20.喪失感もやって来た
お、おかしな夢を見たせいで未だに頭が浮かされたように、ぼうっとしておる――。
なっ、何ゆえかのような夢を見たのであろう……。
「ふぁぁぁ……何じゃ、弘嗣と夫婦になった夢でも見たか?」
「ち、ちちっ違うっ、かのような事はっ!?」
図星であった――。
いつもの様に帰りを待っておったのだが、いつもと違うのは……手に赤子を抱いておったのだ。
昨日、"もとかの"殿の子をずっと抱いておったせいであろうが、なっ何ゆえ私と弘嗣との子がっ……。
とても満たされた夢であったが……目が覚め、夢であると分かり落胆してしもうた……。
んんっ、何ゆえ七殿がその夢を知っておるのだ――?
「顔に書いておるわ――ふぁっあぁ……昨晩はよく眠れなかったのじゃ」
「今まで眠っておるであろうが……」
もう日が高く、昼飯をどうしようかと考える頃であるぞ。
七殿はここの所、弘嗣と同じ"すまほ"と申す板で何やら遅くまで調べものをしておるようであるが、一体何を企んでおるのやら……。
であるが、いつまでも浮ついた気持ちでおれぬ。
夢は夢であるし、地に足つけねば――思えばこの世も私からすれば夢の如き場所であるな……。
もし夢であらば、その中で見た夢もまた実現させる事もできよう――。
時折、目が覚めれば元の世に戻っておる気がし、眠るのが怖くなる時もある。
元の世が恋しくないと問われれば、それも偽りとなってしまうが、今更戻ってももう――。
「ふむ。何やら気が滅入っておるようじゃの」
「うぅむ……この所、考える事が多くてな」
「ならば気分転換が必要じゃのう――ほれっ、これをやろう」
何やら袋を――あれは"ぶらじゃあ"と"しょおつ"か?
であるが、今着けておるのとはまた違う物であるな……何やら分厚い。
初めは違和感しかあらぬ物であったが、慣れればこの世の下着は何かと便利である。
ふむ、新たなのを用意してくれたのであろうか。確かに召し物も変われば気分も変わるであろうな――。
「それは水着じゃ、水の中に入る為のな」
「"みずぎ"? 水に入るならば別に裸でよかろう?」
「弘嗣と入るのに裸で良ければ別に構わぬがの」
「な、なんだとっ! で、出来ぬっ、いくら弘嗣ととは言え男子と共に風呂に入るなぞっ!?」
「風呂? 妾は海に行くつもりなのじゃが?」
「そ、そなたの出産で何ゆえ私が風呂に――はっ、産む助けが必要なのであるなっ」
なるほどそうであったか……同じ女子の身、それなら良かろうと言いたい所だが
立ち合った事も、知識もあらぬので邪魔にしかならぬと思う……それに屋根から吊るす紐もあらぬ――七殿の腹を見る限りではまだ身ごもって間がないようぞ。
ふむ、まだ先の話であろうか?
「"産みに"ではなく、船などをを浮かべる大海原の"海に"じゃ阿呆。
妾の子は――いや、弘嗣の子で良ければ今からでも仕込んで来てやるがの」
「な、ならぬならぬっ!? であるが"うみ"とは……あの塩の水で満ちておると聞く、あの"うみ"であるか……?」
「うむ、そうじゃ」
「ま、まことであるかっ――!? いつ、いつ行くのだっ!?」
「んんー……海開きにはちと早いが、来週ぐらいがちょうど良いかもしれぬのう」
「来週っ、来週であるなっ!!」
海、海か――祖父より聞き、一度行ってみたいと思うておった場所ぞ。
んんー、何とかのような場所で念願の海に参れるとは――!!
嗚呼、早く来週とやらにならぬであろうか……ん? 七殿は何ゆえ剃刀なぞ持っておるのだ?
「海、水着とくれば女子がやるべき事は一つであるからの。ほっほ。
妾のついでにそなたのもやってやろう――」
「い、嫌な予感がするのであるが……ま、また身体が――う、動かぬっ!?」
「腋はまぁあれの好みもあるので好きにすれば良いが、布からはみ出ては汚らしく見えるからのう」
「や、やめよっ!? 何をする――」
着物をまくられ"しょうつ"を……『そなたの世の女子は手入れせぬ』とは――
ま、まさかっ――なっ、ならぬっ、それはならぬぞっ!?
