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第五章 霊能式猿拳 対 筋力特化陰陽道

第五章 霊能式猿拳 対 筋力特化陰陽道


        1


 除霊は終った。評価はどうなかったか、全然わからない。依頼人がそれなりに満足したので問題ないと思った。


 三日後の給与の振込日にきちんと給料が振り込んであった。鴨川が給料日に給料を支払ってくれたから、評価は問題なしだ。


 近藤の事案で思い知った。祭文は大事だ。なにせ、きちんと読めれば、それなり格好が付く。

 鴨川は欺けないかも知れないが、素人には絶対わからない。これからも実習に行くかもしれないので、祭文は勉強しておこう。


 独学の時間になると、ケリーが上目遣いに頼んできた。

「郷田さんが読んだ祭文、ケリーも読んでみたいです。ただ、漢字がまだ読めないです」


 祭文に使われる漢字は、日本人でも読み辛い。祭文の元になった文章は、難読漢字クイズのテキスト文かと思ってしまうぐらいだ。


 ケリーが少し下を向いて恥ずかしそうに言葉を続けた。

「祭文は神様に捧げる言葉だから、間違えるわけにはいきません。内容もとても重要だから、読み上げる以上は、間違わないようにしたいです」


「任せておけ」と、ケリーの頼みを二つ返事で聞いた。

 祭文を全部、平仮名表記にした文章を作成した。


 祭文はバインダーに用途毎に分けて閉じて、インデックも付けた。ここまで丁寧な作業は、大学の授業でも一切した覚えがなかった。


 ケリーが飛び上がらんばかりに喜んでくれた。喜んでくれたので、一緒に曲も作ろうと提案すると、ケリーも同意してくれた。初めて知ったが、ケリーはエレキ・ギターが引けた。


 エレキ・ギターなので、曲はロックやメタル調にして作った。ロックやメタルの曲だと祭文の韻と合わない。なので、祭文の内容を英語の歌詞に変えた。


「ケリーって、ギター上手いね」と褒めると、ケリーが得意顔で教えてくれた。

「当然です。私はプロなのです。私は、作った曲を売って生活費を稼いでいます」


 いつも龍禅の家にいるケリーが、どうやって生活費を稼いでいるかの謎が解明された。ネットを使えば、日本にいながらアメリカやイギリスのミュージシャン相手にも商売ができる時代だ。


 瞬く間に一週間が過ぎた。中々、乗れる歌が創れてきた。


 ケリーがエレキ・ギターを弾くなら、郷田はドラムを叩こうかと、密かに悩んだ。


 二人で盛り上がっていると、部屋の襖が大きな音を立てて開いた。現れた龍禅は、いきなり「煩いわよ」と怒鳴った。


 龍禅はケリーと楽しい時間を過ごしていると、いつも邪魔しにやって来る。とはいえ、立場上は先生なので、従わなければいけない。龍禅におかしな報告をされると、給料に響きかねない。


 素直に詫びを入れた。

「すいません。やっぱりボロ屋だと、音漏れが酷いんでしょうか。クーラーもない家なので、窓を開けた行為が余計まずかったでしょうか」


 龍禅が顳顬(こめかみ)を引き攣らせて発言した。

「家が古くて、悪うございましたね」


 ケリーがフォローしようと、あたふたしながら、取り繕った。

「古いのは悪くないですよ。家の座敷には妖怪が出そうです。お風呂場も、心地よい隙間風がよく入ります。庭は夜になれば人魂が出そうなところがいいです」


 龍禅が怒らないように、そっとケリーに告げた。

「ケリー。それくらいで、やめたほうがいいよ。いくら本当の内容でも、気を悪くするよ」


 龍禅が目を吊り上げて「聞こえているわよ」と発言した。


 郷田が下を向くと、龍禅が指示をした。

「ケリーは、出ていってくれる?」


 沈没する船から逃げる鼠のように、ケリーが部屋から素早く出て行った。

 龍禅が面白くないといった顔で切り出した。


「次の依頼が来たわ。三日後に除霊をするわ」


 急だ、急すぎる。不満を隠さすに告げた。


「早過ぎますよ。前回の依頼から二週間も経ってないですよ。もう、年末までゆっくりしましょうよ。次の仕事は、冬のボーナスの査定前にしてください」


 龍禅が半分呆れた顔で言い放った。

「まだ七月よ。いったい、いつまで、遊んでいる気なのよ」


 正直に申告した。

「いつまでも、こうしていたい気分です」


 龍禅が即座に否定的な顔で意見してきた。

「そんな都合の良いようにはいかないわ。私たちの仕事は依頼があったときに、手が空いていたら、受ける態度が基本よ。ないときは全くないけど、立て続けに来る状況もあるのよ」


