9.部屋も綺麗になってきた(下)
※6800文字と少し長めです
飯も食い終え、一休みしたい所であるが――。
「うぅむ、"べっど"の下を掃いたせいで、髪も着物も埃だらけ……おぉ、そうだ!」
風呂に入ろうぞ!
弘嗣は――かのような事はまず家の長となるものが先であるし、昨日、弘嗣が先であると決めたばかり……
いや、これは身体の汚れを落とす水浴びの様であるから大丈夫であろう。
そうと決まればいざ鎌倉、ならぬいざ風呂場――そうだな、湯に入っておる間に洗濯もしてしまおう。
「童はDVDでも視てるのじゃ」
"でぃぶいでぃ"って何ぞ――?
それはさて置き、脱いだ着物と粉をここに入れ、ここを押し……で、いいんだな?
一糸纏わぬ姿のまま顛末を見守るわけにもいかぬし、書き記された手はず通りにやっておるから大丈夫なはずであるが。
箱に入れておくだけで洗濯してくれるのはよいのだが、本当に合っておるのかと不安になるな……。
風呂場の中に入ると、すぐ真正面に掛けられておる鏡が目に入った。
何故かのような所に鏡が掲げられておるのかと疑問に思うが、それによりも鏡に映る何も纏わぬ己の裸を見て疑問に思うてしまう。
「う、うぅむ……悪くはないと思うのだがな……」
あちこちに残る傷痕は武士としての勲章であるが、痩せっぽち、貧相だと陰で言われておるこの身体――やはりもう少し肥えた方がいいのであろうか?
女子や姫君、男も肥えておる方が圧倒的に持て囃されておるが――尻は負けず劣らず自信あるのだが。
肥えた己の姿――多く歩くと息があがり、動くたびに震える肉、手は団子、馬にも乗れず、無理に乗れば同情の眼で見られる馬。
……うむ、やはり今の方がマシであるな――
それに先ほどの春画などからして、こちらの世では私のような痩せっぽちの女子の方が人気があるかもしれぬ。
「湯は――うむ、大丈夫だな」
先の時代はこのように何もかも充実し裕福な生活を送れると言うのか――。
栓を開けば湯が出てくるのにも驚いたが、ここだけでなくこれがほぼ全ての屋敷にあると言うのにも驚かされる……。
湯治に行った温泉に比べればちと狭く窮屈であるが、かのように湯に入れるだけでも十分である。
嗚呼なんとも極楽――信じられぬが、夢うつつではなく、ここに私があり体験しているのが現実なのだな。
世の中何が起こるか分らぬものぞ……。
「えぇと……こちらの"体"と書かれたのが身体で、もう片方は髪であったな」
それにしても、この時代はとにかく薬液に溢れておるな。一体どれだけあるのだ……。
器を洗う薬液、厠の掃除の薬液、風呂を洗う薬液、洗面で弘嗣が使っておった口洗いの薬、身体や髪を洗うこの薬液――。
薬も飲みすぎれば毒になると言うが、これほどまで薬液にまみれておれば逆に身体に悪いのではないか?
特にこの髪を洗う"しゃんぷう"と申すのは何なのだ!!
初めて使うた時は、弘嗣が『さんぷん待ってやる』と訳の分からぬ事を申しておったし、言われた湯をかけて薬液を流せば目に入って悶絶してしもうた。
確かに良い香りがし、髪も滑らかに柔らかくなって良い。それに――この泡が何とも楽しい。泡がついたまま身体洗い用の液で身体を擦り、全身泡だらけにするのが何とも言えぬ面白さがある。
初めは全くかのような泡が立つなぞなかったのに、何とも不思議なものぞ。
・
・
・
「し、しまった――」
「おかしいと思うておったのじゃ……」
着る物が――ない。洗うて干すまでの事が完全に抜け落ちておった……それに一張羅の着たきり雀、他に何もない。
風呂から出て気づくとは……この天気なら夜には乾いておるだろうが、この姿のままでは干しにも出られぬ。干すのは中で吊っておけば良いが如何したものか。
「に、にびっ、そなたの召し物を貸してくれぬかっ!?」
「それを素で言うておるのなら、良き医者を紹介してやるぞ?」
た、確かに童の物なぞ着れぬのは分かっておるが……。
今日は暖かいのもあり裸でおっても"べっど"に入っておれば大丈夫であろう。
であるが、まがりなりにも弘嗣の――男子の屋敷それは絵面からもいささか問題があるしな……。
それに、欲情されて獣になられても困る――いや返り討ちにもできるし困りは……。
「――ち、違うっ、私は何を事を考えておるのだっ!
