さがしもの
雨空は重暗い雲に覆われ、朝の10時だと言うのに辺りはまるで夜のようだ。水溜りはジャバアッとタイヤで大きく跳ね、フロントガラスの雨は、遮っても遮っても降り掛かる。不意に現れた対向車線の車のヘッドライトが、眩しく車内に差す。
「⋯っくそ!ハイビームにしてやがる!!眩しいんだよ!!」
「相変わらず口悪いなぁ。彰。」
「んなこと言ったってよ~、見慣れない街にこんな暗さで運転とか言われりゃ、機嫌の1つも悪くなるって。」
「ごめんて。運転免許持ってる知り合いで、かつ面倒見の良いお前が友達で良かったよ。」
「なんか、丸め込もうとしてるだろ!まぁでも、急だったなぁ。ビックリした。長生きしそうな先生だったのによー。」
「だな。いくら何でも早いよな。昔から不思議な人ではあったけど、持病とかあったようには見えなかったけどな。」
俺達は、恩師とは⋯言える、中学校の教師だった人の葬式に向かっている。名前は犬塚啓太郎。享年61歳。俺も彰も、高校は地元だったが、大学に入って県外に出たから、会ったのは昨年の同窓会が最期になってしまった。
「着いたけど、、、ボンボンだったのかよ、けいちゃん。」
「ああ。豪邸⋯だな。取り敢えず受付行くか。」
純日本家屋の門には鯨幕が掛けられ、進むと母屋へと続く列が出来ており、二人共受付を済ませ、最後尾に並んだ。降りしきる雨は真っ直ぐ傘を打つ。
「なぁ、お前も覚えてるだろ?けいちゃんの趣味。」
「勿論。寧ろ俺らの記憶はそれしか無いだろ。」
「んな事はない!⋯と言いたいけど…確かに。当時は結構面白かったよな。」
“けいちゃん”こと犬塚啓太郎の趣味は、心霊スポット巡り。一緒について行くと言うより、“連れ回された”が正確な表現かもしれない。気に障るガキだったのか?逆に気に入られたのか?今となっては分からないが、写真を撮りに行ったり何かを採取したり。兎に角、変人だった。
「南ー無阿ー弥陀仏、南ー無阿ー弥陀仏⋯」
徐々に近付くお経に緊張が走る。
「お顔が見れずに残念ね。」
「ええ。なんでも、お顔の判断が出来ないほどに窶れてしまったって。」
「あらぁ。それは可哀想ね。でも御棺すら置かないなんて。変よねぇ~。」
お焼香を終えたおばちゃん達の声が聞こえてきた。棺桶が無いってどういう事⋯?
お焼香の順が回ってきた。菊に囲まれた遺影は、俺等が知っているあの頃のまま、笑顔のけいちゃんが写っている。視線を落とすと、通常ある筈の棺桶がやはり無い。実感湧かないなぁ。
「なんか、まだ生きてんじゃねーかって思っちまう。あの遺影⋯俺等がふざけて撮った写真だよな?実感湧かねー。」
「葬式に来てんだから、そうなんだろうけど、ほんとに…。けいちゃんの事だから、また何処かの心霊スポットに、入り浸ってんじゃないかって思うよな。」
門下で傘を差し、少し感傷に浸っていた。降りしきる雨がより一層強くなり、お経も雑音も全てを掻き消す。稲妻が走り地響きと共に近くに落ちたようだ。
「もし宜しければ泊まっていかれますか?遠方からお越しなのは、お二人だけなので。」
一人の女性が雨宿りをしている所に近付いてきた。親族なのだろうか。奥さんは居ないはずだから、兄妹?