 龍禅が一度、言葉を切ってから、きつい口調で切り出した。

「これは郷田君のためでもあるわ。本気で陰陽師を目指すのなら、今回の依頼は避けては通れない。前回は危険度がない除霊だったけど、次は危険なのよ。本当に怪我するかもしれないわ」


 郷田は気楽な気分で茶々を入れた。

「またまた、そんなに脅かして」


 龍禅が真剣な表情で警告してきた。

「脅しではないわよ。次は危険だから、ケリーは連れて行かないわ。今回の除霊は、悪霊なのよ。二人とも憑依されたら、さすがの私でも、手に負えないわ」


 いい加減な内容を口にしていると思った。悪霊なんて、いるわけがない。


 龍禅が注意事項をきつい口調で伝えてきた。

「注意事項は二つあるわ。一つは、悪霊に名前を知られてはいけない。二つ目は、顔を見られはいけない。現場では本名を名乗らない。顔を面で隠しての作業になるから」


「仮面パーティみたいなものですか? 俺、タキシードとか、持っていないですよ」


 龍禅が怖い顔で怒鳴った。本気だった。

「ふざけないで、郷田君。今回の相手は危険なのよ」


「わかりました。俺も本気でやります」

 たとえ、本質は馬鹿馬鹿しい作業でも、本気の人間に付き合うなら、本気でぶつかるのが礼儀だ。

 馬鹿馬鹿しい行為を、ふざけて行う態度ほど見苦しい行為はない。本気だからこそ、笑いも取れば、客も沸くというものだ。


        2


 家に帰って、さっそく準備をした。面といっても、子供用のキャラクターの物は抵抗があった。かといって、芸能人や動物の被り物なら、安っぽ過ぎる。


 適当にネットでクールな面を探していると、見つけた。

 メキシコからの輸入物で、覆面レスラー用の金色のマスクがあった。説明文では「古代アステカの壁画にあった太陽の戦士を象ったマスクを復元。被れば貴方にも太陽神の御加護が」と記載があった。


 胡散臭いこと、このうえない。しかも、文末が「御加護があります」ではなく「御加護が」で終わっているところが、ポイントだ。金額も税抜き十三万円と、冗談のような値段だった。


 もう少し商品説明を見ると、今なら金色マスクに付随して銀色もサービスと記載があった。だったら、価格を半分にしろと思うが、そこは通販のお約束だ。


 普段なら絶対に買わないが、マスクのデザインは、非常に気に入った。「どうせ、鴨川の会社の金だ」と抵抗なく、購入をクリックできた。


 マスクは「お急ぎ便」を使ったので、除霊に行く前日には届いた。


 品物を手にしてみると、造りは思ったより丁寧に縫製されていた。

 アステカ文明を謳っておきながら中国で作られた品――では、断じてなかった。少し、生地を引っ張ってみた。簡単には破けそうもなかった。


 プロレスの試合で着用しても、十試合くらいでダメになるようなものではなかった。被ってみると、サイズもピッタリだった。


 翌日、龍禅の運転する車に乗って、目的の場所を目指した。目的地は郊外にある醸造会社の社長宅だった。


 社長宅は高さ三メートルほどの白い漆喰の壁に囲まれていた。門を潜って、駐車場に車を止めた。

 時刻は、十三時三十分。天候は曇りだったが、七月も半ばとなると、少し蒸し暑かった。


 郷田は普通に、ジーンズに赤い半袖のシャツを着ていた。だが、龍禅はいつもの洋服ではなく、白い小袖に白の馬上袴を着ていた。暑くないのかと思うが、暑そうには見えなかった。


