1-2 未知との遭遇
「ただいまあ」
タキノはステージが暗転すると、とことこと彼氏のところへ戻ってきて、楽しかったあ、と抱きついた。
すると彼氏は、それはよかったよかったとまた彼女の頭をぐりぐりとやる。…端で見ている方が実に恥ずかしいんだよっ!
「ねえねえ、今のどーだった?カナイ君」
「今のどーだったって…まあ… バンドだよね」
「あたりまえじゃないの。そーじゃなくて、あのバンド、いいじゃない?」
「…」
俺はやや口ごもる。それを見てコノエはこらこら、と彼女の頭を軽くはたいた。
「ねえタキノ、皆それぞれのシュミっていうものがあるでしょう?」
「んー… どーして男の子ってのはああいうのの良さが判らないのかなあ」
彼女は肩をすくめる。だが、と言われても。
どうやらタキノのお目当ては、白塗り化粧のバンドのようだった。少なくとも俺にはそう見えた。
その格好の結構なおどろおどろしさに関わらず、音は妙にキャッチーでポップ。どっちかと言えば、歌謡曲を思い出すマイナーなメロディ。なぁんか、ちゃちだなあ、と言いたくなってくる。別に悪いとは言わないけど、いいとも言えないのも確かだった。
どう言ったものなのか考えあぐねていると、彼女はするりとコノエの腕の中から抜け出した。
「でもいいか。ねえねえあたし何か呑んでくるねー」
「後ろに居る?」
「うん。待ってるからね。後で遊ぼ」
ひらひら、とコノエは手を振る。いいのか?と俺は奴に訊ねた。何が、とすかさず奴は答える。
「だってお前、彼女…」
「ああ、いいの。ワタシはワタシで、後のバンド結構見たかったし」
「いいのって…」
「だってカナイ君や、あれをどう止められましょ?」
奴は肩をすくめた。確かに。ほとんどスキップ気分で出口近くのドリンクコーナーへと人混みをすり抜けていく彼女の背中を見ながら俺もそう思う。
「それより我々は、次のバンドに思いをはせましょ。次は何って言いましたかね? ほらチケット出して出して」
流れるように投げかけられる言葉に、俺は言われるままにポケットからチケットを再び取り出す。
「えー… と、暗くてよく見えないな」
「よく目をこらしなさいや。えーと、『RINGER』」
「リンガー? リンガフォンなら知ってるけどさ」
「英語教材なんて使ったことあるんですか? 鐘ならしさんなんですねえ」
そりゃ確かに使ったことなんかないけどさ。自慢ではないが、俺は英語は苦手なのだ。
「鐘ならし」
「というか、ただの鐘ならしさんではなくってね、警鐘を鳴らすもの、っていう意味があるんですわ。そっちの意味入っていたら、結構面白いんですがね。結構物騒」
へえ、と俺はうなづく。
「よく知ってるなあ」
「雑学の大家と呼んで下さいや。どーでもいいようなコトをたくさん知ってるのは、知らないより人生楽しいでしょうに」
「お前は人生楽しそうだよなあ」
「楽しいですよ。カナイ君はじゃ、楽しくないんですかね?」
奴の右側の口元がひらりと上がる。一瞬、心臓が、飛び上がった。ふと、両の腕から、血がすっと落ちていくような、冷たくなるような感覚があった。
そんな俺の動揺に気付いたのかどうなのか、お、と顔をステージの方に向けると、奴は軽く伸びをした。
「ま、どーでもいいですがねカナイ君。あるものは楽しみましょうね」
そしてくくく、と含み笑いを俺に向ける。
「言われなくても」
「本当に?」
本当、と言い返そうとした時、スピーカーが悲鳴を上げた。どうやら始まるらしい。
機材のセッティングが終わる。この日のバンドは全部で六組くらいある。で、この日の出演バンドのうち二番目、などという目立たない位置にあるこの「RINGER」というバンドは、無茶苦茶熱狂的なファン、というのはどうやらあまり無さそうに見える。
さっきまで騒いでいた子達はもういなかった。後ろへ下がったのだろう。入れ替わる前の客達の年齢が上がったようにも見える。メンバー一人一人が出てくる時も、さほどに声が上がる訳でもない。
四人組だ。ヴォーカルにギターにベースにドラム。
少し小柄なヴォーカルが定位置に立ち、マイクスタンドにむき出しのすんなりした腕を伸ばした時、ライトが点いた。
ヴォーカルは顔を伏せている。やや長めの髪がぱらりとかかり、顔が半分隠れている。フロアが静まる。
どうなるのだろう?俺は何となく身体を固くする。だが次の瞬間。
ギターが恐ろしい速さで音を刻みだした。
肩から、悪寒にも似た感覚が、一気に首筋を通って、足先まで走った。
シャワーだ、と俺は思った。家のじゃなく、ガキの頃、ぎゃあぎゃあ言いながら、先生に追い立てられて入った、あのとてつもない冷たい水の。あの瞬間。
四小節。同期のキーボードがギターと似た、少し上の音を入れる。四小節。
ベースとドラムが一斉に入った。硬めのリズム。そして同時にマイクスタンドからマイクを取って、ヴォーカリストがひらりと動いた。
イントロの「決め」。ヴォーカリストとギタリストが調子を合わせて動く。ギタリストの、色を抜いた長い髪が揺れる。そしてふらりと首を振って、ヴォーカルが入った。
俺は思わず見入っていた。
華やかなメロディ。だけど何処か懐かしいような。
何なんだろう。
突っ立ったまま、俺は、その何か、の出所を探していた。何なんだろう。リズムじゃない。声じゃない。あの声は、よくある声だ。上手いことは上手いし、聞き易い声だ。動きも綺麗だ。だけど、そうじゃない。
直感が、何か告げている。頭を空っぽにして、自分の目が何処を追うのか、試してみる。俺は時々自分自身に嘘をついてしまうから、何を求めているのか判らなくなった時には、身体を信じる。耳を澄まし、ぼんやりと、どれが「それ」なのか、身体が向く方向を信じる。
何なんだろう。
視線が、一ヶ所で止まる。
―――あのギター……