日常
ピンポーン、
朝、俺が制服に着替え終えたころ、控えめなインターホンの音が聞こえてくる。
エレナが来たようだ。毎朝毎朝、ようやるよ。
ふむ、それにしても、ちょいと悪戯心が湧いてきたな。
ちょっと居留守を使ってみよう。
「りゅ、龍君……? い、いるのかなぁ……?」
扉越しに、エレナの不安そうな声がくぐもって聞こえてくる。
ピンポーン、
もう一度、インターホンが鳴らされた。
「りゅ、龍君、寝てるのかな? だ、だったら、お、おおお、起こしてあげないと!」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、
インターホンが三度連続で鳴らされる。
「りゅ、龍君? これ、やっぱり寝てるよね? そ、そそそ、それとも私より先に行っちゃった? ううん、それは私の龍君に限ってあり得ないよね!?」
扉越しの声が、だんだん怪しい熱を帯びてくる。
こ、これって……まずいんじゃあ……?
「で、でも、起きていたら起こしてあげるのも変だし……ちょ、ちょっと確認。そう、ほんとにちょっと、ちょっと……!」
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポピンポピンポピンピンピン!
(こ、怖えええええええええええ!?)
いっそ狂的なまでに、インターホンが連打される。その感覚は徐々に狭まり、今や『ピピピピピピピピ』とマシンガンのごとき連射だ。
「こ、これだけやっても反応がないなら……や、やっぱり寝てるよね?」
インターホンの連射がおさまり、エレナの声が聞こえてくる。もはやその声は、熱に浮かされたどころの話じゃないほど熱っぽい。まるで……狂気に浮かされているような……。
この段階で、俺は一刻も早く狂気を止めるべく、どっきり大成功的に出ていくつもりだ。
だが、この役立たずの体は……恐怖で動かない。フルゲージ状態のときはベラベラと余計なことを話す癖に、こういう時はこのざまだ。
そして恐怖で動けない俺が部屋の中で起きているとも知らず、その恐怖の根源は、さらなる凶行をする。
ガサガサ、と鞄の中をあさる音が聞こえたのち、ガチャガチャ、と金属音が聞こえてくる。
俺は恐怖を押し殺し、ドアを見た。
そこでは、
ゆっくり、ゆっくり、けれど確実に――内鍵が回っていた。
「あああああああああすまんすまん! いやあちょっと転寝してたよごめんごめんあはははははは!!」
俺はそのまま、本能的にドアに突撃し、鍵を開けてから勢いよくドアを開けた。これ以上の恐怖を味わうと、俺の心が耐えられない。ついさっきなんで鍵が回っていたのだろう、とか、そんなのは気にしてられない。
「りゅ、龍君!?」
エレナが両手をさっと背に隠すが、そこに握られていた見覚えのある形状の光を反射して光沢を放つ何かが見えてしまったとしても、それは何かわからないものだ。うん。
「な、なんだぁ、転寝していただけだったんだぁ」
先ほどの危ない声色はどこへやら、いたっていつも通りの声で、エレナはふわり、と柔らかい笑顔を浮かべてそういった。
「あ、ああ」
その陽だまりのような笑顔は素晴らしかったが、和らぐどころか恐怖が増してくるのはなぜだろう。
「そ、それじゃありゅ、龍君。行こうか」
そういってエレナは、階段の方向に歩いて行こうとする。
「おう。……おっと、ちょい待ってくれ」
「……?」
俺が隣の部屋のドアで立ち止まると、エレナが首を傾げる。
俺はそれにかまわず、そこのインターホンを押した。
ピンポーン、と音が小さく響いてから少しして、ドアが開けられる。
「まったく、朝っぱら騒がしいです。さ、とっとと行くですよ」
中から出てきたのは、小柄で虹色の髪の毛をした美少女、颯希だ。
「あ、へ、う、おえ?」
エレナは颯希を指さし、間抜け面で何か日本語じゃない言語が口から洩れていた。
「ああ、教えてなかったな。昨日颯希の実家を訪問して決定したんだけど、しばらく颯希はここに住むぞ。つーのも、二人だけでチームを組むことになってな。なるべく離れないように、これから登下校も一緒に……どうした?」
