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つきうさぎ  作者: 風之
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戸惑い

 今、彼女は何と言っただろうか? 月? 餅をついていた? 何を言っている? 

 なにかがおかしかった。今の混乱した直人の頭では少女の言葉を理解することなど当然できるはずもなく、さらなる混乱の中に直人は落ちていくばかり。そんな直人をやはり純粋無垢な表情で見つめてくる少女。

「えっと・・・」

「あ、あの、僕ちょっとトイレ!」

 何か少女が話し始めていたが、直人はいったんこの場を離れたほうがいいと思い、とっさに宣言してトイレへと駆け込んだ。そのまま内側からカギを閉め、混乱する頭を冷静にしようと必死に念じる。まず、自分の部屋に女の子がいる時点ですでに混乱を極める状況だというのに、さらにその女の子が理解しがたいことを口走るのだ。冷静でいろというほうが無理である。直人の頭は今、自陣の裏のがけから源氏軍の強襲を受けた平氏軍の三倍ほどの混乱ぶりを発揮していた。

 三分ほどたっただろうか。何とか落ち着いてきた直人は、ようやく少女の言葉と、現在おかれている状況を確認しに入る。

 まず、彼女、月乃は昨晩自分がコンビニに行っている間になぜか自室の前に真っ裸で到達。自分で移動してきたか何らかの形で連れてこられたかはわからないが、発見当初、少女が眠っていたことから考えると前者は考えにくい。となると答えは後者。では、それまで彼女はどこにいて、誰にどのようにあそこまで連れてこられたか。一つ目の答えは、彼女が答えてくれた。「月で餅をついていた」、と。そこでさらに直人の頭は混乱を極める。

 月で餅をついていたって、どんな記憶の改ざんを受けたらそんな言葉が出てくるのだ。しかし、だからと言って彼女の様子からウソを言っているようには見えない。彼女を冷静に観察することができない自分では断言できないが、第一ウソをつくならばもっと現実味のあるウソをつくはずである。何も月で餅をついていたなどというウソはつかないはずだ。それとも、「月」や「餅をつく」というのは何かの比喩表現で、もっと何か別の物を表しているのだろうか? 考えれば考えるほどわからなくなっていく、思考の迷路。

 そんな直人の思考を遮ったのは、自分の腹の鳴る音だった。だらしないその音は、貪欲に食事を求めている。考えればまだ食事を済ませていない。とりあえず腹ごしらえをしなくてはと、腰を便座からあげかけたところで、直人は再び体を固める。食事をするということは、つまりこの空間から出るわけで、つまり外には月乃がいるわけで、あのかわいらしい少女と一緒に食事をするなど自分ができるのかと考えるとうなずくことはできないわけで・・・。

 再び腰を下ろす直人。しかし、頭の中の自分はもう一つの事実も告げている。つまり、自分が腹をすかしているということは彼女もまた腹をすかしているということである。ならば、彼女にも食事を与えるべきであり、このままこうしているわけにはいかない。もちろんこの場にとどまることは自分の腹にもよくないことだし、もし月乃が外にいるという理由でここからでなければ自分は一生ここから出ることすらできない。ならば、こうしているわけにはいかない。勇気を振り絞り、ここから出て彼女とともに食事をとるべきだ。

 すると今度は、彼女はいったい朝食に何を食べたいかという疑問がでてくる。いつも直人はインスタントのご飯とみそ汁で済ましてしまうが、彼女ははたしてそれでいいのか。パンのほうがいいというならばそのほうがいいのではないだろうか。

 ならば彼女に確認してみるのが一番だが、自分にはたしてそんなことができるのだろうか。彼女とまともに会話するくらいなら、空を飛ぶほうがまだ簡単に思えてくる。それを言い出したら、食事をしながら彼女と何を話せばいいのかもわからない。いや、まともに会話できないのだから、結局一緒に食事をとるなど不可能なのではないか?

 そんなことを考えていたため、直人がトイレを出たのは入ってから二十分もたった後だった。結局、彼女にいったい何が食べたいのか聞いてみる。食事中は極力彼女から声をかけられないように部屋の隅に移動。あるいは、最悪トイレの中で食べてもいい。そう意を決してトイレから恐る恐る出てみると、彼女はパソコンの前に座りカチカチとボタンを押していた。

「っあ・・・!」

 直人は声にならない叫び声をあげて、パソコンに飛びつく。パソコンの画面を見ると、案の定、スリープモードにしていたパソコンは電源が付いており、画面いっぱいに美少女が表れていた。

 直人は複雑な表情でパソコンと月乃を交互に見る。本来なら羞恥のあまり叫び出すか、勝手にパソコンをいじった相手にどなり出しているところだが、直人は目の前の少女に対してどう対応するか絶賛悩み中である。とにかくどう行動するべきか決めかねている直人に、少女、月乃はにっこりと笑って言った。

