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1-1 カナイ君、タキノ嬢を紹介される

「ほーんとうに、おごりなんだろな?」


 行き先に近づくにつれ、何となく俺は不安になった。

 普段は行かない地下鉄の駅。湿った空気。かなり古めの壁。タイルのつやつやした緑。

 思わず俺は前を歩く、本日の行き先のスポンサーの肩を掴んだ。驚いてコノエは振り向いた。毎日ちゃんと手入れでもしてるのか、形が整った眉がぴくんと上がる。

 奴はくるりと振り向くと、腰に手を当てて苦笑する。明るい色の短い髪が、外向きに飛び跳ねる。


「アナタもねえ… たいがいあの学校の学園生なのに、せこいんではないですかね? カナイ君や?」

「だってなあ…」


 そうは言っても、所詮高校生なのだ。しかも高校生になったばかりの。


「だから最初っから言ってるでしょう? オトモダチの一人が行けなくなったんで、無駄にするのが嫌なだけなんですってば。そりゃワタシも、払ってもらえたらそれにこしたことはないんですけどね」

「…」

「またそんな顔する。期待してませんよ、別に。ただチケットは今日のもう一人持ちだから、今すぐに渡せないんですってば」

「ならいいけどさ。今月金欠なんだよ」

「それはそれは」


 奴はひらひらと笑う。何処の言葉なんだろう?標準語とはやや違うくせが端々に感じられる。

 そもそもこのクラスメートが自分を誘ったのが不思議だったのだ。

 今年の外部入学者は、学年全体で五十人。コノエはその一人だった。

 割と有名な伝統私立、小中高一貫教育を歌う俺達の学校は、各過程進級の際、少しばかり外部の人間を入れる。だいたい一割。一学年にクラスは十あるから、外部の連中は各クラスに五人居る計算になる。

 うちのクラスにも無論、五人配置されているのだが、その中でもコノエは目立つ奴だった。

 目立つのは明るい髪の色のせいだけじゃあない。さすがにこの学校では少ないが、先輩達の中に、そういうカラフルな人はちょこちょこと居るのだ。

 奴が目立つのは、そんな明るい髪とか、180センチ越えた高い背とか、何か一つ一つのパーツがくっきりして整った顔立ちとか、そういう外回りだけのことではないのだ。

 まあ女子生徒が騒ぐのは、そういう外回りのことが多いのだけど。片ひじ立ててふっと笑う時の顔なんて、同じ歳の連中より、何か少しばかり上にも見える。

 俺なんかは、どっちかというと、年相応に育ってきたって感じのルックスだ。それ以上でもそれ以下でもない。クラスに居ると、埋没まではしないだろうけど、かと言って、奴ほど飛び抜けて目立つという訳でもない。背丈だって、まあ低くはないんだろうが、奴ほどある訳じゃないし。

 それに奴の目立つというのは、そんな外見だけではないのだ。

 だいたい外部生っていうのは、厳しい受験をくぐり抜けて全国から集まってきた奴らなんだから、成績はいい。―――いいはずだ。

 さすがにまだ最初のテストの結果すら出ていないのだから、周囲と比べてどうのって、決定的なことは言えないのだが。

 だけど、何となく判るじゃないか。例えば普通の授業態度。例えばちょっとした受け答え。そういったものでも、奴は答えに余裕があるのだ。付け焼き刃でない、何か。

 男子の外部生はコノエの他に、マキノという奴が居るけれど、こいつとはまだ俺は話したことがなかった。小柄で可愛い(…男の俺がこう言うのは実に恥ずかしいのだが客観的に見て本当だからしょーもない!)のだが、何となく、声をかけ辛い雰囲気があるのだ。

 まあマキノもまた向こうも向こうで、あまりクラスメートのことを気にしてはいないようだ。

 特定の友達も今のところいないようだし、作ろうともしていないように見える。だがだからと言って、一人きりぽつんと暗いという訳でもない。ただふわふわと自分の世界を作っているような所があるように見えるのだ。だからまあ俺は、取り立てて積極的に仲良くなろうとか思ったことはないのだけど。

