10.狐の姉もやって来た(デパートへ買い物)
狐の一人称が
童:にび
妾:七尾
です。
「ただいまー」
「お帰り、今日は早かったのだな」
「うむ、今日もご苦労じゃった」
家に帰ると笑顔で出迎えてくれるごく当たり前の光景。
最初は色々あったものの、時間と共に互いに自分を出せるようになりつつある。
しかし、『ただいま』と言って『お帰り』と返してくれるのっていいなぁ、日常に存在する小さな幸せを見つけた気分だ。それに、にびまで出迎えてくれると何だか家庭を持った気持ちになれるし。
鈴音は買い揃えていた食材を使い、基本はご飯に味噌汁、そして何か一品――写真解説付きの料理本を読んでは、新しい料理に日々挑戦して振舞ってくれる。
料理本は会社帰りに暇つぶしにでもなればと買って来たのだが、見た事もない料理が見られ作れると大喜びしてくれた。
最近、会社でも事務のオバちゃんに『最近活力がある』、『顔色がよくなった』と言われたが――今までそんな酷かったのか?
まぁそれはいいのだけども――
「――味噌汁に卵スープは如何なものかと思う」
「私もにびに言われ気づいたのだ……」
仮に唐揚げなどであれば日中友好になるだろうが、汁アンド汁は日中敵対である。
いやどちらも美味いから問題はないから良いのだけど、腹がタポタポになってしまう。
鈴音の得意料理でもあるらしい牛蒡の煮しめがあるのが救いだった。
彩りこそない地味なものの得意と言うだけあって味は確かだ、味噌の味が染みこんだ牛蒡に箸が進むな。
「あぁそうだ、帰りにいなり寿司買ってきてたんだ」
「なんじゃとっ、食うっ食うのじゃっ、おぉーこれは童が今イチオシの店のではないかっ!」
「稲荷――ずし? もしや、あの臭い――いや、独自の臭いがするあれでは……」
「いや、うーん……臭くはないと思うんだけど」
「鈴音が言うておるのは鮒や”なれ鮨”じゃろ」
戦国時代に寿司って無かったのか……?
後で調べてみると、その当時食べられていた寿司は魚の切り身を乗せた寿司は江戸時代からで、にびが言った通り、鈴音が考えていたのは米と一緒に漬けドロドロになった"なれ鮨"や、かの信長を激怒させ本能寺の変の原因にもなったと言う"鮒寿司"などがあちらで言う寿司だった。
……確かに臭いと言うか発酵臭がキツそうなものばかりだ。
"なれ寿司"は地元にもあるから存在は知っていたけど実際にお目にかかったことはない。
ラーメン屋にあるのは"早なれ寿司"の方だし。
「まぁ実際見た方が早いな、ほら」
「ほうこれが……照っており甘い匂いもするな、どれ――おぉ、うむぁいぞ!」
「あ゛ぁっ、これは童のじゃぞっ!」
「鈴音の為に買って来たんだが……」
「ん゛ん゛ー、やっぱりこの店は良い仕事しておるのじゃー」
にびはお気に入りと言うだけあって、もう一口頬張るだけで尻尾を振っている。
ここの店のいなりは知る人ぞ知る隠れた名店で、今日は1パック残っていたのを見つけ買ってきた。
狐が大絶賛の稲荷ずし! と銘打てば更に売れそうだが、狐って実際は油揚げより、その油を好むんだってね……。
「うん? 童は油揚げも好きじゃぞ。狐はそもそも肉から何でも食う雑食じゃし。
本来はネズミの捕食が主だったからの、それの油で作った油揚げはまた美味いのじゃ」
ネズミで作った油なんて想像もしなくない……。
鈴音もこのいなり寿司が気に入ったようで、それをおかずにご飯を食べている。
汁アンド汁、飯アンド寿司とかどんな食卓なんだ……。
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翌朝、先日の約束通り鈴音の着物を買いにデパートへと向かっている。
着物を着てぽてぽてと歩く姿が可愛らしく、すれ違った女性からも『可愛い』と言われていた。
鈴音は『あざとい……』と言っていたが、狐だから恐らく化けるのが上手いのだろう、きっと。
考えてみると、鈴音も着物と袴だし、傍から現代には珍しい格好をしている親子のようにも見えなくもないか。
