その笑顔、国宝につき
婚約者となり、義弟(シルヴィオ殿下)という新たな監視者が増えたある日のこと。
私、リリアナ・シェフィールドは、中庭の隅でうずくまっていた。 いつものように、黒いドレスとヴェール、そして首輪という姿で。
「……かわいそうに」
私の足元には、一羽の小鳥が落ちていた。 まだ雛に近い。 巣から落ちたのだろうか、羽が折れ、ピクピクと痙攣している。
「(放っておけないわ……)」
私はそっと小鳥を拾い上げた。 その手つきは、壊れ物を扱うように慎重だった。 だが、傍目には**「供物を鷲掴みにした」**ように見えたかもしれない。
私は部屋に戻り、手当てを始めた。 包帯がない。 仕方ないので、以前エリザ(麺屋の弟子ではなく、私の部屋のハンカチ)を細く裂いて、添え木と一緒に巻くことにした。
「じっとしててね。……動くと痛いから」
私は小鳥を押さえつける。 小鳥が暴れる。 私は真剣な眼差し(無表情)で、小鳥の身体を固定し、包帯をグルグル巻きにした。
結果。 小鳥は、全身を白い布で拘束され、ミイラのようになってしまった。
「……ちょっと巻きすぎたかしら」
でも、これで傷は固定されたはずだ。 私は満足して(真顔で)、ミイラ化した小鳥をテーブルに置いた。
◆
その様子を、魔法の水晶で監視していた兄弟がいた。
「兄上! 見ましたか!?」
第三皇子・シルヴィオが叫ぶ。
「義姉上が、野鳥を捕獲し、一瞬で『梱包』しました! あれは間違いなく、黒魔術の儀式……『生贄のミイラ作成』です!」
「……黙って見ていろ」
ヴァルダス殿下は、画面を食い入るように見つめている。
「リリアナは……手当てをしているのだ」
「えっ? あれが? どう見ても『封印』ですが」
「不器用なだけだ。……そこが愛おしい」
殿下は頬を緩めたが、すぐに真顔に戻った。 画面の中で、リリアナが次なる行動に出たからだ。
◆
数日後。 小鳥の怪我は治りかけていたが、まだ飛べないようだった。 恐怖心からか、羽ばたこうとしないのだ。
「(このままじゃ、野生に帰れない……)」
私は悩んだ。 親鳥も心配しているはずだ。 なんとかして、飛び方を思い出させなければ。
「……特訓よ」
私は決意した。 私は小鳥を連れて、再び中庭に出た。
「いい? 飛ぶのよ。翼をこう、バサッと広げて……」
私は小鳥の前で、両手を広げてバサバサと動かしてみせた。 ヴェールを被った黒い女が、庭でバサバサしている。 完全に不審者だ。
小鳥は首を傾げている。 伝わらない。
「(言葉じゃダメね。……実演するしかないわ)」
私はドレスの裾をまくり上げ、近くの木によじ登った。 幼少期、友達がいなくて木登りばかりしていたスキルが火を噴く。
「見ててね。……こうやって、風に乗るの!」
私は枝の上から、ジャンプした。
ドスンッ!!
着地。 もちろん飛べるわけがない。 ただの落下だ。
「……失敗ね。もう一回」
私は再び木に登った。 そして飛び降りる。 ドスンッ。
登る。飛び降りる。 ドスンッ。
私は必死だった。 「重力に逆らうイメージ」を小鳥に伝えたくて、何度も何度もジャンプを繰り返した。 汗だくになり、髪は乱れ、膝は泥だらけ。 だが、表情だけは「鉄仮面」のまま、無言で木から飛び降り続ける。
◆
「兄上……。義姉上は、何をしているのですか?」
バルコニーから様子を見ていたシルヴィオが、顔を引きつらせていた。
「……『飛行訓練』だ」
ヴァルダス殿下も、さすがに困惑していた。
「自ら重力に挑み、大地を揺らすことで、小鳥に『飛べないことの恐怖』を教えているのだ」
「スパルタすぎませんか!? 小鳥、震え上がってますよ!?」
確かに小鳥は、「次は自分が落とされる」と思ったのか、ガタガタと震えていた。
「だが……あのひたむきな姿……」
殿下は手すりを握りしめた。
「泥にまみれても、なお表情を崩さず、己の肉体を酷使して小さな命を導こうとする……。なんて慈悲深く、そして勇ましいんだ」
「(兄上のフィルターも大概だな……)」
シルヴィオが呆れていると、庭で動きがあった。
◆
「……はぁ、はぁ」
私は息を切らしていた。 もう10回は飛んだ(落ちた)。 そろそろ膝が限界だ。
「お願い……飛んで。貴方には翼があるのよ」
私は、震える小鳥を手のひらに乗せた。 そして、高く掲げた。
「行きなさい……!」
私は小鳥を、空へ向かって放り投げた。 少し乱暴だったかもしれない。 でも、これは「愛のムチ」だ。
小鳥は空中に投げ出され、一瞬落下した。 だが、地面に激突する寸前。
バサッ!
