37.女だけの旅行に来た
※今回は鈴音視点のみです
「ほおっ、これは何と雅な――まるで京の朝廷の庭の如き場所。
かのような所で湯に入れるとは……うぅむ、何が起こるか分からぬものぞっ」
「まことにこれは――」
母上も声にならぬようであった。
私ですら知らないのであるから当然であろうな……湯治で参ったのとは雲泥の差、まことに朝廷の妃にでもなったかの如き錯覚を起こしてしまいそうぞ。
女同士と言えど、裸で歩くのに抵抗を見せたものの、すぐに慣れたようで今ではもう堂々としておった――この丹力は見習わねばならぬな。
しかし、覚えのある母上はもっと若々しき姿であるのに……身体は老いを隠せておらぬ……。
人間五十年と申すが、あとどれだけ私は母に会えるのであろう――嫁に参れば年始の挨拶ぐらいと聞く。それも僅かの間――ずっと長く居ると思うておったが、そう思えば片手で数えられるほどしか会えぬのだな……。
確かに人はいつかは死ぬ。母上とて父上とて永遠と居るわけではあらぬ。それは分かっておるのだが……その儚さがまざまざと浮かぶと――。
「ぐすっ……ひぐっ……母上、私が背中を流しましょうぞ……」
「まぁ、ほほ、此度は特別でありますし、良いでしょう――」
悔いが残らぬよう、せめて共に居られる内だけでも母上に孝行しておこうぞ――。
幼き頃は何と大きいと思うておったのに、向けられた母上の背は何と小さき物か……。
やはり皺も増え、今では脆弱ささえも窺がえられる……思わば、心配ばかりかけておったな……。
武士になりたい――私の我儘にどれだけの心配を与えたのであろうか……。傷を負う度に強く叱責された気持ちが今では良く分かる――あの時は、あの時は何と口うるさきと思うておった己が恥ずかしく、母上に申し訳なく……。
「鈴音、次は私が流して差し上げましょう――」
「うっ……ぐすっ……うぅぅっ……は、はいっ……」
何とも懐かしき母上の手の感触――幼き頃であろうか、タライで水浴びをした時の記憶しかあらぬが……その時もこうして優しく、手ぬぐいで身体を洗うてくれておったな。痛かったが……今では適度にも感じる。
「あんな小さかった幼子が今はこんな大きくなり、我が元を離れ嫁に行くのですね――。
思えば手ばかりかかる子であり、手のかからぬ子でもありました。
実を申せば、そなたの爺様――尚重殿を恨んだ時もあります。何ゆえ鈴音を武士に、と。
同時にそなたは普通の姫君の様にはならぬとも思うてもおりました」
「はい……」
「それは正しく、そなたは夢か真か――先の世に参り、生涯を共にしたいと願う殿方と出会いました。
……考えるべきは過ぎたる世の者ではなく、"先"の弘嗣殿との暮らし。そう伝えたはずでございますよ……鈴音」
「はい……はい……うっ……うぅ……」
「いつになってもその泣き虫は変わっておりませぬな――
ああ、それと酔ったフリは程々になさいまし、そなたは酒に飲まれるほど弱くあらぬでしょう」
目の涙が止まってしもうた……いつどこで気づかれておったのであろう……。確かにその……見合いで期待していたものの、何やら途中から嫌になって来て……少しばかりハメを外せば考え直してくれるであろうかと思っただけで、うむ……。
何も言えぬし、ここは最初で最後であろう母上の手に身を委ねておくとしようぞ……。
「母様……」
「む、何じゃ。そなたも背を流して欲しいのか? では湯船から出るかの」
「いえ、やはり肌が水を弾かなくなってきてま゛ガガボッ――!?」
「若き肌が水を弾くのでおれば、溺れはせぬはずじゃ――のう?」
「あばッがぼぼっがぼぼぼっ!?」
「……母は怖し……」
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見事な湯であった上にこの絢爛な料理――湯によって潤った肌が、内面からも潤いそうぞ。