説明している最中に、エレナに起こった異変に気付いた。
顔は真っ青になり、息が荒くなっている。長い前髪で顔半分が隠れて影になり……はっきりいって、怖い。
「訪問……お隣……登下校いっしょ……離れない……チーム……二人きり……絆……そして進展……っ!?」
エレナは何事か小さくつぶやいた直後、
「ふふ、ふふ、ふふふ、ふふふふっふふっふふふ!」
甲高い声で、さっきみたいな恐ろしげな熱がこもって声で笑い始めた。
「な、何があったです!?」
颯希が顔を真っ青にしてドン引きしている。
「昔から、不定期にこんなことがあるんだ。原因は知らんが、発作的なものだろう」
俺は恐怖から逃れるべく、先陣を切って階段を下りて行った。
■
「まじか!? じゃあこれからお前は、美少女二人と毎日登下校ってことかよ!?」
登校中は、エレナが怖くて終始無言だった。俺と颯希が歩く後ろで、顔に影を差してひたすら不気味に笑い続けた。
学校についてから、颯希はエレナから逃げるようにどこかへいった。エレナは相変わらず笑い続けているが、少し元に戻ってきた感じだ。
学校に着き、恐怖から逃れるために康大にこれまでの事情を説明したところ、大声でそんなことを叫ばれたのだ。
「お前さぁ……そこ突っ込むか? 普通、俺と颯希がチーム組む羽目になったことを気にしろよ。どう考えても不自然だろ?」
俺は深い溜息を吐き、康大を冷たく見据える。
このバカ……魔法使いならばその辺に敏感になれよ。
「まぁ不自然ちゃあ不自然だな。お前ん所なら、本家から一人や二人こっちに送れるだろうに」
「考えられる理由としては、俺たちが囮であり、敵をおびき出したら隠れていた仲間が相手を倒す、という流れだろうが……視線や気配は感じないし、魔力線も見えないから違うっぽいんだよなぁ……」
まぁ、いくら考えたところで、父さんたちを筆頭に何を考えているかわからないのばかりいるのがうちの家族だ。何を考えても無駄だろうな。
「た、ただいまです……」
颯希がいつもの元気さが鳴りを潜めた状態で戻ってきた。エレナは、笑うのをやめたものの、何やらぶつぶつ呟いている。
「怖えぇなおい。まぁ、なんとなくお前ならやらかすとは思ったが」
康大は俺を責めるような目線を向けてきた。
「おいこら、なんで俺にそんな目線を向ける。いくら幼馴染だろうと精神異常までは管理できないぞ」
このクラスでは一番まともな精神をしているであろう康大に、俺は苦言を呈す。そんな目で見られる筋合いはまったくない。
「ああ、龍君、稲宮さん、来たね」
ふと、地獄の底から響いてくるような暗い声が、俺たちの耳に入ってきた。
「え、エレナ……?」
俺は『龍君』というワードに反応し、エレナの名前を呼ぶ。
「龍君……稲宮さんとチーム組んだんだよね? だったら、友好勢力である私も一緒に組めるはずだよね? そうだよね? そうじゃなきゃおかしいよね? だってそうじゃないと……色々……危険だし」
おかしい。いつもの控えめでおどおどしているエレナはどこいったのだろうか。頭でも打ったのだろうか。
ていうか、途中に小声で色々と挟んだのは何が理由なんだ、おい。何が危険なんだ。
「い、いやぁ、どうだろうなぁ……。俺たちも半ば命令で組まされている感じだし……ちょっと確認とってみないとなんとも言えん」
俺がエレナにそう言っている横で、颯希が携帯電話を取り出した。準備がいいことだ。
「じゃ、じゃあ、ちょっとお父さんに確認とってみるですね」
颯希もギャップに戸惑っているのか引き気味だが、ともあれ確認をとる。スピーカーモードにして全員に聞こえるようにする。
『なんだい、颯希?』
「あ、お父さんですか」
特に何もしていなかったようで、三コール目で出た。
「いえ、ちょっと確認です。『御子の恩寵』の代表者の一人で、クラスメイトの三枝エレナさんが、私と龍也さんのチームに入りたいって言っているです。これって、許可降りるです?」
