39.結ばれる日がやって来た
※実際の所、本筋はこの話で終わりです
花嫁を待つこと十時間――。
迎える準備を終え、やる事を全部済ませた俺はベッドの上で横になって待っていた。
いや、朝早くに家を出ると聞いていたので無茶苦茶早くに起きたのだが、一向に来る気配がしないので二時間ぐらい仮眠しようとベッドに入ったんだ。
この時、スマホのアラームが消えていたのが仇となった――鈴音は時々にびを使ってアラームを消すのだ。あの電子音と自分より早く起きられるのが癪らしい。
その原因を作った花嫁を迎える前に――天国を迎える事になりそうだった。
「ム゛ゥゥゥーム゛ゥゥゥー!?」
「ななっ、何ぞッ――も、物の怪か!?」
布団の上と、あ、頭の上に硬いが柔らかい物が気道を塞いでいる――。
ど、どこかで体験したようなデジャヴを感じるが、それよりも酸素を取り込む方法を考えねばならない。
「以前にも同じ様な事が――ハッ、ここは!?」
「ム゛ォォー……!!」
「うわぁッ、す、すまぬっ!?」
「ブァッ――ハァッ……ハァッ……す、鈴音……か?」
白無垢姿の鈴音が目に飛び込んできた。唇に真紅の口紅をさした、二度惚れてしまいそうな姿――。
今か今かと待ち焦がれた女性だが、圧迫感から解放された"今か"は酸素を欲している……。
「き、来た時を再現しなくてもいいじゃないかっ……!?」
「わ、私だって知らぬっ――い、家を出る際、この白無垢が歩きづらく縁側から足を踏み外してしもうたのだっ!?」
「踏み外したって……だ、大丈夫なのか!? 怪我は!? どこか痛む場所は!?」
「その……し、心配してくれるのは嬉しいが、大丈夫であるぞ。
これぐらいどうと言う事もあらぬ。何か柔らかい毛を踏んづけたような気がしたのだが……」
「まさかと思うけど、にびの尾を踏んだとか……ないよね?」
「あっ、ありえ――るやもしれん」
恐らく、驚いたか激痛の拍子に鈴音を飛ばしてしまったんだろう――。
式に関してはあの狐の親子がしてくれるのだが、にびのお説教と言う祝詞から始まるだろうな……。
ようやく平静に戻り、改めて鈴音の姿を見ると……やはり綺麗だと思った。
眩いばかりの白一色は、裏地の赤色を一層引き立たせている――これが俺の嫁になるのかと思うと、ドクンッと心臓が強く鼓動し、大量の汗が吹き出してきている。
直視していると我を忘れてしまいそうになり、誤魔化すように同じ白装束の羽織を羽織った。
「い、色々あったけど、よく来たな……」
「ううっうむ……ではない、はは、はい……」
何と普段通りにいかない結婚式だろう――いや、二人からして普通じゃないのだから、普段通りに行かないのが普通なのか。
平和な時代しか知らなかった現代男、戦国の乱世しか知らなかった侍娘――四百年の時を越えて巡り合った二人なんだ、普通にやったって面白くもないに決まっている。
どれくらい眠っていたのか、明るかったベランダはもう暗くなっている。
鈴音の唇にさした紅が俺の唇にもついた――紅がつく、と言ったが少しだけなら構いやしない。
唇で全て拭い取るぐらいしたかったが、それはあと一日の辛抱だ――。
それからは普段通り――とは言っても、この格好では部屋の中も外も動き回れないので、やる事は寝るしかなかった。部屋を出来るだけ広くする為に、家電などは一時的に玄関などに移動させているので外にも出られないのだが……。
先ほど起きたばかりだが、部屋の明かりを落とし鈴音の方を見た。
既に定位置となっているベッドの上で、緊張した面持ちで座っているが……恐らく俺と同じ気持ちなのだろう。
白無垢は明日の三々九度を終えるまで着っぱなしらしい。月の光にぼんやりと光るそれは、まるでかぐや姫のようだとさえ思えてしまう。
月からの迎えを阻止せんが為に兵を率いた者の気持ちが分かるな……何をしてでも絶対に手放したくない女性なのだから――。
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翌朝、眠れたか眠れないのか良く分からないまま目が覚めた――。
鈴音はいつものように既に起きていて、朝食の握り飯を用意してくれている。
着物を汚せぬからと、チンするご飯で作ったらしいのだが、塩だけで握ったそれも十分に美味く、がっつくように齧り付いていた。
正直に言うと、ベッドに誰も居ないのを見た不安を隠したかったのだが……。
この部屋はこんなに広かったかと思いながら狐の来訪を待つ。
緊張感漂う荘厳な空気に二人は会話する事は無かったが、それでも来た時のような気まずい雰囲気はなく、互いに何も言わずとも、そこに居るだけで十分な空気だった――。
「ほっほ、待たせたのう――」
「う、うぅ……鈴音を恨むのじゃー……」
「なっ何ゆえっ!?」
いつもの様に表れた、大人の狐娘と子供の狐娘が……ってあれ?