私があ奴になぞ――おお、確かあ奴が着替えておった時、襦袢のようなの着ておったな!!」
「まぁ、童としては別にそれでも構わぬのじゃが……」
あ奴の衣類の中にあったあれなら良いだろう、私のが乾くまで少し拝借させてもらおうぞ。
出かける時に来ていた白い中着――確か"わいしゃつ"と言っていたか、
生地がスベスベとしておるが少し硬く、袖が長いがまぁ悪くない。が……丈がちと際どいな。
前も後ろも丸見えであったので、先ほど身体を拭うのに使った"ばすたおる"を腰巻代わりにしてみるか。
うむ、見てくれはあまり良くないがこれで大丈夫であろう。
かのような姿でも誰にも文句言われぬ――うむ、やはり独りで暮らすのも良いものであるな。
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予定の時間よりかなり遅くなってしまったな……。
休んでいた分の仕事も溜まっていたからしょうがないが、鈴音は不貞腐れてやしないだろうか…。それににびの『面白いものが待っているのじゃ』って何だ? と言うか、いつの間にあいつのアドレス等が登録されてたんだ……。
「ただいま――」
恐る恐るドアを開けると、すぐ近くのキッチンに立っていた女性がこちらを向いた。
――え、誰これ?
「うむ、ご苦労であった。だが遅いぞ」
「ちょっと仕事が多くて――それはそうとその恰好一体どうしたの!?」
そこに立っていたのはワイシャツにバスタオルを巻いた、別の意味で奇妙ないでたちをした鈴音だった。
あと、上までボタン留めて!チラチラと山間部が見えてるから!
見続けているといけない気持ちになりそうなのであまり見ないようにしないとな……。
ここは、裸ワイシャツ!裸ワイシャツ!と喜びたい所だが、リアルで見るとこれはかなり目のやり所に困る。
微妙な透け具合といい、ポッチの自己主張具合といい……
彼女や奥さんであれば手放しで喜び、いきなり色々したいんだけども――。
「いや、掃除をしておったら汚れてしまってな。洗濯にかけたらその……」
「あぁ、それで着物やサラシを吊ってあるんだな」
「故に襦袢らしき物があったから借りておるぞ」
「あ、ああ、それは別に構わないが……」
間を大分飛ばしたが、おおかた着る物がないのに全部洗濯してしまったとかだろう。
別にワイシャツぐらいは問題ないし、いくら着てくれてもいいのだが。
そうか、着の身着のままこちらに来たから洗濯するとそうなるのか……。
「おぉ、部屋がすっきりしてる」
「目に余る汚さだったのでな。身を弁えぬ事だと思うたが片づけさせてもらった」
「うっ…いや助かる。今度やろう今度やろうと後回しにし続けていたからな…」
部屋の中に入ると電球を変えたのかと思うぐらい室内が明るくなっていた。
ちゃんと埃を掃い、散乱している物を片付けるだけでこんなに違うんだな……。
雑誌とか綺麗に片付いているし、秘蔵の本もちゃんと束ねて――気分もさわやかに
「おいぃぃぃッッ!?」
「それか? いや掃除中に見つけてな、何ゆえか腹が立ったので捨てる事にした」
「一番上に置くなよ!? お前は子供が隠し持ってたエロ本を机の上に置く親か!?
と言うか、これを勝手に処分すると決定してるんじゃないよっ!」
「健全な男なら持っていて当然と父が言っていたが、母上は決して許してはならぬと、
見つければただちに全て焼き払えと申しておったぞ?」
「うむ、当然の事じゃな」
比叡山焼き討ち並みに酷い仕打ちだ……。何故だ――何故女と言う奴はこうエロ本に対して厳しいのだ。
せ、せめて一冊だけ! 一冊だけでも! 晴美さん、今助けるからね!
