23.海にやって来た
海への出発日当日――
鈴音は予定してた起床時間より二時間以上早く目が覚めたらしく、早く起きても早く出発できないと言うのに、待ちきれないと叩き起こされてしまった……。
それからも、しきりに時計をチラチラと確認しては、まだかまだかと言った様子で落ち着きなくガサガサ、ウロウロしている。
内陸だと海を見ぬまま一生を終える者も多く、少し遊びに……と気軽に行ける場所でもなかったようだ。
確かにこの時代ではインフラが整い、車から何から交通の便が発達しているので問題ないが、戦国時代の後――江戸時代でもお伊勢参りですら命がけだった。と言うぐらいだし……。
そう思えば、鈴音が『死ぬまでに一度行ってみたい所ぞっ』と、熱く語るのも分かるな。
祖父は一度行ったことがあるらしく、そこでの話を聞き、自分もいつかはと期待を膨らませていたらしい。
十何年間の想いが今日叶うのだ――そりゃテンションが上がるに決まってる。
だけど……初めて見るのがこの世の海ってのは大丈夫なのか……?
まだ海開きはしてないから大丈夫だろうけど、シーズンになれば人でゴミゴミ、芋洗い状態になったりしてるんだ。
恐らく鈴音がイメージしているのは北斎の浮世絵にあるような海だろうし、もし思ってたのと違う――なんてなってしまったらと思うと不安になってしまう。
「まぁ童も何度か行った事があるが、お主が思うておるような事は一切あらぬから心配いらぬのじゃ」
「そ、そうなのか――?」
「うむ、海だけに大船に乗ったつもりでおると良いのじゃ」
「この世の海は何かあるのか?」
「うんにゃ、この世の海水浴はただ人、人、人でごった返しておったりするからのう。
弘嗣はそれを危惧し、そなたの長年の夢を潰してしまわぬかと思うておるのじゃ」
「そ、そうであったか……であるが如何様でも私は大丈夫であるぞ。
郷に入っては郷に従え――人が多くとも、それはそこが楽しいから参られておるのであろうし、私もそれ相応の楽しみ方をすれば良いだけのことぞ」
なるほど、郷に入っては郷に従え……か、確かにそれがベストかもしれないな。
人でごった返すのもこの時代の海なのだし、"ここはかくあるべき"ではなく、その時、その場に適応して楽しむ――これがレジャーの醍醐味だろう。
ここに来てからもそうだけど、鈴音は一度全てを受け入れる姿勢でいるからか、適応力が高い。
色々な物を見て吸収しながら時代を受け入れている。
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けどこれは受け入れられるのか――?
七姉さんが手配してくれたタクシーに乗り、日常的に利用するには縁の遠い施設にやって来た。
鈴音はそこが何か分かっていない。俺もにびも何も言わない。知ったら彼女は絶対に来ないから――。
それを知らない鈴音は、施設内の巨大な空間やその美しさに驚き、始終興奮しっぱなしの姿を見せるだけだった。
俺からしたら見慣れた着物姿だけど、他の人からすれば若い女性が着物を着ている事が――前を行く小さな先導者も着物なのが珍しいようで、行く先々で周りの注目を浴びている。
鈴音はガッチガチの着物でもないし、普段着として着こなしているのは珍しいのだろう。
片やにびは正に着物! と言った感じだが、これも普段着だし。
俺もこんな所に来るなんて聞いてなかったので割とラフな格好である。事前に聞いてたらもう少し気合の入ったの着てきたのに……。
鈴音だけでも目を惹かれるので、一緒に歩いてる俺も見られる事が多く、共に歩く鈴音に恥をかかせないようにと、身の振り方や普段の服装にも気をつけるようになった。
逆に、鈴音の方も元々から外では弁えているので、逆に俺に恥をかかせないように気を配ってくれている。
周りの注目を浴びながらポテポテと歩く狐娘の案内について行き、その施設から発信する乗り物の座席へと座った侍娘――。
とりあえず鈴音が閉所恐怖症でなくて良かったと思う……。
だって――飛んでしまうと、もう降りられないんだから。
「――っ!?」
飛行機――が離陸すると案の定、侍娘は恥も外見も無く悲鳴をあげた。
だがその声は誰の耳にも届いていない――。
この席は、スチュワーデスさん(今はキャビンアテンダントか)、その人と対面して座れる通称"お見合い席"の前に座るは美しく、皆の注目を集めるキャビンアテンダント――の格好をした七姉さんが座っている。
貴女、一体何してはりますの……?
