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第三章 陰陽師になりたくて

第三章 陰陽師になりたくて


        1


 龍禅に通された部屋は、日本に家屋には似合わない、ソファーとテーブルがある普通の応接室だった。

 龍禅と郷田の前に、紅茶の入ったカップとスプーンが置かれた。

 ケリーは紅茶を置くと、入口に立ったまま、出ていく気配がなかった。明らかにこれから何が起こるか興味津々の様子だ。


 龍禅も「下がれ」と命じないので、龍禅とケリーは気心が知れた仲なのかもしれない。

 龍禅が紅茶に口を付けずに、黙って郷田を見つめていた。逆睨めっこ第二戦かと思った。今度は相手の手に乗らず、黙って紅茶を飲んで、龍禅の出方を待った。


 龍禅が冷めた顔で、どこかうんざりしたような口調で口を開いた。

「郷田さん、でしたか。貴方は私をインチキ霊能者だと思っていますね」


 郷田は顔には出さなかったが、心の中で笑った。人の心を読んだように見せかける。ありふれた手だ。郷田は悠然と構えて口にした。

「正直にいいますと。そうです。信用していませんね」


 龍禅がスプーン柄の端を持って水平にした。三秒も経たずに、スプーンの匙の部分がポトリと地面に落ちた。


 龍禅が冷めた顔で、つまらなさそうに発言した。

「こういうのがお望みですか?」


 なるほど、疑う相手に手品を見せて、まず信じさせようとの魂胆か。

 

 龍禅が表情を変えずに静かに発言した。

「手品ではありませんよ」


 手品ではないと発言するからには、絶対に見破られない自信があるんだろう。相手の得意の土俵で戦うのは不利だ。


 郷田は真面目な表情を作って、クールに言い返した。

「では、俺も見せましょう」


 龍禅が、どこか余裕のある表情で「へー」と発言した。


 郷田は財布を開けて、五百円玉を探した。だが、JRの切符を買った時に使ったので、なかった。代わりに千円札を取り出した。

「では、これを五百円玉、二枚に両替してください」


 余裕の篭った龍禅の顔が「エッ」と歪んだ。


「さあ、両替を」と迫ると、龍禅が青い友禅の財布を開けて小銭を探した。


「百円玉なら、あるけど、五百円玉は、ないわね」


 ケリーも兎のプリントがついた、白い皮財布から小銭を探す。

「五百円玉はないですね。五ポンド硬貨なら、ありますよ」


 五ポンドがいくらかわからないので尋ねた。

「五ポンドって、日本円でいくらですか?」


 ケリーが記憶を辿りながら答えた。

「確か、両替したときには、一ポンドが百七十三円でしたから、八百六十五円になりますね」

 郷田は財布の中から小銭を出して数えた。


「八百六十五円かー、八百六十五円は小銭がないな。ケリーさん、百三十五円お釣あります?」


 ケリーが財布の中身を確認しながら、残念そうに答えた。

「十円玉と五円玉が足りません」


 三人で小銭探しをしていると、龍禅が素に戻って尋ねてきた。

「郷田さんは、いったいなにがしたいの」


「両替はいいです。なんか、空き缶、一つください」


 龍禅の「いいですって、どういう意味ですか?」の言葉が聞こえたが、スルーした。ケリーが「わかりました」と部屋を出て、すぐに、百九十グラムの紅茶の空き缶を持ってきた。


 郷田は缶を右手と左手で挟むと「エイ」と力を入れて潰した。


 目をパチクリさせる龍禅の前に、潰した空き缶を置いて発言した。

「どうです。貴女はスプーンを曲げたが、俺はスチール缶を潰せますよ」


        2


 龍禅がすぐに突っ込んだ。

「何が凄いんですか。郷田さん現象は、単純な筋力による現象でしょ。霊能力に関係ありませんよね。もしかして、さっき五百円玉を探したのも、五百円玉を握力で潰そうとしたんですか。いっときますけど、人間の力で五百円玉は曲がりませんよね」


「わかりました。じゃあ、俺が曲げられないはずの五百玉を曲げられたら、俺の勝ちでいいんですよね」


 龍禅が理解できないといった顔で抗議してきた。

「筋力と霊能力はまるで違う力なのに、どういう理屈で、筋力で五百円玉を曲げたら、霊能力勝負で勝ちになるんですか。言っている内容がおかしいでしょ」


 郷田は言い負けないように、渋い口調で反論をした。

「俺には貴女の理屈がわかりません。霊能力より筋力のほうが強いなら、霊能力をわざわざ使わずに、筋力を使えばいい。銃より刀が、刀より素手が強いなら、武器に頼る必要はない。違いますか?」


