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19.ステゴザウルスがやって来た

 病に()せってから五日――

 ようやく"べっど"を離れ、自由に動くことができるようになった。

 早速、風呂で臥せっておる間の汚れを流したのであるが……慣れとは恐ろしいものぞ、これまでは気にもならなかったのに、この先の世では毎日のように風呂に入っておるせいか、今では逆に髪のベタベタした汚れや臭いなど気になってしょうがない……。

 己で己の臭いに気づくのだから、傍で弘嗣もそれに気づいておったであろう……。

 なのに嫌な顔一つせずに、傍で甲斐甲斐しく世話をしてくれておった……言葉には出せぬが心より感謝しておる。

 であるが、これまで気にもならなかった事が、今は何ゆえ恥であると思うのであろうか――?


「面倒見ておったのはあ奴だけではないのじゃが、どうして童がハブられるのじゃ……。

 ま、臭いに関してはそんなものじゃ――動物も似たものじゃし」

「ん、んんっ……どういうことぞ?」

「ほっほ、気の合う者の臭いは気にならぬと言う事じゃ。

 犬も尻を嗅ぎ合うじゃろ、あれは臭いで相性などを判断しておる。人もまた同じよ」


 うぅむ、確かに犬同士は尻を嗅ぎ合っておるが、あれに意味があったとは……。

 人も同じか――弘嗣のはあまり臭わぬが確かに悪くは……。


「――はっ!? 違うっ、違うのだっ!?」

「犬のは挨拶のようなものじゃ。顔に尻を押し付けて嗅がせれば人も分かるかもしれぬがの、ほっほ。

 あぁ、にびよそなたちと獣臭いぞ。ちゃんと風呂に入っておるのか?」

「狐に獣臭いと申しますか……。お言葉ですが、七姉様の方が脂くさ――いだぁッ!?」


 静かな部屋に大きく乾いた良い音が鳴った。

 七殿の扇子で頭を強く(はた)かれたにびは、頭を押さえ涙目になっておった。

 私の目にも見えぬ早業であった――うぅむ見事な腕前。

 今度指南を――おおっそうであった、それで思い出したぞっ。


「う、うぅ……妹とは何て不憫な立場なのじゃ……。」

「にびよ、すまぬがこれの作り方を教えてもらえぬか――?」

「うぅ、なんじゃパスタか……?

 拘りがあるのなら別じゃが、普通に食う分には強いて『これでなくてはならぬ』と言うものでもないぞ。

 食う者の好みで決めて良いのじゃ、平たいのは少し濃厚なとろみのある物に向いておる、ぐらいじゃな。

 これなら普通の真っ直ぐしたので良いが――そなた病み上がりでろくに食うておらぬし、今は刺激が強いのは控えるべきじゃ。

 どうしてもパスタが良いと言うならば、ちと難しいがぺペロンチーノよりもこちらのバジルソースやカルボナーラの方が良いぞ」

「にびよ、鈴音は己が食いたいから選んだわけではないのじゃぞ」

「あっ……あーなるほど……」

「だだだっだからかのようなのではない!!」


 弘嗣にはめっ迷惑かけっぱなしであったし、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのだその礼をせねばならぬと思うてだな……。

 それに美味そうであると思うておったし……あ奴の好物でもあるらしいのでちょっと作ってみようとしただけぞっ?

 な、何ぞっ二匹してその生暖かい目は!?

 も、もうよいっ鈍った身体を動かすのに丁度良いから、足りぬ物を買出しに行ってくる!!

 ええと麺、にんにく、"べえこん"だな……よし見た目は覚えた。


 ・

 ・

 ・


 狐共の冷やかしから逃れ、幾日ぶりか外に出る事が出来た。もう二度と病なぞ患いたくないものであるな――。

 大病を患わばその者は終わり、子に家督を譲る事も多いと聞くが納得である。

 目が弱り、身体は気だるく足が重い……目の奥から薄い膜が張られておるようで頭もあまり回らぬ。

 それに死を身近に感じて初めて分かる空しさ――我が一生は何であったのだろうかと自問自答し続けてしまう。


 であるが、『病は気から』と申すは確かであるな、気が弱れば悪い方ばかりに考えが行き己の身体まで弱ってしまう気がする。

 弘嗣、にび、七殿に……六殿――病に臥せっておるのにちと静かに出来ぬのかとも思うたが、思えばこの者らが側におったおかげで気が深く沈む事がなかった。


 そう言えば、ここの机の上に私の木刀と母の手紙が置いてあったのだったな。

 七殿が用意してくれておったらしいが、ふむ……この赤子もそうなのであろうか。

 いや、中に来るのであらば持ってくるはずであるし、これは違うな。うむ。


 ……赤子?