こちらの生活はにびの方がよく知っているので、鈴音は言われるままこき使われているが、ちゃんとにびの心配もしているし、鈴音も何だかんだ言って子供の面倒見はいいようだ。
「これは――何とも凄い人であるな……」
「今日は休日だからまだ少ない方だけどね……」
電車にも十分驚いていたが、目的地の駅に着くと驚きを通り越して呆然としていた。
一斉に人が移動するし、ここではぐれて人の波に飲まれたらマズい。
鈴音は携帯も持ってなければ住んでる所の住所も分からない。その上、公衆電話のかけかたも知らないしな……と言うか家の番号も知らない。そもそも家電がない。
となれば、少し恥ずかしいがここは――
「あっ――」
「その、はぐれないようにだ」
「う、うむ……何だか気恥ずかしいがし、仕方あるまい」
鈴音は照れからなのか顔を赤くして手をぎゅっと握り返してくる――自分でやっといて何だが、こっこれは確かに恥ずかしい。
……ただの迷子防止の為だぞ、うん。しかし、鈴音の手はまめでゴツゴツしているようでいて柔らかいんだな。
「はぁ……童の手はいるのかいらぬのか分からぬの……」
「ほれ、お前もはぐれないようにしろよ」
「むぅっ、そう言う意味ではないのじゃが――ま、せっかくじゃから手をつないでやるぞ。感謝するのじゃ」
「わっ、ととっ」
「ぐおっ!?」
にびの小さな手を持った時、鈴音が少しバランスを崩し繋いでいる手をぎゅっと力強く握ってきた。
この前のもそうだけど、一体どれだけの握力してるんだ?
「す、すまぬっ……」
「前ほどじゃないから大丈夫だ。でも、どんな手の力してるんだ?」
「うーむ……試したことはないな。恐らく手ぐらい折るぐらいは容易いであろうが―――」
「手どころか頭蓋骨まで砕くじゃろ……」
「そ、それを言うでないっ」
その被害者がここに居るからよく分かる――絶対に鈴音を怒らせないようにしよう。
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「はー……これは何とも――」
目的の百貨店に入るやいなや、白い床、明るい店内、
照明に反射し煌びやかに光る貴金属を見て、目に映る物全てが信じられないと言った様子で店内を見回っていた。
化粧品売り場ではその匂いから『鼻から頭が痛い……』とボヤいていたけど、
やはり女性が貴金属や装飾品に惹かれるのは万国――万世(?)共通なのか、指輪など気になるようでじっと眺めている。
稼ぎがあれば一つや二つぐらいって言えるんだけどね……ただそこまで裕福じゃないし……。
「はなっから誰も期待しておらぬのじゃ」
にびは貴金属にはあまり興味がないらしく、
カチューシャや髪留めなどと言った小物の方に興味があるようで、気になるのを身に着けては鏡を覗き込んでいる。
やはり子供か――と思っていたら『ふふん、童を甘く見るでないぞ? 既にいくつか持っておるし、多くあっても邪魔じゃからいらぬだけじゃ』
と得意げに話してきた……畜生、こんな子供にまで……。
「じゃから、お主ら童を見た目で判断するの止めろと言うに――ほれ、これが童の自慢の一品じゃ」
「何とっ、黄玉ではないかっ――!」
「にゅふふっ、童が見つけ加工してもらったのじゃ! いいじゃろいいじゃろ~~」
どうだ! とばかりに自慢げにペンダントを見せ付けてきた。く、悔しくなんかないんだからねっ!!
山の中で黄玉――トパーズが転がっているのを見つけペンダントに加工してもらった物だとか……トパーズってそんな山の中にゴロゴロ転がっているものなの……?
「か、階段がひとりでに動いておるぞ……」
「そう言えば、エスカレーター乗ってなかったな。段に乗っていれば上に送ってくれるんだ」
「な、なんと……う、うぅむ、次……いや次で……
よ、よしっ――お、おぉっ、これは何とも楽で面白き乗り物っ、うむっもっと乗りたいっ」
「安心しろ、あと七回ぐらい乗らないといけないから」
「うーむ……どうしてなのじゃ……」
エスカレーターに乗る前ぐらいからにびの様子がおかしい――
ブツブツと『どうしてあの人の気配が……』みたいな事を呟いているが、知り合いでもいるのか?
