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第十八話

 部活動の時間。志乃ちゃんは生徒会の用事でいなくって、武はジュースを買いに出ている。景子も陸もむっちゃんも私の役と違って出番が多いから、いまも舞台の上にいる。講堂の椅子からひとりでぽつんと稽古を眺めながら、思う。

 部活というのはけっきょくのところ、私にとって戯れだ。

 もちろん、部活にさまざまなものを賭けている子もいるだろう。才能とか努力とかプライドとか、そういったものを全力でぶつけている子も、いるだろう。その証拠に、ほら、舞台の上では演出がどうのこうのって言い争っているみたいだ。

 でも、私は違う。

 なぜならば、私が真剣に生きるべき人生は、ここではなく、家庭にあるのだから。

「お隣、よろしいですか?」

 声をかけられて、顔を上げた。そこには佐藤くんの、温厚な微笑みがあった。

 この表情ひとつ見たって、佐藤くんは、ほんとうにおとなだ。感情をあらわにすることなんて、きっとないんじゃないかと思ってしまうくらいに。

 武は、あんなにも。

 感情を、あらわにしていたけれど……。

「弥生さん?」

「あ、うん。いいよ」

「ありがとうございます」

 佐藤くんは、私の隣の席に腰かける。距離が近いけれども、べつにどきどきはしなくって、どちらかというとこれは安心感だ、と思った。

「佐藤くん、劇は見てなくっていいの?」

「いまは議論中みたいですから」

 佐藤くんは、苦笑している。

 私は相変わらず賑やかな舞台上をぼんやりと眺めながら、ためしに、言ってみた。

「みんな、若いよね」

「弥生さんも若いじゃないですか」

「私も若いけどさ。みんなは、気持ちが?」

「気持ちのうえだという意味においても、弥生さんだって若いですよ」

「……そう?」

「ええ。俺からすれば、みなさん若くって輝いていて、うらやましいくらいです」

「佐藤くんも、うらやましいとか思うんだね」

「そのくらい、思いますよ。人間ですしね」

「そっか」

 佐藤くんがおなじ人間だということを、正直なところ私は、ときどき忘れかけてしまう――。

 佐藤くんは、ほんとうによくできたひとだと思うから。

「弥生さん。部活は、楽しいですか?」

「楽しいよ。みんな面白いし」

「そうですか。それはよかったです。今回俺がはじめて脚本を担当させていただいて、初心者なうえに元部長、みなさんちょっと思うところがあるんじゃないかと少々心配だったんですよ」

「そんなことないんじゃない? みんな佐藤くんのこと好きだよ」

「ありがとうございます。……弥生さん」

「なに?」

「最近、中野くんはいかがですか?」

「いかが、って?」

「メールを送っても、返信もなく。意を決して電話もかけてみたのですが、留守電になってしまいました。会えば話はするのですが、当たり障りもなくってですねえ……もしかしたらこれは弥生さんとなにかあったのかと、俺は心配になりましてね」

「んー」

 いっそ、言ってしまいたい、と思った。

 この、包容力のあるおとなな佐藤くんに。

 そうしたら、どれだけ楽になることだろう。

 どれだけ、この頭のりぼんが軽くなることだろう……。

「佐藤くん、こっちからも訊いていい?」

「はい、どうぞ」

「佐藤くんは、どうしてそんなにおとななの?」

「おとなに、見えますか?」

「うん」

「そうですか」

 佐藤くんは、どこか遠い目をして舞台を見つめている。

「あのね、私言われたんだ」

「なにをですか?」

「おとなは子どもを幸福にする義務なんかなくって、幸せになりたいんなら、子どもは勝手に幸せになってればいいんだって」

「それは、どなたに言われたんですか?」

「親。父親のほう」

「そうですか」

 舞台上では、なぜか鬼ごっこがはじまっている。きゃあきゃあ。きゃあきゃあ。

「そうですねえ。参考になるかどうかはわかりませんが……俺には親はいませんが、姉がいました」

 いま、佐藤くん。

 さらりと、すごい告白したよね――?

 なんと言っていいかわからない私に、佐藤くんは、言う。

「お気づかいはお気持ちだけでけっこうですよ、ありがとうございます。それで、その姉というのが、俺を育ててくれました」

「……うん」

「でも、姉は、言ったんですよね。お前はぜったい幸せにならない、幸せになんかなれないんだって」

「育ててくれたのに?」

「そう……そういう、ひとだったんです。育てる代わりに、俺が所有物だと思ってるような、そんなひとです。だから俺も、そういうものだと思ってました。他者を育てることによりそのひとは不幸になって、だからその不幸を、子どものがわに押し付けるのだと」

「うん」

「俺は、それを受け止めてあげないといけないと思っていた……それが、子どもの役目だと思っていた。でも、違うんです。違うんですよ、弥生さん」

 もう、稽古なんかみんな放ったらかしだ。きゃあきゃあ。きゃあきゃあ。

「あえて、断言します。おとなというのは、子どもを幸せにするべき存在です。子どもは、自力じゃ幸せになれない。そして、ここからが大事なのですが」

「うん」

「これが、世のなかの常識なんです」

「……へえ?」

「ぴんと来ませんよね。俺も、最初はよくわかりませんでした。親というのは姉というのは、つまり育てるがわですね、子どもの幸せなんかこれっぽちも望んでいないと思い込んでいたので。でも、世の親というのは、子どもの幸せを願うもの。そういうもの、らしいんです。だから、そんなことを言ったのだとしたら、弥生さんと志乃さんのお父さまは、おかしい部類に入ると思います」

「そっか。やっぱり、そうなんだ」

「ええ。まずはそこに気がつくことが、第一歩です。……弥生さん。俺も、弥生さんと志乃さんの家の事情は、ある程度存じています。なにかお力になれることがありましたら、なんなりとおっしゃってください」

「……うん。じゃあさ。あのさ」

「はい、なんですか?」

「こっちから、抵抗しちゃいけないのかな。つまり、戦うってことだけど」

 私はそう言って、じっと黙り込む。

 もしも、佐藤くんにりぼんの約束のことを言ったら。

 賢明なこの先輩は、きっと全力で止めるんだろう……。

「しかし、そのようなことを思うのは、どうしてですか?」

 佐藤くんは、あくまで穏やかに私に訊いてくる。

 そのとき――。

「あーっ、佐藤ー!」

 背後から、思いっきり明るい声が、飛んで来た。

 武、だった。

「なんですか中野くん、大きな声出して」

「俺のやよちゃんに、手ぇ出すなよー!」

 私たちは、明るく笑いあった。そして、いつものふざけあいがはじまる――。

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