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6.荒野の村イリイ~夜1~

 荒野はすっかり夜になった。昼のが嘘のように涼しい。俺はロアマト教会の人達を連れてイリイの村へ帰っていた。

 休まず歩けたからすぐに村の灯りが見えた。温かい何も知らない灯りが点々としていた。門にはロパロが欠伸をして待っていた。俺と後ろの大人数に驚くと、こっちへ走ってきた。


 「おいシユウ、なんだこいつら」

 「この人たちは――」俺が説明しようとするとロウエルが不要だと首を振った。

 「どうも、はじめまして。ロアマト教会の者です。森ですっかり迷子になっていたところをシユウ君に助けてもらって――」

 「待て。教会? その服装そうか。おい、シユウ、これはどういうことだ――いや、待て、それよりも!」


 ロパロは俺の顔色から勝手に察した。とたんに眉を顰め、声色を強くして俺に掴みかかってきた。


 「おい、シユウ。ロパロはどうした! 後ろでお前を見守ってたはずだ!」

 「……死んだ」


 俺が情けなく目を逸らすとロパロは俺を突き放して、酒場へ走っていった。そこに村長がいるのだろう。賑わう声がここまで聞こえていた。ロパロがドアを開けていくと、それもすっかり止んだ。

 そのとき、俺は委縮していた。今から何かとんでもないものが襲い掛かってくる。違う、村だ。村の風習が弱者の俺を容赦なく排除してくる。もの色変って騒々しくこっちへ迫る足音は、イリイの空鳴りのようだった。

 俺の中にあった色んな感情、友人を亡くした悲しみ、それを受け止め切れていない混乱、死なせてしまった自分への卑下、そんなものが村長が近づいてくるにつれて簡単な恐怖と不安に固まっていった。だから俺はとても、村長に合わせる顔が無かった。

 でも村長は優しかった。


 「いやいや、無事で良かった。ほれ、疲れたじゃろう。今日はもう休め。教会のお方々、すいませんがお話を、あそこに儂の家があるのでそこで」


 この夜の月はこうして落ちていった。俺は家へ帰り、感情の整理のできないまま、ベッドで丸まった。


 その朝、優しいノックと締め切ったカーテンの隙間の光が俺を起こした。無視して丸まった。

 その昼、お腹はどうしても空いたのでドアを開けた。酒場へ行きたい気分ではないけれど、仕方ない。その一歩目のつま先に木の籠がぶつかった。パンと牛乳、それから水とワイン? が入っていた。誰かが置いておいてくれたのか。俺はそれに甘えて、家に籠っていようとドアを閉めた。

 ところの背中に


 「あっ!」


 と若く元気な声があたった。少女だった。ワッと大きく口を開けて、その手には似たような木の籠を持っていた。これを持ってきてくれたのは少女だったらしい。


 「おはようございます! ご飯持ってきました。えぃあふぁりゅんぐさんからです」

 「エアファルングだろ」

 「そうです。酒場のおじさんの」

 「どうも」


 俺はその籠も貰ってドアを閉めようとした。


 「あっ!」

 「なに」

 「水なんですけど、美味しくないかもしれないです」

 「……うん? 井戸水だろ、当たり前だ」

 「あはは、そうですよね~」少女はガクンと落ち込んだ。

 「?」


 俺はドアを閉めた。井戸水が飲めたもんじゃないなんて俺が一番知ってる。なんであんな顔をしたんだろ。

 飲んでみるか。


 「不味い! 飲めたもんじゃない! ザラザラ、辛い! 舌が焼けそうだ!」


 とにかくワインで口を洗って、さっさと飯を食って寝た。胃がムガムガする。やっぱり村の水は最低だった。


 それから夜になって、俺は眠れなかった。昼に眠りすぎて目が覚めてしまった。

 こう静けさの中で一人ぼっちになると嫌でも昨日のことを考えてしまう。気分が落ち込む。これからどうなる。俺はここで生きていけるのか。

 自分が何かしたわけじゃない。勝手に起こっただけ。だったらどうしてこんなに窮屈な思いをしているのか、自分で自分がよくわからなかった。

 酒場。エアファルングのところに行くか。

 夜のイリイは肌寒い。じんじんとした空が一転、澄んで輝く星がよく見える。普段ならそれを綺麗だ綺麗だと、酔っぱらったりもしている村人の影も今日はまるでなく、町全体は寂しげな風に沿って眠っていた。