 龍禅が顔の三分の二を覆う木の面を取り出した。面には三つ目があり、一番の額の場所には青い宝石が埋まっていた。面の頬の部分には霊符のような赤い文字が書かれていた。


 龍禅が似たような面を渡そうとしたので、断って、昨日、届いたマスクを被った。

 龍禅が郷田の被ったマスクを見て「なに、それ。場をわきまえなさいよ」と非難めいた声を出した。


 郷田は龍禅の申し出を頑なに拒否した。

「お言葉ですが、これは新式鴨川新影流陰陽師の正式採用の面です。面のデザインも、昔から残っている資料を基に復元したものです」


「絶対に嘘でしょう」と龍禅が強い口調で異を唱えたので「本当です」と切り返した。


 嘘は吐いていない。鴨川新影流にはないが、新式鴨川新影流は郷田が一人で作っている、なので、郷田が採用といえば、正式採用になる。


「面のデザインも、昔から残っている資料を基に復元」も、本当だ。誰も「鴨川新影流」昔の画だとは発言していない。基になっているデザインは、アステカ文明の昔の画なだけだ。


 龍禅は郷田の言葉を、どこまでも疑っていた。

 だが、言い争いは時間の無駄だと思ったのか、面について、それ以上は言及しなかった。代わりに注意を促した。


「好きにすればいいわよ。あと、ここでは名前を呼ばないでね。先生でいいわ。君も、名前で呼ばないわ。便宜的に鴨川と呼ぶからね」


「名前ですけど、鴨川はまだ名乗れないですね。鴨川と名乗るのは一人前になったときです」


 龍禅が少しだけ感心した口調で発言した。

「ずいぶん、殊勝な心がけね。では、なんと呼べばいい?」


「太陽の戦士、シャイニング・マスクとお呼びください」


 龍禅が冷たい顔で背けて「行くわよ、鴨川」と、ヒステリックに声を掛けて、車を降りた。


 龍禅を先頭に歩いて行くと、龍禅とほぼ同じ格好をした小柄な男がいた。


 格好の違いは、小柄な男の馬上袴が青だったこと。男の表情は面で見えないが、面の動きから、二度三度、郷田の格好をジロジロと見ていた。


 郷田が不機嫌な口調で「何か?」と聞くと「いいえ」とだけ返事をした。


 なんか、感じが悪い男だ。

 男が龍禅に向かって「では、青龍の先生、こちらです」と呼び掛けると、龍禅が頷いた。男が背を向けると、背中に赤字で「壱」と書いてあった。


 壱に従いて十分ほど歩いて行くと、広い地面が剥き出しになっていた。広さは、テニスコート二面ほど。地面の具合からいって、どうやら最近まで、何かの建物が建っていたらしい。


 龍禅が簡単に説明した。

「ここには、春先まで蔵が建っていたのよ。古い蔵で、中身を調べたけど、高価な物はなかった。主は蔵ごと壊して一緒にゴミとして中の物を処分した。けれども、どうやらゴミとして処分した中に、曰くつき品物が混じっていたのよ」


 状況からして、いかにもありそうな説明だった。

 けれども、あまり面白そうな話ではない。品物にまつわる話なら、まだ郷田の被っているマスクのほうが面白い。


        3


 空き地には既に、二メートル四方の空間に柱が立てられていた。柱には直径五センチの注連縄が張られていた。注連縄の真ん中には小さな神棚を祭った祭壇があしらえてあった。


 注連縄の外には三人の男がいた。三人の内、二人までは壱と同じ格好をしていた。ただ、背中の赤文字の番号が弐と参になっていた。


 残りの一人は壱、弐、参より着ているものが上等だった。能で使われる翁の面を被り、格好は黒の平安貴族風の格好をしていた。平安貴族の男がボスで、壱、弐、参の男共は、アシスタントだろう。


 壱が平安貴族の男に「白虎の先生、青龍の先生が到着されました」と声を掛けた。白虎の先生と呼ばれた平安貴族の男が、龍禅に寄ってきた。


 どうやら、向こうのボスが白虎で、龍禅が青龍らしい。

 白虎の先生が親しげな態度で龍禅に挨拶してきた。

「一年ぶりですね。青龍の先生」


 声の質からいって、白虎の先生は龍禅と同じくらいの男性だ。身長は郷田と同じくらいだが、体格は細身だった。


 白虎の先生が郷田を一瞥した。

「隣にいる方は、新しいお弟子さんですか」


 龍禅がすぐに否定して、どこか他人行儀に固い口調で返した。

「弟子ではありません。ほとんど他人みたいものです。今回は、特に事情がありまして、除霊に同行させました。白虎の先生には一切、ご迷惑はお掛けしませんので、どうぞ、お構いなく」


