表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

3-2 不安定ななにか

 帰ったら、電気が消えていた。

 もう寝てしまったのかな、と思って居間に入って灯りをつけたら、ソファの上に、母親が眠っていた。俺は慌てて電気を消した。キッチンへ飛び込んで、冷蔵庫から水を出して、コップに注いだ。

 ソファのそばには電話がある。いや別にコードレスだから、そこでなくともいいはずだが…いやFAXがある。それだけじゃない。結局、彼女は、電話のそばに居たいのだ。

 俺は電話魔ではない。携帯やPHSにも基本的に興味はない。通信機として持つのは楽しいかもしれないけど…それで彼女に電話をかけられてもたまらない、ということもある。

 電話に執着している彼女を見過ぎてしまったせいかもしれない。遠い向こうの、誰かからやってくる言葉だけを、一人きりの部屋でひたすら待っている、その様子が。

 冷たい水を一息に飲み干す。窓の外では、ぽつん、と雨が落ちだしていた。遠い空の向こうの、親父の居るあたりでは、今頃台風が当たっている頃だろうか?

 小さい頃、やっぱりこんなふうに、台風の夜があった。だけどその時にはまだ、親父も母親も、仲が良かったし、兄貴も同じ部屋で寝起きをしていた。怖いと思って震えると、兄貴に馬鹿にされそうだから、強がってもみせた。おそらくは奴も怖かったんだろうが。

 その兄貴も、就職して、何処かの支店の営業でばりばりとやっている。

 父親に信用されているというのは、何だかんだ言って悪いものじゃない。遊び歩いても、羽目は外さないと思っているのだろうか、俺は困らない程度の小遣いもきちんと貰っているし、足りなかったらバイトでも何でもすればいいと言われている。

 俺はそれで、いい。俺は。

 だけど彼女には、それでは足りない。そして俺はその彼女の何処かから湧いてくるような、何か疲れたようなこの家の中の空気がたまらない。

 誰か。

 俺は何となく心の中でつぶやいてしまう。

 誰か。誰でもいい。彼女をこの家から連れ出してやってくれ。

 誰のためでもない。俺は、自分のためだけにそう思っているのだ。彼女のためを思っている訳じゃない。決して。

 ベッドに入ると、風と雨の音がどんどんひどくなってくるのが、ひどく耳についた。

 そういえば、マキノはどうしているんだろう。

 何となく、俺は気になった。



 台風一過の翌朝、マキノは学校を休んだ。



 ぎらぎらと、太陽が目にまぶしい。

 夏休みが始まって、俺はいっそう家に寄りつかない日々が続いていた。

 母親には、「友達と一緒に図書館で勉強してくる」とか、「今日は補習授業があるんだ」とか言って。

 まあ間違いではない。学校の図書室に行く時もある訳だし、コノエとは遊ぶのがメインだが、全く勉強していない訳でもないのだ。

 勉強は、初めはタテマエ的だったのだが、意外に俺は奴の部屋に行くと、本を開いていた。

 どうもコノエという奴は、高校生のレベルは軽く飛び越えているらしいことに、俺も最近気付いてきた。

 置いてある本もそうだ。書き込みの訳の判らない横文字。

 例えば現代社会を説明する時に、時々飛び出す経済用語。出てくる政治的用語。それに絡む現在の政治。思想家の歴史がどーとか、妙に詳しい。明らかに、一通りさらった奴でないと、こうは判らない。

 社会だけでなかった。どうも英語や数学に関しても、同じらしい。

 英語に関しては、タキノまで奇妙に上手かった。時々かける、洋楽のCDに合わせて彼女はよく歌うんだが… その発音がずいぶんと綺麗なのだ。ネイティヴ・スピーカーのようだった。学校の外人講師の喋り方を思い出させた。時には初めて聞いた曲の歌詞に「哀しいうただよね」とか言い出す。俺にはさっぱり判らないというのに。