緊張の一瞬だ。この回答いかんでは、もしかしたらエレナを全力で止めることになるかもしれない。
ふと、視界の端で魔力の輝きが映った。
そちらにいるのは康大。どうやら、有事の際に備えて魔法を準備しているようだ。
康大の魔法……魔術は、魔力を体に流して身体能力を上昇させる、というもの。俺たちの魔術の中では屈指の使い勝手を誇る。
狂人の力というのは凄まじい。発狂したか弱い女性を、男三人でも抑えられず、逃走を許してしまった事例もあるぐらいだ。
そうなると、ここで康大が本気を出すのは当たり前だろう。
「なんなら抑えるついでに、あのメロン二つの感触でも味わおう」
「狂人に襲われて死ね」
「ひどっ!?」
一瞬格好いいと思った俺がバカだった。
『ああ、あの勢力の娘さんも同じクラスだったね。うん、友好勢力だね』
電話から聞こえてきた声に、エレナが顔を輝かせる。一方颯希は、複雑そうな表情をしていた。これは、雰囲気からして大丈夫そうだ。
『けど、二人だけで組ませるの自体が決定事項だから、他の子が介入するのは認められないな』
「キョエエエエエエエエエッ!」
「きもっ、です!」
エレナが目を尖がらせ、奇声をあげながら颯希の携帯を手刀で壊そうとする。颯希はドン引きしながらも回避したが、今の奇声は電話の向こうの優斗さんに聞かれたはずだ。
『じゃ、じゃあこれで!』
ツー、ツー、と、無機質な電子音が聞こえてくる。優斗さんは逃げるように電話を切った。電話の向こうから聞こえてきた声が、それを物語っている。
「キュアアアアアアッ!」
「ちょっ! まじできもいです! ギャル語が出るぐらいです! おこですか!? 何を理由にそこまで激おこぷんぷん丸なんですか!?」
あんな奇声が聞こえてきたら俺だって切るだろう。精神衛生上良くない。
「はいはい、落ち着け落ち着け」
康大が魔術で強化した体力で、発狂するエレナを後ろから抑える。エレナは相変わらず奇声を上げながら暴れているが、康大は余裕そうだ。
「ああ、髪の毛やうなじからいい匂いが……」
それどころか、恍惚とした表情を浮かべている。ひどすぎる。
「な、なんなんですか、このカオスは!? 後ろから這い寄るどころの騒ぎじゃないカオスです!」
颯希は小さな体を俺の後ろに隠し、俺を楯のようにしてエレナの様子をうかがいながら叫んだ。
うん、なるほど。けれど颯希、お前だってその髪の毛は十分カオスだぞ。
結局このカオスは、先生が来るまで続いた。
■
さて、今日から放課後は颯希と色々出かけることになる。
「といってもやることなんてぱっと見つからないですけど」
下校中、俺と颯希は二人で並んでそのことを話していた。
寮が同じであるため、最初から最後まで一緒だ。エレナや康大は別の寮である。
「そうだよなぁ。いきなり放課後パトロールがてらに色々出かけろ、とか言われてもなぁ」
この町に娯楽施設はないことはないが、規模は小さい。一日回ればそれでお終いになりそうだ。
「あ、それじゃあ、ちょっと買い物に付き合ってほしいです。引っ越し祝いに、うちで引っ越し蕎麦パーティーでもするですよ」
颯希がそんな提案をしてきた。
「なるほどな。そんで、その買い物も一緒に行こう、と」
ふむ、どうせ行くところがないならそれでもいいだろう。
「それじゃあ決定で――」
そこで、強い風が吹いた。季節は春。強い風が吹いてもおかしくはない。
その風は当然俺たちにも襲い掛かり、服をはためかせる。
「「――っ!?」」
そう、恐ろしく短いスカートも。
颯希は顔を真っ赤にして抑えるが、一瞬ながら見えてしまった。水色の可愛らしい下着が。
「……失礼」
「…………」
俺はさっと目をそらし、冷静にごまかそうとする。だが、顔が熱くなってくるし、多分今の俺の耳は真っ赤だろう。
「…………」
「…………」
沈黙が、降りる。
顔をそらしながらも、横目で様子をうかがう俺。
顔を真っ赤にし、スカートを抑えながら涙目で睨みつけてくる颯希。
「――神罰ですうううううう!」
「不可抗力だ!」