「若い女子の奴か? それとも未亡人の奴か?」
「未亡人じゃろ」
「止めてっ、中身言わないでっ!?」
――未亡人の方なんて言えない。
鈴音の目も笑っておらず取り出すに取り出せなくなり、泣く泣く救出作戦を断念せざるを得なくなった。
その横には――隠し持っていたフィギュアの方までも袋に軟禁されていた。この掃除屋は何と優秀なのだろう。
まぁこれには言うほど思い入れもないんだけど、下から覗くお尻のアングルがこうね――。
「やはり尻フェチなのじゃな……」
「はっ……!?」
いけないいけない――自分の手では捨てるに捨てられなかった物だし、この機会に手放すのもいいかもしれないな。
フィギュアをゴミ袋に移し、本の縛り上げを終えた所で鈴音が晩飯を持って来てくれた。
あれ――茶碗が二つ? 時間も遅いのになんでまた――
「もしかして、まだ食べてなかったの?」
「うむ、腹が減って仕方ないぞ」
「う、すまない……けど先に食べててくれてよかったのに」
「そんな訳にもいかぬ、家長より先に食うなぞ持っての他ぞ。どこぞの狐は知った事でないと出来た先に食うたが」
どちらからと言うわけでもなく、食事は鈴音が全て用意し、俺が手をつけるまで待っていてくれる。昔ながらの親父がいる家庭なんてと思っていたけど、まさか自分がこんな立場になるとは思いもしなかった……。
「――と言いたいところであるが」
「え?」
「何だ……私も待ちきれず先に食おうかと思うたのだが、一人で食うのは寂しくて――な。やはり飯は誰かと共に食う方が美味い」
気丈に振舞っているけど、実は寂しがり屋なのかもしれない――何とも可愛い奴じゃないか畜生。
照れなのか本音を言うのが恥ずかしいのか、顔を赤くして言われるとワイシャツ補正もあってこっちも照れてしまう。
いや、照れる要素は一つもないんだけどね……この空気がむず痒い。
「さっ、さぁ飯が冷めるし早く食おうぞ!」
「お、おうっ、今日の飯は――」
狐娘のつまらなさそうな目を横に、食卓に並べられた献立を確認する。
鈴音が来た当日の献立は、鮭の塩焼き、味噌汁、ごはん――と、飾り気のないシンプルな物だった。
そして今日の晩御飯は――白御飯・ねぎの味噌汁・ゴボウの煮しめ二本――終わり。
……え?
「こ、これだけ……?」
「そうであるが?」
「何か一気に量減ってる気が……」
確かに一汁一菜ではあったものの、昨日までは食いきれるのかと思うぐらいの飯だったのに。今日に限っては量も半分、味噌汁も結構具沢山だったのに一種類。
材料がないと言うわけでもないのに一体どうしてまた……?
「何を言うておるのだ、先日から少し食いすぎであったから節制しておるのだ。
申し訳なく思うが、食いすぎる癖をつけると良くないのでな……」
鈴音が言うにはこの量が普段の食事量らしい。
恐らくこれまで満足に食える機会がなかったのもあって、制御が効かなくなっていたのだろう。
腹八分目と言う言葉もあるし、確かに食いすぎるというのは良くない事だ――やはりそう言った面でも気を使うんだな。
頑固で言い出したら聞かない所があるけど、意外と細かい所にも気が配れるのかもしれない。
「いい奥さんになれそうだな――」
「んっぐっ――!? なななな、いき、いきなりなな何を申すのだ……ば、馬鹿者っ!!」
顔を真っ赤にして、喜んでいいのか怒っていいのか分からない顔をして慌てふためいている。
買い物時も思ったが、侍でいるよりこうして素でいる方が鈴音らしいのではないか――?
まぁ、秘蔵コレクションが明日処刑されるんだ、しばらくはこれでからかっても罰は当たらないだろう。
「ん、おほんっ――ま、まぁそうであろうな」
「取り繕っても遅い気がするけど――」
「う、五月蝿いっ! 飯も食うたなら片付けるぞっ!」
「はぁ、童はつまらぬから風呂に入ってくるのじゃ……お、そうじゃ、にひひっ」
手早く片付けてそそくさと立ち去ろうとする鈴音を追うように、にびも立ち上がった。
両手に食器を持った鈴音を追い越し際、にびの尻尾が鈴音のお尻を叩き、何かがパサリと音を立てて床に落ち――。
「ちょっす、すす鈴音っ――!?」
「ん、如何した? 私になに……ん、どうしてそんな顔をし――」
俺の目線に、ワイシャツから下を隠していた物がなくなっている事に気づいたようだ。大きく良い形の白桃が露わになっていた事に――。
何が起こったのか分からないのか、しばらく固まっている――俺も視線をそこにしたままフリーズしてしまっている。
秘蔵コレクションの処刑の件はこれでチャラであろう、これ以上の事が起こると罰があたる。
「う、うわあああああッッ――!?」
「ちょっこっち向くなっ」
慌てて顔を背けたが、ちらっとジャングルが見えた。
後ろでバタバタとした足音と、タオルを結んでいるような衣擦れの音が想像を掻き立ててくる……。
足音がヒタヒタと近づいてくるが、顔をそむけているので鈴音がどのような顔しているのか全く分からない。
すっと後ろに何かがピタリともたれ掛かって――ってこれはもしや、展開的にムフフなのが――?
