00.新たな住人がやって来た
いつかまたと願った幼き頃の夢、それが叶うかもしれぬ日は何よりも素晴らしい――。
あれからどれだけの歳月が経ったのじゃろう――かつての山は消え、無機質な建物が並ぶ世となった。
思い出すは懐かしき頃ばかり。これも時代の流れなので仕方のない事であるが……同時に多くの大事なモノを失っておる気がするのじゃ。
まだ夜が明けきっておらぬし、もう一眠りしたい所じゃが……今日だけはそうも言ってられぬ。
重い瞼を無理矢理開きながら、自慢の栗毛の尾と髪を梳き、いつもの赤い着物に着替え――うむ、今日の童も美しい。
ようやく、かつての姿に戻れたのじゃ。長かったのう……母様はいつまで経っても子離れせぬし。
そう言えば、あの二人が結ばれてから一年半……であったか、鈴音の妊娠が発覚しておったな。『"さぷらいず"ぞ!』と意気込んでおいて、我慢しきれず言ってしまった辺りあ奴らしい。
しかし、あの部屋では毎日イチャつく新婚馬鹿夫婦には適しておっても、子を育てるには適さぬ。
引っ越しと同時に弘嗣は薄情・薄給な職場を捨て、母様の紹介の職場に移った……親になる自覚が次第に芽生え、新天地では人が変わったようにバリバリ働いておったのう。
それでも、決して生活に不自由なく暮らせるほどで裕福ではあらぬが……金より大事な物を得ておる二人には問題ないか。
結婚してからもそうであったが、男子を授かった母となった鈴音は、より女女しておったな。
かつて馬に乗り戦場を駆けた武士であった事がまるで嘘であるかのようじゃった。
まぁ、じゃじゃ馬な性格は死ぬまで変わらぬが――。
鈴音の性格がそのまま子に遺伝したようで、朴訥でありながら中身は粗野な正義感溢れる良い男じゃった……童が惚れてしまいそうであったのじゃ。
此度は少しぐらいちょっかい出しても良いじゃろ、な? わ、童とてその――お主ら夫婦を見ておったら、結婚もちょっとは良いかと思うてな……。
それに……少しでも二人を長く覚えておきたかったのじゃ……。
六十年ぐらいか――そなたら二人はこの世を去るまで共にあったな。
人はいつしか死ぬ。狐は長生きじゃしいつか見送る立場にあるのは分かっておった。分かっておったのじゃが、童にはいつものように笑って送る事は出来なかったのじゃ……。
母様に『泣くでない』と言われても人目を憚らず声をあげて泣いてしもうた……涙でそなたらの遺影は見えぬし、直視したくなかった。棺の中で眠るそなたらに何度、起きよ目を覚ませと願ったか分からぬ――。
母様は言葉に詰まりながらも、人の死にいちいち涙するなと叱った――。
この二人は……童の初仕事であり、かつてない程の大仕事じゃったのじゃ……泣くのも当然でありましょう。それに母様も寝ずの晩、一人で止まらぬ涙を流しておったではありませぬか――。
そなたらの結婚まで面倒見る予定じゃったが、渡りに船じゃと最期まで面倒見てやったのじゃ……じゃからその……二人の子は童が貰っても良いじゃろ? な?
六姉様を止めるのに相当苦労したのじゃし……。そなたらの子であらば、あの鬼も殺さぬじゃろうて。
ああそうだ、鈴音は子を産んでから母様の支配……もとい所有している土地で子向けの剣道場を開いておったな。
口コミで広まったのもあって、弘嗣より稼ぎが良かったかもしれぬ――そりゃまぁ、一線を退いたとは言え元々が戦好き好き娘であったし、狂った腕を持っておったからのう……そんなのに指南されれば、わらべも当然強くなるに決まっておろう。
「ふむ、剣道と言えば――そろそろ時間じゃな……ふぁっ、あぁ……眠い」
「な、何でこんな時間に来るんだよっ!? 」
「い、今しかないと思ったのだっ……お、思い立ったら吉日と申すであろうっ」
「し、しー……外でその侍口調止めろって言ってるだろうっ」
「何を言うかっ、侍ではなく武士ぞっ。私には武士の魂が継がれておるのだっ」
剣道着姿の身一つでやって来た――阿呆なのかこの娘は?
親……主に親父にこの男との関係が認められず、家を飛び出して来た馬鹿娘。
行くアテがないからと男の所に転がりこんで来ておった――うむ、時間通りじゃな。
男も男でまぁ思い当たるままのボンクラ。この娘に惚れ込んでおるせいで振り回されっぱなしじゃし……お似合いと言えばお似合いか。こんなじゃじゃ馬娘に惚れるなぞ、この男ぐらいしかおるまいて。
「朝の早くから仲の宜しい事じゃ――ですね」
「あ、管理人さん――こ、これはその何と言うか……」
「別に構いやしませんよ。鈴音が時代錯誤な家を飛び出し、成り行きで決まった同棲でありますしね。
今日この時が二人の始まり――何かあればいつでもどうぞ。かつての様にお手伝いします……のじゃ」
「なっ、まままっ、まさか話したのか弘嗣っ!?」
「いいっ、いや、全く話した覚えがない――管理人さん、何で鈴音の事まで……え、耳?」
「し、しっ尻尾も……二本あるぞ――!?」
「にひひっ、童は何でも知っておるぞ。理由は――」
――内緒じゃっ♪
侍娘、これにて終了となります。
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