『帳簿令嬢』の幸せ~婚約者から降ろされたので、引き継ぎ資料だけ置いていきます~
「リリアーナ・フェルディエ。君との婚約を解消する」
(ああ……やはり)
王太子アルフレッド殿下は、いつも通り整った姿勢で私の向かいに座っている。
隣にはローゼンベルク侯爵令嬢セシリア様。
華やかな金髪に、愛らしい笑顔。
夜会でも、堂々として優雅な立ち居振る舞い……確かに彼女は、私よりずっと王太子妃らしい。
「理由は理解しているな?」
「おおよそは……社交性、でしょうか」
「ああ」
私は昔から、人付き合いが得意ではない。
王宮内では『帳簿令嬢』などと揶揄されている。
「その点、セシリアは社交能力に優れている。君の実務能力に対しては評価しているが、彼女の方が王太子妃に相応しい」
「それは、仰る通りですわ。
異論など………………」
この日々がなくなると思うとやり切れず、悲しみに言葉が続かない。
そのことを『了承』と受け取ったのか、婚約解消の書類がローテーブルの上を移動した。
「あとは君のサインだけだ」
「か……畏まりました……」
殿下の言う通り、書類は父であるフェルディエ公爵と、国王陛下の承認も済んでいる。
俯いたままのろのろとサインする私に彼は容赦なく告げた。
「セシリアに公務の引き継ぎを。 速やかにそれを終え、公爵家へ戻るがいい。 いいか、今更私に愛されようなどと思うな!」
「……!」
書類を取るとそう言い放ち、真っ先に席を立った王太子殿下の冷たい眼差しと言葉。
私は絶望のあまり流れ出る涙に、両手で顔を覆う。
ああっ……
やはり殿下は私の気持ちをご存知なのだわ……!
執務だけの、お飾りの側妃でも構わないというのに──こんなに冷たく突き放すなんて、なんて酷い方だろうか。
「……さあリリアーナ様、参りましょう」
「は、はい……」
気遣わしげなセシリア様に促され、執務室へと向かう。
「リリアーナ様、申し訳ございません……あの通り殿下はロマンチストなところがございますから……」
「……」
淑女らしく、困ったことを滲ませるだけの表情を見せて謝罪しながらも、どこか勝ち誇った様子のセシリア様。
貴女に勝てるだなんて思っていない。
いいえ、勝とうとすら。
ただ私は──自身の居場所を奪わないで欲しいだけ。
「引き継ぎ資料は既にご用意して下さっていると」
「……ええ。 私は荷造りがあるので失礼致します」
準王族となるセシリア様にカーテシーで挨拶をし、私は控えていた侍女に資料を用意するよう合図を送り、その場を辞した。
『荷造り』などと言ったが、私の私物は少なく、既に纏めてある。
急いでドレスを脱いで簡素なワンピースに着替えると荷を持ち、すぐ王宮を出られるように馬の準備をしてから様子を暫し窺う。
「いやああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
自分の執務室だった場所から聞こえてくるセシリア様の絶叫に、私はひっそりガッツポーズを取ると、愛馬ジョセフィーヌの背中に飛び乗った。
「さあ行くわよ! ジョセフィーヌ!」
「ヒヒィン!」
そして素早く王宮を出る。
(ごめんなさい、セシリア様……!)
セシリア様が高らかに雄叫びをあげた理由に、心当たりはバッチリある。
なにしろ張り切り過ぎて、ちょっとばかり引き継ぎ資料が膨大になったので。
『あれ、読むだけでも苦労すんだろ~なァ』と私も理解はしている。
だが、敢えて直さなかった。
セシリア様に恨みがあるわけではない。
無論、殿下にもだ。
むしろ感謝しているのだが、それはそれである。
『殿下はロマンチストなところがございますから』と言う、セシリア様のお言葉は正しい。
アルフレッド殿下は、これから育まれる予定のセシリア様との愛情と信頼を大事にした。
彼はそれなりに情にも厚い。
10年来の婚約者である私をさっさと切り捨てず、また有能だと評価はしてくれても私を『執務だけのお飾り側妃』にはしなかった。
──しかし、
「全く頭が固いわ~! 判断も遅いッ!」
私はまさに、それこそが不満だったのだ。
だったら文官でも側近でも、適当な役職をつけてくれればいいものを。
傍に置いて疑われるのが嫌なら、別にセシリア様のでも構わなかったというのに……!