「なぁ、弘嗣先ほどの事であるが……忘れて欲しいのだが」
「あ、あのどうして手で俺の顔を覆うのでしょうか――?」
「忘れてくれると有難いのだが?」
「あ、ああ……わ、忘れるっ、うん忘れた――」
記憶の隠しフォルダにしまおう、そして必要な時に引き出そう。
「左様か、なら良い――して食後に何か食いたい物はあるか?」
「白桃――はッ!? うがあああああああああっあ、頭がぁぁぁっ――!?」
「忘れておらぬではないかッ!!」
記憶のフォルダから破棄っ破棄だっ――!
あ、頭の形が……か、変わってしまう――こ、これが罰か……。
それと、ゲラゲラ笑う狐娘は後で殴ってやろう――。
「わわわっ分かった、うん忘れる! 忘れるからっ思い出さないからぁっ!!」
「い、いいか――決して思い出さぬようにな?」
力が凄いとは思っていたけど、ブレーンクロー喰らって分かった。
鈴音がやって来たあの晩――下手するととんでもない事になっていた。
今頃は手首にセラミックが入っているか、下手するとフックかサイコガンが付いていたかもしれない。
「いやー、面白かったのじゃー」
「ま、全く――狐にも困ったものぞっ」
「責任の何割かは鈴音さんにもあると思うのですが……」
「し、仕方がなかろうっ……他に着る物が無いのであるし……」
まぁ確かに服はこれだけと言うのも酷だしな、
洗濯のたびにこの様な事が起こってはたまったもんじゃなく、まず俺の頭蓋骨が持たない。
とは言っても、俺の服もそれほど多くもないし男物ばかりだからなぁ……。
シャツとかもあるけど、これ着られてると透けたりしてより危ない事になるし。
働き出してからはスーツかスウェットばかりで、着物やスカートなんて物は当然なくパンツばかりだ。そもそも男がスカートを持っていたらそれはそれでダメだし。
だが買うにしても着物なんて高いものばかりだろう――浴衣とかなら安いのもあるだろうが、時期的にはまだ少し早い。
「ん、うーん……」
「前から気になっておったのだが、その光る硯の様なのは何なのだ?」
「あぁ、スマホだよ。これで遠方にいる人と話や手紙のやり取りが出来たり、色んな情報を調べたりできるんだ」
「すまぬ、お主が何を申しておるのか全く分からぬ……」
うへー、予想はしていたけどやっぱ高いな……高くて百万、安くても十万いくかと言ったのばかりだ。
にびが着てるようなのも結構な値段するし、もしかして良い所のお嬢ちゃんなのか?
「じゃから世間一般と童を比べるなと言うに……それに、普段着程度ならB反でいいじゃろ」
「B反?」
おお、これなら値段が一気に下がるな。
ふむ、染めむら糸切れなどちょっと問題があるぐらいか。
「なぁ、ちょっとした難点のある着物でも大丈夫か? こんなの何だけど……」
「難しい顔してんうん唸っておるのかと思えば。どれどれ――ほうどれも姫君が召すような雅な召し物ばかりではないか。
見た所、特に問題無さそうであるがそれがどうしたと申すのだ?」
「あまり高いのは買えないけど、これぐらいのなら買えるからさ……」
「なっ――か、かの様なのはいらぬっ、襦袢でもあればそれで良いのだっうむ。
い、いやいらぬわけでもないが動きづらく、その――私にはあまり似合わぬからな……」
「そ、そうか……」
似合いそうだとは思うけど、まぁ本人の好みもあるから仕方ないか。
「別に結納でも何でもないのじゃし、この機会に女子らしい恰好でもして
弘嗣にでも袖を振るぐらいせよと言うのじゃ」
「か、かのような事できるわけなかろうっ!」
確か"じゅばん"だっけ……へぇこう言うのが襦袢と言うのか、これなら値段も手ごろだし何着か買えるな。
えーっと近くで売ってるのは――百貨店でセール中か、この週末で終わりじゃん!!
「よし、週末に買いに行こう。それまで申し訳ないけど俺の服とかで間に合わせてもらえるか?」
「それは構わぬが――けど、いいのか? あ、あまり無理はせずとも良いのだぞ?」
「大丈夫だって、これぐらいなら何とかなるよ」
「そうか、ならお願いしたい。この"わいしゃつ"と言うのは少し擦れるのでな……」
え、何が――?
次回 3/25 17:20~更新予定です
※最初は泡立たなかった
⇒汚れが多いと洗剤が泡立たない