 でも酒場はまだ明るかった。軽いドアを揺らして中に入ってみる。


 「ありゃ、シユウじゃねえか。どうした?」

 「シユウ? あれ、シユウ君ですね」


 飲んでいた。驚いた。エアファルングと神父がひっそりと飲んでいた。エアファルングが一人飲みするのは知っていた。そっちじゃない、あっちだ。


 「……神父って酒飲んでいいんだっけ?」

 「おい、言われてるぜ神父さんよ!」

 「いやぁ、また説明しなくちゃいけませんか」

 「しなくていいぜ。うちの村に教会はいらねえからなぁ!」

 「あはは、そう言われるとある意味助かりますねえ! サービスしてくださいよ!」

 「しない」

 「はい」


 だいぶ酔っぱらってるな、このおっさんたち。俺にここへ入ってく勇気はない。そんな勇気はいらない。だから俺は回れ右して帰ることにした。

 その帰り道の家の隙間、話し声が聞こえてきた。覗いてみるとロパロと、腰の曲がった老婆――あれはレンの母親だ。


 「この度はお気の毒に。しかしレンは自警団の使命を全うして死にました。悲しむよりも褒めてやりましょう。そっちのほうが喜ぶだろうから」

 「そうですよね。あの子が選んだんですから、そうですよね……」レンの母親は布で泣顔を隠した。

 「お母さん……たった一人の家族でしたからね」


 レンは死んだ。もう俺だけの事実じゃない。このどんよりとした空気はレンの失くした息でできたほら穴だ。完全にレンは死んでしまった。レンの母親の顔の皴は何よりもそれを現していた。

 俺はその老いた皴を直視して、整理の付かない気持ちになった。自分の中にあった友の死、そこに立ち会ってしまったがゆえの何か重いもの、そのふたつは喪失感とまとめれる感情だった。そしてそれが俺を今、苦しめている感情の半分だった。だから自分では大事だった。自分が一番悲しんでいるとさえ思い込んでいた。それが今、恥ずかしいほどに薄っぺらいものだと、あの悲愴の皴に気づいた。

レンのたった一人の家族だった母親が一番悲しいに決まっていたのに、俺は卑怯だった。

 あとのもう半分の感情、不安と罪悪感が、今あの半分が罪悪感に変貌して、俺はついにレンの母親に謝りたくなった。素直に俺は、殴られたりするかもしれない恐怖があっても、謝ろうと物陰からあっちへ近づこうとした。


 「でもそうだな。レンは偉大だった。問題はシユウだ。あれは酷い。レンを死なせた。惨めに帰ってきて無責任に寝てやがる」

 「ええ、そんなことは無いと思うわ。あの子も」

 「お母さん。ほんとうにそう思いますか? シユウにだって責任はある。あいつは弱い。あんな弱いやつを、しかもこの前までよそ者だったやつだ! そんなのを守る為にレンが死ぬなんて、俺は正直、納得いってねぇ……てか、違う、それだけならべつに運が悪かっただけだって納得したかもしれねえが、なんでだ、なぜロアマトの連中まで連れてきたんだか。ふざけやがって!」

 「ええ、でも、そんなこと言ってもレンは……」

 「レンだけじゃない。シユウはよそ者だ。レンだけで済むならいい。でもどうだ。ロアマトの連中がこの村に何をするかわかったもんじゃないだろ」ロパロの顔は優しさとはほど遠く歪んでいく。

 「そんなの……」

 「お母さん。シユウを信用し過ぎるのは――そうだ! よく考えて見るとおかしい! 今まで一切この村にやってこなかったロアマト教会が今、来たんだ! きっかけは何だと思う? 最近、村であった変化といえばなんだ?――シユウだ。シユウ! ロアマトの連中、シユウが呼んだんじゃないのか? 俺はそれを疑って――いや、間違いない!」

