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03

 五中、というのは五里霧中の略ではない。五百森中学校という、この学校の通称だ。

 通称では「ごちゅう」と呼び習わすものの、正式には「ごひゃくもり」ではなく、「いおもり」と読む。大きな森も多い町であるから、そんな命名も否めない。否めないが、いかにも田舎であることを示しているようで、「天羽」と書いて「あもう」と読む隣町と比べるとますます田舎じみた気がして、町名を好きだという学生は少数派だ。

 五百森町と天羽町、二町あわせて歌住(うたずみ)市。転出入など、あったとしても大抵は市内間である。

 だから、隣の雨海(うかい)市からの転入生というだけで、盛り上がりはそれなりのものだった。





「転校生が来るんだってなソノアキ!」

「男か? 女の子か? ソノアキ!」

「もしや美少年かしらソノアキ!」

「どこの学校から? ソノアキ!」

「ソノアキソノアキってうるさいよお前ら! 何で全員俺にふるんだよっ」


 1年1組における盛り上がりは、おそらく校内一であったろう。

 話によると、転入生がやって来るのはこのクラスなのだ。


「だってソノアキだから」

「もう少し理論づいた理由にしろよな! ふっ、だがまぁ、この和園明に判らないことなどない」

「かっこつけてねえでさっさと流せよ、報道部情報を」

「そうよ、あんたがこのクラスにいる価値なんてそれくらいしかないんだから」

「ひ、ひどっ。あと9ヶ月耐えられるかな俺ー」


 朝休み。盛り上がりの渦中にいるのはやはり和園明で、莢花たちは一歩引いてそれを眺めていた。


「転校生ねえ~……転校してくれないかな、鷹本透」


 ぼそっと飛び出してきた台詞が真に迫っていて、瑞梨は慌ててやさぐれた親友の口をふさいだ。


「そこまで求めるのはいかんよ! せめて視界に入るな、くらいにしといて」

「もごもごもご……!」

「あいつの方が悪いのよ? そーだね、その点に関しては私も否定できないけどね……」


 視聴覚室前での遭遇以来、莢花の、鷹本透に対する悪感情は強くなっていた。

 それと言うのも、明るく優しい「1年の星」の裏側で、莢花たちと校内ですれ違うたびに、莢花が無視しようとすればするほど、鷹本透がこっそりちくちく揶揄してくるせいだ。きっと莢花の名前も知らないであろうに。


「構うから面白がられるんだよ、莢ちゃーん。あのひとも普段周りから称えられてるから、莢ちゃんみたいなマイナス反応が愉快なのよ」

「もごもごもが!」

「違う、あれが奴の本性? そーだね、でも男子なんてそんなもんだってば。神埼先輩だってそうかもしれないし」

「むぐぐ!」

「馬鹿な? いやいや、純粋真っ白な中学生なんてそうそういないって~。あ、先生の足音が」


 最後だけ大きくなった一言に、クラス中が反応し、急いで席につく。35人がベルより前に着席なんて先生は感涙ものだよなー、と委員長が洩らすのに笑って、莢花は窓側の一番後ろへ、瑞梨はその前の席へそれぞれ戻った。

 瑞梨の言ったとおり、担任である近衛(このえ)先生の足音が近付いてくる。1組の教室はフロアの最奥に位置しているので、ここに至るまでの廊下も長い。自然、歩き方の特徴で、生徒は誰がやって来るのか聞き分けることができるようになる。


 足音は、ふたつ。









海音寺(かいおんじ)学園中等部から転入してきた、弓原つかさ君だ」


 ゆみ、はら、つ、か、さ、と近衛先生は発音した。

 その音が、1組の教室にはまるで天使の名のように響いたのだった。


「はじめまして。弓原です。5月末という半端な時期に来ることになったんですけど、五百森中に来るのをとても楽しみにしていました。これからよろしくお願いします」


 さやさや、流れるような挨拶に、お辞儀をひとつ、そしてふわっと上げられた顔に、


(う、うわあああー……)


 思わず、と言った感じで、あちこちからため息が洩れ、前の席の瑞梨からもはっきりと聞き取れた。

 そりゃそうだろう――と思いながら莢花自身、自分がどんなにぽかんとしているか、自覚があった。

 雨海市の、いや県下の名門、海音寺学園からの転入生というだけで充分に色めきたつファクターなのに、弓原つかさ当人の持つ要素の前ではそんなことを忘れてしまう。

 馬鹿みたいに唖然としたままのクラスメイトたちに、彼は柔らかく、はにかんだように笑った。

 その笑み一つで、何人の女子が胸を打ち抜かれ、また男子が照れたことか。


 白皙の美少年――と、いつか鷹本透を評したのは誰だったろう? あんた何を言ってんの、と莢花はそいつをどつきたい。あんた見る目が無いわね、と。白皙の美少年と形容される者がいるとするならば、まさに今目の前にいるあの少年をおいてほかに、存在しない――。


