第四話
帰り道を、志乃ちゃんと辿る。志乃ちゃんは佐藤くんの家に寄ってから帰ることが多いけれど、そうでないときには、私といっしょに帰ってくれる。
夕暮れの道を、山のほうへ向かって歩く。山に沈んでいく夕陽。私たちの暮らす家は、山のふもとにあるのだ。
志乃ちゃんと並ぶと、私は自分がずいぶん大きくなったみたいな気がする。それはそうだ、私と志乃ちゃんは、だいぶ身長差がある。
でも、身長のこともそうなんだけれど。
それだけじゃなくって、なんて言うか。
志乃ちゃんは、私にずいぶん頼っているみたいだから、そう感じる――。
「弥生は、大活躍だね」
「なにが?」
「弥生が舞台に立つと、舞台がぱっと華やぐ気がする」
「言いすぎだよ」
「弥生はむかしから、強い子だったもんね」
そのもの言いになんだか少し卑屈なものを感じ取ってしまって、私は、ちくりとする。志乃ちゃんは、そんな態度を取るべきひとではないというのに。
学校での志乃ちゃんは、毅然とした生徒会長で。そのうえ最高にかわいらしくって、みんなのあこがれの的で。でも、そんな志乃ちゃんには、こんなにも甘えたがりな一面が、ある。
なるべく平坦な声を出すようにこころがけながら、私は言う。
「私、べつに、ふつうだよ」
「私はふつうじゃないよ?」
志乃ちゃんは、いたずらっぽく言う。
「べつに志乃ちゃん、弱くないし」
「そう?」
うん、と私は簡潔にうなずく。
しばらくふたり、無言で家路を辿る。学校を出たときよりも、夕陽は山に近づいている。
「志乃ちゃんも、劇に出てみればいいんだよ」
「私は、あんまり演技うまくないから」
「最初から決め付けないで、やってみればいいんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
私たちは、なんとなく黙り込んでしまう。
志乃ちゃんは、重たそうに口を開いた。
「私には、難しいな」
「なにが?」
「弥生みたいに、在り続けるのが」
空を見上げる。
紅と群青が、半分こしている空。
私は息を吐き出すようにして、言う。
「……べつに私も、そんなにたいしたもんじゃないんだけどなあ」
「やっぱり私、ちょっと弱ってるね」
志乃ちゃんはどこか切なそうに、微笑んでいた。
両手を後ろ手にして、石ころを蹴りながら、志乃ちゃんは語り出す。
いままでのつかえを取っていくかのように。
志乃ちゃんは、ふだん、ちょっと弱々しい態度をとったとしても、でも弱音を吐くひとではないというのに――。
「淋しいの。馬鹿みたいだよね。お父さんから離れられて、やったあなんて思ってたのに……離れでひとりで取る食事はやっぱり淋しいし、それに寝るとき、恐くって、仕方ないの。なにが恐いのかは、よくわからない。でも恐くって……佐藤先輩に、ひたすら電話しちゃうの」
私は黙って、志乃ちゃんの告白を聴いている。
「でも、電話では根本的な解決にはならないんだよね。わかってるの、わかってるはずなの。佐藤先輩は来年には卒業する、私も再来年には卒業する。そうすれば、少しは希望が見えてくる。わかってるの。それに、いまは、私が暮らす場所はここしかないっていうのもわかってる。私はあの家で、お母さんの帰りを待たなくっちゃいけない。でも」
泣き笑いみたいな顔で、志乃ちゃんは言う。
「ちょっとだけ、つらいな。弥生は、つらくない?」
私は、答えなかった。
つらいなんて、ここで言ったら。
ふたりでわんわん泣くことに、なってしまうから――。
「……ねえ、弥生」
「なに?」
「私は」
志乃ちゃんは蹴っていた石ころを、ぽおん、と蹴り上げた。きらり、と一瞬、石ころはきらめく。
「私は、あの父親から、逃げることしかできないのかな」
「――そんなことないっ」
思っていた以上に強い声で、私は言った。志乃ちゃんは、驚いたように私の顔を見る。
志乃ちゃんが――大事な姉が、弱音を吐くところなんて見たくなかった。
そして、そこまで志乃ちゃんを追い詰めたあの男が。
ゆるせなかった。
ありえないことだけれど、たとえ泣いてゆるしを請われたとしても。私は、あの男をゆるせないだろう――。
私は勢い込んで、続ける。
「だいじょうぶだよ。戦うことも、できるはずだよ。ねえ志乃ちゃん、諦めちゃ駄目。きっと、呪いなんて解けるから」
そうだ、呪いなんだ。
私と志乃ちゃんがあの男から授かったものがあるとしたら、呪い――。
私たちは、たましいからして仲間なんだ。
だって、おなじ呪いを受けているのだから。
ゆっくりと、噛みしめるようにして、私は言う。
「ううん、違うね。私が解いて、みせるんだ」
日が沈んでゆく山と、対峙しながら。
私は、ふたたび決心していた。
あの男と、戦おう――。
いままでだって、何回も戦ってきた。でもそのたびに負けて、私は痛みと屈辱を幾度となく味わってきた。だから最近は、少しだけ戦意を喪失していた。
でも、それでは、なにも変わらない。
立ち上がらなければ、なにも変わらない。
あの男に踏みにじられっぱなしだなんて、そんなの、冗談じゃない――。
私は、私らしく。
いつものように、戦ってやるんだ。
私は立ち止まった。志乃ちゃんも、合わせて立ち止まる。私は志乃ちゃんの手を取って、うん、とたしかにひとつうなずいた。
「私もいるから、いっしょに戦おう、志乃ちゃん」
「……やっぱり弥生は、強いね」
志乃ちゃんはそう言うと、直後、私に勢いよく抱きついてきた。
「弥生、大好き!」
くすぐったい、なんて言って笑いながらも、私の気持ちは真剣だった。
このかわいらしい姉を、守るために。
そして、自分も、守るために――。
戦うんだ。