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29.にびがやって来た

※視点の切り替えは「/」で行っております

 地面に穴が開いたのかと思った。

 落下しているのか分からないが闇の中に浮遊しているのが分かる。

 スカイダイビングも一定時間過ぎると、空気抵抗と重力が釣りあい、落下から浮遊感に変わるんだってね――。

 だから、実はあのマンションは欠陥住宅で、頭髪も偽装していたあれが関わっていたのではないか? とか他の事を考える余裕が出来たんだ。

 だってほら、着地地点が見えないし、見えても碌でもない目にあうの分かってるしさ――。


「うごっ!?」

「あぎゃっ!?」


 予想通りだった――。

 何かがクッションになってくれたおかげで予想していたダメージは無いものの、背中やあちこちが地面に叩きつけられて動けないぐらい痛い……。

 下でクッションになったのは柔らかく、毛むくじゃらな何かだろう。これが熊だったらもう救えない。

 小さな女の子が木の()()の中に転げ落ち、着地地点にデカい熊みたいなのが眠ってたのなら夢があるんだが――あれに出てくる猫型バスに一度乗ってみたいし。


「ぐうう……な、なんだっ、火かこれっ!?」

「む、むぎゅう……」


 赤い火の塊が宙に浮き、辺りをぼんやりと照らしている。

 足元に、ゆらぐ灯りの中でどこかで見たことのある赤い着物と栗毛の髪、そして尾っぽが見えた――。


「に、にびかっ、しっかりしろっ、誰にやられた!!」

「そ、それを素で言っておるなら病院行け……あ、あうう……」

「じょ、冗談だ――だけど、大丈夫か?」

「そのセリフを言うならどくのじゃ……お、重いのじゃ……」

「あ、あぁ、すまん……」


 パンパンと着物についた土を払い、ぶつくさと文句を言うにびの姿……良かった、いつものにびだ。

 狐火がぼんやりと燈るそこから辺りを見渡した所、恐らくはどこかの洞窟の中――入口が封印され、にびの術ではこじ開けられず手も足も尻尾も出ない状況だったらしい。

 だけどあまり悠長にしている時間がない。事の次第を短く伝え、にびに数珠と七姉さんからの指示を伝えた。



「七姉様の元へ行けば良いのじゃな?」

「ああ、どうにかすると言っていたが……」

「今は誰が信用できるか分からぬ……」

「……けど、あの人なら大丈夫だろう」

「……これが嘘だったなら、童はもう誰も信用せぬ。

 人間に、六姉様に騙されても良い――じゃが、七姉様にだけは裏切られたくないのじゃ……」


 普段は叱られてばかりなのに、本心ではやはり七姉さんが好きなのだろう。

 不安に満ちた表情のまま、にびは数珠を使って先の世で待つ七姉さんの元へと向かった――。


 /


 六姉様はああ見えても本当は優しい方のはずじゃった。

 あんな事をするような方ではなかったはずじゃのに、時は人を変えると言うが、狐もそうなのであろうか……童が知っておる姉様方も皆変わってしまうのじゃろうか……。

 もう……もう何が信じられるか分からぬのじゃ――。


「な、七姉様――そ、それとワンちゃんもっ!?」

「にびか、よく来た。大丈夫であったか? 怖かったであろう……。

 妾がよく見ておらなかったせいで、怖く辛い目にあわせてしまった……すまぬ……」


 弱っておるせいか、いつもと雰囲気が違う気がするのじゃ――。

 こんなの七姉様ではない……こんな姿は見たくないのじゃ……童が知っておる母様はもっと……え……?