殿下は優秀だが、それ故に視野が狭い。
彼も他者の感情に疎い自覚はある。
だが逆にそのせいで、気持ちを一般化して決めつけがちなのだ。
殿下はついぞ、『リリアーナ』という人間を理解してはくれなかった。
そのせいでセシリア様に被害が行ってしまったけれど、全くお気の毒としか。
恨むなら、殿下を恨んで頂きたい。
──私は王太子妃の執務が好きだった。
帳簿とか計画表とか資料作成とか纏めとか。
延々綴るだけの事務的な作業も自分でやった。無心になれてイイ。
派手な公務は好きじゃないが、『仕事が終わらなくて……』と泣き言を零せば、『では私が』とセシリア様が代わりにやってくれるので、有難かった。
彼女はとってもイイ人である。
社交以外の能力も平均的に高い。
ただ、お父上がちょっと野心家なだけで。
私の執務には当初、補佐官が三人ついていたのだが。
三人にはセシリア様の生家であるローゼンベルク侯爵家の息が掛かっており、兎に角嫌がらせが酷かった。
具体的に言うと、書類を隠される、期限直前の案件を押し付けられる、虚偽報告をされる、成果を横取りされる、など。
即陛下に報告したが、その際私は『補佐官は要らないから公にしないでほしい』と願った。
軽々に処罰をし、セシリア様の瑕疵になっては困る──
……というのもあるが、当時の本音を言えば8割方『流れを完全に把握する為に全部自分でというのを一度やってみたかったから』である。(※ちなみに、引き継ぎ書が膨大になったのはそのせい)
陛下は苦笑しながらも、許可してくれた。
流石は陛下……私の資質をキッチリ理解なさっているだけでなく、実に寛容であらせられる。
是非殿下も見習って頂きたいところ。
「ああ……最高の職場だったわ」
結構離れたのを見計らい、立ち止まった馬上から振り返り王宮を眺めると、ツウと流れる涙。
愛する仕事を失った今、悲しくない筈などない……少しばかり感傷的になってしまったが、概ね予定通りではある。
──私は諦めていなかった。
「ふっ……でもあれだけ叫ばれていたなら、まだチャンスはあるわね……!」
暫く雲隠れする気ではいるけれど、復帰を打診されるため、王都周辺にはいたいところ。
まずは宿探しをしなければ。
当面の仕事はなんにしよう。
敢えて下女みたいな仕事もいいな、と思う。
クオリティを落とすことなく、如何に効率を上げるかを考えるのがとても好き。
一時ならば、洗濯女とかも捨て難い。
実家へ戻る気はなかった。
別に仲が悪いわけではない──というかむしろ、溺愛されている。
両親も兄も私を『花よ蝶よ』とばかりに可愛がるので、決定的に価値観が合わないのだ。
別に仕事をさせないとかではないが、私が『楽しんでやっている』というのを全くわかってくれない。
集中できる時にはちょっと無理してでも『おりゃー!』って感じでやりたいのに、そういう時ほど滅茶苦茶気遣われ矢鱈と構われる……申し訳ないが邪魔。
まあそれも、私にも問題はある。
他者の感情の機微には敏い方の私だが、だからと言って対処が上手いわけではない。
むしろ下手な方である。
特に相手の厚意に抗うのが苦手であり、厚意が純粋なほど難易度が上がる。
家族を嫌いではないだけに、一緒にはいたくないのだ。
厚意には下手くそだが、反発や嫌がらせなら、きちんと対処できるタイプと自認している。
──後にこの性質が、今まで上手くいっていた私の行先を度々阻むのだが。
この時の私は浮かれており、全く気付いていなかった。
「まぁ……貴女様はリリアーナ様ではないですか! リリアーナ様のおかげでこのあたりの治安も良くなりましたのよ!」
「いえそんな」
まず問題として浮上したのは、案外面が割れていたこと。
数年前、ちょっと手が空いた際に『自身の予算内でできそうだから』と施策してみた『下町浄化計画』の影響か。
(ちょっとやり過ぎたわ……そういえばあの時もこんな格好だったし)
これでは『洗濯女として雇ってください』とは流石に言えない。
また泊まろうとした宿では『無料でいい』などと言われてしまい、しかも一番いい部屋を用意されそうになったので困った末、チップを置いて逃げる羽目に陥った。
皆様のご厚意が凄い。
だから断るの苦手なんだってば。
(直接的になにかしなくてもいいから、もう少し『お忍び』とか気にして欲しい……!)
