもしれない。されど、叩き上げの社長は「わかった」と口にしなかった。


 代わりに、鴨川が腕組みして眉を少し上げ、横を向いて言い放った。

「信じてくださいって言葉は、政治資金を借りに来る議員から、よく聞かされる言葉なんだよな。ワシに式神は視えないかもしれないか、ここにやって来る議員と君は、とてもよくダブって視えるよ」


 黙って頭を下げて、沈黙戦術に出た。あえて口を開かなかった。

 鴨川のところ来た議員は、ここから雄弁に話して失敗したのだろう。現状では黙るに限る。黙っていれば、もう一息で鴨川は落とせる確信があった。


 十秒ほど経過した。鴨川が軽く膝を叩いて、いつもの顔に戻って決断した。

「わかった。証人もいることだし、とりあえず、暫定的に信用しよう」


 作戦は成功した。郷田は笑みを出さないように気を付けながら、発言した。

「ありがとうございます。それでは、今日中に経理係長に振込みをするように指示をお願いします」


 鴨川が顔を顰めて、軽い口調で口にした。

「約束だから、振り込むけどさあ。最後に、そういうセリフがポロって出るところが、怪しいんだよな」


        3 


 陰陽師になる将来をずっと先に延ばして、安楽な生活を築こうとしていたら、思いのほか早くに式神が使えるようなった。式神が使えるようになったので、陰陽師として一人前なのだろう。


 一人前になったが、なんとなく心が満たされなくなった。普通の霊能者と違い《カツの新影》の社員なので、生活の不安もない。


 やっぱり格闘技の道が捨てきれないのか、とも思った。といっても、格闘技の道に進んでも満足できない気がした。


 最初はケリー目当てだったが、二回の除霊を経験して霊能者も悪くないかと考えている郷田自身が、確かにいた。


 贅沢な悩みだなと思っていたら、出張中の鴨川から電話があった。

「郷田君、やっぱり簡単に信用できんわ」


 贅沢とは、つくづく無縁だと悟った。贅沢は悩みでも、三日で消えた。

「何を今更。お金は返せませんよ。カードの支払いが、すぐに来るんですから」


 鴨川がいたって普通な口調で応じた。

「たかだか百万くらいの端金を、返せとは言わんよ」


 金の話でないなら、なんの話なんだろう。


 郷田が不審に思っていると、鴨川が言葉を続けた。

「ただね、式神を使えるようなったからといって、鴨川新影流陰陽道の後継者とは認めるには早過ぎると感じたんだよ。それに、ワシは君の陰陽師としての仕事振りを見てないから、君の働きが見たいんだよ」


 これは、なにか無茶な仕事を言い出す前振りだと予感がした。

 予感がしたので返事をしなかったが、鴨川が郷田の返事を待たずに、すぐに用件を切り出した。

「来年、京都に出店する候補地を視察していたら、すっごくいい場所があったのよ。出店したら九割は成功間違いなしの、一等地。さっそく、地主と交渉したんだけど、余所者には土地は貸したくないって言い張ってね」


 京都出店は豚カツ屋の事業だ。陰陽師とは全く関係ない。

「まさか、社長。地主が土地を貸すように呪いを掛けろと仰るんですか。そういう行為に手は貸しませんよ」


 鴨川が電話口で怒鳴った。

「ワシは、そんな小さな男ではないよ」


 郷田が「すいません」と謝ると、鴨川が普通の口調に戻って告げた。


「それでも、交渉を粘ったら、世間話になってね。地主が持っている京都の別の土地に幽霊が出て困っているそうなのよ。幽霊といえば陰陽師でしょ。ワシが親切で腕の良い陰陽師を知っているって申し出たら、地主が馬鹿にしたように笑いやがって、もう、喧嘩よ」


