8.馬車と少年少女+中年
荷台から。遠退いていくイリイをぼんやりと眺めていた。俺は今、馬車に揺られている。屋根の付いた乗り心地の丁寧な馬車だ。屈強なロアマトの兵士が俺の左右に、居眠りする中年悪党が前に、あと鼻歌を呟きながら、足をぶら下げ、イリイ村を名残惜しそうに眺めているミア。いや、ロアマトの子。
「えっと、ロアマトの~」俺はロアマトの子に話しかけようとした。
「!」兵士たちが一斉に俺をものすごい眼光で見てきた。
「じゃあ、ミア?」
「!!」もっと怖い目をしてきた。じゃあなんて呼べばいいんだよ。
「なんですか、シユウ?」
「い、いや、あの村がそんなに良かったのかなって思って」
「え? シユウは住んでいたのに、イリイが好きじゃなかったんですか?」
ミアはあまり聞かれたくないことをド直球に。それでもってやや嬉しそうに聞いてきた。すると俺の心情は憂鬱を過ぎて混沌とした。あまりミアのような純粋そうな少女に、それに周りに人がいる中で悪い話をする勇気が俺には無かったのだ。
悪い話というのは、つまり俺がどうしてあの村を出ることになったのかに起因する。俺はこうして貴族の快適な馬車に乗っているものの、その心境は決して良いものではない。いや、むしろ最悪だった。ミアの笑みのせいでポジティブになりかねないが、ロウエルの作り笑いには全く勝らないのだ。
一度昨夜のことを話すが、俺はあの朝食の後、その夜の酒場でロウエルに名ばかりの交渉を持ちかけられた。
村が寝静まった頃合い。エアファルングが片付けをしている時間。俺はロウエルから酒を奢られた。
「さぁ、好きなものを飲んでいいですよ」
「俺は未成年じゃなかったのか」
「ロアマト教ではそうですね。でもここは無宗教?ですし、すでに二日酔いばかりしていたらしいじゃありませんか。今更ですよ」
「だったら貰うけど」
「ああ、そうか! あまり気が進みませんかね?」
「――はぁ! そりゃいい! これを機に禁酒しろよ、シユウ!!」外野から騒がしい声が飛んできた。あと箒のせいで飛んできた埃も。
「いや、飲む!」
たしかに今朝のせいで俺の気は血の気ほどに引いていた。されどもこのなんでも飲める機会を無駄にするわけにはいかない。ゆえに俺は強欲にありとあらゆる飲みたかった酒を呷った。これには今まで馬鹿にしてきたロウエルへの復讐、つまり財布を殺してやるという気概も、あとエアファルングへの子ども扱いするなという勇敢さもあった。
が、ただちにその全てを床にぶちまけたのは言うまでもない。エアファルングに叱られた。ロウエルは大笑いした。
「シユウ君。交渉しましょう」
「え?」
「ええ。私たちの旅に同行してください。その代わりにあなたの過ちを不問としましょう」
「……は?」
俺は全く、この中年の言い分がわからなかった。今まであった不安と今あった酔いが一気に消し飛び、真っ白になった。その様子を眺めながらも笑うこの中年にさらに困惑した。
エアファルングが「あっはっは! 未成年で酒飲んだことか! それとも床にぶちまけたことか?」と乗っているのが腹立たしい。中年は「気が変わりましてね」と上手く返した。もちろんエアファルングはこの過ち、罪が、俺が馬車の罪人であるというところを知らない。
「ほら、馬車には他にも人が乗っていましたよね。私の似顔絵でも十分でしょうけれども、シユウ君がいれば間違いないでしょう。それに悪い話じゃないはずですよ。あなたは今、この村で――」
俺はこの提案に従った。というかそれしか選択肢が無かった。もしもあのまま村にいたらいずれロパロに排除されていただろうから。
俺がこの旅に同行する限りは身の安全は保障されるし、それになんかこのロウエルという人間は俺が断っても罪人だからと連行して同行させるつもりだったろう。どちらにせよ、俺に道は無かったのだ。
こういう背景があったから俺の村への心情は、つまりロパロの策謀の予感のせいで良くなかった。元々快適だったかで言えばもちろんそうではないのだが、ロパロという存在とロパロに同意ばかりする共存体への嫌気もあった。