 いきなり、他人の振りをされた。

 一言、苦情を述べようかと思った。が、よくよく考えれば、他人で間違いないので、黙った。


 白虎の先生が軽い口調で発言した

「別に、いいですよ。貴女なら、迷惑を掛けられても」


 龍禅は何も言わないが、面白くないオーラが出ていた。

 白虎の先生も龍禅も仮面で表情がわからないが、笑っている気がした。どうやら、白虎の先生は龍禅に好意を持っているが、龍禅はあまり関わりたくないようだ。


 勘ぐるに、二人の関係はおそらく単なる同業者ではない。されど、龍禅が何も教えてくれないなら、あまり深く関わらないほうが賢明だ。藪を突いて蛇を出す、という諺もある。


 白虎の先生に向かって一礼して「勉強させてもらいます」とだけ短く挨拶をした。


 除霊が始まった。白虎の先生が注連縄の外から神棚に向かって、祝詞を唱え出した。

 内容はよくわからなかった。わかりたいとも思わなかった。


 他の三方向を囲む人間が、リズムよく鈴を鳴らしていた。

 郷田と龍禅は十メートルほど下がった位置で見学していた。


 三十分ほど経過したが、儀式は終る様子が全くなかった。

 白虎の先生の祝詞が、聞き覚えあるフレーズになった。さっきも聞いた箇所だ。どうやら、白虎の先生は同じ祝詞を何度も唱えているらしい。


 龍禅が小さい声で「難航しているわね」と口にした。


 暇なので小声で応じた。

「難航って、さっきから、ずっと同じ呪文ですよ。これ、いつまで続くんですか」


 龍禅が小声で教えてくれた。

「繰り返したくて、繰り返しているわけじゃないのよ。悪霊が邪魔して、先に進めないのよ。さっきからずっと、場を清めようとしているわ。けれども、祓っても、祓っても、穢れが湧いてきて、終らないのよ」


 周囲を見渡すが、全く変化がないように見えた。穢れが湧いていると教えられても、ピンと来ない。完全に趣味の世界の人たちの内輪話にしか聞こえなかった。


 修行の一環である以上、携帯で時間を潰すわけにはいかないのが苦しかった。


 郷田は率直に尋ねた。

「なんか、さっさと終らせる方法はないんですか」

「場を清められないと、神様が降りても、充分に力を発揮できない。神様の力を借りられないと悪霊は祓えないのよ」


 除霊とは面倒臭いものだが、待つしかないらしい

 暇なので首を回して軽く運動していると、二階の窓に人影が見えた。


 人影は郷田が見ると、すぐに引っ込んだ。

 どうやら、家の人が気になって二階から進行を窺っているらしい。


 郷田は気が付いた。「これは演出だ」と――。

 作業が簡単に終ってしまうと有難味がない。だから、作業を長引かせて、難航を装う。そうしておいて、難しかったと、恩着せがましく口上を述べる手口だ。


 龍禅は金の話はしないので除霊の料金体系は知らない。除霊は一件いくらではなく、時間当たりいくらなのかもしれない。もし、時間当たりいくらなら、見積もりを出させていても、引き延ばせば、稼げる。


 さらに悪い事態に気が付いた。葬式で僧侶を呼ぶと、人数分のお布施がいる。

 除霊も似たように、霊能者一人に付きいくらかもしれない。今回の場合は、白虎組が四人、青龍組が二人なので、一時間も延びると六人分の追加料金が発生するのではないだろうか。

