第二章:夜の指先が伸びる 05
昼下がりのカルヴァリアの一角。官公署が立ち並ぶ区画に置かれた公安部の一室で、中年の男性が窓の外に広がる白い街を見下ろしていた。その瞳に浮かぶのは、国家を憂う力強い光である。男性は公安の課長だった。
「近い内、事態を放置すればこの街は戦禍の真っ只中となる。この聖都カルヴァリアが、だ」
傍に立つ部下が答える。
「ゾルデ・クーパーの件ですね」
「長らく査問法院が担当していた件だ。施術士による犯罪だとしてな」
課長の声に、苦々しさが滲んでいた。
「だが私はこれを否と断定する。これは政治的犯罪だ。他国と自国の機関が絡んだな。であれば、本事件の担当はどこになると考えるかね?」
「もちろん、我々公安部です」
男性が重々しく頷く。
「そうだ。その通りだとも。この事件は少なくとも二つの機関が絡んでいる。ストラスト研究所、そして査問法院。考えるに、ゾルデ・クーパーは一種のスケープゴートだ。真相はその先にある」
課長が続ける。
「だがこのパズルを完成させるにはまだ何かが足りない。ゾルデはその証人だ。おそらく、両者はゾルデ抹殺に向かうだろう。君は神天院が動いていることを知っているか?」
青年が記憶を探るように視線を外し、答える。
「情報部ですか?」
「否。福音伝達部だ」
青年の眉が上がった。その答えは、彼の予想を完全に裏切るものだった。
「福音伝達者が介入していると?」
「ローザンヌ修道騎士会が動いている。その先には、レセナ・グランジャが繋がっている。これは一体どういうことだろうな」
部下が困惑した表情を見せる。
「神天院とレセナ・グランジャに繋がりがあることは知っています。定期的に交友会を開いているとか」
「だが彼女はただの研究者だ。"元"と"天才"が付くがな」
課長が皮肉混じりに続ける。
「本事件になんら因果関係がない。だが、事実ロザリロンドが彼女を守護している」
「あの炎の修道女自身が、ですか」
青年が驚愕する。福音伝達者の護衛を束ねる会長ロザリロンドが一般人を守護するなどあり得ない。
「そうだ。あの炎の修道女が動いている。であるならば、かなり情報精度は高い。早晩、レセナ・グランジャは命を狙われる運命にあるということだろう」
「なぜ? 確かに彼女は施術災害の被害者であり、かつて査問法院に目をつけられていた過去がありますが、いまはただの一般人のはずです」
「あの娘には秘密がある」
青年はすぐに反応し、嘆息する。
「未公開の施術の件ですか」
「新たな施術を開発した場合、管理室へ移譲することが義務だ。あの娘は、自ら産み出した施術の一部を公開しておらず、法に抵触している」
「それは我々公安部の範疇です。査問法院の管轄ではありません」
青年の声に苦々しさが混じった。
「それを成すのであれば越権行為に他なりません。そもそも、ゾルデ事件となんら関係がありません」
昨今、査問法院の権力拡大の動きが度々見かけられている。
「君も勘づいているだろうが、あの娘の件を公安部はいまも黙認している。上層部からの圧力で動けんといった方が正確か」
「確かに、以前レセナ・グランジャの件で捜査が途中で打ち切られました。しかし上層部?」
上司の顔色を見ていた青年が声を潜める。
「まさか、最高国務評議会ですか……?」
「さてな。あの娘には我々の知らぬ何かがある」
課長の表情が険しくなった。
「一つ面白いことを教えてやろう。我々公安だけではない――アレラルの情報機関は、あの娘の情報収集について著しく制限されている。仮に情報を取得した場合は速やかに破棄されることにもなっている」
窓の外を見つめながら、課長は続けた。
「しかし、少なくとも公安部では娘の所在については詳細な報告が求められている。専門の監視班を設置し、内部で情報規制を徹底するほど偏執的に。まるで国家機密を扱うときと同等――いや、それ以上にな」
課長が振り返る。
「これは何を意味するのだろうな」
それは異常だ。ただの一個人に、政府機関がここまで行動することがまずおかしい。
「課長。我々はどうしますか?」
「君はストラストへ飛べ」
課長の命令は簡潔だった。
「今しがた、レセナ・グランジャがロザリロンドと共に消息を絶った。同時に、上層部から彼女の監視停止の命令が降りている」
青年の表情が変わった。全てが繋がっているのは明らかだった。
「我々は通常通り、ゾルデを追う。その中でいずれ答えが判明しよう」