そして、この何とも言えぬ滑らかな肌触り、弘嗣に触れさせてみたいものであるな……。
い、いやっうむ……先日、弘嗣に背を触れられた時は身体が痺れ、もう我が身の全てを委ねても良いとさえ……六殿の香のせいもあろうが、あの時はこれが女子かとすら――。
そう言えば、その際に頂戴した六殿の軟膏は素晴らしき物であったな。ひとたび塗ればたちまち傷痕が消え、傷を負う以前の肌に戻っておった。
もう傷痕はあらぬはずであるが……うぅむ、大丈夫であろうか……。
「……うん大丈夫……」
「さ、左様か……」
「ほっほ、今から初夜の心配かの。暗がりでやるのじゃから、多少あっても分からぬわ。
傷痕よりも、未通女を失った際の傷と痛みを覚悟した方がよいぞ?」
「ななっ、七殿っ!? で、であるが、それはまことか……?」
「さあ? 妾からは何とも言えぬ」
「あらまぁ、戦での傷は男の勲章と申しますが、
愛した男に捧げた証は女子としての勲章でございますよ」
「……ふふ……そればっかりは治せない傷……」
「童はこんなデリカシーのない大人達になりたくないのじゃ……」
女子が集まれば男との話になると申すのはまことであるな……。まさか母上の口からもかのような話が出るとは思わなかったが。
うぅむ……聞けば聞くほど改めて不安になってきてしもうた……。母上は『男子に全て委ねよ』と申し、七殿は『そこで男子の本性が表れる』と申し、六殿は『一生懸命になる子供が愛しく』と……これは関係あらぬな。にびは『我関せず』と黙々と飯を喰らうだけであった。
七殿の申した”本性”とは、妻に対し行き過ぎた愛を振るった将の様なものであろうか――。
私も聞いただけであるが、庭師が妻を見ただけで首を跳ね、妻が他の男に気を使わばその者の首を跳ね、妻を抱けねば狂ったかのように刀を振り回し――。
元からそのような気質があったのか、持って生まれた気質が引き出されてしもうたのか……。いずれにせよ、そのような気質を引き出すほど魅力的な女子であった事に相違ないであろう。
それを称するかの如く、妻の強さも尊敬の念に堪えられぬお方であった。
うぅむ、弘嗣は大丈夫であろうが――嗚呼、あれこれと考えすぎて折角の飯の味が分からなくなっておる。もし……獣と化せば私は如何すればよいのであろう。先日のあの空気であらばかのような事はないが、もう少し強引にこうされても……くふふ。
「この悪癖は死ぬまで治らぬ様でございますね」
「はっ――!?」
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寝床の準備を整え終え、部屋にはそれぞれの布団が用意されておったが、内二つは使われなさそうぞ――。
「は、母上……その今晩は一緒に寝ても宜しいでしょうか――」
「ええ、構いませぬよ」
「にびよ、そこまでして妾と寝たいか。よいぞ――」
「母様から来ておるのでしょう……布団が熱苦しいのじゃ……」
「……私のお布団は寒い……」
嗚呼、母上と共に眠るのなぞいつ以来であろうか。
幼き頃、雷が鳴り響く夜に母上の部屋に潜り込んだ日以来か……確か父上も来てとんぼ返りしておったがまさかあれは……。
であるが、母上の温もりはその時と変わらぬ――何とも心地よきものよ。眠りに落ちたくあらぬ、永くこの温もりを味わっておきたい……。
「んー、母上ー」
「ほほ、嫁に行こうと申される者であると申すのに――
鈴音はいつまで経っても未だ親離れ出来ぬ、幼き女子でございますな」
「妾のにびは可愛いのうー。んんー、よしよしっ」
「いい加減、子離れして欲しいのじゃ……」
今日ぐらいは良いでございましょう。今はまだ母上の娘なのでございますから――。
※次回 4/19 17:20~更新予定です