まぁ何をやっても”他人からは超一流に見える幻術”らしいので問題はないのかもしれないけどさ……。
この人の力で鈴音のシャウトは全部シャットアウトされている。
口の動きからして恐らくは『落ちるっ!? 落ちるっ!? 私はまだ死にたくない――』と叫んでいるのだろう。
少しでも落ち着かせてやろうと、手すりを握りつぶすぐらい強く握りしめているその手の上にそっと手を添えてみると、『あ――』と何とも可愛らしい顔をした。
優しくそっと握り返して来たのだが、互いに死を覚悟したそれじゃないからな……?
すると急にくたっと力が抜け、すぅすぅと寝息を立て始め――それを見て目の前に鎮座する七姉さんがニヤリと笑った。
はっ、しまった!? 止めてっ、そんな油断したみたいに脚を開くの止めてっ!?
鈴音さん起きてっ、楽しい空の旅を拷問に変えるこの痴女狐を止めてっ!?
知ったこっちゃないと言った様子で窓から見える雲を見て尾を振っている妹狐に、いけない場所でイケない色仕掛けをしてくる姉狐。
結局、このフライトを楽しんでいたのは狐の姉妹だけだった――。
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着陸してすぐに七姉さんの術が解かれ、鈴音は目を覚ました――飛行機で空を飛んだ事に未だ受け入れきれていないようで、ここが極楽浄土ではないかと何度も確かめてくる。
空港に着いた際、祖父とそっくりな人を見たらしく、そのせいで余計に死後の世界だと勘違いしたのだろう……。
降りてからも未だ足が震えが止まぬようで、空港の外のタクシーに乗るまで俺にしがみつくようにしながら歩いていた。
それにしても女性のタクシードライバーとは珍しい、ねぇ七姉さん――。
「怪人百面相か何か?」
「最近、七姉様は”征服”好きなのじゃなく、”制服”好きなのかと思えておるのじゃ……」
「ほっほ、千葉の一部以外は制圧したからの。ま、希望の職種とプレイがあらば妾に言うと良いぞ?」
「そ、その手には乗らないんだからっ――」
忍び込んで盗みはせず、働いた報酬代わりにその制服を貰っているらしい。
え、えぇっと――エスティシャンの服とかないですか?
狐のタクシーに乗る事数十分――開いた窓から潮の匂いが入り込んで来ている。
それに鈴音も気づいたのだろう、真っ青な顔からいつもの顔に、次第に濃くなってくる潮の香りに気の昂りを隠せないでいる。
極力鈴音に見せないようにと、目的地に着くまでは狐に化かされ山に向かっていると思わされていた。
その術が解かれ、目に飛び込んできた山とは正反対の光景――
「お、おぉ――これが海……であるか……」
汚れ一つないベージュの砂浜、透き通ったエメラルドグリーンの海が何とも美しかった――。
海が見えない道を選んでいた、七姉さんは恐らくこれを目論んでいたのだろう。
生まれて初めて見る絶景とも言える海を見、鈴音はそれからの言葉を失っていた。
その瞳から一筋の水が流れ、ポツンとその砂浜に落ちた――。
「ここは長く変わっておらぬのう。鈴音よ、そなたの祖父から聞いた話の通りでじゃろう?」
「う、うむ……ぐすっ……」
「ほっほ、まぁそうじゃろうな――ここの景色を見、それを伝えたのじゃから」
「えっ――」
「ま、流石に当時のまんまとはいかぬがの。さて、目的地はここであらぬし、そろそろ行くかの……。
にび、いつまで酔うておるのじゃ。そなたに合わせておれば日が暮れてしまうぞ」
「わ、童はやはり七姉様の運転は合わぬのじゃ……」
にびは砂浜に座って深呼吸をして酔いを抑えている真っ最中だった――。
うん、何となく分かる。この人の運転は丁寧だけど、加減速がフワンフワンとした運転なので三半規管が弱い人は酔いやすいと思う。
車に乗る時から大人しく、不安げな様子を見せていたのはそれか――。
でも何だかんだ言って、にびに合わせて要所で休憩をはさんでくれる七姉さんは優しいと思う。
初めての海を見て涙した鈴音は、車に乗ってからも夢に浮かされた様子だった。
俺もそこを離れてすぐに『夢だったのではないか――』と思ってしまったぐらいだもん……。
※次話は4/5 17:20~ 更新予定です