颯希が殴りかかってきたが、俺はそれを躱した。
■
颯希と熱いボクシングを繰り広げた後、――なお、片方は一方的に避けていた模様――それぞれの部屋に戻って着替えたのち、スーパーへと向かった。
颯希の格好は、さっきの反省が生かされているのか逆なのかわからないミニスカート。制服ほど短くはないが、それでも膝上だ。
「それで、お前は蕎麦に何を入れるつもりだ?」
俺はスーパーのタイヤ付き籠を押しながら、隣でスマホを使って蕎麦のレシピを見ている颯希に問いかける。颯希は個人用にスマホ、魔法使いの話をするときに携帯電話、と使い分けているらしい。
「そうですねー。せっかくお祝いですし、パーッと豪勢に行きたいですね」
スマホをポケットにしまい、颯希は何かを決めたように顔を輝かせて頷く。
「つゆと蕎麦も高めのを買って、えび天、かき揚げ、卵、その他もろもろトッピングたっぷりでいくです」
ほう、美味そうだな。
俺は期待に胸を膨らませ、陳列棚を覗――いや、待てよ? 嫌な予感がする。
そう、これは思いもよらぬ場所で魔力線を見てしまった時のような、足の先から頭まで駆け抜けていくような悪寒に近い。
「なぁ。――そのその他もろもろって、詳しくはなんだ?」
俺は思わず、こわばった声で問いかけてしまう。声が、こわばってしまう。
「んー、そうですねぇ。それこそ多すぎて本決まりではないですが――」
颯希は花びらのような唇に人差し指を当て、考えるようにそう言って、間を置く。
そしてその口角が吊り上り――いや、普通の笑顔だ。魅力的な笑顔ではあるが、俺は恐怖のせいか、それが悪魔の笑みにしか見えない。
「――ベルギーワッフルを入れるのは確定ですね!」
「絶対やめろ!」
決めた。今日の蕎麦は、俺がつくる。
■
「おら、出来たぞ」
「さ、ささ、どうぞこっちにです」
颯希の部屋のキッチンを借り蕎麦をつくり、両手にそれが入ったどんぶりを颯希に誘導されたテーブルに置く。
颯希の部屋は、カラフルでファンシーだった。
なんかもう、神社の娘とは思えないファンシーさである。ぬいぐるみもいくつか置いてあり、家具も小さくて可愛らしい。女の子の部屋って感じだ。
どんぶりの中には、蕎麦とつゆ以外なにもいれていない。大皿に盛ったトッピングから好きなものを勝手に放り込んでいくスタイルだ。
「それじゃあ颯希の引っ越しを祝しまして」
「今までの妙な縁を切るべく」
「いやいやちょっと待て」
颯希の言葉に思わず突っ込む。颯希は不思議そうに首を傾げている。
「引っ越し蕎麦ってのは、蕎麦のように縁が続きますように、って意味だぞ」
「へぇ、そうなんですか。蕎麦ってすぐに噛み切れるから、今までの縁をすっぱり切って新しい生活に臨む、って意味だと思ってましたです」
颯希は感心したように頷いた。
「お前さぁ……そりゃあ年越し蕎麦だろうが……」
新年に入る前に、今までの嫌な縁を断ち切る、という意味がある。
「えー、だとしたら、それってむしろ縁起悪くないですか?」
颯希は嫌そうな表情をしながら、生卵を蕎麦に落とす。
「なんでだ?」
俺はとくに言っている意味が分からず、颯希と同じように生卵を落とし、それを蕎麦の中に埋めながら問いかける。
「だってそれ、今の状態が長く続くようにってことですよ。――いつまでも襲撃に備えて気を張っているなんて、勘弁です」
颯希は八つ当たり気味にねぎとえび天を大皿から乱暴に放り込みながらそう言った。
「なるほど、確かにその通りだ」
嫌なことを思い出したな、と思いながら、俺は頷く。
確かにそうだ。今の状況が長く続くのは――勘弁してほしいかもしれない。
……?
この違和感はなんだろう。妙に、この状況が、続いてほしいとも、感じてしまっている。
気を張りながら生活を続ける趣味はないし……訳が分からん。
「さて、ではメインです!」
颯希は少し暗くなった空気を払しょくするように、袋を開けてベルギーワッフルを自身のどんぶりの中に放り込んだ。
「……………………」
食欲が失せるわ!