 とは言え、基本的に俺は人好きらしいので、声を掛けてくる奴には仲良くなろうって気が起きてしまうのだ。


 さてそのコノエの場合。

 新学期である。となれば、出席番号順に席が決められてしまうのはよくあることだ。そしてどうもカ行の男子はこのクラスには少なかった。カナイ君のあとには、コノエ君。俺の後ろに、明るい髪。

 配られたプリントを回そうと振り向いてぎょっとした。視界に入った明るい髪。しょっぱなから奴は、堂々と居眠りを決め込んでいた。

 さすがにこりゃまずいんじゃないか、と突っつくと、本当に眠そうに、う~っとうめきながら顔を上げた。

 その時に目が合ってしまったのが、運のツキだ。


 今日も今日とて、入る部活がまだ決まっていないから、と暇な俺を、知ってるバンドのライヴチケットが余ってるからと連れ出した。

 地下鉄の駅から出てしばらく歩いた。見慣れない道だ。普段来たことの無い、ちょっとばかりごみごみとした通り。まだ五月にもなっていない夕暮れは、ちょっと肌寒い。


「お、居ました居ました」


 コノエはひょい、と手を上げる。

 ライヴハウスというよりは――― 回りに赤や黄色の電球がついている看板灯が道のへりに置かれていて、「不夜城」なんて書かれてる。―――スナックかなんかじゃないか、と俺は何となく思ってしまう。

 奴はそのまますたすたとその看板灯の方へと進んでいく。


「遅いじゃない!」


 女の子の声が、した。

 途端、コノエの表情が変わる。学校で見たことの無い程に、嬉しそうな笑い。

 看板のちょうど向こう側くらいに、小柄な少女が居た。何やらずいぶんと大きめのジャケットに、下はデニムの短パン。ちょっと脚が寒そうだけど、すんなりと伸びた脚は綺麗だった。長めのカラフルな靴下をルーズではなく適当に履いてるだけなんだが、それが妙に似合ってるから不思議だ。そしてその下に、ずいぶんと厚底のスニーカー。


「…ああごめんなさいな…… でもまだ大丈夫ほら」


 奴はそう言ってその女の子に近づくと腕時計を見せる。手首を覆ってしまうくらい大きいそれは、文字盤も実にくっきりしている。


「ワタシがキミとの約束を破ったことなんて、ないでしょう?」

「そりゃそうだけどさあ?」


 彼女は首を傾げる。そして次の瞬間、俺は凍り付いた。

 長い腕が伸びる。コノエは当たり前のようにその彼女をふわりと抱きしめた。そしてちょうど奴の胸のあたりに顔が埋まる彼女の頭をぐりぐりと撫でる。

 …公衆の面前だぞ… おい。

 相手は相手で、その腕を奴の背中に回してはすりすりと撫でている。大きな袖があふれかえったすき間から見えるのは、細い腕。

 何やら今にでもキスの一つでもしかねない奴らの様子に、俺は赤面しそうになって目をそらした。


「…で、これ、何?」


 そんな俺の様子に気付いたのか、奴の腕ごしに、彼女はぬっと顔を出すと、大きな目を見開いた。太い眉。童顔だ。化粧気もない。いや、リップクリームくらいは塗っているのか?そこだけがちょっと赤い。でもそんな化粧など、必要ないくらいにくっきりした顔立ち。


「ん? ガッコの友達。カナイフミオ君っていうんだよ?キミも仲良くしましょーね」

「カナイフミオ君、ね? ふーん」


 ふーん…って… おい。そんな俺の驚いたマヌケ面に気付いたのか、コノエは彼女を抱きかかえたまま、向きだけを変えて俺の方に向ける。


「でカナイ、これ、タキノね」

「たきの?」

「タキノでーす」


 にこにこと笑いながら彼女は自己紹介をする。だけどそれ以上は二人とも言わない。曖昧な名前。名なのか名字なのかさっぱり判らないじゃないか。

 聞こうとしたら、コノエの言葉にそれはかき消されてしまった。


「チケット、渡してあげなさいな」

「んー?」


 ゆらゆら。どーしよっかなー、とかつぶやきながらも、彼女は上着のポケットから、チケットを取り出した。コノエはそれを受け取ると、数枚あるその中から一枚を俺に差し出した。


「あげますけどね、気に入ったら、ちょっと色つけてくれると嬉しいんですけどね?」


 はいはい、と俺はそれを受け取った。手にしておや、と思う。それはチケットカウンターのものではない。サイズも小振りだし、何やら細いマジックで手書きの番号が書かれている。