目的の着物フェアが開催されているフロアについてからと言うもの、何かを察知したかのように警戒するように歩いていた。
「いらっしゃいませ」
「や、やっぱり、ななななっ何でここにっ――!?」
特に、俺たちを見つけたちょっとキツそうな目をした若く美人な女性店員に声をかけられ、更に様子がおかしくなっている。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に、何かに怯えているような……。
昨今、日常でも着物を着る人が減っているせいもあるのだろう。このフロア、このブースには客が一人もいない。
着るとすれば七五三、成人式、お見合い写真、結婚式……などの祝い事、冠婚葬祭が主であるし、それに合わせてやはりお値段もする。
日常的に着物を着ている時代から来た女性――鈴音はそんな事には気にもせず、目の前に広がる着物を見て目を爛々と輝かせているが。
「普段着でしたら、こちらはどうでしょう?」
「いえ、かのようなのは……いつ着れるかも分かりませぬし……」
「あら、こんな小さなグ――いえ、お子さんがいらっしゃるのでてっきり、ほっほ……」
「こ、これはその色々わけあって……」
鈴音も俺もドキっとして慌てふためいてしまったが、この着物もいい物だと思うけどどうして鈴音は――うげ、かなり良い値段するな……ひょっとして値段とか気にしてくれたのか?
「違うのじゃ、鈴音はまだ振袖の段階だからじゃ。振袖は未通女が着るもので、長い袖を振って未婚をアピールし、
結婚したら袖を切って留袖――さっきの着物になるのじゃぞ」
へぇ……着物ってそんな決まりがあったんだな。
袖の長さとかただのデザインの違いぐらいにしか思ってなかったけど、袖にも意味があったのか。
人間の関係を切る"袖(袂)を分かつ"って言葉はそれから来ているらしく『嫁に行き、親との関係を切る』からなんだとか……さすが年の功と言う所かよく知っている。
鈴音は振袖やその留袖を見ては一喜一憂しているのはそのせいなんだな……なるほど。
一概に振袖と言っても成人式で見るような派手派手したのだけでもなく色々あるもんだ……。
だけど、値段見て気が気じゃなくなってきたぞ……まぁ一度買えば一生物だろうし、良い物ならちゃんと手入れをすれば何世代にも渡って受け継がれる物だから、値段が張るのも仕方のない事か。それに縫っている糸を解いてつなぎ合わせたら一枚の反物に戻るって凄い技術だよなぁ……。
俺の目が泳いでいるのに気づいてか、店員さんはこちらの事情(主に懐の)を汲んでくれたらしく、安めのを見繕ってくれていた。
うん、これなら十分予算内に納まる――この店員さんよく分かってくれている。
「う、うぅむ……どれも良いな」
「なら全部買おう」
「え、えぇっ、良いのか?」
「あぁ、ついでにこの帯と帯紐も一緒に買おう」
「うっ嬉しいな――その、ありがとう……」
「お、おう……たまには何だ、男気も見せないとな」
むず痒い空気だ――。
店員さんは何やらにびと話しているが、にびは半人半獣姿というべきか、ぴょこっと出した獣耳を握られて涙目になっているけど……やはり知り合いか何かなのか?
清算を終え、着物の入った紙袋を抱え嬉しそうにいる鈴音とは対照的に、先ほどの強気な態度はどこへ行ったのか、にびのテンションはだだ下がりになっているし。
にびは『聞くな、説明が面倒くさい』オーラ出ているから、一体何があったのか聞くに聞けない……。
「はぁ……まぁよい、それじゃ童は鈴音と行く所があるのでちと借りるぞ。それと財布をよこすのじゃ」
「えぇっ何でまた!?」
「いいからよこすのじゃ、お主がいると面倒な事じゃし」
何の事か分からなかったが、にびが付いていればまぁ大丈夫か――。
戻るまで適当にブラついておれと言われ、とりあえず店内にある喫茶店でコーヒーでも飲んで時間を潰していたが……良く考えるといつ戻るか聞いてない。
こちらの居場所も探知できるからとそのまま勝手に行っちゃったからなんだけど、
狐の力って便利だな……ひょっとしたら瞬間移動もできるんじゃないか――。
「あのグズには出来ぬわ、たわけ」
「へ――?」
声のした方へ向くと、白と紫の着物を着た女性がそこに……一体いつの間にそこに?
いや、この人もしかしてさっきの店員さんか?