 龍禅が突っかかるように、早口で念を押してきた。

「陰陽道を復興させに来た方ですよね。郷田さんは筋力だけで、陰陽道をやるつもりですか? それは、無理でしょう」


 龍禅は中々弁が立つ女性だが、いい負ける訳には行かない。

 負けじと、信念を篭めて持論を展開した。

「人類の歴史は、闘争の歴史です。闘争は、力を信奉する人間と、技術を信奉する人間の争いです。柔よく剛を制さんとすれば、剛よく柔を絶たんとす。ならば、霊能力による技の陰陽道に対抗する、筋力を主とする力の陰陽道があっても、いいと思いませんか」


 龍禅が半笑いの顔で、全く理解不能だとばかりに否定してきた。

「そんな陰陽道はないですよ。というより、郷田さんの主張するものは、陰陽道ですらないですよ」


 なんて話のわからない人だと思った。けれども、霊能者とは、そういう人種なのかもしれない。なら、とくと諭すまでだ。

「現存しないと、作れないは違います。ないから、作るんです。作ろうと努力もしないで否定するのは、その道のプロとして、間違っていませんか」


 龍禅は困った顔をして、少し首を傾げて、砕けた口調で発言した。

「これ、なんか、思った依頼と違うわー」


 龍禅は断ってくると思ったが、了承した。

「いいでしょう。引き受けたからには、やります。けど、成果が出なくても、知りませんよ」


 ケリーが笑顔を浮かべ近づいてきて、郷田の手を取った。ケリーの手は、とても柔らかかった。

「郷田さんも陰陽道、やりに来たんですね。私もイギリスから陰陽道を習いに来ました。仲間ができて、嬉しいです」


「英国にも陰陽道があるんですか?」


 ケリーが嬉しそうな顔で語った。

「はい、あります。英語ではヨウツイといいます。日本から渡ってきた陰陽師がイギリスにいたウィッチの技術体系を取り込んで、一緒に作ったそうです」


 鴨川は隠していた。蘭学式の陰陽道はないけど、英国式の陰陽道なら存在した。鴨川も人が悪い。

 なんか、英国式陰陽道って聞くと、やってみたい気もする。


 郷田が興味を持ったが、ケリーは顔を曇らせた。

「でも、残念ながら、イギリスでは産業革命のさなかに、ヨウツイの技術は大半が失われました。ヨウツイの元となった片方であるウィッチであるレベッカの技は幾分か残っています。ですが、もう片方の陰陽師カモガワの技術が、ほとんどなくなりました。なので、私は陰陽道を学んで、ヨウツイを復元させたいのです」


 なんとなく、事情がわかった。

 おそらく、鴨川家では過去に出奔して異国に渡った人間がいたのだろう。ただ、現代と違って、昔は勝手に外国に行く行為は犯罪だった。


 犯罪者を出した鴨川家では、出奔した人間の存在を消した。英国式陰陽道は鴨川家にとっても闇に葬りたい歴史。だからこそ、鴨川は洋式陰陽道を嫌って「ない」と言い張ったのだろう。


 ひょっとしたら、郷田が作り出す新式鴨川新影流陰陽道とケリーが蘇らせる古流英国式鴨川新影流陰陽道ことヨウツイは、辿った歴史から見て、敵同士になるかもしれない。


 ケリーの顔を見た。ケリーは純粋に仲間が見つかって喜んでいる。よく見ると、ケリーは小顔で、目がパッチリしていて可愛い。少しウエーブが掛かった金色の髪もいい。ケリー自体も悪い人間ではない気がしてきた。


 敵には断固なりたくない。むしろ、ケリーは可愛い子なので、お近づきなりたい。もっと正直にいえば、ケリーといちゃつきながら和気藹々と陰陽道をできたらいいと思う。


 可愛い子と友達になれて、その上、金まで貰えたら、陰陽師ってなんて素敵なんて職業だと思う。


 色々と空想していると、龍禅がどこか怪しむような表情で声を掛けてきた。

「郷田さんはケリーの話を信じるつもりですか。英国式陰陽道なんて本当にはあると思うの?」


 ケリーを否定されたようで気に障ったので、言い返した。

「ないとは言えませんよ。歴史なんて、どこでどうなっているか、わかりませんからね。情熱を持ってやりたい人間がいるなら、とことんやったらいいでしょ。そういうわけで、俺、龍禅先生とケリーさんと協力して、陰陽道をやります」