あれは……にび……だよな? 何か見覚えのある姿だが――。
「何で元に戻ってんの……?」
「そこの馬鹿娘じゃっ! あれが童の尻尾踏んづけたせいで力が抜けたのじゃっ!」
「え、あの尻尾って風船並みの脆さなの……?」
「いや、あれは一時的なものじゃったようでの。
鈴音に踏まれた際、残っておった力を一気に放出したのじゃろう。
妾としては幼子からの成長が見られるので感謝しておるぞ、ほっほ」
「う、うむ、それは良かった」
「良くないのじゃ!?」
涙目で鈴音を睨む子狐を尻目に、親狐は盃と酒を用意していた。
やはりここでする違和感は隠せないものの、張りつめた空気の中、並んで座る新郎新婦の前の盃に酒が注ぎ始められる。
ポンっと狐の姿になった親と子狐――神主と巫女の代わりだろう。
むしろ、人より高貴な存在のそれにしてもらえる俺たちは何と恵まれているのか。
親狐は『祝詞なぞいらぬ』と言って省いた。直接言えると言っていたが、多分面倒くさかったんだと思う。
三々九度の盃は、何回口に含んだか分からなくなるぐらい緊張している――。目の前の子狐が止めなければ鈴音は最後四回目をしようとしていたし……。
粛々と執り行われたそれを済ませると宴――まぁいつもの食事だが。
にびが用意した重箱をフローリングの上に広げ、ビール片手に二人と二匹でそれを摘まむ。
何とも盛り上がりのない宴会だけど、基本この構成だったんだ――こんなのでもいいだろう。恨み言を述べるにびと、鈴音のやり取りだけでも十分すぎるほど賑やかだし。
そう言えば、七姉さんが『ハマグリ三百六十個は用意しておらぬが要らぬじゃろ?』と言っていた。ハマグリの逸話は以前にも聞いていたが、どうやら婚儀の際にも"貝桶"と呼ばれる桶一杯にそれを入れ新郎側に持って行くらしい。ひな祭りに飾られる箱がそれだと言う。
三百六十個は一年をあらわし、貞操と永く"夫婦和合"を意味するのだとか――。
小さくなったにびの姿に、より親バカが炸裂している七姉さんの姿を見て、いつしか二人の間に子供ができたらこんな感じになるのだろうかと考えてしまっていた。子供も早く欲しいな――。
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明るかった空はいつしか暮れ、夜のとばりが降りた。
狐は『この後が大変じゃぞ』と言わんばかりの笑みを残しながら帰ったのだが、鈴音にもその意味が分かったようだ――。
電灯はもう既に消えている。しんとした闇の中に座る鈴音の横に腰をかけた。
ギシッとベッドの金具が軋む音がし、その音にすら驚いた鈴音は大きく身体を震わせている。
初夜――夫婦としての契りを終え、次は人間同士の契りを結ばなければならない。
枕元に置かれた素焼きの盃に入った酒を二人で飲み交わし、家訓のようなのを言わなければならないのだが、現代の一般家庭には特にそんなのは無いので『隠し事なく、永く共にある事』をそれとした。
それからの作法は、妻となるものが先に寝床に横たわる事――心の準備ができたのでどうぞ、との合図でもあるらしい。
一体誰が考えたのか、現代でも残すべき風習だと思う。
「……」
「……」
誓いを述べ合った二人はそれからずっと無言だった――鈴音は焦点の定まらぬ目で床のどこかを見つめたまま、どれほどか時間が過ぎた。
『今日は止めましょう』なんて言葉は決して言い出せないのは互いに承知している。頭ではせねばならないのに、心の準備が出来ていない。それがなおさら鈴音を焦らせているのだろう……。
鈴音がゆっくりと俺の方を見た――不安げなその瞳は、俺の知る女性の瞳ではない。
薄く唇を噛み、小さなベッドの軋みがいくどか部屋に響いた。
目の前には横たわった女性、妻となる――鈴音が居る。
女性は妻となる覚悟を決めたのだ、俺も夫となる覚悟を決めなければならない。