 だったら、ケリーも連れて来たほうがいい気がするが、業界の談合で取り分が決まっているなら、説明がつく。


 今回のようなケースは元請けの白虎の取り分が二、便乗の龍禅が一だ。龍禅と白虎の先生は分け前で揉めたりしないようにするために、人数を六人に調整したと見ていい。


 ケリーが来て七人だと、龍禅が取り分を四対三にしろと揉めかねない。

 悪霊とは白虎と龍禅のような人間を指す言葉とすら思い、怒りを感じた。


 白虎と龍禅に腹が立つ。だが、除霊をぶち壊すわけにはいかない。

 依頼人は霊が悪さをしていると思い込んでいる。下手に除霊をぶち壊せば、もう一回やって二倍も請求するかもしれない。


 どうにか、郷田が除霊した形にできればいいが、もう白虎が着手している。残念だが、黙って見ているしかなかった。


        4


 白虎を睨みつけていると、龍禅が口を開いた。

「鴨川君にも、わかる? この、明確なほど邪悪な気配が」


 龍禅が一枚がっちり噛んでいながら、邪悪とか、よく言えるなと思った。

 龍禅に対して、当て付けるように発言した。

「ここまで、あからさまだと、鈍い俺にだって、わかりますよ。悪霊って言いましたけど、ほんと、人の顔をした猿ですね。ただ、猿ならよかったのに」


 龍禅が驚いたように郷田を見た。


 郷田は龍禅の顔を見たくなかったので、白虎を睨みつけたまま、腕組みして動かなかった。

 五分後に、事態が動いた。壱が鈴を落としたかと思うと、蹲った。


「いけない」と叫んで、龍禅が壱に向かって走り出した。


 壱が地面でのたうつと、立ち上がって、着物の前をはだけて、奇声を上げた。

 二階の窓を見ると、またチラリと人影が見えた。


「やりやがった」


 除霊が難航した行為を見せ付ける、さらなる演出だ。視界を前方に移すと、壱が暴れ回って注連縄を千切った。


 白虎たち三人と龍禅が取り押さえようとするが、うまくいかない。

 壱は体格がよくない。身長にして百六十センチ、体重五十キロもないだろう。それが、大の男が三人懸かりで、抑えられないはずがない。


 演出が見え見えなので、捕り物に参加する気には全然ならなかった。


 壱が龍禅を突き飛ばした。壱はそのまま、郷田に向かってきた。

 郷田は壱の迂闊さを心の中で笑った。


 龍禅を突き飛ばした以上は、裏を知らない郷田には、壱に手を出す立派な大義名分ができた。

 ここで、壱を倒して除霊完了を宣言すれば、二階から見ている依頼人も、納得するだろう。


 壱は体を鍛えているように見えなかった。軽く一発でKOできる。

 壱が突っ込んできた。タイミングを合わせて右ストレートを放った。壱が郷田のストレートを回避した。壱が掌底を放った。掌底がカウンターとして、郷田の顎に入った。


 カウンターが入っても体重差が二十キロも違えば、たいして応えないと思った。

 けれども、壱のカウンターは重たかった。すぐに、郷田は左手で捕まえようとした。


 壱が、人間とは思えない速度で飛びのいた。壱は手足を広げて、獣のように四つん這いになった。ただの四つ這いではなかった。攻撃にも移動にも対応できる姿勢だ。人間技ではない。


 猿が威嚇するような「キー」という奇声を壱が上げた。


 郷田は心の内で理解した。

「これが噂に聞く、中国の象形拳の一つ。猿拳か」


 郷田は悟った。どうやら、前回の活躍で、金蔓を一つ枯らして龍禅を怒らせたらしい。とはいえ、形上は郷田が問題を解決したので、表立って郷田を排除できない。


 そこで、龍禅は一計を案じた。除霊に格好付けて、二度と逆らわないように仲間の手を借りて制裁を加える気だ。目の前の壱は、郷田を潰すために雇われた刺客と見て間違いない。


 白虎と龍禅はグルだ。二人の悪徳霊能者は、あたかも壱が悪霊に憑依されたように芝居を打ち、報酬を吊り上げる。同時に、邪魔者を排除する一石二鳥を狙っている。


 顔を見られないようにと注文を付けたのも、壱がやり過ぎた場合に、身代わりを出頭させるためだろう。


 龍禅が大声で叫んだ。

「鴨川、逃げなさい。お前の手に負える相手ではないわ」


 久々に闘争心に火が着いた。降伏勧告だと、小癪なセリフを吐く。

 龍禅のいわんとする内容は、わかる。

「逃げ帰って、もう二度と姿を見せないなら、見逃してやる。だが、これ以上しつこく邪魔するなら、タダでは済まさない」


 中国拳法と戦った経験はなかった。けれども、壱の動きを見ればわかる。壱は、猿そのものになりきれるほどの熟練者だ。


 だが、戦わずして逃げる態度を、郷田はよしとしなかった。


 壱を睨みながら、上着を乱暴に脱ぎ捨てて、Tシャツ一枚になった。

「先生、舐めてもらっては困ります。いいでしょう。俺の本気を見せてあげましょう」


 柔術独特の調息法を取った。丹田から出る気と、肺で取り込む気を合わせた。気と酸素を全身の筋肉に流すイメージをする。最後に筋、血、骨を奮い立たせるように大声を上げた。


