3.荒野の村イリイ~酒~
荒野の日射しキツイ。身が煮えそうだ。
ぼそぼそと徘徊する焦げ茶色の牛が溶け込む褪せた黄色のだたっぴろい低草地。北の向こうに際立つ草緑と高く続く獰猛そうな山。辺り一風の景色はそういう荒野だった。その真ん中くらいだろうか、ぽつりと村があった。名をイリイという。
イリイの容態はさほど悪くない。丸太が灰色じみて古臭い、小さな三角の家が羅列していて、傍から見れば廃村にも映ってもおかしくない。しかし羅列は不器用な整列であるだけで、そこにいる住民もまたおんぼろではなく質素なだけだ。生活に困窮して横たわる人も隙間だか道だかわからんところにもゴミは無い。発展こそない、平穏な村だ。
その酒場。昼の酒場。床軋む音の風さえ摩るそこで、俺は飲んだくれていた。今日は今日とて皿洗いする顎髭の店主は手厳しい目で俺を観察していた――この顎髭店主、エアファルングが、二メートル近くあるガタイのいいおっさんで、その目はそれ相応の迫力がある――だから俺はその顔を一回り二回りと大きな木のコップで隠して誤魔化すのだった。
イリイの容態は悪くない。されどそう見せる要因のもう一つは俺だったかもしれない。たしかに俺は気持ち悪かった。
「おええええええええええええええええええええええ!」
「おいおいおい! 吐くな! ほら、このバケツ!」
「止まった」
「ああ、なんて床より綺麗なバケツだ」
エアファルングは慣れた手つきでモップを俺に渡してきた。俺も慣れた手つきで床を掃除するのであった。
手つきはよくとも気分はそうではなかった。単に酔っているからというのもあるが、それ以上のものがあった。なんというか、このゲロは俺のようだった。
あの馬車の事故のあと、偶然通りがかった村の自警団が倒れていた俺を拾ってくれた。俺の怪我はさほど酷くなく、どちらかというと病気か呪いか、とにかく魘されていたらしい。それも数日ですっかり治ったらしく、俺はそこではじめて起きた。
村長はすぐにやってきて俺が何者であるかをしつこく聞いてきた。助けてもらったのだからと臆せず、今までのことを正直に話そうと思ったものの、村長の面持ちは残酷なまでに冷たかった。大人だった。ありのまま話せば、どうなるかわからんと悟って、俺は自分を記憶喪失だと偽った。
村長はそうでも温厚だった。行き場の無い俺に空き家を与え、村の一員とまではいかずとも困れば親切に助けてくれた。この困ればというのは主に食べ物、それと仕事だった。村長は俺に小銭を渡して、この酒場を紹介してくれた。それから俺はこの顎髭が紹介する村の雑用をして生きていた。
生きて一年半経った。今日はその雑用が無いから俺はこうして暇を潰していたのだった。こう吐くのも初めてではない。だのに顎髭店主はいつもとは一風変わってうんざりしていた。
「俺が言うのもなんだがな、少し飲みすぎちゃいないか」
「こうも暑ければ喉が渇くだけだ」
「まぁたしかに村には教会が無いから水はそのままじゃ飲めたもんじゃない。だから酒を飲むしかねえが、それにしたって今日は飲みすぎだ。身体壊すぞ。身体壊せばそれこそ、困るぞ」
困る。というのはこれもまた教会が無いからだ。酷い怪我や病気は教会でしか治療できないらしい。イリイには教会が無いため、遠い町までいかないといけない。その間、馬車のひどい揺れに耐えながら怪我病気に悶えなくてはならないのだから、困る。
「なんか都市では魔術のジョウリュウキ? だかが話題になっていたな。それがありゃ、神聖術がなくとも水を綺麗にできるらしい。うちの村長が財布叩いてくれりゃ、こんなゲロモドロもいなくなりそうなもんだ」
「ゲロモドロって……」
「そう言われたくなきゃ、もう少し酒を我慢するか、気を引き締めるしかねえぞ。まぁ、まだ十六歳になったばっかのガキじゃ無理か」
「子ども扱いするならもう少し優しくしろよ」
「子ども扱いってもう十六……ん? 十六歳といえばそろそろ成人の儀があったな。あったなぁ~」
エアファルングがそれは小馬鹿にして楽しそうに笑っていた。俺が目を逸らすと「図星だな」という感じでニタリとした。
