I'm from…
午前七時十分。ライトノベルに没頭していた直人の意識を現実に戻したのはわずかなうめき声と、やがて目をこすりながら起き上った女の子の存在であった。彼女が眠りについてから、何とかライトノベルに意識を集中させることでその存在を忘れることができていた直人だったが、その反動はかなりの物だった。昨晩初めて彼女を目撃した時以上におろおろし、部屋の端まで後ずさりして壁に背をつける。まるで女の子が今にも布団からとびかかって襲ってくるかのような行動だった。もちろん、女の子が襲ってくるなどすべての十代の男にとってはある意味うれしいことだが・・・。
女の子は眠そうに瞬きをしたあと、ぼんやりと周りを眺めて、現状把握の真っ最中である。あどけなさを残したその様子は、まるで赤ん坊が初めて寝たベッドから世界を見回す様子を思わせた。やがてその視線が直人のところでぴたりと止まり、直人は驚いて体を硬直させる。女の子は数秒ぼんやりと直人を見つめていたが、やがて「あの・・・」と口を開いた。直人はもう一度体をびくっと震わせて硬直する。
「昨晩は、寒い私を助けていただいてありがとうございました。ところで、しょうしょうお尋ねしたいのですが、ここはいったいどこでしょうか?」
その声は幼さが残る者で、舌の回りもどこかおっとりしている。しかし、一方では月のように静かな音を残しており、聞いているものの心を落ち着かせる響きをもっていた。
そんな声に聞き入って、直人が何と答えていいのやら困っていると、女の子も困ったように首をかしげた。
「あの、どうかなさいましたか? 私、なにか失礼なことを昨晩しましたでしょうか? 申し訳ないことなのですが、実はあまり記憶がはっきり残っていないもので・・・」
失礼などころか、とても幸せな光景を見せていただきました。おかげで僕のジョニーはライトノベルに集中しなければ今にも爆発寸前でしたよ、とは死んでも言えない直人。
とにかく、状況を整理してみよう、と今更ながら考え始める。
まず、彼女はなぜか真っ裸のまま自分の部屋の前にいた。コンビニに行く前にはいなかったから、彼女は自分がコンビニに行っている間にやってきたことになる。問題は、あんな格好でいったいどこから、ということであるが、いくら世界がクリスマスで浮かれ気分であろうと、女性があんなあられもない姿で街中を歩いていたら問題になるはずだ。いや、問題になるどころか、調子に乗った男どもに拉致されてレイプされてしかるべきなのでは? しかし、目の前で首をかしげている彼女からはそんなつらい目にあった様子はない。昨日なめまわすように体中を見たため断言できるが、暴力を振るわれたような様子もない。ならばあまりのショックに記憶喪失になったということはないはずだ。ではいったい・・・。
「あの・・・」
直人が思考の泥沼に埋もれているところへ、正面の少女が声をかけてくる。再三体をびくりと震わせて、直人は硬直する。
「もしかして、あなた自身もここがどこかわからないのですか? てっきり私はここがどこか熟知している方だと思っていたのですが、もしかしてあなたもいつの間にかここにいらっしゃった、という方なのでしょうか?」
直人は混乱してその言葉の半分ほどしか脳に伝えられなかったが、それでも手掛かりとなるような部分を何とか見つけることができた。
今彼女は、「あなたもいつの間にかここにいらっしゃった」といった。つまり、彼女はいつの間にかここにいたということではないだろうか。やはり彼女は自分がどのようにあの場所へ来たのかわからないのだ。つまり何らかの形で記憶喪失になってしまい、気がついたら自分の部屋の前にいた。そう直人は結論付け、口を開こうとしたが、開いた口から言葉が出てこない。思えば人と面と向かって話をするなどかなり久しぶりのこと。言葉を発するなど、常時引きこもりの直人にとってはコンビニの店員の質問に受け答えするときぐらいしかなかったのだ。
そんな口を開いたままの直人を、不思議そうに見つめている目の前の少女。そのあまりの可愛さに、直人はさらに言葉を発することができなくなる。口を魚のように開閉するだけである。
「あ、あの・・・」
やっと言葉が出てきたのは口を開閉すること約十秒。その後も、何とかぶつ切りの言葉で相手に問いかける。
「あ、なたは、その、どうし、て、じゃなく・・・、えっと、どこから? いや、えっと、名前は?」
何を言いたいのかさっぱり要領を得ない質問に、少女は可愛く小首を傾げたままである。言い直さなくてはと考えるのだが、直人の喉はそれ以上音を発することを拒否してしまった。再び口が開閉するだけの直人を見て、少女はそれでも何とか文意を受け取ってくれたようで、幼い子供が自分の自己紹介をするようにあどけなさを残した様子で答えた。
「えっと、私の名前は月乃といいます。以前は月で餅をついておりました」
………………。
世界が止まったかのように思われた。あ、字はこうやって書きます、と無邪気な様子で、空中に「月乃」と書く。その様子を、直人は固まったままぼんやりと見つめる。
彼女は今、何といった?
「あの、すみません。何か、間違ったことを答えてしまったでしょうか?」
いつまでも無反応な直人に、どこまでもあどけなく聞いてくる少女、月乃。そんな月乃に、直人は何と答えてよいかわからなくなってしまった。




