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第十二話

 扉を開けると、講堂の冷気がひんやりと肌に張り付く。私の好きな、埃っぽいにおい。

 いつのまにか練習がはじまっていたのか、講堂の空気は、休憩時間とは違い張り詰めていた。ばっ、と視線が集まって、私は緊張する。いつも思うのだけれど、こういうときの視線って、なんだか非難めいている気がする。

そんななか、舞台上からのんきな声が飛んで来た。

「おやおやー、おふたりさん、またまた逢い引きですなー?」

 景子だった。遠藤景子という名の彼女は、部活仲間であり仲のいいクラスメイトでもある。いつもテンションが高くってマイペースだけれど、なんだかんだで優しくって、おまけにいつでも頭につけてる花のブローチがとてもよく似合っていて、私の自慢の友達だ。

 景子のひとことで、場は、一瞬にして和んだ。いや、そんな気がしただけかもしれない。私はなんてことないみんなの視線を、非難めいている、と感じてしまっていただけで、景子のひとことに、その気持ちがすくわれただけかもしれない。

 私は照れながらも、舞台に上る。役者の配置からして、いまは私も出る番だ。じっさい、景子は黒猫の格好をしている。景子は、魔女の使い魔である黒猫の役なのだ。

「逢い引きとかじゃないよ。っていうか、遅れてごめん」

「いいってことよ! 陸先輩が代役やってくれてたから!」

「陸くんが?」

「なっ、なんだよ、僕がルチアやるのがそんなに変かよ!」

「ううん。でも……面白い」

「それって似合ってないって言ってるようなもんじゃんか!」

 やたらめったら突っ込んでくるこのひとは、尾崎陸くん。中学三年生の男子にしては少しだけ小柄だけれど、髪をちょっとだけ茶色に染めたりしてお洒落に気をつかっているみたいなので、舐められているということはない。いかにも少年、といった雰囲気のこの先輩のことが、私は、嫌いではない。

 ルチア、というのは私のもらった役で、世のなかを斜に構えて見ている天使だ。

この物語は、孤独で邪悪だった魔女が愉快な天使たちと繰り広げる、だいたいはコメディでちょっとだけシリアスな群像劇。

「陸先輩、女装似合いますもんねー」

 おっとりととんでもないことを言い放つのは、むっちゃん。渡辺睦美、という。私とおなじ中学二年生だけれど、クラスは違う。おっとりとしているくせに問題発言が多いこの子はなかなか面白くって、もっと仲よくなってもいいな、と私はひそかに思っている。

「似合わねえよ! どこ情報それ!」

「私の目が、そう申してます」

「むっちゃんの目、なにさまー!」

 ふと視線を動かしてみれば、稽古そっちのけできゃいきゃいとはしゃぐ彼らを、佐藤くんは温かい目で見守っている。まるで、妹や弟を見守るかのように。

この劇の脚本を、書いたのは――。

「佐藤先輩、いまのイメージ的にどうでした?」

 そう、この物語を書いたのは、佐藤くんだ。佐藤くんはこの脚本を書くまで、演劇部の活動にほとんどかかわっていなかった。そもそも佐藤くんが入部したのは、もともと演劇部の部員だった武に、人数不足だからって両手を合わせて頼み込まれたからであって、演劇がとくべつ好きだったわけではないらしい。まあ、それなのに昨年度、部長という地位まで上り詰めてしまった佐藤くんは、そうとう人望があるんだなあと思うけれど。志乃ちゃんが生徒会長をしていることに対しても、おんなじふうに思う。

 なんだかいつでも張り詰めていて、ほんとうのところは、ひとにこころをゆるしていないようなふたりだけれど。

 そういうのって、ほかの子たちはわからないのだろうか……。

「そうですね、みなさん、素晴らしいと思いますよ。俺の脚本をここまでリアルなものにしてくれるなんて、感謝するほかありません。ありがとうございます。これはですね、あくまでそのうえで、あえて、という提案なのですが」

 佐藤先輩は、にこやかに、けっして他者を不愉快にさせない態度で助言をはじめる。私は思い直す、ああ、これはやっぱりほかの子たちにはわからないだろうな。どうしてこんなにも上手に、他者を信用していないということを覆い隠すことができるのだろう。年上だからだろうか。ううん、でも私、佐藤くんの歳になったとしてもあんなにうまくやる自信、ない。

 佐藤くんは、おとななんだなあ、と思う。

 そこまで考えて、電撃が走るようにあの男の言葉を思い出す。

『親は、って言うかおとなはべつに子どもを幸福にする義務なんかないの。だっておとなも子どもも人間だもん。幸福になりたいなら、お前ら勝手に幸福になってりゃいいの。そうだろ、なあ?』

 不快になって、唇をぎゅっと噛みながら、しかし私は思う。

 佐藤くんは、おとなだから。

 こんな馬鹿みたいな理屈も、もしかして理解してしまうのではないか、なんて。

 私は、小さく首を振る。

 そんなの、武に話したって、佐藤くんに話すべきことではない――。

「弥生、どしたん? めっちゃぼーっとしてるで?」

 ぽんぽんと景子に肩を叩かれて、私の意識は、稽古中のいまこのときに戻って来た。

 演技に、集中しよう。

 そうすればきっと、すぐに夜はやって来るはず――。

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