 郷田の変わり身に龍禅が頬を引き攣らせて、あてつけがましく発言した。

「郷田さん、さっき私のことを信用していないって、言いましたよね。なのに、私に協力を求めるって、おかしいでしょ」


 手の平を龍禅に向けて、キリッとした表情で宣言した。

「俺の中で、心の憲法解釈を変えました。龍禅先生がインチキ霊能者でもいいです」


 龍禅が絶句したが、構わず言葉を続けた。

「先生がインチキでも、ケリーさんとなら陰陽道を一緒にやりたいんです。先生は邪魔しないように陰陽道を教えてください。あと、先生が悪徳霊感商法臭い商売をしようとしたら邪魔しますが、よろしくお願いします」


 龍禅が口を開けたあと、歯噛みするように口を閉じた。

 次に頬を引き攣らせて、刺々しい口調で嫌味を口にした。

「悪い意味で正直な人間とは、確かに聞いていましたけど、こういう意味だったのね。もう、ほんと、世話になっている人の紹介じゃなければ、こんな失礼な人間、追い返すところよ」


「では、次からは口に気を付けますね」


        3


 早朝、夜が明けないうちに、日課のトレーニングをする。シャワーを浴びて、汗を流して、食事をとってから龍禅の家に行った。


 龍禅の家に着くと、修業の一環として家事をする。

 修行と称して家事をやらせる命令は、いかにもインチキ霊能者らしい。けれども、修行名目なら、社長から給与をせびれる。


 どうせ、豚カツ屋に就職しても、店の掃除、洗い物、片付け、賄い作りはやらされる。

 大きな違いは、豚カツ屋にはケリーがいないが、龍禅の家にケリーがいる。


 ケリーは家事ができる男に好意を持っているようだった。なので、好感度を稼ぐために龍禅の家では、自宅にいるときより真面目に家事をした。

 午後から、陰陽師の稽古となる。されど、稽古といっても、呼吸法を伴った座禅なので、中身はない。


「精神修養の基礎」と龍禅が謳っているが、どうも嘘臭い。嘘臭いが、手を抜くにはちょうど良いので、あえて不満は口にしなかった。


 精神修養の後は、独学となる。ここで、鴨川に貰った、役に立たない日本語の本が大活躍をした。

 ケリーも俺もわからないので、一冊の本を眺めて、ああでもない、こうでもないと語り合う。


 勉強の本なら読む気もしないが、ケリーと話す共通の話題のためなら、苦はない。むしろ、わからないほうが好都合だった。


 わからないから、話が弾む。少し、わかると「さすが郷田さん」と褒められる。また、一冊の本を一緒に見るので、自然と距離も縮まる。


 本が難解な内容だった事態に感謝するなんて、もう一生ないだろう。


 楽しい時間が過ぎて、龍禅がイラつく頃に、家に帰る。帰りは、体を鍛えるために走って帰った。

 この、今日一日を振り返りながら走るランニングが、また楽しい。


 楽しい日々はずっと続けばいいと思った。そう思いつつ「うふふ」「きゃはは」と楽しい独学の時間中に、顔に怒りを貯めた龍禅が、大きな音を立てて襖を開けた。

「ちょっと、良い加減にしてくれないかしら」


 ケリーとの話声が大きかったと思い、詫びた。

「すいません。独り者で、寂しい先生には、今を楽しむ若者の会話は、辛かったでしょうか?」


 龍禅が据わった目をして口を開いた。

「いっておくけど、私は郷田君より五つ年上なだけで、そんなに年は離れていません。ケリーは、ちょっと席を外してちょうだい」


 ケリーがそそくさと部屋を後にすると、龍禅が小言を続けた。

「郷田君の様子を毎日、見ていたけど、修行は全く進んでいないでしょう」


「そんなことありませんよ。三歩進んで、二歩下がる。着実に進んでいますよ」


 龍禅が険しい顔で、当て付けるように言い放った。

「端から見ていると、亀のような速度で進んでいるようにしか見えないわよ」


「いいんですよ、亀で。先生はアキレスと亀の話を知らないんですか」


 龍禅が「間違っている」と言いたげな表情で、疑問を投げかけるように聞いてきた。

「知っているけど、『兎と亀』の亀の話ではなく『アキレスと亀』の亀で、いいの?」


 郷田は得意気に教えた。

「いいですか、先生。亀がいた地点までアキレスが進みます。すると、先に歩き出している亀は、元いた地点より先に進んでいます。アキレスが次に亀にいた場所まで行くと、また亀が少し進んでいる。でも、二人の間の距離は最初の時より確実に縮まっている。二回目より、三回目と、差は段々と小さくなる。何度も繰り返せば、差は、いずれゼロになる。つまり、亀はアキレスと並ぶんです」


 龍禅が「やっぱり違う」と言いたげな顔で、指摘してきた。

「『アキレスと亀』は、そんな話ではないわよ。アキレスは亀に追いつけないパラドックスよ」


 わからない龍禅に、郷田は持論を大きな顔をして説明した。

「馬鹿なセリフを言わないでください。差がゼロに近づくのなら、いずれ並ぶでしょう。つまり、亀の速度でも、アキレスより前からスタートすれば、いずれはアキレスのいた場所に並ぶ。つまり、亀の速度でも、亀より速いアキレスに到達するんです。違いますか」


 龍禅が難しい顔をしていた。郷田にもわかるように『アキレスと亀』のパラドックスについて説明を頭の中で何パターンかシミュレートしているようだった。


 結果、龍禅は頭を小さく振って、説明するのを止めた。

「郷田君にわかるように説明する行為は、おそらく、私には無理ね。わかったわ。亀のような速度は忘れてちょうだい。とにかく、全然、進んでいないわよね」


「それは、教え方が悪いからですよ。俺は、やる気ありますよ。もう、ずーっと陰陽道の勉強をしていたいぐらいですよ」


 龍禅が眉を吊り上げて、非難がましい口調で即座に切り捨てた。

「それは、ケリーが一緒だからよね」


 郷田は毅然とした態度で反論した。

「食事と一緒ですよ。美味しい食事とは、何を食べたか、が問題ではないんですよ。誰と一緒に食べたか、が大事なんです。勉強もまた、然りです。何を学んだかじゃない、誰と学んだか、ですよ」