 ただ理科と国語に関しては、奴は何も教えてはくれない。

 一度だけ俺も聞いたことがある。化学の元素記号の暗記方法を訊ねた時だった。水兵リーベ…という奴だ。つなげて言うと、元素記号の周期表になるあの暗号。

 軽い気持ちで聞いたのだが、意外にも即座に、「ワタシは専門外だから」といつもの口調で返してきた。

 国語も同様だった。いや、その時は「専門外」ではなく、「趣味じゃないんですよ」だったかな。とはいえ、古典の文法だけは丸暗記しているように詳しかった。だがそれ以外については、何も言わない。現代国語についてなど、「そんなものは、本を数読んだ奴の勝ちでしょ」の一言で終わった。

 …あと保健体育が奇妙に詳しかったが… 何故詳しいのかは聞くのが怖いので、やめた。

 とにかく社会科と英語と数学に関しては、奴は実に頼りになる友人だった。時々問題集を開く時が無い訳でも無いが、それはどうも、問題を解くというよりは、「出そうなパターンをとりあえずさらっておく」という感じなのだ。

 しかも、どれだけ俺が「解けねーっ」と言っていたところで、あるとっかかりに気付くまで、絶対助言をしない。全くいい根性だ。いや、それとも俺の性格をよく知っているというのか。

 まあそんなこんなで、俺は何故か遊んでいるようで、勉強などもしてしまっていたのだ。

 で、遊んでもいた。

 とはいえ、さすがに高校生、奴はどうなのか知らないが、俺は基本的にただの高校生なので、ふところにも限度がある。ライヴハウスもゲーセンもカラオケも、安いところを狙って行くしかない。

 例えば、平日の昼間のカラオケ。例えば、1ゲーム50円のゲーセン。

 そういうところで、如何に時間目一杯楽しむか。ゲームだったら、50円玉一つで、どんだけ長時間楽しむか。妙にそういうところに血道を上げてしまうのだ。

 なかなか笑えるのが、コノエはこういうゲームに関しては、俺やタキノより下手なことだ。あの何考えてるか判らない顔が、こういう時だけ真剣になるのが、奇妙におかしい。まあ奴に言わせると、慣れてないということなんだが…それにしても。

 ライヴハウスにもよく行く。と、言っても、最近の行きつけは、ドリンク券だけでライヴが見られるACID-JAMだ。そのくらいだったら、週一で通っても、休みの初めに単発で三日ほどやった、本屋の棚卸しのバイト代で間に合う。


「ほらまた居た」


 そしてそのたびに、目敏くコノエは薄暗い人混みの中から、マキノを見つけだした。


「ああ、今日も彼等出るんだったっけ」

「と言うより、あたし達が当ててるんじゃない。そうゆう日」


 そう言えばそうだった。

 ベルファの音は嫌いではない。結構好きだった。熱狂まではしない。そういう類の音ではないのだ。だけどテクニックは確かだし、安心して音を楽しめる。ドラムの音も重いし、ベースの音が跳ね回る様は、見ていて頼もしい。