「良いんですか?俺正直、この雨の中運転するの怖かったんすー!!」
「おい!いくら何でもお邪魔だろ。お葬式の邪魔になるんじゃ⋯」
「お前〜!俺が運転しないとお前も帰れないんだぞ!!」
「大丈夫です。お部屋は幾つかございますので、ご心配には及びません。此方へどうぞ。」
案内されるまま広い日本家屋の中へ。
「「ひっっっろぉーーー⋯」」
手入れの行き届いた豪邸は、絶対触ってはいけないだろう壺とか、売ったら幾らになるのか分からない掛け軸が至る所にある。
「マジでヤバい!!この家どうなってんの?!」
「凄すぎて、何処からツッコんでいいか分からない…。」
「此方でお過ごし下さい。お手洗いは突き当たりの右手をいった所にあります。お風呂は⋯」
「いえ、そこまでして頂かなくても!!泊めて頂けるだけで十分です。」
「そうですか?では、ごゆっくり。」
そっと閉まる襖を見送り、息をつく。
「旅館かよ!!緊張した〜。」
「ほんと、高級旅館に来たみたいだ。」
「俺、ちょっとトイレ行ってくる。」
「おう。場所分かるか?」
「バカにすんなよ!!」
案内された部屋は襖も障子も綺麗で、畳はイ草のほのかな香りがする。小さめの卓袱台にお茶のポットと湯飲みが用意されていて、懐かしい煎餅も置いてある。
「土壁なんだよな…ここ。本当にけいちゃん金持ちだったのか⋯。もっといいとこ連れてってくれたら良かったのに。何故心霊スポット…。」
気配を感じ振り向くと、青ざめた顔の彰が立っていた。
「おう、ビックリした。あったか?トイレ。」
「俺⋯ヤバいの見ちゃったかも⋯」
「何?どした?」
「ちょっと、一緒に来てくんないか?」
「やっぱり、トイレ分かんなかったろ。」
「っ違う!いいから、来て!」
渋々後を歩いて行くと、突き当たりを左に曲がり、奥の部屋の前で止まった。
「さっきの所、右じゃなかったか?」
「此処に⋯棺桶がある。」
「そりゃ、参列者に見せないだけであるだろ。」
「顔⋯見たんだ。けいちゃんじゃ⋯ない…。」
「んなわけ無いだろ。おばちゃん達が“窶れた”って言ってたじゃないか。多少顔が痩せてたりするだろうけど、分かるだろ。」
「逆なんだよ。水風船みたいに、、顔も手も膨らんでで、、、」
「見間違えたんじゃないか?」
「そうじゃない!お前も見てくれよ!」
こんなに必死な顔をした彰は、初めて見た。段々と自分にも緊張感が伝染する。呼吸が浅くなり鼓動が強く感じる。
罰当たりな気もするし、親族の方へも許可取ってない。でも、心霊スポット巡りに付き添った結果なのか、変な好奇心に負け俺は棺桶に近付き、小さい観音開きの窓を恐る恐る開けた。
「これ⋯誰だ⋯?いや、人⋯か?」
横たわる白装束の“それ”は、顔の瞼・鼻・口・耳に至るまで、薄い皮膚の中に水が溜まったように膨らんでいる。埋もれてしまった目玉が分からない…。髪は生えているが、頭全体がクラゲみたいだ。
「見たんですね。」
背後から声がした。女性の割には低く、平坦で冷たい声。その端的に発せられた言葉に、背筋が凍る。
二人共振り向くことに躊躇して、生唾を飲み込んだ。強張る身体を捻じ曲げて、振り向いたが、誰も居ない…。
「お食事ご用意したので〜!良かったら召し上がってください!」
遠くから先程とは違う優しく明るい声。部屋を案内してくれた人の声だった。
「「あ、はい!」」
二人してその場から急いで離れた。部屋に戻れば、温かい仕出し弁当が置かれていた。
「すみません。仕出し弁当ですが…。」
「いえいえ!本当に、お忙しい中色々とお気遣いをいただいて。」
「何かあれば仰ってくださいね。啓太郎さんの教え子さんですもの。」
「どうも。」
スッと閉まった襖を見届け、大きく溜息をついた。
「なぁ!お前も見ただろ!?帰るか?!帰ろうぜ!!俺、運転頑張るって!」
「⋯⋯⋯“あれ”が、けいちゃんじゃ無かったらどう思う?」
「は⋯?」
「だから、けいちゃんがああなったんじゃなくて、別物だったら、けいちゃんの遺体は別にあるってことだろ?」
「そう⋯かも知れないけど…。じゃ、本当の犬塚啓太郎は何処にいるんだよ!!」
「分からないよ。俺だって可能性の話をしてるだけだし。そうだったら、俺達が見たものは、けいちゃんのコレクションの可能性もあるだろ?」
「ま、まぁ。“アノ”けいちゃんだしな!変なモノ持ってても、あり得なくはない。」
「だから、心配すんなよ!!ご飯食べよう。折角用意してくれたんだ。」
「そうだよな。雨止まねーし。」
ザァーーーー。
まだまだ止む気配のない雨音が、庭の草木に打ちつける。