「えー、と。悪いけど八瀬川(はせがわ)宮前(みやまえ)、廊下の机と椅子運んでくれるか。弓原の席はなー……」

「判りますって先生、一つしか空いてないじゃないですか」


 委員長の八瀬川(はせがわ)(もとい)と、副委員長の宮前(みやまえ)ゆきが立ち上がる。

 はてさてどちらが机を運ぶのか、クラスの興味は一瞬そちらに移った。「宮さん」こと宮前ゆきは大抵の男子には負けない力持ち。近衛先生が他の男子ではなく彼女を指名したのもそれを承知しているからだ。線の細い基よりは適任だろうが、気遣い屋を地で行く彼が果たして、ゆきに持たせるか?

 結局は基が机を運んできた。労苦も見せずすいすいと、だんだん莢花に近付いてくる。


「……ん?」

「35人、6人が5列、5人が1列。弓原が入って36人、6×6でちょうど埋まったなあ」


 一番窓際の5人列の、ぽつりと空いた最後尾の空間、莢花の隣に、基はぴっしり机を置いた。近衛先生の感慨深げな独り言を飲み込もうとすると、椅子を持って来たゆきに睨まれる。


「え?」

「うおおう」


 瑞梨が変な呟きと共に振り向いた。


「いやぁ、まさしく『特等席』だね、莢ちゃん」

「よし、弓原、転入生があんな端っこで悪いが、席替えまで我慢してくれな。鳥居!」


 にやりとした瑞梨と、近衛先生の声が重なる。親友に何か言おうと構えていた莢花は突然呼ばれておののいた。


「は!?」

「は? じゃないよお前は。海音寺は私立だからな、教科書や資料集やら違うだろうから」


 最初のうちは見せてもらえな、とこれは隣の少年に向かって言う。

 少年は、弓原つかさは、はいと一礼して、足元に置いていたらしい鞄を携えて、静かに注目を集めながら、机の間を縫うように、莢花の横までやって来た。

 そして、ゆきが置いた椅子に腰掛けるとき、さりげなく、実にさりげなく莢花に笑いかけた。


「よろしくお願いします、鳥居さん」


 ――まさしく、「うおおう」だ。


「こ、こちらこそ……」


 周囲の好奇の目など、映らなかった。日直の声なんて。


 弓原つかさ。

 つかさ君。











 瑞梨が感心した声で言う。


「さすがは委員長、相変わらず気の配り方が一流ね~」


 論点がずれてる、と激しく思う莢花である。視線の注がれる先はもちろん、言わずもがな、言うだけ野暮。

 本日の1組の主役は、1組のその他大勢に囲まれながら昼休みを満喫しているようであった。


「確かに基くんは凄いよ。何気なーくさりげなーく事細かーに、弓原くんのお世話してるよ」

「何よう莢ちゃん。やけに棘がある。そんなに委員長に株奪われるのが悔しいのかい、隣人さん」

「誰も何も言ってないじゃない」

「いやいや、私の背中にオーラが伝わってきてましたよ。でもそれは贅沢だってばさー」


 椅子を後ろ向きにして莢花の机で頬杖をついている瑞梨は、組んだ足の先をふらふらと揺らす。


「宮さんのニラミ、見たっしょ? あれ、全校女子の気持ちの代弁よ」


 確かに。

 ゆきの睨み一瞥どころではない、クラスの女子から向けられた羨望の眼差し――そして言葉。


『羨ましいッ! こんなことになるなら、何が何でも莢花の席ゲットしとくんだったわ!』

『早く来ればいいのに、席替え! あぁあもう、羨ましい莢ちゃん!』


 それを言うなら、同じクラスになっただけでも全校からは「羨ましい!」じゃないかなあと思うのだが、確かに、確かに隣の席というポジションは、この上ない僥倖だろう。

 莢花自身、まさかと思ったのだから。――他に空いている席なんてなかったにも関わらず、だ。


「でもさ、委員長は一流の気遣い屋だもん。肝心なところは莢ちゃんに回してくれてるじゃないの」

「……そうだね」


 授業で使用するプリント類のコピーなど誰でもできる世話を、しかし面倒がられる作業を率先してやるのが、基である。彼は生来の委員長なのだ。

 そして、隣の席の特権、教科書の見せ合いのみならず、ノートや用具を貸すことまで、基は当たり前のように莢花に振った。ノートなんて、実際学年一の秀才という呼び声高い彼のほうが綺麗に取れているであろうに。


「……ほんと、感服するわ。基くん」

「でしょ。私も小5んときは世話してもらったからさ~ははは」

「あぁ……瑞が一小に移ったとき? そっか、基くんも一小だっけ」


 五百森第一小学校、通称「一小」。一小と呼ぶからには、二小も三小も存在する。莢花は三小出身で、瑞梨も4年間は三小に通ったのだが、引越しで一小の校区に移ったために転校したのだ。