 **会館とか**公会堂とか、「コンサート」にしか行ったことの無い俺には、なかなかそれは新鮮なものに映る。


「ねーそろそろ行こうよ」


 タキノはコノエの袖を引っ張った。はいはい、と奴はまたもや表情を変えると、俺にこっち、と合図を送った。

 合図のままに俺は動き出した。地下のライヴハウスなんて初めてだ。

 階段を半分だけ降りると、チケットのチェックがあった。そこで番号を確認されて、俺達は階段を再び降りる。空気が湿っぽい。壁のコンクリが何処かかびているのかもしれない。そんなにおいがする。

 コンクリの壁には、所狭しとポスターだのちらしだのが貼られている。凝った綺麗なカラーのものもあれば、何処をどう見てもコンビニエンスのコピー、というものまで千差万別、実に目に楽しい。

 俺は別に特別バンドシーンに興味というものがある訳ではないのだが、目新しいものを楽しむ習性はあるらしい。そう産んでくれた両親にはとりあえず感謝しよう。

 もう既に開演時間も近いということで、客も結構入っていた。だが動き回れない程多い訳ではない。前に詰めかけた連中はともかく、後ろのほうはゆったりと、休める程度のスペースがまた所々にあるぐらいだ。

 慣れているらしく、コノエとタキノの二人は、その合間をするすると抜けていく。ちょっと待てよ、と俺は慌ててコノエの制服のジャケットの裾を掴んだ。


「何なの」

「何なのってお前、そんな、前へ…」

「だってカナイ君や。タキノは最初のバンドがお目当てなんだよね」

「最初の?」


 俺は慌ててポケットからチケットを取り出す。確かにそうだ。バンド名かと思っていたのは、どうやらその日のイヴェント名らしい。その下にちょろちょろと幾つかのバンドの名前が印刷されていた。

 ステージは暗転したまま、何やらごそごそと誰かが動き回っている気配。本当に時間通り始まるのだろうか、と何となく心配になってしまう。

 スピーカーからはUKなのかUSAなのか忘れたが、少し前のヒットチャートで聞いたことのあるバンドのナンバーが延々と流れている。コノエは何だかんだと言って、タキノをかなり前のほうにまで押し出してやっていた。要するに、それについている俺も一緒ということだが。

 と、いきなりスピーカーの音楽が止まった。そして次の瞬間、ばかでかい音で、何処かの線が数本切れたようなギターの音がけたたましいナンバーが響いた。ああピストルズですね、とコノエのつぶやく声が耳に入る。

 タキノはそれが合図のように、コノエの腕の中からするりと抜け出すと、前のほうに群れている女の子の中に入っていった。


「お目当てなの。彼女の。哀しいじゃないですか。ワタシは取り残されるのですよ」


 はあ、とズボンのポケットに手を突っ込み、おどけた口調のコノエのつぶやきに、俺は否定も肯定もしないあいづちを返す。


「でも可愛いではないですか? ああいうのは見ているだけで楽しい」

「…お前それじゃあ、オヤジだよ」

「ん? そーですかねえ? 至って普通だと思うんですがねえ」


 何処がだ。そう思いつつ、ばりばりと響くギターの音に、俺は見も知らぬバンドの演奏が始まったことを知った。

 背中しか見えないタキノはその瞬間から、腕を振り上げ頭を振り振り、実に楽しそうに踊っている。

 何処がいいんだろう、と俺はその演奏を腕を組んで見ている。まあ別に下手って訳じゃあないんだ。

 いや下手は下手なのかもしれないけれど、俺はそこまでいちいち聞き分けられる程、音楽を聞き込んではいない。とりあえず耳障りではない、その程度にしか判断はできない。でもきゃあきゃあ騒ぐ連中の感覚はやっぱり理解できない。

 俺の斜め前に居るコノエもそのへんは同感らしく、視線こそ前へ行ってはいるが、それはバンドよりは、彼女のほうを見ているとしか思えなかった。

 …気がしれない…

 それがその時の俺の正直な感想だった。

 だが数十分後に、俺のその感想がくつがえされることになろうとは誰が知るだろうか?

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