 大声に壱が怯んだ。郷田の筋肉に力を入れると、Tシャツが弾け飛んだ。

 調息法をして実際に筋力測定をした経験は、ある。調息法で上がる能力は数値的には誤差の範囲だった。


 とはいえ、調息法からの雄叫びを上げてから戦うと、対戦相手は大抵「強くなった」と評価していた。なので、ここ一番という時には使った。


 壱に向かって、軸をぶらさないように悠然と歩いて行った。

 壱が低い姿勢のままで素早く近寄ってきた。間合いに入って、壱が掌底を繰り出した。


 郷田も殴り返した。壱が流れるような動きで郷田の攻撃を捌いた。次いで掌底を入れてきた。

 一方的に、郷田は壱の攻撃を浴び続けた。一分ほどの攻防戦の後、壱が飛び退いた。

 壱の顔に余裕が浮かんでいた。


 壱を見下ろして、両手を挙げてアピールして、郷田は凄んだ。

「好きなだけ打って、避けろよ、お猿さん。俺のスタイルは、プロレスだ。プロレスは、逃げない、避けない、倒れない、だ」


        5


 壱の顔から余裕が消えて、怒りの顔が浮かんだ。


 避けないは、半分は嘘だ。戦った経験のない、完成された猿拳の速さには、従いていけなかった。

 壱の攻撃は体重に似合わず、重い。だが、最初から受ける気なら、耐えられない攻撃ではなかった。もっとも、このまま攻撃を受け続ければ、いずれは倒れる。


 郷田は左腕を後ろに回して挑発してみせた。

「お猿さん、力比べは嫌いかい?」


 相手は力比べに乗ってこないと思った。だが、プレッシャーには一応なる。ゆっくり右手を挙げて歩いて行く。


 右手を壱の頭の上に置くように体勢を採った。


 壱が両手で郷田の右手を掴んだ。


 予想に反して、力比べに乗ってきた。もっと賢い奴だと思ったが、動物並みに単純だった。

 郷田は右手一本で押さえつけようとした。


 壱が両手で押し返す。体格に似合わず、力があった。拳が重い原因も頷ける。


 正直、片手では辛い。だが、片手宣言をした以上、意地の張り合いで負けるわけにはいかなかった。負けては断固いけない気がした。


 壱の仮面に隠れた目が「どうした小僧?」といっている気がしたので、「やるじゃないか、お猿さん」と言い返した。


 歯を喰い縛って、顔を近づけるように力を込めていった。

 郷田の手が徐々に壱の頭に近づいていった。壱の頭に指が触れたところで宣言した。

「捕まえたぜ、お猿さん」


 相手の手をしっかりと掴む。壱の体ごと、一気に上に振り上げた。

 相手の体が持ち上がったところで、両手で壱の両手を掴んで、円を描くように回転を付けて振り回し、上空に投げた。


 壱の落下に合わせて、走り込んだ。ボディ・プレスで追撃を試みた。寝技に持ち込めれば、猿拳に勝てる気がした。


 ところが、獣のような身のこなしで、壱が落下から受け身をとった。そのまま、反動に合わせて壱が転がった。壱は見事に郷田のボディ・プレスを回避した。


 壱は体が小さい利点を確実に活かしている。落下に対しても、天性の受け身をとった。


 これは困った。郷田の決め手が欠く。長期戦なればスタミナで勝つかもしれないが、苦しい戦いになる。


 郷田は土を掴んで立ち上がった。

 龍禅の大きな声がした。

「相手の仮面を外すのよ。そうすれば、憑依は解けるわ」


 龍禅が壱の仮面を外せと命令してきた動機は不明。けれども、壱の仮面を外せば勝ちらしい。なら、やってみるか。

 囮のタックルを試みた。壱が躱した。

 ここまでは予想通り。郷田は壱が躱すタイミングで、両手に掴んだ土を左右に撒いた。左に避けた壱の顔に、土が飛んだ。


 壱の視界がそれたタイミングで、思いっきり壱の足を踏んだ。

 足を踏まれて、目が見えず、壱が狼狽するのがわかった。


 郷田は悠然と宣言した。

「お猿さん、覚えておきな。プロレスじゃあ五カウント以内なら、反則はありなんだぜ」


 壱の顔が郷田を向いてときに思いっきり拳で殴った。壱の体が外に引っ張られた時に、踏んでいた足はどけた。壱の仮面が割れて、壱が転がった。

 