 /


 いつもの様に仕事を終え、家に帰ってきた。

 部屋の中がとんでもなく賑やかで楽しくなっている――。

 変わり映えのしない仕事の毎日でも、家庭を持てばこんな暖かい光景が待っているのかと思うと家庭が欲しくなるな。

 全員が他人であるけれど、鈴音の姉が七姉さん、その子がにび、鈴音が妻として、その腕の中の赤ん坊が俺との間の――。


「過程を飛ばしすぎだけど、家庭っていいなぁ――」

「げ、現実を見よっ――!!」

「見えないっ、俺には身に覚えのない赤ん坊なんて見えないっ!!」

「お主らホント思考レベル同じじゃの……。」


 鈴音が買い物に出かけようとした際、玄関ロビーにかごの中に入った赤ん坊を見つけたらしい。

 かごの中には『この子をお願いします』とだけ書かれた手紙、その裏には『佐紀』と書かれている。

 見つけた鈴音はテンパって、赤ん坊だと認知するまで三十分以上かかったらしい。

 ステゴザウルス……もとい、捨て子なんて何て親だ――。


「け、けど警察に届ければ良かったじゃないかっ!!」

「年頃の若い住所不定三人の娘がいる部屋に、お巡りさんを呼んでいいのかの?」

「うっ……で、でもさ……」

「ほっほ。じきに親が来るであろうしな、警察に引き渡しても手続きが面倒であるし

 それまでこちらで面倒見る方が良いじゃろ」

「うーん……」

「ま、七姉様も童もおるのじゃし心配はなかろう」


 確かに長年生きた経験もあるだろうし、一応は神様みたいなもんだしな。

 結婚すらしていない二人のただの人間より遥かに頼りになるだろう。

 六姉さんの所にあったと言う、粉ミルクに哺乳瓶やおむつとか的確に必要な物をキッチリ揃えてもある。小児科だからそんなのもちゃんと用意されてるのか?

 ……悪戦苦闘した痕跡が所々にあるが。


「こ、この狐共は指示を出すだけで何もせぬのだ……」

「妾らはあまり人と係わりを持つべきでないからのう。ま、そなたが疲れれば妾が弘嗣を抱いてやろう」

「何でっ!?」

「童が抱いたら大泣きしたから嫌いじゃ……」


 鈴音は何だかんだ文句を言いつつも、責任感が強くちゃんと面倒見ているのだが

 腕の中で幸せそうな顔で眠る赤ん坊を、優しい顔で見守る母の顔をした女性に見える。

 今の姿は言うなれば、赤ん坊を守る母――何とも尊く美しい姿なのだろうか……。


「子に罪はないと言うのが分かるな――」

「うむ……」


 自分の子供ではないのだけど、見ているだけでも幸せになれる。

 こんな子供が家で待っていてくれるのならば悪くないと思えてしまう。

 "可愛いから"とペット感覚で理由だけで欲しがるのはいけないのだが――。

 親とは皆こんな気持ちで子を見ていたのだろうか……。

 父親とはこんな気持ちなのだろうか――。


 鈴音も同じ気持ちなのが伝わってくる――。

 戦国の時代しか知らないとは言え、親の気持ちは今も昔も変わらないのだろう。


「七姉様が幸せ全開夫婦が嫌いな理由が分かった気がするのです……」

「何か分からぬが、蹴り飛ばしてやりたくなるじゃろ?」

「はっ――俺は一体何をっ!?」


 つ、ついおかしな空気に飲まれてしまった――。

 鈴音も飲まれていた事に気づいて顔を赤くしているし……子供オーラ恐るべし。

 ああ、でも可愛いなぁ……この小さいお手てとかさ――。


「かっ、かのような愛くるしい子を、ましてや己の腹を痛めて産んだであろう子を手放すとは――。

 やんごとなき理由で神社仏閣に置いてなどは私の世でもあったが……」

「いつの時代でもあるんだな……今はトイレで産んで放置とか考えられない親もいるし

 赤ちゃんポストとかまで設置されてるぐらいで、節操なく子作りするのが――ん?」


 そう言えば、赤ちゃんポストがあるはずなのに何でここのロビーに置いて行ったんだ?

 神社仏閣はまぁ時代劇とか見てなかったら分からないだろうけど……。


「その子の親がここに関係あったからじゃ」

「えっ、七姉さん知ってるの……?」

「うむ。そなたの元カノの子じゃ」


 ……何だって?


「に、にびよ……もっ"もとかの"って何ぞ――?」

「んー、平たく言えば弘嗣が将来まで考えた女じゃの」

「なっ何だとっ……!?」

「い、い、一、二、三……」

「時期的には合うておるのうー、ほっほ」


 あ、ありえないっ――

 とは言い切れない……美紀と別れたのは一年ほど前、この子は生後半年ぐらいだ。

 つまり、別れた時期と記憶にあるしちゃった事を考えると、思い当たる節がなさそうで思い当たる節がある。

 あの時期はもう身体を重ね合わせるしか愛情確認がなく、一緒にいたらまずしちゃってたし……。


「諦めるのじゃ、パパ――」

「いやぁぁぁぁぁぁッ――!」


 も、もしかして産まれたから認知してって事!?

 駄目だよ、そんなの反則だって――せめて分かった時点で言ってよっ、事後承諾やめてよっ!!