 「シユウがロアマトを?」

 「そうだ、ロアマトだ! いいか、お母さん。ロアマトの連中は信仰の為ならなんでもする野蛮な奴らだ。そりゃ平気で友人も裏切る!」

 「レンが裏切られた?」

 「そ、そうだ! シユウだ。あいつはロアマトと繋がっている。それがバレて口封じにもしかしたらレンは!」

 「そ、そんな……」

 「お母さん。どうか、そんな泣かないでくれ。悲しむことじゃない。レンはこの村の為に死んだんだ。それに俺たち村は戦わないといけない。お母さん、これ以上、レンみたいな犠牲者を増やすわけにはいけない」

 「で、でも私にはもう誰も……」

 「レンはこの村の為に死んだんだ。その気持ちに裏切るわけにはいかないだろ? レンの死を無駄にしちゃいけない。俺たち村はロアマトに、そして裏切者のシユウからこの村を守らないといけない。わかるだろ?」

 「そう、そうね、レンは村を守ろうとしたわ。だったら私も」老婆の涙は血の色に変わった気がした。その脆かった皴は硬く揺るぎないものへ変わろうとしていた。



 「お母さん。シユウだ。シユウは町を破壊しようとしている。シユウがいなきゃ、レンは死ななかった。だからな、まずは――」


 パキン! と甲高い音がどこかから響いてきた。ロパロと老婆の視線が一斉にその音のほうに向いて、俺はびっくりして身を隠した。

 

 「なんだ、ネズミが酒瓶割っただけかよ。驚かしやがって」

 「ロパニさん」

 「お母さん。まぁ、そうだな。今日はもう遅い。話は後日。どうかそんなに悲しまないでおくれよ。村は今危機なんだ。これ以上、大事なものを失うわけにはいかないだろ?」

 「ええ、そうですわね!」


 そういって二人は解散していった。老婆がこっちへ来そうだったから俺は速やかにその場を去った。家へ戻った。

 ドアを閉めた途端、俺はそのまま力が抜けた。重圧と緊張のせいでバテてしまった。

 聞いてはならない、聞きたくない話を、信じたくない話を聞いてしまった。そのせいでこの静寂の空間に、バクバクして止まない心臓の音が、頭の中にロパニの言葉がその声が何度も流れてきた。俺は苛まれていた。


 「俺がロアマトの連中を呼んだ? 俺が村を破壊する? レンを殺したのは俺? ロパニのやつ、全てを俺のせいにするつもりだった。あんな事実はない。ないはずだ。ふざけやがって!」


 意味がわからなかった。俺の軽薄だった悲しみがその罪悪感はロパニの思惑のせいで一気に怒りと強い不安になった。そうだ、俺が持っていたレンへの感情はそのせいでとっくに消し飛び、俺は自分のことで手一杯になった。その友人への無責任が俺を苛ませている。そしてこの無責任がロパロの語った背信と重なっているのではないかという催眠、錯覚が酷かった。するとロパニに余計腹が立った。

 

 「なんで俺がそんなことするって。ロパニ、あいつ、どんだけ俺のことが嫌いなんだ」


 しかもロパニには人望がある。嘘でも誰もよそ者の俺を信じるわけがない。そもそも俺はこの村に至っていなくたって構わない存在、いや、今やいないほうがいい存在だ。ロパニが何と言おうが村はロパニの味方だ。ロパニがあんな風なことを言いふらしたら、俺は村から殺されるかも、いや、きっと殺される。ロパニはやる気だ。

 だからといって俺はもちろん力が無い。逃げるにしても荒野を一人で越えられる力は無いし、仮に

越えた後どうするというのか。その先になにがあるのかさえ、わからない。行くあてが無い。

 強い孤独感が荒野の風と共に俺を震わせた。孤独とは弱さだった。俺は一人では生きられない。人間として生きれる生き物ではないのだ。人権が無い。死んでもいい人間に対して世界とはつねに厳しい。残るのは不安と無駄な想像力からくる無残な死の瞬間の予知だけだった。

 そんな風の中をコトコト、と近づく音がすでに扉の前。トントントンと三度ノックしてきた――こんな時間に誰だ。いや、決まってる。ロパニ、それか頼まれて俺を殺しに来た誰かだ。どうする? 武器? どこだ!……ないっ!!


 「あれ、開いてますね。入っちゃいましょう――あれ?」

 「え?」


 ブルブルして箒を構える俺にロウエルは唖然とした。

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