できれば是非、そのへんを察して配慮して頂きたいところ。
だが、無情にも察しては貰えず。
そのぶん優しくされ『この国、民度高いわ~』という感想と共に、国王夫妻に尊敬の念を抱くばかり。遠い目になりながら。
(仕方ないわね、一旦実家に戻るか~)
しかし、
「へっへっへっ……姉ちゃん美人だなぁ」
「ちょっと俺達に付き合ってくれよ」
預けた馬を回収しに行く途中で、破落戸に絡まれた。
『治安が良くなった』という話だったが、まだまだ破落戸はいる模様。
(いえ、違うわね。 どこかの家の差し金かしら?)
よくよく辺りを見ると、囲まれている。
破落戸とは違う、もっと訓練された気配。
婚約が解消され、セシリア様が正式に王太子妃になられるのが決定した以上、おそらくローゼンベルク侯爵家ではないだろう。
だが全く関係ないとは限らない。
まだ婚約解消が公になっていないぶん、私が単身軽装で、伴もなく王宮から出たことで害をなそうとしたローゼンベルク派閥の家の、勇み足の可能性は充分にある。
(それだと少し面倒よね~)
貴族の小娘が単身で下町。
当然この程度の危険は想定済……アクセサリー型の魔道具を嵌めており、自衛は万全。
だが、発動すると公爵家に連絡が行ってしまうのだ。それが困る。
溺愛されているだけに、公爵家からの報復が怖い。
表舞台での公務は是非セシリア様に押し付け……いやお願いしたいので、極力彼女に瑕疵はつけたくないのだ。
どうしようか悩んでいると、突然横から黒い影──
「うっ!」
「ぐぁっ?!」
破落戸は一瞬で倒された。
「──そこの輩共も、隠れていないで出てこい」
(……この声は)
その威圧的な声にやや怯んだ様子ながらも、わらわらと出てくる多数の男達。
逆光に照らされ、私を庇うように立った大きな男性は、その身体に似合わぬ素早い動きで瞬く間に男達をなぎ倒す。
私はそれを『わー、すごーい』などと呑気に眺めていた。
捕縛する担当らしい男が、後ろ側から密かに近付いていたとも知らず。
「くっ……! 来いっ!」
「あっ」
男が私に手を伸ばした──その瞬間。
「がっ!?」
ターンを決めるように軽やかなステップ。
いつの間にか男性は戻ってきており、それを踏み込みとして伸びてきた剣により、男は呆気なく打ち倒された。
「……ご無事ですか、お嬢さん」
「えっ、ええ……ありがとうございます」
逆光でわからなかったが、振り返ったお顔は大変に美しく、怜悧。
銀髪にアイスブルーの瞳の美丈夫──それは、新しく北方公爵となられたばかりのエーレンフリート・シュネーヴァルト閣下。
急に公爵位を継がれたが、以前は経験のために王立騎士団に所属しており、一時期は私の護衛もしてくれたことがある。
社交界では『氷雪公爵』と呼ばれている人物だが、多分その名の理由は、姓と彼の色味と北の気候のせい。
非常に安直なふたつ名である。
誰だよ、最初に呼んだ奴。
兎にも角にも、彼のおかげで魔道具が発動せずに済んだ。
「あなたはもしや……フェルディエ公爵令嬢では? 何故そんなお姿でこんな場所に……」
「実はその、婚約が解消されまして」
「な、なんですって……?!」
別にすぐわかることなので有り体に告げると、驚愕といった表情を見せた後で、何故か天に向かい『おお、神よ……!』などと宣い出す。
こんなに芝居がかった人だったかな?