「あの時からあんたは『委員長委員長』って言ってたわね……気の多い奴め」

「いいの、委員長は別格だもん。いや、神埼先輩も葛城先生も別格だけどね!」

「――呼んだか鳥居、三嶋」


 心底おののいた。


「うわあああ委員長! いつからいたの!!」


 噂をすればなんとやら、教室外に行っていたはずの基が、いつの間にか傍に立っていた。神出鬼没にも程がある。

 どこから聞かれていたんだろう、と伺えば、基は細い肩をすくめた。


「盗み聞きしてたみたいに言うなよ。通りがかったらたまたまお前らの声が耳に入ったの」


 和園に「お前」などと呼ばれたら怒るくせに、基が口にしても瑞梨は構わず受け取る。莢花も、もし他の男子――例えば、あの憎き鷹本透なんぞに言われたらむっとするかもしれないが、基はなるほど別格だ。姓を呼び捨てにされたり、「お前」呼ばわりされても、何故だか気にならない。偉ぶったところが一つも無いからだろうか。


「あれ委員長、また雑用してたの。昼休みなのに」

「雑用じゃなく公務だって。依田先生が弓原に、4月分の資料見せてやりたいって言うからさ」


 でも依田先生に任せてたら授業に間に合わないだろ、と抱えている紙の束を、莢花の隣、つまりつかさの机に置いた。


「うーん、本当に私じゃなく委員長が生徒会選に出たらいいのにねえ」

「俺はクラスのことで手一杯。それにお前は生徒会向いてるよ。――弓原!」


 騒がしい教室に訪れた一瞬の静寂をついて、基はつかさを呼ぶ。話もひと段落したところだったのだろう、和園やらに囲まれていたつかさは、すぐにこちらを向いた。


「悪い、話中。ちょっといいか?」

「何だよ委員長、横から主役を掻っ攫うなんて横暴だぞ」

「だから悪い、って断っただろ和園。依田先生に泣かれてもいいのか」

「依田ちゃんの名を出すとは委員長! 仕方ねえなあ、少年、また後で話聞かせてくれ」


 つかさを「少年」と呼んだ和園は、制服のポケットに手帳を仕舞っていた。手のひらサイズのソレには大きく「マル秘!」と書かれていて、つまりは彼の取材メモである。


「ソノアキったら……雑談中かと思ったら、ちゃっかり取材中とは。せこい奴」

「なぁんか言ったか鳥居ちゃーん」

「うるさい地獄耳」


 呟きに遠くからわざわざ絡んでくるお調子者をあしらえば、中心に立つ少年の、にこにこ笑っている顔が目に入る。


「ごめん和園くん」

「あぁ、いいってことよ弓原少年。つーかこっちこそありがとな」


 うん、と頷いて、つかさは基のいる方――こちらに歩いて来た。


 「悪いなあ弓原。俺があっち行けばいいんだけど、ちょっと量あるから」「ううん全然、ありがとう」などと会話している二人を、莢花も瑞梨も黙って眺める。親友が何を想っているかなんて、莢花には容易に想像がついた。根っからミーハーな彼女のことだから、内心ほくほくだろう。では莢花自身はと言えば――、


(……優しい、顔だなあ……)


 ふわふわしていた。


「――な、鳥居」

「は!?」 


 だから基に話を振られたとき、思わず甲高い声を上げてしまった。面を上げた拍子につかさとばっちり目が合って、その大きな目が丸くなっているのを見つけて、隠れたくなった。瑞梨は遠慮なく爆笑し、基は目を細めている。


「や、急に声かけた俺に責任あるけど、鳥居ソレ今日二回目」

「わ、判ってる……で、何?」

「うん、プリントコピーしたのはいいけど、まっさらな奴だから、お前の板書見せてやれな、って言った」

「そんなんしなくても委員長のプリントコピーしてあげたら、書き写す手間省けるのにー」


 瑞梨が横やりを入れる。余計なことを! と見遣れば、彼女は確信犯的ににやにやしていた。


「それはまぁ、そうだ。けど俺のプリント汚いからなあ」


 腕組みする基を、書道部ルーキーなのに委員長! と囃し立てる。そんな瑞梨らを見ていて、つかさが慌てたように間に入った。


「いいよいいよ! 書き写したほうが僕も覚えるし。あの、ちょっと時間はかかるかも知れないけど……いいかなぁ、鳥居さん」

「え」


 眦を下げてそんな風に言われたら、もう、莢花としては無言で頷くしかない。


「ありがとう、助かります」

「あ、いえいえいえ。隣の席なんだし。何でも言ってください」


 ふわふわ、ふわん。


 何故に敬語なの、などと笑い転げている親友をはたく気も起こらなかった。

 鷹本透への恨み心も、すっかり飛んでしまっていた。


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