 龍禅が怒った顔で、郷田の反論を無視するように非難してきた。

「郷田君は本当に陰陽師やる気あるの?」


 郷田はわからずやの龍禅に食って掛かった。

「なきゃ、ここに来ませんよ。龍禅先生はさっきから、何がいいたいんですか。俺には、サッパリわかりませんよ」


 龍禅が怒った顔で、詰問口調で怒鳴りつけた。

「君は本気で陰陽師になりたいのか、って聞いているのよ!」


 郷田は正直に気持ちを打ち明けた。

「そんなの、わかりきっているじゃないですか。陰陽師なんて、どうでもいいですよ」


        4


 龍禅が郷田の言葉に絶句した。


 表情を引き締め、ここぞとばかりに持論を展開した。

「名ばかりの陰陽師に、なんの価値があるんですか。陰陽師は誰かに認められて陰陽師になるんじゃない。陰陽道を追い求めるうちに陰陽師になるんです」


 龍禅が怒りを通り越して、半分は笑いに入った顔で、やれやれと言った口調で確認してきた。

「郷田君のセリフじゃなければ、凄くいいセリフに聞こえるわね。では、今の言葉を鴨川さんに伝えてもいいかしら」


「それは、やめてください。陰陽師になる名目で、給与を貰っているんですよ。本音は本音。建前は建前ですよ。先生も社会人でしょう」


 龍禅が完全に笑った。笑ってから、真顔になって発言した。

「ほんと、君って、悪い意味で正直な人間ね。でも、来ているのよ。鴨川さんから、郷田君がちゃんと修行を積んでいるか、って」


 龍禅が何をいいたいか理解した。ケリーを追い払ったのも、納得だ。


 郷田は不貞腐れた態度で聞いた。

「わかりました。いくらですか? いくらバック・マージンが欲しいんですか。二割ですか、三割ですか。俺も生活あるんで、あまり高額だと、怒りますよ」


 龍禅が心外だというような表情で言葉を発した。

「人聞きの悪い言葉を言わないでちょうだい。郷田君の修行は、お金が目当てで引き受けたわけではないのよ」


「なら、問題ないでしょう。真面目に修行していますと、報告してくださいよ」


 龍禅が忌々しいと言わんばかり顔で、苦々しく口にした。

「確かに、ある意味、真面目に修行しているわよ。でも、そうは報告したくないわ」


 実に面倒臭い先生だと思った。

 とはいえ、評価者とは、こういう存在なのかもしれない。いつの時代も、正しい人間が正当に評価されるとは限らない。


 このままだと、不当な評価を下されると思ったので、譲歩した。

「わかりました。では、除霊とかの実習をやって評価してくださいよ。純粋な結果報告なら、問題ないでしょう」


 除霊と聞くと龍禅が今まで見せて覚えのない厳しい表情をした。

 龍禅が静かに袖を捲った。龍禅の二の腕には、人の手の形をした火傷の痕があった。


 鈍く光る日本刀のような暗い目をして、険しい口調で龍禅が言い放った。

「霊を甘く見ていると、痛い目を見るわよ」


 郷田は、張り合うように上着を脱いだ。次いでTシャツを脱ぎ捨て、上半身、裸になった。郷田の上半身には、大きな傷があった。


 龍禅をしっかりと見据えて説明した。