本当は死ぬほど帰りたかった。でも、このまま帰ったら、生きて帰れない気がした。
ただ、そんな気がした──。
時は江戸時代──
とある商家の一人娘がいた。表にあまり出てこない娘で、見えぬが故か噂が噂を呼び、街一番の美人だと言われていた。
ある時その娘に縁談話が持ち上がった。お相手は、地域に大切に利用されてきた清流で漁をし生計を立てていた、しがない青年。青年の働く姿を、娘が大層気に入ったのだと言う。
然し、その娘を欲したのはその青年だけでは無かった。街一番の美人が、誰かの妻になるなど黙っている男は少なく、金を積み権力を使い、あらゆる手段で口説かれていた娘だったが、気持ちは揺るがなかった。
青年も、商家との縁談は願ってもないものだった為、顔の見えぬ娘であろうと快く受け入れた。二人は手紙のやり取りで仲を深めていった。青年は娘の顔を知らないながらに、柔らかな筆跡と綴られる言葉に、次第に心を寄せていた。遂に、顔合わせが無いまま結婚式を迎える事になった。
青年の住む小さな家では結婚式の準備がされ、近隣住民が集まり花嫁を待つ。日が暮れて、一番星がぼんやりと輝く曇り空。白無垢を着た娘の輿が、実家を出て青年の家へ向かう途中、小さな橋を渡る。
その時を待っていた男たちがいた。
川船交易を生業にして財を成した商家の男。
娘の輿に付いていた護衛達は薙ぎ倒され、橋の上から次々と落ちていく。
その日の夕刻、男は噂の娘を我が物にする為、金で雇った浪人共に青年の家を先に襲わせていた。こと切れた青年を見届けた男は、安堵した。
「さぁ、俺の嫁となるんだ!!」
男は期待に胸を膨らませ、嬉々として輿を開けた。
そこには、何とも奇妙な、人のような“物”が座っていた。体は風船の様に膨れ上がり、水を蓄えたようにブヨブヨとしている。指の一本一本に至るまで、芋虫の様に丸々と水を含んでいる。皮膚が薄く、中の水が揺れる様子が見て取れる程。。。
「な、な、なんだよ!この気持ち悪い!娘は何処だ!」
「貴方が、旦那様ですか?」
そう呟いた“それ”の声は、軽やかで澄んだ声。かつて扉越しに聞いた、あの娘と同じだった。
「うわぁぁああああああ!!化け物!!」
そう叫び、刀を振るった男は“それ”の首を落としていた。
ごろりと地を転がり落ちたその首は、次第に美しい少女へと変わっていく。
「嘘だ、、、な、なんで…」
男は恐れに震えた。すると、娘の髪から何かが落ちた。拾い上げると、それは櫛だった。
「旦⋯那様⋯⋯私の⋯⋯旦那⋯様⋯⋯⋯」
死んだはずの娘の清らかな声が、辺りに響くと櫛を拾い上げた右腕が、ぶくぶくと膨れ始め水が溜まった様に揺れ動く。
「いやっ!!やっやめろ、やめろぉおお!!」
男は落ちていた刀を左手で持ち、震える剣先に意を決して、自分の右腕を斬り落とした。
「っっうあぁああ!!っっくっぁああっっ!!!」
落ちても尚、異様に膨らみ続ける右腕を見つめ、男は気を失った──。
片腕を失っても男はしぶとく生きていた。
娘と青年の遺体は人知れず海へ沈んだ。罪を隠し逃れるように。然しそれからというもの、男の家には災いが起こるようになった。
船の欠陥で沈没したり、川の増水による溺水事故などが相次いだ。
長年の災いを恐れ、引きこもっていた男だったが、6年の月日が経った大雨が降りしきる中、縁を断ち切る為あの橋へと向かった。
「もう、やめてくれ⋯悪かった⋯だから、家族には⋯子供の命は!⋯娘は助けてくれ⋯!!」
男は切実な願いを込めて、ひとつの櫛を川へと投げ入れた。それは、娘の髪から落ちた物だった。罪の意識からなのか、捨ても売りもせず、ずっと手元に置いたままだった。これで、何も繋ぐものは無い…。。。
『私の櫛⋯旦那様⋯』
○*。゜○*。゜○*。゜
2024年7月──
「おっ!!古い⋯櫛か!砂を洗い流せば、何か分かるかもな!!」
「また何か拾ってきたんですか?啓太郎。」
「この価値は、母さんには分からないよ~!!」
「はぁ。いつになったら、お嫁さんを拝めるかしら?」
俺の家系は、女系で継いできたらしい。江戸時代から続く川船業で財を成してきたのに、何故か…。それは、俺のご先祖が女の霊に呪われたからだという。男が生まれると、水膨れが出る湿疹に悩まされ、次第に弱り死んでしまうらしい。まぁ、水疱瘡ってとこだろう。昔なら知らなくても訳ないかも知れない。だから、婿を取り娘を産むことで家系を守ってきた。男系男子が主流の社会で珍しい。現代なら逆・玉の輿だ。
だが、そのうちその災いも薄れたのか、男も生み育てるようになった。そんな時俺が生れた。