「あ、やっと出てこられました。なんだか面白そうなものが置かれていたので少し触らせていただきました。ボタンがいっぱいですね」

 その表情は心底幸せそうで、少しも悪いことをしたという自覚が感じられない。さらに言ってしまえば、画面の美少女を見ても何の反応も示していない。一般人ならば、こんなゲームをプレイする人種か、と蔑んだ表情をするか、さもなくば自分と同種だ、と会話をしてくるところだが、そのどちらでもない。ただそこには、純粋にパソコンに触れられてうれしいというような雰囲気しか感じられなかった。

 当然、予想外の反応に直人は毒気を抜かれ、さらに対応に戸惑う。そんな直人の心境を知ってか知らずか、少女は笑顔でなおも続ける。

「向こうにもボタンがあったので押してみたのですが、あれは押すと何やら赤いきれいなものが出ました。すごいですね」

そう言って指をさした方向はガスコンロ。びっくりして直人が振り返ると、からの鍋が置かれているガスコンロの火がすべてついている。再び声にならない叫び声をあげて直人が駆け出し、急いで火を消す。荒い息を繰り返すのは、昨晩から数えて何度めだろうか。こんな調子ではストレスで死んでしまう。

 しかし、月乃はそんな直人の気苦労をしらず、むしろ残念そうな表情をする。

「あの、なぜ消してしまうのですか? あんなにきれいだったのに・・・」

 その言葉で、直人は確実におかしいと思った。常識を知らないにもほどがある。パソコンに関して反応しないのはまだなくもない。しかしガスコンロの火を勝手につけて、それが危ないという認識がないというのは、あまりにもおかしな話だ。それとも、わざとやっていて自分を困らせようとしているのだろうか。直人は首をかしげる少女を戸惑いながら見つめる。とにかく、今後こんなことはしないようにいうべきなのは確かだ。

「あ、あの・・・」

 しかし、やはり言葉がうまく出てこない。こんなときにまで上手く話せない自分に直人は嫌気がさしてくる。

 初めの言葉を発してから、再び口をぱくぱくさせている直人を、少女は純粋無垢な瞳で見つめる。少なくとも、直人にはそのような瞳に見えた。

「こ、こんなこと、もう、しな・・・しないように・・・」

 最後まで言い切れない直人の言葉を、それでも少女はしっかりと受け取ったようだ。

「どうしてです?」

 少女の返答は、了解でも拒否でもなく疑問。そんな当たり前のことを聞かれて、直人はさらに口を開閉させながら答える。

「だ、その・・・、あれは、火、火がつくから、あぶな、危ないし…」直人はガスコンロ      を指差す。「それに、そ、その、パソコ、ンは、僕のもの、だ、だから」

 何とか言い切ることに成功する。少女はやはり首をかしげて少し考えているようだったが、やがて納得したようだ。

「えっと、つまり、あれは危ないから押してはだめ、これはあなたのだから押してはだめなのですね」

 直人の言葉をそのまま繰り返す。「そ、そういうこと」と直人は安堵のため息をついたが、続いて出てきた少女の言葉に少し首をかしげた。

「こちらの世界では人の物のボタンは押してはいけないのですね。勉強になりました」

 まるで算数の足し算を初めて教えてもらった小学生のような笑顔だった。しかし、直人はそんな笑顔に見とれながらもその言葉の一部に引っかかりを覚える。

 そのとき、唐突に直人の腹が重低音を奏でた。

 しばらく、沈黙が降りる。月乃は目を丸くして、何の反応も示さない。直人は恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら、それでもどうしていいかわからず動けなかった。

 そして、やはり沈黙を破ったのは今回も月乃だった。

「わあー、何です今の? どうやったらおなかからそんな音が出るのですか? 私にも教えてください」

 全く状況を理解していない月乃が満面の笑みで訪ねてくるものだから、どう対処していいか再び困る直人。月乃は興味津津といった様子で直人に向かって四つん這いで迫ってくる。とっさに体が反応し、月乃から距離を取る形になる直人。そんな直人の顔を、月乃は不思議そうに見つめた。

「どうなさいましたか? わたし、何かまたいけないことをしたでしょうか?」

「え、と・・・、いや、そ、それほど、いけないこと、じゃ・・・」

 直人の言葉がそこで止まったのは、何も尻すぼみになったというわけではない。月乃のおなかからも、直人ほどではないが、小動物が泣くようなかわいらしい音が聞こえてきたからだ。

「え、あれ? 今、変な音が私のおなかから聞こえてきたような。あれ、どうしてでしょう?」

 腹の持ち主である月乃は心底不思議そうに首をかしげている。これからいったいどうなるのだろうかと、直人は不安が胸でいっぱいになるのだった。


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