それに口調もどこかにびに――。
「あのようなグズと同じに見られるとは、妾も落ちたものよのう。
ま、そなたが思っておる通りじゃ。ほっほ、うちのグズがお主ら面倒かけておるようじゃの」
「や、やっぱり。でもどうしてまた俺の所に――?」
「ふん、あのグズのせいで出張らざるを得なくてのう、ちと腹が立っておるのじゃ。
その責任の一端はお主にもあるので、しばし妾の相手をしてもらうぞ?」
「え、えぇぇっ!?」
「ほっほっほっ、妾の機嫌を損ねぬようせいぜい気張るがよいぞ」
にびと口調は同じだが、それとは比べ物にならない威圧感がある……特に広げた扇子から覗く流し目に圧倒されてしまいそうだ。
何と言うか気を抜いたら押しつぶされそうな、これが本物の神様の威厳ってやつだろうか……。
「て、何で普通にくつろいでるの……え、えーっと?」
「七じゃ、あのグズからは七姉と呼ばれておる」
七ってことは、二尾で二本だったし――もしかしてかなり上のあれなんじゃ?
しかも姉って……だから、アイツはあんなに怯えていたのか。
確かにこのオーラを感じていたらそりゃあんな感じにもなるよなぁ……にびからは感じられないけど、この人をみて”人とは違う存在”がひしひしと伝わってきている。
「別に本数が多いから偉いと言うわけではないぞ?
ま、あのグズは姉妹の中で最低なのは変わらないがの。
それ以外では妾より本数が少なくとも格が上なのもおるのじゃぞ」
「――で、その七姉さんは一体何を?」
「ふん、あのグズが早々トチりおってな、その尻拭いしに来たのじゃ」
「トチったって、もしかして……」
「そうじゃ、全く面倒臭いことをしでかしてくれたわ。まぁそれはよい、それでお主はどうなのじゃ?」
「へ?」
「もうあの娘を抱いたのかと聞いておるのじゃ。若き男女が寝食共にしておるのなら一発や二発ぐらいはしておるであろう?」
ブフッ――こんな所で突然何を言い出すんだこの人は!
ちょっとそこのお姉さん、聞き耳立てないで!
「なんじゃ、まだ童貞処女か――つまらんのう」
「ど、どどどど童貞ちゃうわっ!!」
「ほほっ、先の様子を見れば分かるがの――さて、どこまで我慢できるかの、ほっほ」
白く細い綺麗な指で畳んだ扇子を意味ありげにゆっくりとお上品に上下に撫でるのはズルい。
こちらを妖艶な瞳でじっと見つめられると……宝石のような澄み渡った狐の瞳から視線が外せない……。
店内のガヤガヤとした音がせき止められ、キーンとした耳鳴りのような音、自分の心臓の鼓動の音だけか響いている――。
人のものではない、その赤くなった目に吸い込まれそうな――。
「ほっほ、その様なもの欲しい眼で妾を見てどうしたのじゃ? あの娘より妾のが良いか?
あれは本来ここには存在せぬ身じゃ、あのグズに任せておけばいつになるかやも分からぬし
妾のが良いのであれば、妾の手で今すぐにでも奴を元の世に戻してやってもいいのじゃぞ?」
「え……?」
「あのグズには出来ぬが妾にはそれぐらい容易きことよ、さぁどうじゃ?」
「鈴音を元の時代に――」
「――ぶ、くくふふふっ……あっはっはっはっ! いや愉快愉快っ、今のそなたはいい顔しておるぞ!」
「へ――?」
「嘘じゃ、いや出来ぬわけではないがの。くくっにびと負けず劣らずのそのマヌケ面じゃっふふふっ。
別にこの世にあの娘が居ても何の影響も及ぼさぬし、あのグズもグズなりにやっておるようじゃしの。
妾を取るかあの娘を取るか天秤ににかけたように、これからお主がどのような道を選ぶかもまた一興よ――」
いや愉快愉快、と言って人ごみの中にスーッと消えるようにして去って行った――と言うか言葉の通り消えた?
同時に店内の騒音の濁流が一気になだれ込んでくると、空白の数分間、元からそこに誰も居なかったかのような錯覚さえする。
にびは毎日あんなおっかない人と対峙してるんだろうか……ああ疲れた――。
こちらも前・後に分かれるので本日(3/25)の23時頃に更新する事にします
※
振袖:未婚女性が着る。(結婚しているかしていないか見分ける為)
振る・振られるの語源もここから。告白の返事はその袖を振って返事していた為。
留袖:振袖の袖を切って留袖にする。(=袂を分かつ)