ただそれをミアに告白する道理はない。どうして俺の醜態を晒す必要があろうか。弱いところを明らかにする意味があろうか。俺は恥をかいて喜ぶ変態じゃない。
「シユウ??」
「なんでもない」
「――おい、お前、あまり姫君に話しかけるな!」
横から声色強い女の兵士に注意された。体の線が細い俺より二三センチ背が高い兵士だ。俺の扱いは今のところ、罪人のままのようだ。おい、ロウエル、寝ても笑ってんじゃねえよ。
「もう、怒らないでよ。大丈夫ですよシユウ! 遠慮しないでいいですよっ!」
「しかし姫!」もう一人の女の兵士。太い体の俺より一回り大きい奴が叫んだ。大声のせいで馬車が揺れた。
「しかしもないよ! いいでしょ、べつに!」
「ダメですよ! お話なら私たちが!」
「二人の話つまんないもん! ふんっ――だ!」
二人の女兵士はミアに怒られてしょげた。ざまぁ。と内心思っていたのがバレたのか、ギラッと二人に睨まれた。
ミアはひとつため息をついてやはり荒野の蜃気楼と風塵に消えていくイリイを名残惜しそうにしていた。
「馬に乗って荒野を駆けまわって、夜は皆でご飯食べる。とても楽しそうだったなぁ。皆親切だったし」
ミアの小さく揺れる背中はその言葉以上に村への憧れを語っていた。ミアは純粋な女の子なものだ。
俺はあまり共感できなかった。というのも俺の肩はあまりに凝っていた。あんな柔らかそうな後ろ姿にはどうしてもならなかったし、今もなっていない。
俺にとってイリイはきっと酒場の裏に吊り干されていた牛の肉のようなものだったろう。暑く、渇いて、この肩と心のように硬く溜まった。痣のような色の思い出だ。
「それにエアファルングさん、いい人だったなぁ」
「……いや、そうでも」
「え~?」
それからしばらくミアのエアファルング推しに耳を痛め、馬車は揺れ続けた。
したがって俺の胃も揺れ続けた。荒野の泥に吐くのもこれが最後だろうかと、少しだけ名残惜しくなった停車中だった。
景色が段々と青くなってきた頃合いになって、ミアはわくわくそわそわし始めた。それを私兵のお姉さま方二人はニコニコとそれを眺めて、俺も一緒になって見ていると、なぜか睨まれた。このババア共、いい性格してやがる。
「これを見てください!」ミアは木箱から大切そうに取り出した地図を俺たちに見せた。目がキラキラしている。
「なんだそれは」俺はわざとらしく訊いた。するとミアは待ってましたと言わんばかりにだった。
「これは地図ですよ! 世界地図です! やっぱりシユウは知らないんですねっ!! だったら説明しましょう~私たちが今いるのはこの辺で~~」
嬉しそうなミアのおかげで気分が良くなったものの、無知なミアのせいで少し腹も立った。ちょっとだけ俺が無学だからってさ。
ミアは細い指で指し示す。大陸が北、東、西に三つ。島が真ん中に一つ。東のイロアス大陸、その南東のやや黒ずんだようなクリーム色で塗られた一点がイリイで、そこから西に少し、大陸のちょうど南、そこに今から向かうミル、という町があるとのこと。
少し過った無慈悲な衝撃を、死にたくなりそうだから、そのまま放っておいた。
「えっへん! あれ、シユウどうしました? 顔色が悪いですよ?」じーっとまんまるい顔を俺に近づけてきた。近い近い。
「なんでもない!」思わず、こけた。そのまま馬車から落ちろ~、とどこかの細めの私兵に言われた気がしたが気のせいか。
「私たちは聖職者なのですから遠慮しなくていいですよ?」
「いや、ちょっとまた酔っただけだ。これくらいなら大丈夫。そ、それよりも、そうだ、ミアはどこから来たんだ?」
「私はここです。西のルクステラ大陸の南西のここ、サンクトラというところです。ロウエルと、マリアンナとロゼッタは、さらにそこから西のマークスからですね。マークスはロアマト教会の首都です」
「はーそうなのかー」
「あれ、興味無さそう?」
「それはそうでしょう。シユウ君はロアマト教会があることなんてこの前知ったばかりですからね~」いつの間にか起きていたロウエルが皮肉らしくハッハッハと笑った。なんだこの中年は。と俺は不快に睨んだものの、ミアも同じ様にしていた?