先ほど飲んだ酒は、男の覚悟を後押しする為に用意されていたのだろうか。酒の力を借りるわけではないが、それが怖さや不安と言った感情を和らげてくれていた。
軋む音が再度部屋に響き、暗い部屋の中にあった二つの影が一つになった――。
ここまで来たらもう止められない。唇を求め、中にあるそれを絡めに行くと。妻となる者は同じように返して来た――求めに応じると言ったようにも思え、味覚をつかさどる器官を通じ、互いの吐息と口腔内の粘液を交わらせた。互いの耳に入る水音は、これからの行為を確かな物であると教えてくれている。
一瞬、着物をどう脱がすのか分からなくなり、襟首から無理矢理はだけようかとさえ考えてしまうほど鈴音の身体を欲している――。ここに来た時も似たような事をしたのをふと思い出した。今回は後頭部を鈍器で殴る者はいない。
腰帯の結びを時、鈴音を包む布をゆっくりと開き、暗闇の中でもハッキリと浮かぶ"女"を見た――。
恥ずかしげな顔をしているが隠そうとはしない。見たいと言う思いに応じるように、その産まれたままの姿を俺に見せてくれている。それが俺の感情をより掻き立てていた――。
身体の各所から放たれる鈴音の匂いに合わさり、俺の自制心はもう機能していない。
本能が求めるがまま、胸を味わい、茂る腋に鼻と口を押し付け、女の匂いを脳に届けた。
麻薬の様であった――鈴音からすれば羞恥であろう行為だが、脳がその甘美な匂いを求め続けている。
茂る場所はそこだけではない。そこに手をやるとビクりと身体を震わせた。
どれだけの時間が経ったのだろう――快楽と不安が入り混じった表情で俺を見上げている。
言葉を交わさずとも通じ合うのだろうか、目が合うと小さく頷いた。
その意味は互いに分かっている。肉体的に繋がる覚悟を決め、互いに迷い考え直す時間を与えまいと強く求め合うそれを埋没させ――壁に映る影が一つの塊となった。
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婚儀はこれで全て終わっただろう……披露宴はあるが、特に見せる相手がいないし。近く、俺の母親と親族に紹介するぐらいか。
鈴音に覆いかぶさりながら大きく息をついた――その柔らかい身体の感触に鈴音の匂いが入り混じり、今一度と脳が信号を送ろうとしている。
「え……いや、も、もうその今日は……」
「すっすまん……」
「……痛かったぞ」
「うっ……」
怒りはしていないが、咎めるような目で俺を見つめている――。
鈴音は目をぎゅっとつむり、口を紡いでそのワードを言わないように耐え、未通女を失った際も、歯をかみしめ小さく呻きはしたものの、『痛い』とは一言も発さなかった――。
だが、それは相当なものだったのだろう……恐らく背中がひっかき傷まみれだと思う。
「であるが……これで真の夫婦なのだな……」
「ああ、今日から正真正銘――現代男と侍娘の夫婦だ」
「ふふ、世を超えた夫婦か……初めて会うた時は
まさかかのような男子と結ばれるとは思うてもなかったが……」
「な、なんだと……まぁ、俺も似たようなものだったが……」
「人の出会いとはどう転ぶか分からぬ……。
私はいつしかそなたに……いえ、貴方様に心惹かれておりました――」
「俺にはもう鈴音がいない生活なんて考えられない――
ずっと、永く、生まれ変わっても鈴音と居たい……」
「我々は一心同体――私は何処へなりともついて参ります――」
この世には侍なんて物はもういない。
だけど四百年の歳月を越え、俺の妻として侍娘がやって来たのだ。
この先も、ずっと……事の発端の狐にも固く誓い合うように、二人は永く唇を合わせた――。
それに応えるように、どこかで獣の鳴き声が聞こえた気がした――。
※次回 最終話・今晩(4/20)25:00ぐらいに投稿します