 郷田は右手を挙げて、声高らかに宣言した。

「これにて、除霊完了」


        6


 壱の仲間と白虎の先生が壱の周りに飛んできた。

 弐がすぐに抗議の声を上げた。


「お前、これ。除霊じゃないだろう。暴行だろう」


 つまらないクレームを付けて来るやつだ。

 弐と参を見るが、襲ってくる気配はなかった。


 どうやら「ふふふ、壱は、我ら三人の中では一番の小物」的な展開は、ないらしい。

 おそらく、壱が負けると思わなかったので、替えの選手を用意しておかなかったのだろう。


 郷田は腕組みして力強く宣言した。

「失礼な。これぞ、新式鴨川新影流陰陽道・兜割り陰の型」


 相手が絶句したので、良い気分で講釈を垂れた。

「兜割りとは、面や兜に憑依した悪霊を、憑依した物体ごと破壊して除霊する術。兜割り陽の型なれば、人畜無害で憑依した物体だけを破壊する行為が可能。ですが、某はまだ修行の身ゆえ、陰の型しか使えなんだ。ああ、残念」


 納得せずに弐が異を唱えた。

「そんな陰陽道の術を聞いた覚えがないわ」


 郷田は相手を見下すように言い放った。

「貴方の知る陰陽道とは、いわゆる知恵を主体とした古い陰陽道。力を主体とした新式については、無知と見える」


 弐がまだ何か言おうとしたが、白虎の先生が先に口を開いた。

「面からだけでなく、この地より狒々の気配が完全に去った」


 弐が驚いた様子で振り返ってから辺りを見回すと、黙った。

 どうやら、白虎の先生は、もう悪あがきは無駄だと悟ったらしい。かなり、物分かりがいい。


 龍禅が綺麗な動作で立ち上がって告げた。

「それでは、白虎の先生。除霊が済みましたので、これにて失礼します」


 龍禅が現場を立ち去るので、一緒に後にした。

 依頼人の家の中に入って、活躍を主張して報酬を受け取る真似を龍禅はしなかった。真っ直ぐ、帰りの車に乗った。龍禅の態度に一切の未練が見えなかった。


 郷田は不審に思ったが、理解した。龍禅は、やはり切れ者だ。龍禅は今回の件は両建て構えにしていた。

 郷田と壱が戦うに当たって、裏で白虎の先生と賭けをしていた。


 郷田が勝てば、配当を白虎の先生から貰う。負けたら、郷田を追い出して厄介払いをしつつ白虎の先生に花を持たせる。勝負がどっちに転んでも、龍禅は全く損をしない絡繰りだ。


 おそらく、途中で追加ルールを出した理由も、勝てないと予想していた郷田が勝てそうになったので、配当狙いに変えて、より美味しい展開を誘導したのだろう。


 勝負が始まってからのルール変更は、汚い。とはいえ、内情を知らない白虎の先生は、用心棒の壱が倒された。


 壱が倒されれば、白虎の先生の身を守る人間はいない。異議を唱えても、龍禅が命令すれば郷田に暴力を振るわれると、恐怖したのだろう。


 龍禅のやり方は、汚いと思う。とはいえ、霊能者同士では、普通の駆け引きなのかもしれない。


 郷田は龍禅に尋ねた。

「もしかして、龍禅先生、俺に賭けていました?」


 龍禅は涼しい顔で発言した。

「なぜかしらね。途中から、郷田君なら、行けそうな気がしてきたわ。完全に、勘だけどね。懸けてみようと思ったわ」


 やっぱりだ。性格が悪いとは思ったが、当りだった。でも、少しすると性格は悪くてもいい気がした。


 恋人の性格が悪いのは嫌だが、龍禅は恋人ではない。恋人にするなら、ケリーだ。

 龍禅はビジネス・パートナー。ビジネス・パートナーなら、利に聡くて有能な人間がいい。


 流れによっては、鴨川との間に入ってもらわねばならない。龍禅くらいでないと鴨川と渡り合えないだろう。龍禅とは利用して、時には利用される関係だ。


 プロ同士が騙し合うのなら黙認するが。素人を騙そうとしたら、止めればいい。

 止めようとした時に、ただの慾ボケなら、郷田の発言に耳を貸さない。けれども、頭のいい人間なら、郷田に利用価値がある間は、郷田の発言を無視はできない。対等な関係が、ここにある。


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