これが世界地図だとすると――いや、ミアたちは最西端から最東端まで移動してきたのか。驚いた。
「あれ?」
「シユウ、どうかしました?」
「べつに勘違いかもしれないけど、、今からミル――」
「!!」ピキンミア。ミルに反応している?
「ミル――」
「!!!」ピキンミア? ミルに反応している??
「ミルってところに行くんだろ? イリイに来るまでにミルを通ってきたわけじゃないのか? ミアがさっきからやけにわくわくしてるから」まるで遊園地への車の途中で元気な幼児のように。
「ああ、私たちはポルトイからポスでイロアス大陸に入って、ミルからではなくデュオから直接イリイに行ったのでミルは初めてなんですよ。ははは」全然不親切に外国語単語を並べて説明するクソロウエル先生。
ミアは「ミルってどんなところなのかな~。図書室の本にも鉱山があったことくらいしか載ってなかったし~」とゆらゆらわくわくしていた。
一方それを適当に笑うロウエルと、やけに硬い面持ちの私兵二人がいた。
「乗り物酔いか?」
「黙れ、少年」どちらの私兵もいかんせん厳しい。
ロウエルは「ついでついで」とミアの地図を貸してもらって、指し示した。
「ちょうどいい機会ですので、話を整理しておきましょう。私たちはミアの予知夢に現れた男が持っていた魔剣を見つけ出し確保する。それが旅の目的です。その為に魔剣に関わりのあったであろう、シユウ君の話に出てきた六人の証人を見つける。もちろん、魔剣が見つかればその必要は無いですが。それで、とりあえず、イロアス大陸の首都であるウオリアに向いましょう。だからミルからインテルに行って――」
と、ロウエルはイロアス大陸を南から西、それから北になぞって、大陸の中央にあるウオリアってところで止めた。
「イオは寄らないですか?」ミアが小さく手を挙げた。
「寄りません」断固として答える中年。
「そうですか」ミアはしょんぼりとした。
ロウエルは続けた。
「いいですか。私たちの旅は旅行じゃないですよ」
「寄った町全部で酒と風俗楽しんでるくせに」ボソッと私兵が。
「ごほん。ともかく、まずはミルです。ミルに行って情報収集ですよ」
「情報収集ならイオも寄るべきです!」断固として挙手するミア。
「はっはっは! ウオリアに行けばだいたいの情報収集は可能ですから寄らなくていいのですよ。あくまで中継地点として情報収集しておかないといけませんよね」なんかわざとらしいな、この司教。
と怪しむところに太い方の私兵が突然だった。
「そういえば第二司教様って、イオで女遊びし過ぎて刺されかけたって聞きましたけど、ほんとなんですか?」
「ははははははは。ほんとなわけないじゃないですか。ところでどこでそれを聞いたのですか?」
たじたじになって汗を掻くロウエルであった。
そんな感じで馬車はいつの間にか平原を走って、丘が見えてきた。白いようで茶色い帯に巻かれた、尖ったものがいくつかそこからはみ出た、さらに近づいてそれらが丸石と木でできた城壁であることと、塔がいくらか中にある、ロウエルによるとここがミルらしい。
「さて、皆さん。降りますよ。ああそうだ、ミアは短剣を持ってますね? シユウ君は剣がありましたね。ちゃんと持っておいてくださいね」
「あ、ああ?」なんだか意味深に言われた。町に入るだけだろ。と、中年の気遣いだかなんだかにやや混乱しながらも、腰を確認すれば、剣が無い。
「おい、忘れたんだろう。これ持っておけよ」
細い方の私兵がとんとんと剣で背中を突いてきた。
「あ、ありがとう。えっと」
「マリアンナだ。あっちがロゼリー。そっちの運転してたやつはジョシュだ」
「ありがとう。マリアンナ」
「ふん」
とっととマリアンナは歩いていってしまった。せっかく感謝したのに機嫌悪すぎだろ。