「右肩から腹に掛けての傷は、北海道で熊とやり合った時の傷」


 背中を見せ、背筋に力を入れてポーズをとって、背中の大きな傷を見せた。

「背中の傷は、道を間違えて富士山に入って、滑落したときの傷」


 最後にズボンを脱いで、脛にある傷を見せた。

「そして、これが小さい時に河で流されて、流木にぶつけた傷です」


 郷田はパンツ一丁で、腕組みして自信満々に発言した。

 龍禅が「なんといっていいかわからない」といった表情で聞いてきた。


「郷田君は、私のいいたいことをわかっているの?」


「わかっていますよ。ケガ自慢でしょう。病院で入院したら、やる」


「ポカーン」という言葉が似合いそうな顔を、龍禅がした。


 龍禅に勝ったと思ったので、屁理屈を捏ねられないように釘を刺した。

「いっておきますけど、霊能力で付いた傷のほうが上とか、後出しで話を大きくする行為は、反則ですよ。傷は、傷ですからね。見た目で、どっちが痛そうとか、どっちが大きいとか、そういう問題ですよ」


 龍禅が素に戻り、右手で頭を撫でながら、砕けた口調で説明してきた。

「私の傷、痛たそうでしょう、とか、俺の傷はもっと凄いよ、的な話をしているんじゃなくてね。なんていったらいいかなー。霊は怖いよ、舐めちゃいけないよ、的な話をしたいんだな、私は」


 龍禅の言葉を撥ねつけるように目に力を入れ、強い口調で意見した。

「お言葉ですが、龍禅先生。龍禅先生は怪我をした過去に後悔しているんですか?」


 龍禅は急に聞かれて、幾分か戸惑ったように「な、ないわよ」と答えた。


 胸を張って答えた。

「俺も同じです。いつも、やると決めたら、全力です。たとえ人から馬鹿な行為だと笑われても、大怪我の危険があっても、やると決めたら、傷付く結果を怖れたりしません。富士登山でも、熊との決闘でも、もちろん、除霊だって同じですよ」


 龍禅が複雑な表情をして、何とも困った口調で「これ、なんか、調子が狂うわー」と口にした。次いで、龍禅が目を閉じたまま、肩の凝りでもほぐすように、首をゆっくり回した。


 龍禅は目を開けると、いつもの顔で普通に発言した。

「馬鹿にしているけど、本気な気持ちは、理解したわ。浮ついているけど、覚悟があるのも、わかったわ」


 すかさず「言っている言葉がおかしいですよ」と突っ込むと、龍禅が怒った顔で「あんたにだけは、言われたくないわよ」とキレた。


 なぜ、キレのか、理由は不明だが、女性は急に怒り出す行動をするのが普通なので、深くは追及しなかった。


 龍禅が背を向けて、力の抜けた口調で教えてきた。

「ちょうど、一件、依頼が来ているのよ。実際に現場を踏むといいわ。ただし、行くなら、安全は保証しないからね」


「押忍と」と強く返事をした。


 きっと、ケリーも行く。危険な場所なら、向かう以外の選択師はない。龍禅先生は塵芥と消えてもいい。だが、ケリーだけは守らねばならない。


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