「え、え……あれ……ど、どうして母様……どうして……」

「許せ――とは言わぬ。二度までもそなたを救えず、辛い目に合せてしまったのじゃ」


 欠けていた記憶が――曖昧だった昔の記憶が蘇ってくる――。

 童は人間も動物も、活きとし活けるものが大好きじゃった。人間の一部には九尾の子として忌み嫌う者がおっても嫌いになれなかった。

 なのに……憎悪の気持ちが抑えきれない自分が――。


「我が妹よ、母は過去に無茶苦茶やりすぎ人に討たれたのだ。

 石と化した母が砕かれた際、産まれたのが我らが兄妹――犬神と牛蒡種、そして尾裂狐、お前が産まれた。

 我々は母の憎悪も受け継いでいた。私と牛蒡種は問題なかったが……オサキ、お前は幼少期を飛ばし、

 心が未熟なままで産まれていたせいで感情のコントロールができず、次第に憎悪が己を蝕み始め、母と同じ道を歩もうとしていたのだ。

 願うお前の声を聞いても母はまだ癒えぬ、我々も助けに行きたくとも離れられぬ――」


 嗚呼……そうじゃ、最後に母様に助けを請うたのじゃった。

 過ちを犯す前に童を消して欲しい――と……大好きな人間を誰一人傷つけたくなかった。

 童が消えてしまえば大丈夫じゃと……。


「妾は妖狐の長である空孤に助けを求めた……そして、一つの方法に行き着いたのじゃ」

「童の尾を切る事……なのでしょう」

「そうじゃ……空孤に一時的に力を借り、妾の手でそなたの尾を切った……。

 力を失い、空っぽになったそなたに妾の尾を授け、今一度やり直させる事にしたのじゃ。

 力の制御と共に心を育むようにと――」


 記憶と共に着物がキツくなり、帯をほどき床に脱ぎ落した――。

 思い出すこの感覚、この身体……曖昧だった記憶が鮮明になってきたのじゃ……。

 あの時、母様の胸で泣きもう一つ願った事……それだけは返事もされぬし、叶えられておらぬ――未だ……。

 童は一人前になりたかったわけではない――それを叶えたくて一人前になりたかったのじゃ……立派になれば……それが叶えてくれるかと……。


「うっ……ひぐっ……ど、どうして……どうして今まで黙って……母だと言って……うぅ……」

「子を守れなかった者に母を名乗る資格があろうか……」

「九尾の子と言えば、それが再びお前の重荷となる。

 故に空孤の子として育てる事にしたのだ――母は姉として見守る事にしてな……」


 勝手じゃ……勝手すぎるのじゃ……。

 童がどれだけ求めたか……どれだけ母様の温もりを求めたか……。

 初めて空孤様に抱きしめて貰った時、何かが違うと感じた――。


「う、うぅぅっ……母様……っ……う……うぁぁぁぁんッ……」

「母と呼ぶな……妾は……」

「相変わらず、強情っぱりな人だ――今日ぐらいは、いやもう良いだろうよ。

 オサキは……にびはもう大きく、分別も分かる子になった――。

 近くで見ていたのだから、母もそれに気づいておろう」

「……身勝手な母を許せ――オサキ……」

「母様ぁっ……!」


 これじゃ……これが欲しかったのじゃ……母様に抱きしめて欲しかった……。

 母様の温もりが欲しかったのじゃ……もっともっといっぱい甘えたかったのじゃ……。


「さて、感動の場面に水を差すようで申し訳ないのだが、急がねば時間がないのだろう」

「うむ……オサキ……年頃の娘がいつまでも裸でいるものでない。早うその着物に着替え支度せよ」


 そう言って母様が指差したのは……赤い――見事なまでの召し物じゃった。

 童が普段着ているのと似た、赤を基調に白抜きの牡丹の柄――所々の金糸が何とも見事じゃ。


「うむ――よく似合っておるぞ。犬神、後は手筈通りに頼むのじゃ」

「任せておけ。あのポンコツ忍者もグダグダだが、何とか準備を終えたようだ」

「あ、あのー……童は何も知らないのですが……」

「そなたは簡単じゃ、弘嗣と共に鈴音の元へ行って、嫁入りをぶち壊すのじゃ」

「そ、それだけ……?」

「うむ、後は妾に任せておけ」

「わ、分かりましたのじゃ……それと母様――」

「な、何じゃ……」


 大きくなったら一度言ってやろうと思った言葉を言った――やはり老けておりませぬか、と。

 その言葉を発した際、大人の童の頭に強烈な扇子の一撃が刺さった――。

 やはり母様――七姉様は七姉様じゃ……正体を明かされた所で鬼には変わらぬのじゃ……。


 /


 あれからどれくらいの時間が経ったのだろう――一時間か、二時間か……もうこれ以上は待ちきれない。

 でも出るに出られない。こんな事をしている間にも鈴音は――。


「くそっ……」


 胸がズキッと痛む。誰かの妻になるなんて考えたくない――。

 けど、俺に鈴音を幸せに出来たのだろうか……あれは結果的に夢だったとしても、俺は鈴音の都合を一切考えず、その肉欲に流され同じ過ちを二度も犯してしまっている。

 前の美紀の時もそうだったじゃないか……身体を重ねあわせるだけの愛情確認になったのを。

 そんな人間に誰かを愛す資格があると言うのだろうか――。

 真っ暗な闇の中のせいか、そんなマイナスな事ばかり考えてしまっている。


「心配いらないのじゃ」

「え……」

「ふふんっ、どうじゃー」


 突然やってきた赤い着物の女性、目の前で髪を後ろに腕を回しポーズをとっている。

 誰だ――これへの正直な気持ちはそうだった。若い、美人、スタイルがいい――言うなれば


「若返った七姉さん――」

「親子二代でシバいてやろうか?」


 このノリはにびだ、けど知っているにびとは違う。

 マジでこれはもう一人七姉さんがいるようなものだろ……狐火の灯りでハッキリとは見えないけど、あどけなさがある七姉さんだ。"大人なったら美人"って言葉通りだが、七姉さんに及ばない。

 そう考えた時、にびの扇子が飛んできた――縦に刺さったので超痛い。


「女子を母様と比べて評価するでないわっ! あんなの普通にやって勝てるはずないじゃろ!