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今朝はおかしな夢を見たせいで一日ぼーっとした感じだったな……。
いつものように仕事を終え、誰もいないはずの部屋に帰ると赤ん坊を抱いた女性が俺を出迎えてくれた。
良い夢なので"おかしい"と言う表現がおかしい気がするのだけど、ぽっかりと空いた穴を満たされたような気持ちだったな。
エッチな夢を見た朝のほどのガッカリ感は無かったけど、それでも幸福感に満たされていたので落胆してしまう。
まぁ夢は夢であるし、深く囚われすぎてはいけないんだけども……。
仕事中も『もしあれが正夢であったら――』と妄想してみたが、普段の生活と殆ど変らない為か妙なリアル感があり、妄想が現実に起こって欲しくて堪らないような感情に苛まれ、危ない感じになりかけてしまった……。
いつものように部屋に戻ると、子供は抱いていないが夢のように出迎えてくれる女性――鈴音が……って、何か様子おかしくないか?
何でそんな妙にしおらしいと言うか、何で力無い感じなの……?
にびも何か面倒くさそうな顔してるし。
「まぁ、海岸に打ち上げられた海藻を一部撤去しただけじゃ」
「海でも行ってきたの?」
「うんにゃ、来週末に行くのじゃ。なので予定は空けておくようにの」
「んん? まぁ予定はいつもフリーだけど、まだ海開きしてないんじゃないか?」
「七姉様にそんな決まり事が通用すると思うか――?」
あぁ、なるほど……鹿を馬と間違えても馬と押し通し、指摘したら処刑するような人だ。
そんな暴君に人が定めた決まり事など無いに等しいのだろう。
だけど海か、何年も行ってないし水着も買わなきゃな――少しは凹んだけど、悪あがきもしなきゃいけないし……。
「まだ日があるとは言えど、童もそろそろせねばならぬのう……」
「ダイエットをか?」
「違うわ馬鹿たれっ、女子の身だしなみの事じゃっ!!
あぁ、七姉様もしたせいであちこち毛だらけじゃし……もうあの剛毛二人はまったく……。
掃除する方の身にもなって欲しいのじゃ……いくら身内でもかのようなのは見たくないと言うに」
何やらブツクサと文句言いながら掃除をしてるけど、身だしなみ――?
ふむ……毛だらけとも言ってたし、髪の毛でも切ったのか?
うぅむ――
「な、何ぞっ!? ややっやはり分かるのであるかっ!?」
「あぁ分かったっ!! そうか、眉毛を整えたのか」
「えっ……あっあああ、そっそうであるな、うむっ。
七殿にされ――してもろうたのだが、ど、どうであるか?」
「うん、綺麗になってる」
「なっななっ、かっかくもハッキリ申すでないわっ――!?」
眉のラインがハッキリして綺麗になってる。
そうか、あまり手入れしてなさそうだったし、違和感あって気になってたのか。
もう一か所も考えたが、女同士でそんな百合百合しい事なんて想像できないし……。
「時々この阿呆二人にしんどくなってくるのじゃ……眉に気づいただけで上出来であるが。
鈴音よ、そなたもちと身だしなみに気を使うのじゃ。そなたの世でも眉全抜きなどしておろう」
「うっ、わ、私はかのようなのは好かぬのだ――」
「ま、眉全抜き……?」
「うむ……剃るか抜くのであるが、私はあまりに似合わぬのでな……」
「ああそう言えば、化粧などの話で盛り上がる女中の会話を羨ましく思い
よく分からぬまま一人に時に少しのつもりで剃ったら、うっかり全剃りして父母に大爆笑されたのじゃったな。
確か、生えそろうまでずーっと引きこもっておったのう」
「なっ、何ゆえその事を――っ!?」
誰もが一度は通る道なのだろうか、やり方知らないまま色気だしたらやっちゃうんだよなぁ……。
眉全剃りに、自分で髪の毛のカットの失敗とか。ああ、修学旅行前にそれで失敗した奴もいたな。
だけど、眉がない鈴音か……あ、駄目だ俺でも笑ってしまう――。
「何想像しておるのだっ!!」
「い、いや結構可愛い所あるんだなって……」
「おおおお主までそう言うかっ!?」
皆に言われて笑われたらしいが、それは馬鹿にした笑いではないだろう。
実は興味深々なのに、興味なさそうに振舞って一人の時にこっそりやっちゃうあたりが鈴音らしい。
なお、にびも眉毛全剃りの経験があるらしく、七姉さんが笑い転げたようだ。
やっぱり誰もが通る道なんだな――。
※次回4/2 17:20~ 21話を投稿予定です