 話が、やっと見えた。予想通りに、憤慨したとばかりに鴨川が怒りの言葉を吐いた。

「それで、ワシが連れて来た人間が今年中に除霊できたら土地を貸す。できなかったら、五年は京都に出店しない、って決まったわけ」


 子供の喧嘩みたいだが、金持ち連中とは案外こんな人間なのかもしれない。子供の喧嘩なら放っておくが、金持ちの意地のぶつかり合いなら、金になるかもしれない。


 うまくいけば、京都の地主とも良い付き合いができる。霊能者をやるにしても、パトロンが高齢の鴨川だけだと、先が心配だ。


 金がある人間だからこそ「人生は金ではない」と口にできる。「贅沢な悩みだ」と悩みに浸り続けたいなら、贅沢な状態を維持するために努力を惜しんではいけない。


「わかりました。幽霊が出る場所と時刻を、メールしてください。今回の仕事は、社長の沽券に関わるので、後詰めとして龍禅先生も連れて行きます。予定を調整するので、待ってください」


 龍禅に電話して事情を話すと、龍禅が少し困った口調で申し出た。

「困った事態になったわね。私は本業で、七日後にインドに行くスケジュールなのよ。インドから帰って来てからとなると、十二月十日頃になるわ」


「七日以内に除霊できないと、次のチャンスは年末になるのか」


 龍禅が少しきつい口調で忠告してきた。

「甘いわね。十二月十日を過ぎると、旧暦では神無月に入るわ。神無月に入ると、式神の力を使えない可能性がある」


 まさか、式神に弱点があるとは思わなかった。陰陽師なんて一年中できると思ったが、違った。今度からは鴨川に事情を話して、きちんと冬には一ヶ月の休みを取ろう。


 龍禅が乗り気ではない口調で、気になる情報を口にした。

「場所が京都なのも問題ね。京都に出る霊は、他の土地の霊より強いのよ。そんな強い霊がいる場所だから、京都の霊能者の質は高いわ。質の高い霊能者でも手に負えなかったなら、かなり危険よ。相手によっては、私では無理かもしれないわ」


 龍禅は完全に乗り気ではなかった。されど、鴨川直々の依頼なので郷田は断るわけにはいかなった。

「行かないんですか」と聞くと、龍禅が不承不承といった口ぶりで釘を刺した。

「乗りかかった船だから、行くけど、危なくなったら、さっさと逃げるわよ」


        4


 九州にある移動性高気圧が留まり、シベリア高気圧の南下が遅れ、十一月の上旬の京都は陽が暮れても、寒くはなかった。時刻が午後九時くらいなので、まだ人も多い。


 郷田、龍禅、ケリーは京都駅でタクシーを拾って目的の場所に向かった。

 目的地は、林に囲まれた小さな神社。神社の入口なので鳥居があると思ったが、なかった。


 入口の石畳の前には鴨川と、もう一人、老人が待っていた。

 老人は鴨川より歳を取っているが、背筋がピンと伸びており、身だしなみもきちんとしていた。老人が龍禅を見ると挨拶してきた。


 龍禅も老人に「お久しぶりです、京極さん」と挨拶した。


 京極が鴨川を見て、感想を述べた。

「鴨川さんのお知り合い、いうのは龍禅さんでしたか。龍禅さんは知っています。でも、龍禅さんは、陰陽師ではないですよ」


 京極がそこまで言うと、龍禅を軽く見て発言した。

「龍禅さんの実力は、知っています。ですが、今回の件は、龍禅さんでは荷が重いと思いますよ。祭神のお力を借りられれば、龍禅さんでも、祠に纏わりつく無数の邪鬼を祓えるでしょう。ですが、ここの祭神である山の神様は、女性には厳しい。しかも、最近は(ふさ)ぎ込んでいる」


「龍禅」「龍禅」と連呼される行為は面白くなかった。また、鴨川も龍禅が除霊するかのような流れを否定しないので、郷田は咳払いを一つした。


 老人が郷田を値踏みするように見て「何か?」と聞いたので、胸を張って自信タップリに答えた。


「龍禅先生は控えの選手です。メインは俺です」


 京極が「ははは」乾いた声で笑った。明らかに郷田を軽く見ていた。


 郷田は、まだ何か言いたかった。でも、鴨川が京極の後ろで、拝むような仕草をして軽く首を振っていた。

「我慢してちょうだい」のサインだ。


 どうやら、京極は京都では、それなりに地位のある人物らしい。京都で事業をしたい鴨川は波風を立てて欲しくないのだろう。であるなら、我慢するしかない。雇われ陰陽師の辛いところだ。