 童とてデリケートなのじゃぞっ! 褒めて称えてチヤホヤするのじゃっ!」

「そ、その母様って誰……え、まっまさか――」


 あの人結婚してたの――?


「この石で殴ったら人は死ぬと思うのじゃが、それを試させてくれぬか?」

「何で!?」

「普通はまず『えっ、にびってあの人の娘だったのっ!?』じゃろうがっ!

 どうして基準と興味を七姉様に向けるのじゃっ、童に向けよ童にっ!」


 いやだって、にびだから――と言おうとしたけど、本気でサスペンスの被害者にされそうだから口を紡いだ。

 にび曰く、七姉さんは国家転覆を目論んだ人で、年頃の際は当時の帝の嫁だったらしい。

 ただ、にびらの兄妹はその帝の子とかではなく、細胞分裂のように産まれ出た子……だとか。


「鈴音より母様のが良いなら言えば良いじゃろ、正体が分かっても今の妖怪淫乱狐には変わらぬのじゃし」

「いや、鈴音のがいい」


 これは正直な気持ちだった。

 確かに七姉さんは美人だし、エッチな事とかいっぱいしたいけど……そこまでなんだよな……。

 いわゆる愛人タイプと言うべきだろうか、それでも次元が違いすぎだし嫁にとか言える人じゃない。“美人は三日で飽きる”ではなく、”高嶺の花”だ、それも空に浮かぶ城に咲くぐらいの。


「うーん、上手くフォローされてチクるにチクれないのじゃ……じゃ、じゃあ童は何じゃ?」

「ペット」


 石が俺の後ろ壁にめり込んだのを見て、口は災いの元だと痛感した。

 あとやっぱり七姉さんの子だと分かる、怒ったら目が血のような赤色になるんだもん――。


 ・

 ・

 ・


 にびを追いかけるようにして七姉さんが言っていた増援もやって来た。

 人ではない、犬と馬だった――そこはせめて鹿あたり連れてきて欲しい所だったが……。

 にびが持ってきた服に着替えてみたのだけど――これ鈴音が着てきた服じゃないのか?

 サイズとかちょうどいいけど……(うっす)らと香る鈴音の匂いに焦燥感が掻き立てられてしまう。

 あと出来たら下着の換えも用意して欲しかったんだけどさ……一人でこっそり洗う空しさは今のうちに済ませたいんだ。


「誰が好き好んで男のパンツを持って来なければならぬのじゃ。

 ま、一人でこっそりと浴室で洗って洗濯機に入れるのが嫌なら、鈴音に洗うてもらうのじゃな」

「よ、余計に出来るかっ!?」

「じゃが、その選択肢も一歩間違えれば取れなくなるのじゃ……分かっておろう?」

「ああ……これから一気に乗り込むんだな」

「うむ、側室はこれと言って婚儀はなく、挨拶を済ませればすぐ床入りじゃ――

 する前に誓いの言葉だの何だのとあるが、それが終わればミッション失敗じゃ。

 命を落とすかもしれぬ、それが嫌なら童が帰す――これは童のミスから始まった事、そなたの人生じゃ好きに選べ」

「ここまでして『じゃあ帰ります』なんて言えるか」

「……分かったのじゃ」


 隣で馬が気合を込めたようにブルル――と鼻を鳴らした。

 鈴音と海に行った日、帰りの牧場に居た馬だ。あの忍者が潜入して脱走させたらしい。

 そこから、にびの兄である犬神がここに連れて来ていた。忍者の行方は知らないらしいが大丈夫だろう。


『おい狐っ子、上手く行ったら一発ヤらせろよ』

「ふふん、期待通りの働きをすれば考えておいてやろう」

『へへっ、最高の舞台にイイ女、申し分ねぇな』


 にびはこれに乗るとして、俺はこの犬か……?

 何か申し開きしたらアホほど怒られそうな感じなんだけど、大丈夫なのだろうか。


「誰が人間の男なんて乗せるかボケェ!」

『チンケな奴なんて誰も乗せねェに決まってんだろ』


 え、動物って人間に対してこんなシビアなの? てか、こいつら何でこんなメンチ切ってくるの。

 喋らないから気づかないだけで、人間が勝手に好きにできると思っているだけなの?

 もしかして俺は徒歩で槍持って突っ込めと言うのだろうか。


「よし、じゃあ弘嗣――そこに正座するのじゃ」

「へ?」

「せ・い・ざ」

「はい……」


 ここで更に怒られんのかと思い、言われた通り渋々そこで正座をした。

 何やらにびの周りの空気が冷たく、どこからか風が吹いてきている。

 いつか感じたような柔らかな風が次第に白い煙となって俺を飲み込み、頭の中に聞いた事の声が響いた――。

※次回 4/11 17:20~ 更新予定です


※九尾の狐の子

⇒殺生石となった九尾の狐だが

後にそれが砕かれ、破片がオサキ(にび)・犬神・牛蒡種の三つの子となって散らばった


前回の『本当は二十七日』

⇒本当は2+7()

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