それとも思わず共感するような、なにかがあったのだろうか。
(あっもしかしたら『追い出された』と誤解されたのかしら?)
「あの閣下? 円満解消ですので問題はありませんわ。 ただちょっと……折角だから家に戻る前に市井で職業体験でも、な~んて」
「令嬢は働きたいのですか?!」
「え、ええまあ……」
「では是非ウチに!」
「えっ? あ、あの馬が」
「馬は責任を持って当家が引き取りに参りますので! まずはこちらへ……!」
閣下はやたらと圧が強く、流れるように馬車へ乗せられ、気付けば北方公爵家タウンハウスへ到着していた。
「まぁ……」
まだ真新しい邸宅は、公爵邸に相応しい設えの豪奢な建物──なのだが。
警備は厳しいのに出迎えがなく、玄関ホールは微妙に薄暗い。あと、人が少ない。
通されたのは、応接室……ではなく。
何故かパーティーホール。
「お帰りなさいませ……」
「お、お帰りなさいませ……」
扉を開くと、広いホールの中に灯るのはキラキラと上から輝くシャンデリアの光ではなく、目線の先に灯籠のように分断した灯り。
それが全体をぼんやりと浮かび上がらせる中、続々と聞こえてくる主の帰還を労う挨拶の言葉はいずれも覇気がなく、さながら亡霊の声。
それは『ここは戦場か……?』と思うほど。
元辺境伯家だけに。
近視と薄暗さのせいでハッキリしなかった風景だが、次第に目が慣れてきた。パーティー用の丸テーブルが並んでおり、その上にランプがあるようだ。
「!」
そして携えられた台車の上から、塔になって連なっているのは──書類。
「今当家はご覧の有様でして、『帳簿令嬢』と名高い貴女に助けて欲しいのです……!」
「はあ」
随分唐突。
しかも『帳簿令嬢』って。
褒め言葉みたいに言うけど、それ揶揄だと思いますが?
公爵閣下の割に、小娘の私に矢鱈丁寧な口調なのといい……さてはこの人もコミュ障だな? と思いつつ話を聞く。
「父の代より公爵位を賜ったはいいのですが、両親はコレを持て余しておりまして」
シュネーヴァルト公爵家は元々、ヴァルツェン辺境伯家だった。
北の森と山から出現する驚異である魔獣や瘴気、或いは侵略者から我が国を守るのが彼等の重要な責務。
先代の辺境伯閣下は武に長けているだけでなく、非常に交渉上手な方で。隣国との狭間の地に住む大きな民族と、和睦し交易を取り付けることに成功した。
後を継いだ現辺境伯閣下も彼等の生活を助け、協力し友好を保ち続けた。
結果、彼等なりの文化を残しながらも我が国の良き隣人として発展していった民族側から『国の一部として受け入れてほしい』と申し出があり、それを了承。それからあっという間に国土が拡がるかたちとなった。
その大きな功績を讃えた国王陛下はヴァルツェン家に対し、辺境伯という地位に加え、北部を取り纏める公爵位を与えるに至る。
それが『シュネーヴァルト』である。
「陛下がこれをお与えになったのは『尊き地位と相応しい権力を与えるから、役割分担せよ』という北部への配慮からであることは理解しております。 事実、これまでに賜った従属爵位や王命による縁の貴族家、更に傍系貴族を含めるとあまりに多い」
国防の観点から一枚岩であってほしい辺境伯家だが、拡がり過ぎた。
取り纏める役を作ることで、弱体化や分裂をせずに辺境伯の本来の役割を上手く次代に繋げ、ということらしい。
しかし、そもそも特殊な地位と責務の辺境伯家。
いきなり『公爵家として頑張ってね♪』と言われても、ちょっと無茶振りだった模様。
辺境伯閣下からすると『ヤメテ! こちとら親父の功績のせいで、既にいっぱいいっぱいなんだよ!!(悲鳴)』といった感じであったという。
辺境伯閣下は辺境伯を継ぐはずだった嫡男エーレンフリート様が成人するや否や、彼に公爵を譲位。
丸投げともいう。