 京極が誰にも視線を合わせずに発言した。

「これは、無理ですな。面白いものが見られかも、と多少は期待しましたが、期待外れですな」


 郷田は頭に来たが、涼しい顔を心掛けて発言した。

「除霊を無理だといわれる分には腹が立ちません。俺は陰陽師ですからね。ですが、見る前から面白くないと評価される行為は、いささか早計では」


 京極が少し不思議そうな顔をして「お話が逆ではないですか?」と聞いてきた。


「合っていますよ。見ればわかりますが、見ないでお帰りになるのなら理解できないでしょう。ただ、俺には京極さんを引き止める行為はしないので、御自由に」


 京極が「ふむ」と息を吐いてから言葉を発した。

「帰っても晩酌しながら、テレビを観るくらいしか、ないですからね。とはいっても、最近のテレビは、面白くない」


 京極が期待しないと言いたげな顔をして、どこか挑戦的な口ぶりで発言した。

「面白いものを見せると仰るなら、拝見させてもらいましょうか」


 境内に入った。四十メートルほど進んだ場所に手水舎があった。

 手水舎の水は止まっていた。手水舎から少し進んだ場所の左手に社務所があり、右に曲がって三十メートル進んだ開けた場所に祠があった。


 祠の近くには、予め鴨川に頼んでおいた発電機があった。発電機から伸びるコードが仮設照明に続いていた。仮設照明が小さな祠を照らしていた。


 祠の周りの地面には明らかに建築物が建っていた形跡があった。本殿の跡地だろう。

 神社の敷地に残っている物が、水の出ない手水舎、社務所、祠しかない。


 現状から推測すると、神社は移転作業の最終段階なのだろう。最後に目の前の祠を移動させて、社務所と手水舎を取り壊せば、工事完了だ。


 年内に地主が拘った理由も、こんな状況で神様に新年を迎えさせては面子が立たないといったところかもしれない。


        5


 早速、準備を始めた。事前に送っておいた荷物は社務所の中に置かれてあったので、出してきた。

 郷田は土の地面にライン引きで、祠の前に四角い空間を描いていく。


 ケリーがエレキ・ギターのアンプを設置し、音合わせをして、マイクの調整をする。周りには民家がないので、エレキ・ギターを弾いても問題なさい。


 ラインを引きながら、京極の顔を、それとなく窺った。

 京極が龍禅になにやら小声で話しかけていた。龍禅がしきりに首を傾げていると、京極が、まじまじと郷田の挙動を注目した。


 明らかに興味を引いている。見もしないで「面白くない」と発言した京極に見せつけてやらねば。

 ラインを引き終わり、四隅に四神(玄武、青龍、白虎、朱雀)が彫られた、ガラス製で円柱状の、高さ三センチ、直径二十センチの物体を置いた。


 郷田自身も、膝と肘を覆うプロテクターを装着した。

 龍禅が郷田の描いた白線の後方に、高さ六十センチほどのスタンドを立て、三メートル四方に注連縄を張った空間を作っていた。龍禅の作った空間の内側に椅子が二つ用意され、鴨川と京極の席が造られていた。


 準備が終ったので、鴨川に報告しに行く。

「準備ができましたが、始めてもよろしいでしょうか」


 鴨川ではなく、京極が不満げな顔をして、懐疑的な口調で口を挟んだ。

「準備が終った、と言われましたが、また、えらく簡単な造りですな。本当に、これで大丈夫なんですか」


 気に障る話し方をする男だが、お客様なので無視はできない。

「最初から全てを準備して、決まった作法に従う。京都のやり方は、俺から言わせれば、日本舞踊ですね。美しいかもしれませんが、踊りの域を出ていない。俺のやろうとしているのは、プロレスです。それぐらい違います」