 パパイヤ、パパイヤが食べたい……。


「ま、まことなのであるか……?」

「嘘じゃ」


 あ、あぁ……何てこった今日からパパなのか……。

 いや既にパパだったのか――あぁ、気づかなくてごめんなぁ……マイサン。


「マイ、ドウターじゃ馬鹿たれ。童でも知っておるぞ……。

 それといい加減、七姉様に(たばから)れておる事に気づくのじゃ」

「な、何ですと……?」

「で、ではその"もとかの"とやらの子では無ければ、どの女との子なのだっ!!」

「止めてっ、そんなあちこちで種まき散らしてる男と誤解されるような言い方止めてっ!?」

「その元カノの子は正しいがの。弘嗣と別れる三日ほど前に他の男とヤっておったのじゃ。」

「な、何だって――!?」


 別れる三日前って何かあったっけ……

 思い出せないけど、確かあの時は仕事忙しくて中々会えなかったんだよな――それで喧嘩してだったが。


「うん? 男ここに呼んでシてただけじゃぞ?」

「え――?」


 何その、どこぞの女優の不倫みたいなの。

 もし早く帰ってたらその場に遭遇して、な状況になってたって事?

 と言うか、え、なに――ここで男勝手に招いて子作りして『ここであなたが出来たのよ』させに来たって事?


「弘嗣――その女子の居場所、知っておるか?」

「あ、あぁ住所変わってなければ――。」

「戻った所で悪いが案内(あない)してくれ……七殿、この子を頼む。子に罪はあらぬが、親に対しては私は寛大ではないようだ……」

「す、鈴音っ、一体何を――」

「かのような見下げ果てた行い……断じて許すわけにはいかぬっ」

「なら妾はこのおさ……赤子を預かるわけにはいかぬ」


 道理に反した行いに対して怒る鈴音から、背筋が凍るぐらいの恐怖を感じた――。

 己を抑えて静かに淡々と話すも、怒りを抑えきれずブルブルと震えている。

 だが『寛大ではない』と言うのは嘘であろう、子を抱く腕に全く力が込められていない。

 むしろ、己の怒りをその子に伝わらないように突き放そうとしているようだった。


「ふむ――下に子を求めて親が来ておる。鈴音はここに残り、弘嗣だけで話を付けてくるのじゃ。」

「な、何ゆえっ――私も一言言うてやらねば気が済まぬっ!」

「そなたが首を突っ込めばややこしくなる。そなたも内心分かっておる事じゃろ。」

「う、うぅ……っ。」


 鈴音から子供を受け取ろうとしたが離そうとしない。

 不貞を働いた揚句、子を捨てるような親には絶対に渡さない、と言った強い意思が伝わってくる――。

 俺だってそんな親にはいどうぞ、なんて渡したくない。だけど……。


「鈴音、俺だって同じ気持ちだ……けどこの子の事を思うなら、分かるだろ?」


 鈴音の腕の中の赤ん坊が泣いている――親代わりではなく、近くにいる本当の母の温もりを求めているように……。

 親でもない、親になった事もないがそれだけは分かった。

 鈴音にもそれが伝わったのだろう、その赤ん坊を抱く腕を緩めていた――。




 ほぼ一年半ぶりの再会だろうか、最近――鈴音が来るまではずっと会いたいと思っていた。

 だが、今になって考えればどうしてだと疑問に思う、彼女を見ても何とも思わない。

 あれこれ言いたいし、許されるのなら顔を思いっきりひっぱ叩きたいところだ。

 浮気をしたからではない、子を手放しておきながら、子に謝らず俺に謝ったからだ――。

 手が出かかったがそれは叶わなかった。


 赤ん坊は母を守ろうして泣いているように見えたから……。

 俺はただ『もう二度と来るな』と、必要最低限こ言葉を伝えるしかなかったが

 それだけでも元愛した女性、高校からずっと一緒だった、好きだった人に伝わっていた。

『ごめんなさい……』とだけ伝え、子供を抱き二度と手放さないように、ぎゅっと抱きしめながらそこを去った――。


 ・

 ・

 ・


「と、止めるなっ、やはり行かせろっ行かせてくれっ――!!」

「はっ早まるでないっ、鎮まれッ鎮まりたまへーッ――!!」


 部屋に戻れば怒れる獅子と、涙目の子狐が攻防戦を繰り広げられていた。

 ルールは至って簡単――玄関から獅子を出したら負けってルールだ。観客は大人狐、腹を抱えて爆笑している――。

 だがその攻防戦も、俺が戻った事で子狐サイドの勝利が決まり、(すん)での所で阻止できた子狐はその場でへたり込んでしまっている。


「い、一発だけっ一発ぐらいはしたのであろうっ!!」

「それ色んな意味が含まれるからっ!?」

「も、もうこのイノシシ娘は嫌なのじゃ……童、帰りたいのじゃ……」


 にびがグズっていたので、一日だけの赤ん坊用のガラガラを鳴らしてやった。

 静かに怒る鈴音も怖かったが、七姉さんを彷彿とさせる目を真っ赤にして本気でブチギレたにびも怖かった――。

※次回4/1 17:20~ 20話更新予定です

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