「今、これまでやってきたこととこれからやらねばならないことが、ぐっちゃぐちゃになっている状態でして。 他家に任せてきたアレコレを浚い、どう職務を振り分けなにを『北方公爵家』の責務とすべきかが、なかなか見えてこないのです」
まず膨大な資料に、内容を把握し振り分けるどころではないとのこと。
目の前の片付けるべき仕事もあり、内容の把握すら遅々として進まず、分類で手一杯。
傍系は兎も角、諸々を任せている北部の他家の当主は職務と恩恵を奪われることへの懸念から、非協力的とは言わないまでもかなりの及び腰。
北部領主夫人達の協力を取り付けたくとも、公爵様に伴侶は勿論、婚約者もいない。
そのことや次期辺境伯が誰になるかがまだ決まっていないことにより、ご令嬢方の売り込みだけが活性化。
北部だけでなく別地域からも届く、公爵様を含め有力な次代の若手への、釣書の山。
今まで北部夫人達の輪の中央にいた辺境伯夫人と侯爵夫人は、まずは婚約者を選出しようにも、どうにも基準が決まらない現状と釣書の量の多さに困っているという。
更に公爵位を賜った際建てられたタウンハウス(※ココ)に加え、北部に新設した公爵邸は、同じ理由からほぼ手付かずの状態。
膨大な資料の置き場と化しているそう。
「まあ……」
なんていうことでしょう。
考えるだけでワクワクする案件。
「『帳簿令嬢』と名高いフェルディエ嬢ならば、と。 是非、北部の未来の為に私共に手を貸して頂けないでしょうか……!」
がばり、と頭を下げられる公爵閣下。
それを皮切りにわらわらとゾンビの如く席を立ち、悲壮感を漂わせながら「助けてください……!」「ああっ休みが欲しい……!」などと涙ながらに平伏し出す家人の方々。
それはまさに戦場。
ここは死地であった。
「金ならッ……金なら払うッ!!」
呆気に取られていると、まるで悪役が命乞いする時の様な台詞で懇願し出す公爵様。
なかなかのカオスっぷり。
どうやら先の『おお神よ』も、偶然の出会いに感謝していたらしい。
彼のクールなイメージは既に大分壊れているが、まずは落ち着いて頂きたい。
「これは……やり甲斐がありそうですね」
「「「!」」」
私の呟きのような返事に、数秒の間の後で湧き上がる、拍手喝采。その中に『帳簿令嬢バンザイ!』という声がチラホラ。
王宮内では揶揄だった『帳簿令嬢』は、シュネーヴァルト公爵家では真実讃えるふたつ名であった。
少々面映ゆいが、嬉しい。
契約前だが、少しお手伝いしてみることにした。
「これらはどういう基準で分けられてます?」
「ホールをおおまかに地域毎四区画に分け、テーブルは領主を務める家毎に資料を。 王命により各家から北部に関わる事業に該当する全ての10年分の書類の複製を提出させており、増えるばかりです」
「随分慎重なのですね」
「お恥ずかしいことですが、私では影響力や信頼が足らず……そもそも公爵位擁立に不安を抱く者、不服に思う者もいるというのに、父の代で手付かずだったことでこうなりました」
「なるほど……」
ならば必要な作業ではあるだろう。
重要事案の各家の関係性を把握するのにも、ホールを使うのは悪くない。
「この方々は?」
「信頼のおける部下達です。 畑違いの者ばかりですが、人員が整っておらず……」
(機密もあるから迂闊に任せられないのね……これでは人員も増やせないわ)
陛下の意向としては、辺境伯をエーレンフリート様がお継ぎするとかで、辺境伯夫妻が上手く他家とのバランスを見ながら、長期スパンで緩やかに北方公爵としてのお立場を固めていくような感じだったのだろうが──
結果、何故かこんなことになっている。
経緯はわからないが、なんとなく中央と北部の考え方や派閥の関係性の違いからなのかも、とは思う。
──まあ、それはそれとして。
「とりあえずここは堅く封鎖し、皆様には一旦このお仕事から離れて頂いてはどうかと」
歓喜と安堵に満ち溢れた声が響く。
「いやしかしそれは」