 黒い上下のベーシスト。いつも黒ばかりだった。

 そしてマキノの視線は、彼に向いている。さすがに通って、奴の姿をきちんと見つけることができるようになったら、そんなことにも気付き始めた。

 結局奴はあれからどうしたのだろう? 学校に翌日来なかった。あのベーシストの家に泊まったのだろうか。

 あの視線が、気になる。

 でも俺のお目当ては違うのだ。ベルファでもマキノでもない。

 週一、月五回くらいの中で、俺はちゃんと、RINGERの出る日を「当てて」いるのだ。まあそれにたまたま、対バンで、ベルファが当たる日が多いという訳で…

 この日もまた、そういう日だったのだ。

 前の方を陣取っている女の子達の高い声が、メンバーの名を呼び始める。さすがに俺も最近は、コノエとタキノのおかげで、このバンドのメンバーのことは少しは知っていた。

 四人編成。ヴォーカルにギターにベースにドラム。

 ヴォーカルはそれでも最近入った人らしい。通称「Kちゃん」。本名はめぐみとか言うらしい。男だ。だがなまじの女の子より可愛い顔立ちをしている。

 彼がギターのケンショーという人とステージ上で絡むと、見ていた女の子達から悲鳴が上がる。中には顔を見合わせて笑い合う子も。

 俺は何となくそんな女の子達をみて、むっとする。

 そしてその横で、ベースを黙々と刻むのはナカヤマさんとか聞いた。そのベースと一緒にリズム隊を組んでいるのは、ドラムスのオズさん。

 俺は「Kちゃん」さんの歌にじっと耳を澄ます。決して好みの声ではない。だってそうだ。確かに面白い声なんだけど、ある程度上手いんだけど…

 何となく、不安になる。

 曲のメロディ自体が明るいから、あまり気にもならないのかもしれないけど、時々、奇妙にひっくり返る声が、背筋をぞく、とさせる。

 そういう所が、魅力な人には、魅力なのかもしれないけど…


「不安定ですねえ」


 そしてコノエが、俺の言葉にならない何か、を言い当てた。俺達は、前に出て見る訳じゃない。そうゆうのは、女の子にまかせる。それに、何かそういうタイプの「好き」とは違う気がするのだ。


「不安定?」


 俺はコノエに訊ねる。奴はうなづいた。


「そう。何かね、揺れてる」


 奴にしては、曖昧な言い方だった。抽象的な言い方だった。その俺の不満そうな顔つきに気付いたのか、奴は言い足した。


「…歌詞、聞こえますかね」

「歌詞?」

「そう、歌詞」


 言われてみて、そう言えば自分が歌詞など聞いていないことに俺は気付いた。「音」と「声」には敏感なのに、コトバには。


「どんなのだよ」

「…うーん…」


 コノエは頬を軽く人差し指でひっかく。


「あまりこうゆう所では言いたくないですな」

「こうゆう所?」

「ファンな方々が多そうではないですか」

「ふーん…」


 じゃ後で聞くことにしよう、と俺は改めて耳を傾けた。

 それにしてもいいギターだ。歌詞が聞き取れないのは、このギターのせいもある。どうしても耳が、ギターの音に吸い寄せられてしまうのだ。

 何でだろう。

 歌詞を聞こう聞こうと思う。歌を。メロディを聞こうと思う。なのに、結局俺の耳はギターの音に傾き、視線はギタリストに向いてしまう。

 背の高い、長い髪を無造作に結んだ、ギタリスト。整った顔だけど、目つきが決して良くない…


「すごく真剣だったから、声掛けられなかったよぉ」


 タキノはRINGERのステージが終わると、オレンジジュースを口にしながら、俺にそう言った。


「そうだったか?」

「そうですな。途中からワタシもそういう気が失せましたな」


 コノエまでそう言う。言いつつも、俺達の目は我らがクラスメートの動向を追っていた。


「それでも前の方に行ったりすることはないんだね」


と、頬杖をつきながらタキノが言う。さすがにこうも俺達がチェックしているから、彼女にまで奴がどれだか最近では覚えられてしまった。


「そりゃ個人的にお知り合いなら、別にわざわざ自分の存在をアピールしなくてもいいでしょう?」


 あっさりとコノエは答えを返す。


「そういうものかな」

「そういうものじゃないですかね。ああいうのは、お知り合いになるまでが楽しいってこともありますしね。まあお知り合いになってからも楽しいんでしょうが… やや意味合いが違ってくるでしょう?」

「と言うと」

「ただのファンのうちは、夢を持っていられますよね。ただ好きでいればいい。届かない代わりに失望もしない。それはそれで、一種のとても幸せな状態ですな」

「…結構辛辣だな」

「そうですかね」


 そりゃ無論、奴が結構辛辣な中身を持っているのは知っているけど。さすがにこうさらりと口に出されると、…それもこんな場で。


「別にねカナイ君や。それが悪いとかいいとか言ってるんじゃないですよ。…それで満足できれば、それはそれでいいんですってば。ただ満足できなくなる場合もあるでしょ」

「と言うと?」


 更に俺は重ねて訊ねた。


「とっても、好きな場合」

「だったら俺達がなる心配はないだろ」

「そうですかね」

「何だよ、そのそうですかね、ってのは」


 奴はウーロン茶を一口含む。そしてまた、視線をマキノの方へと向ける。ベルファのステージが始まっていた。遠くで、だけどマキノの視線はじっとステージにだけ注がれている。静かな熱意。


「何となく、ですよ」

 

 奴は再びウーロン茶を口に含んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