俺は妹も居たし、自由気ままに生きて来た。(嫁はまだか?)(お前は婿に行かないのか?)は、世の女性男性と同じ様に言われ続けている。
久々の同窓会。懐かしい顔触れは、ハゲたり丸くなったり近況報告に花を咲かせる。
「お~い!けいちゃーーん!!!」
「お前ら相変わらず一緒なんだな。懐かしい呼び方しやがって。」
「お久しぶりです。啓太郎先生。」
「畏まる事が出来るようになったんだな。」
「流石に、大学生なんで。」
「まだ先生してるんすか?」
「いや、もう辞めた。猫みたいに生きてる。」
「なんすか、その自由人セリフ。俺も言いてぇ!!」
「頑張った人だけが言えんだよ!あ、これ見るか?」
「まーた何か集めてるんですか?」
「へへへっ。これ。調べたら婚約の印に花嫁に贈られた物らしい。」
「櫛⋯ですか?」
「ああ。江戸時代に作られたっぽくて、質素だが細工もしてあって、大事にしてたんだろうな。櫛は[苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げよう]って意味があってな。エモいだろ。」
「確かにエモい。へぇ〜!」
「先生はそんな相手いたんですか?指輪はして無いみたいですけど。」
「お前まで言うな!!耳にタコができる!!」
2025年7月某日──
次第に雨は小降りになってきた。
「なぁ、本物のけいちゃんの遺体、見せてもらおうか?」
「また彰は…。なんでそんな事言うんだ?棺桶が無い理由は、おばちゃん達が言ってた様に⋯」
「だって、万が一だぞ!!万が一!“あれ”がお前が言うように別物だったとして、ホントにけいちゃんが、死んだかどうか分かんないなら、俺達は誰の葬儀に参列してるんだ?芸能人の○○さんを送る会じゃないんだから。犬塚啓太郎を死んだことにして、犬塚家の財産分与を⋯」
「勝手にドラマにするな!!⋯でも、この豪邸だしあり得るのか?いや、無いだろ。」
「だから、お前が(啓太郎先生に会いたいです)って言ったら、見せてくれるんじゃないかと。」
「そういう時は、俺、なんだな。」
「おあいこだ。」
薄暗い廊下を歩く。木が軋む音にフラッシュバックする“あの”姿。
「すみません。お弁当ご馳走様でした。あの、、そろそろ雨も小降りになって来たので、、、けいちゃん、啓太郎先生の顔を見て帰ろうかと思うのですが、良いでしょうか?」
「あっ、そうですか。⋯⋯では、此方に…。」
思ったよりもすんなり案内してくれるようだ。少しの間が気にはなったが、俺の後ろでグーサインをする彰が、嬉しそうで何よりだ。なんだかんだ二人共啓太郎先生を好きだったからな。最期だ。素直に顔を見たい。
廊下を歩き、見覚えのある壺を通り過ぎる。突き当たりを左に曲がった。この部屋⋯
「一度見たんですよね?また見たいのですか?」
氷の様に冷たい声。
「あの姿って⋯」
「啓太郎さんです。私の旦那様⋯」
「何言ってんだ?旦那様って⋯結婚して無いんじゃ⋯」
「すみません。彰、帰ろう。お邪魔しました。」
急ぎ家を出た。彰の腕を掴み、傘も持たず小雨を肩で掻き分けて、車に乗り込んだ。
怖かった。ただただ恐怖で、幾つか言葉を掛けられた気がしたけど、聞こえないほどに自分の心臓が煩かった。
「どうしたんだよ!!急にビックリするだろ!?」
「あの家は変だ!!やっぱり“あれ”が啓太郎先生だ。」
「どういう事だよ!⋯じゃ、じゃあ、本当にあんな風に死んだっていうのか?」
「昔、けいちゃんが言ってた。俺の家系は呪われているんだって。彰だって、あの話覚えてるだろ?」
「ああ。ほんと⋯だったんだな…。」
雨を掻き分けるワイパーは力強く、車で走り抜けるこの道は見知らぬ橋の上──。
ーーー
小さい橋の上から、男性は休日の楽しみに釣りを嗜む。
足元に置いたラジオからは、ローカルチャンネルのお昼前のニュースが流れている。
(⋯続いてのニュースです。先月、川に沈んだ車の中から、二人の変死体が発見されていた事が分かりました。
発見当時、大雨の影響で、増水した川と道路の区別がつかなくなった事が、川へと転落した原因と結論付けられましたが、未だ、遺体の身元、遺体損傷の要因などは分かっていません。続いてスポーツです。⋯)
「今日は一匹も釣れねぇ。そろそろ帰るか。」
垂らした釣り糸がピンと張る。
「最後の最後!⋯んっ!こりゃ根掛かりか。チッ。」
巻き上げた針の先に何かが付いている。これは…
「櫛?装飾が付いてんなぁ。売ったら刺し身ぐらい買って帰れるかな?」
『私の⋯旦那様⋯⋯』