本能が目覚めたのか、小鳥は翼を広げた。 風を掴む。 そして、グンッと上昇した。
「――あっ!」
飛んだ。 小鳥は不格好ながらも羽ばたき、近くの木の枝へと着地した。 そこへ、一羽の大きな鳥――親鳥が舞い降りてきた。 親鳥は小鳥に寄り添い、チチチ、と嬉しそうに鳴いている。
再会できたんだ。 よかった。本当によかった。
私は、張り詰めていた緊張が解けるのを感じた。 「鉄仮面」の呪縛が、ふっと緩む。
「……よかった……」
私は、空を見上げて微笑んだ。 誰に見られているという意識もなく。 ただ純粋に、小さな命が救われたことへの安堵と喜びだけで。
ヴェールが風に揺れ、私の顔が露わになる。 そこには、能面でも般若でもない。 春の日差しのような、柔らかく、曇りのない**「満面の笑み」**が咲いていた。
◆
「――ッ!!!」
バルコニーで、破壊音が響いた。 ヴァルダス殿下が、石の手すりを素手で握り潰した音だった。
「あ、兄上!?」
シルヴィオが驚いて振り返る。 そこには、心臓を押さえ、口から血を流して膝をつく兄の姿があった。
「ぐっ……はぁ……っ!」
「ど、どうしたのですか!? 敵襲ですか!?」
「……見たか、シルヴィオ」
殿下の声は震えていた。 その瞳は、庭にいるリリアナに釘付けになっている。
「あの……笑顔を……」
「え? 笑顔?」
シルヴィオが庭を見る頃には、リリアナは既にヴェールを直し、いつもの無表情に戻って屋敷へ入ろうとしていた。
「見逃しました……。どんな顔だったのですか? やはり『世界を滅ぼす邪悪な笑み』でしたか?」
「……違う」
殿下は、夢を見るような目で呟いた。
「天使だ……。いや、女神だ」
殿下の脳裏には、先ほどの一瞬の光景が焼き付いていた。 いつもの怯えた顔でも、強張った無表情でもない。 心からの慈愛に満ちた、極上の笑顔。
「あんな……あんな顔をするのか、あいつは……」
殿下の胸の奥で、何かが弾けた。 今まで、リリアナの笑顔を「独占したい(隠したい)」と思っていた。 「見たら理性が死ぬから禁止」にしていた。
だが、違った。 あの笑顔は、隠すべきものではない。 俺が……この俺が、一生をかけて守り、そして**「自分に向けさせるべき」**ものだ。
「……決めたぞ」
殿下はフラフラと立ち上がった。 その顔には、新たな決意と、深い愛が刻まれていた。
「シルヴィオ。式場に連絡しろ」
「えっ! 結婚式の日取りを決めるのですか!?」
「違う。……『延期』だ」
「はぁ!?」
シルヴィオが素っ頓狂な声を上げる。
「え、延期!? まさか、婚約破棄ですか!?」
「馬鹿を言うな。誰が手放すものか」
殿下は拳を握りしめた。
「結婚は待つ。……リリアナが、俺にああやって笑いかけてくれる、その日までな」
「は、はぁ……?」
「今の俺ではダメだ。あいつを怯えさせ、従わせるだけの関係では、あの笑顔は引き出せん。……俺は、あいつに『愛されたい』」
処刑皇子の口から出た、あまりに人間臭い言葉。 シルヴィオは口をあんぐりと開けた。
「俺は誓う。……いつか必ず、リリアナの心からの笑顔を、この手で勝ち取ってみせると!」
殿下の背後で、夕日が燃えている。 それは、世界征服の野望よりも熱く、そして面倒くさい「純愛」の炎だった。
◆
その夜。 私は殿下の部屋に呼び出された。
「……結婚を、延期する?」
殿下の言葉に、私は耳を疑った。
「そ、そうですか……。やはり、私のような不気味な女と結婚するのは……」
やっぱり捨てられるんだ。 私はうつむいた。 悲しいけれど、当然だ。 あんな風に庭で暴れていた不審者を、皇妃になんてできないもの。
「勘違いするな」
殿下が、私の手を取った。 力強く、熱い。
「破棄ではない。……『猶予』だ」
「猶予?」
「俺は、お前を待つことにした。お前が、この城での生活に慣れ、俺という人間に慣れ……」
殿下は、顔を近づけた。 その赤い瞳が、至近距離で私を見つめる。
「俺の前で、心から笑ってくれるようになるまで。……俺は、お前を指一本触れずに守り抜くと決めた」
(訳:お前の笑顔が見たいから、無理強いはしない。気長に口説き落とすから覚悟しろ)
私はポカンとした。 捨てられるわけじゃない? 待ってくれる? 私のような、笑えない女を?
「……殿下は、物好きですね」
私がボソリと言うと、殿下はフッと笑った。
「ああ。俺の人生最大の『道楽』になりそうだ」
殿下は私の手の甲に、誓いのキスを落とした。 それは、今までのどの命令よりも、優しく、甘い感触だった。
こうして。 私たちの結婚は、無期限延期となった。 それは「破談」への道ではない。 処刑皇子が、鉄仮面令嬢の「本当の笑顔」を攻略するための、長く、甘く、そしてやっぱり殺意高めな(邪魔者は排除する)求愛生活の始まりだった。
なお、それを聞いたシルヴィオ殿下は、 「兄上が……『待て』を覚えた……! 義姉上の調教スキル、恐るべし!」 と、新たな伝説をメモに書き加えていた。