もちろん俺は成人ではない。日本の成人は今では十八歳からだ。俺はまだ十六くらいだ。このくらいというのも日本とこことで暦が違うからざっくりとしたもので、よくわからないので、俺は自分の本来の誕生日とは異なるであろう適当な日にちを誕生日にして、村長に伝えた。その嘘かほんとかわからない、いや、大方嘘であろう。今日はウクソル、十八日。なんだそのウクソルっていうのは、六月でいいだろう。
「俺もお前くらいの年齢のときやったな。あの遠い森まで行ってお祈りしてくるんだっけな。もう十年くらい前か」
「嘘つけ。三十年くらい前だろ」
「この野郎、俺が怒らないからって失礼な。これだからガキは。わかった、大人として警告してやろう。最近は森も穏やかじゃないって聞くぜ。気を付けとけよ」
「……」
「どうした? 顔色悪いな、吐くならこのバケツに」
「いらないって!」
「ああそうか、怖気ついてたのか。あっはっは!!」
「……」
「お? どこに行くんだ? 今日は何も無いんじゃなかったか?」
酒場の安っぽい観音開きを蹴り飛ばし、その反動で帰ってきた扉に腹打ちされつつも、俺は急用へ出向くことになった。あの髭、俺をもっぱら子ども扱いしてくる。舐めやがって。俺は後ろから降りかかってくる子供じみた汚い笑い声を無視して、劣悪な昼へ跳び下りた。
「うわっ! なんだこの馬!」
俺に驚いたのか、そこに居た馬が飲んでいた水を鼻から噴射してきた。なんだなんだよ、今日は。服が濡れて、忙しない風が慰めにくると、肌寒くて萎えた。
「いやぁ、ごめんなぁ」
そこにちょうど狩りから帰ってきたらしいレンがやってきた。身長が俺より十センチくらい高いから、百七十五くらい。細身に見えてわりと硬い体をしている、ニ十歳の色白イケメンだ。優男。だからずぶ濡れの俺を見ると気の毒そうにした。
そういえばこの失礼な馬はレンのものだったか。飼い主には全く似ない不細工な馬だ。こっち見んな、馬面。
「ほらこの布で拭いて」
「どうも」
「なんか、今日はずいぶん酒臭いね」
「安酒のせいだ」
「まぁそうだね。エアファルングの酒は安っぽいからね」
冗談で言ったつもりでもイケメンがナチュラルに同意してくると胃がムズムズする。レンはこういう性格があるから怖い。単にこの予想できない斬新さもそうであるが、その腰に下げている剣が物理的な意味でそう演出してくる。
なおもう一つの真実もある。レンはたまに町へ出掛ける。そこでおいしい酒を満喫したのだろう。つまりふつうにエアファルングの酒は不味いってこと。
「レイ、今日はどうだった? 何匹獲った?」
「ああ。野兎が二匹とヘビが一匹。それからカエルが――」
「カエルはいい!」
「ああ、シユウはカエルが苦手だったね。美味しいのにな」
「これのどこが」
俺の顔よりもデカい、ヌルヌルベタベタ、ザラザラした茶色斑模様の、国会で寝ていそうな太ったジジイみたいな顔の、どこか。あと臭い。
「今日はカエルが大量に取れたから皆でカエルパーティーにしようかな。ほら、そこで。シユウも来るでしょ?」
「まぁ兎とヘビもあるし」
「そうだね。じゃあ、僕は行くよ」
紐に縛られた無数のカエルをルンルンと誇らしげに酒場へ持っていくレンを、俺はゲロゲロな青い顔で見ていた。それをおかずにおやつの草を食べる馬面を俺は見逃さなかった。この馬面め。
今更であるが、さっきからレンがシユウと俺を呼んでいたが、それが俺のここでの名前である。この村の住人はとにかくカタカナの名前ばかりだった。その上、ややよそ者に厳しかった。だからそれっぽく名前を誤魔化した。
そのシユウはやはり今日、暇なのでブラブラと散歩して時間を潰すのであった。
「おいそこの、えっと、シーウ! ちょいと牛の世話を手伝いな!」
「シユウだ!」
「はいはい、わかったからシーウ! さっさとしな!」
威勢のいい婆さんのせいで暇ではなくなりました。頑張って牛の乳を搾ってもあんまりおいしくないんだよな、あの仕事。他の仕事も低賃金だけど、さらにあれは。
大人になればまともな金が貰えるのだろうか。子供だからと安くこき使うこのババアの理論では。