「一旦ですわ、閣下。 契約のこともありますし、少しお話を」
──1週間後。
「フェルディエ嬢……貴女は本当に素晴らしい方だ」
ホールを埋め尽くしていた書類の山は綺麗さっぱりなくなり、資料庫に分類して棚に置けるまでになった。
「いいえ閣下、私は大したことをしておりませんわ」
というか、まだ本当に大したことはしていない。私自身は。
公爵邸の美しさや閣下が『金なら払う』と仰ったことから、公爵家に予算は潤沢にある様子。人員も不足しているのは、書類整理を任せられる者のみ。
書類整理の人員を増やせない理由に着目して、問題解決を試みれば簡単だった。
──ただし、そう何度も使える方法ではないけれど。
「丁度騎士団の予定に貧民街に潜む犯罪組織の一斉検挙の予定がありましたからねぇ。 ツイてました」
それに協力しつつ、貧民街の人間を丸ごと雇ったのだ。
公爵邸内に連れて行く前に、設置した簡易浴場で身体を清めさせた後、用意した服を着させる。
余計な物を持ち込ませないように。
あまりに健康状態が悪い者を除き、老若男女問わず一時的な仕事に参加したい者を募り、集まった者達を連れていく。
公爵邸では簡単なペーパーテストと面接を受けてもらう。
読み書きができるかどうかを確かめる為に。
本当はついでだが、表向きは慈善活動。
建前とはいえ人のいなくなった後、貧民街の清掃や害獣駆除、それに残された健康状態の悪い者達への炊き出しなどもきちんと行っている。
少しでも文字を解する者はそちらの手伝いをさせ、文字のわからない者を分類要員として雇ったのだ。
記号として特定の文字列を覚えさせ、それだけを仕分けるように指示をして。
記号化は素早く分類する時に私もよくやる方法だが、人によっては無意識で情報を拾ってしまうらしく、難しいそう。
文字がわからない者達はそのあたりに惑わされないせいか、分類が早かった。
情報が漏れる危険もない。
「多少大掛かりだが、費用も物凄く少なくて済みました」
彼等への報酬は少ないが、あまり与え過ぎると危険なので仕方ない。
費用の大半は、それ以外である。
仕分け中の数日は、男女別に休憩する部屋をあてがっている。トイレを含む、水場も決められた場所のみを使って貰った。
食事は質素だが栄養価の高いもの。
それでも寝具などは予め安い物を購入し、全て持たせて帰らせた。
公爵邸では二次使用が憚られる為だが、彼等にしてみればかなりの高待遇だろう。
「まあ……あまりいい気分はしない方法ですけどね。 そのあたりは割り切って頂いて」
「流石にもう公爵邸に連れてくることはないでしょうが、定期的に近いかたちでの有償奉仕作業は続けますのでご心配なく。 慈善活動は大事ですし」
閣下はそう微笑む。
怜悧なお顔立ちだが、こういう表情はとても柔らかで温かい。
──閣下はとても素敵な方だ。
「フェ、フェルディエ嬢?」
「あら失礼、顔……色が、今日はいいなぁと」
うっかり見蕩れてしまったのを言い直したが、確かに顔色がいい。
神に感謝していた時のお姿が頭に過ぎる。
アレは追い詰められて壊れ気味だったのかもしれない。お気の毒。
(……夫人がいれば、慈善活動はやってくれるんだろうけどなぁ)
「令嬢のおかげです」
「いえいえ、まだ私はなにも……『帳簿令嬢』としての活躍はこれからですから!」
そう。
まだ私の実務はこれから。
案内された私好みに設えてくれた執務室に、『閣下のご成婚の為にも頑張ろう』と決意を新たにするのであった。
──すっかり王宮のことを忘れて。
まあ、引き継ぎ資料はほら……ワンオペ仕様だから。
そこに気付いて仕事を振り分ければいいだけなんだけども。
しかし当初の予定通り、プライドの高いセシリア様は全てやろうとしてしまい、非常に大変な思いをすることになろうとは──
この時の私には、想像もつかなかったのである。