 京極が、また馬鹿にしたように「ははは」と笑ってから口を開いた。

「おかしな言葉を仰る。霊を沈めるのに、プロレスはないでしょう。どこからともなく、無数に集まってくる霊の集団を、プロレスでは祓えない」


 京極はそこまでいうと、ケリーを見て悠然と発言した。

「エレキ・ギターを弾く準備をしていますが、あれは、なにかの余興ですかな」


 郷田は「ははは」と笑うと、京極の顔が不快感も露に歪んだ。

 郷田は京極に教えた。

「彼女はヨウツイの使い手ですから、ギターを使うのは当然でしょう。まさか、ヨウツイの使い手が、和太鼓や笛を吹いたりしたら、おかしいでしょう」


 京極が「訳がわからない」といった顔をしたので、少し見下した態度で教えた。


「いっておきますが、ヨウツイは、腰の骨ではないですよ。英国発祥の陰陽道の、ヨウツイですよ」


 京極が顔を背けて「何を馬鹿な、そんなものが――」と口にすると、龍禅がそっと耳打ちした。

 耳打ちされると、京極の顔が「エッ」というように、驚きに歪んだ。どうやら、京極はヨウツイについては全く無知のようだった。


 とはいえ、ヨウツイの全貌は不明。イギリス人のケリーがヨウツイについて日本語で説明できるとも限らないので、深くは掘り下げない

「ちなみに、俺は京都発祥の古式陰陽道ではなく、新式陰陽道の陰陽師です」


 京極が「新式って?」と鴨川の顔を見ると、鴨川は答に窮した。


 鴨川が助けを求めるように龍禅を見ると、龍禅は「私に聞かないでください」といわんばかりに胸の前で手を振った。


 理屈を説明しても、おそらく京極は理解できないし、逆に古式の陰陽道との違いを聞かれると、古式陰陽道を完全に理解していないので、説明できない。


 郷田は背を向け「百聞は一見に如かず、ですよ」格好を付けて発言した。祠の前に進み出て、ノートを持ってきて祭文を読み始めた。今回は単純な朗読にならないように、祝詞のように独特の節を付けた。


 関連する祭文を読み上げていくが、どこにも変化がない。幽霊が出てくる気配もない。式神を呼ぶ祭文を読み上げたが、何も起きない。


 これは困った。幽霊が出てこないと除霊できない。はて、祭文に幽霊を呼び出す祭文ってあったかなと探していると、京極の遠慮のない「お話になりませんな」の声が聞こえてきた。


 腹が立つが、何もしないと京極が帰る気がするので、時間稼ぎのために、意味のわからない一番長い祭文を読んだ。


 祭文を読んでいて気が付いたが、霧が出始めていた。さっきまで感じなかった寒気もしてきた。秋の京都ではよくある放射冷却現象だと思った。


 危機感が篭った龍禅の声が聞こえた。

「何か、おかしいわ。郷田君。儀式を中止して」


 おかしいと注意されても、異変がわからない。放射冷却現象が危険だとは、お天気ニュースで聞いた覚えもない。


 むしろ、雰囲気が出てきたので、幽霊が出現しそうな気配だった。祭文も、あと少しで終るので、最後まで読んだ。


 祠に変な形に靄が纏わり付いていた。さて、どう対処したものか。


 朝になれば、また気温が上がって靄が消えるが、それでは、京極に「朝になって幽霊が去った」と言い逃れされる。


 とりあえず、祠についた靄を手で払おうとして、祠に近づいた。すると、後ろで龍禅の「郷田君、下がりなさい」と大きな声が聞こえた。だが、「問題ないですよ」と、お気楽に返した。


 祠の靄は、手で払っても、すぐに祠に纏わり付いた、なんど手で払っても、意志でもあるかのように、祠に纏わり付く。

 扇風機でも持参してくれば良かった。でも、もう遅い。家電量販店も、やっている時間ではない。

 困っていると、祠の後方に動く影が現れた。影は四本足だった。ゆっくりと近づいてくる。


 暗闇に、じっと目を凝らした。後方の照明の灯りに照らされて、シルエットが浮かび上がった。

 相手は獣だった。体重が二百キロはありそうだった。しかも、獣の足を見ると、黄色と黒の縞々模様が見えた。獣は虎だ。


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