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第6話 華野鳥櫻子

「着いたさ。ここが娘の家だよ」


 婆ちゃんが足を止めたのは、個人宅の門扉と呼ぶにはあまりに大きすぎる門の前。

 正直これだけで建物として成り立っている。

 さっきまで歩いていた公園だと思っていたのは、この家の敷地だったらしい。

 監視カメラが何台も向けられ、ちょっと危険な事務所を連想してしまう。


「本当にここで間違いないの?」


「間違いないね。ほら、表札もちゃんと掲げられてるじゃないか」


 モダンな門灯に照らされている表札には”華野鳥”と書かれている。

 どこかで見た覚えがある苗字だな……どこだったか思い出せない。


「これで『かやのとり』って読むんだよ。読めたかい?」


 かやのとり……そうだ、クラスに同じ名前の女子がいたはずだ。

 こんな珍しい苗字が何人もいるとは思えないんだが。

 まさかとは思うが、同級生の家なのか?

 確か今日はお稽古がどうのこうの言っていたボブカットの女子だ。

 鉢合わせになるなんてことはないだろう。


「婆ちゃん、もしかして孫って古音呼学園の生徒だったりする?」


「さあ? 詳しいことは聞いてないんでねぇ」


 とりあえず送り届けたということで、さっさとここから立ち去れば済むことだ。

 別れを告げようとしたところで、巨大な門が自動で開き始めた。


「立派な門だこと。あ、これこれどこへ行くつもりだい。あんたも入っていくんだよ」


「いや、俺は用事があって早く帰らないといけないから」


「ここまでしてもらって何もせず帰せば、七代先まであんたの一族を呪わずにはおられんようになるよ」


 え? 俺の一族が呪われるの?

 ちょっと意味がわからないんだけど。

 どうして助けた俺がそんな目に遭わないといけないのか、ちょっと責めたくなる。


「おばあ様、全然おいでにならないから心配していたんですよ。そちらの方は――あれ? もしかして同じクラスの真千田くん?」


 中から出てきたのは白いひらひらのスカートを靡かせた、同じクラスの女子。

 そう、華野鳥なんとかさんだ。

 下の名前なんて当然ながら覚えていない。

 こんなバカでかい敷地に住んでいるということは、どこぞのご令嬢だったのか。


「わたしのことわからないかな? 同じクラスの華野鳥櫻子だよ。もしかして真千田くんがおばあ様を連れてきてくれたの?」


 そうだ、そんな苗字で呼ばれていた。

 華野鳥が覚えてなかったらこのまま無視して帰る道も残されていたが、そんな道は最初からなかったようだ。

 ここは軽く躱してさっさと帰ろう。


「俺はそこからちょっと道案内しただけだ。そんな大したことはしていない」


「さくちゃんや、この子は駅の近くの歩道橋でへたりこんでいたところで声をかけてくれてね、荷物まで持って送ってくれたんだよ。ちゃんとお礼はしてやっておくれ」


 婆ちゃん何言ってんだ……。

 今は一刻も早くこの場から去りたいのに、邪魔するようなことはやめてくれ!

 華野鳥も乗り気になってるじゃないか。


「おばあ様、そういうことでしたらわたしにいい考えがあります。真千田くんとお食事をご一緒するのはいかがでしょうか。真千田くんも夕食はまだでしょうし」


「それはいい考えだね。さくちゃんもこう言ってることだし、遠慮せず食べてきなさいな」


 勝手に話が進められている。

 俺の意思などお構いなしなところに、権力者のエゴを感じるのは気のせいか。

 実際に権力者かどうかは俺の知るところではないが。


「いや、俺は帰って夕食の準備をしなきゃいけないから」


「なんだい、その歳でそんなことまでやってるのかい。今時の若者にしちゃできた子だとは思ってたけど予想を超えてきたね。気に入った! さくちゃん、この子は絶対離しちゃダメだよ」


 呆れられるのかと思ったら、反対に褒められてしまった。

 婆ちゃんは両手で俺の手をしっかり握りしめ、離す素振りを見せない。

 握る力も相当なものだ。

 強引に引っ張って転ばせでもしたら、一体いくら請求されるかわかったもんじゃない。

 それこそ庶民の俺からすれば、天文学的な数字を見せつけられかねない。


「わかったから手を離してくれないかな」


「本当だね? 逃げたら呪うよ?」


「それ怖いからやめてくれるかな」


 渋々婆ちゃんの後ろをついて門をくぐる。

 中は綺麗に整備された日本庭園そのもので、建物はさらに奥のほうに小さく見える。

 小さく見えるだけで実際は大きいのは間違いない。


「真千田くん、おばあ様を連れてきてありがと。おばあ様から連絡がなくて心配してたところだったんだ」


「俺はただ荷物を持ってたくらいで本当に大したことはしてないんだけど。そこまで感謝されることじゃない」


「おばあ様はちょっと頑固なところがあるから——ホントごめんね。でも人を見る目は確かだから、おばあ様が真千田くんにここまで心を許してるってことは、それだけ真千田くんは凄いってことだよ」


 華野鳥は上目遣いで語ってくる。

 自分を可愛く見せる方法を理解している、それも自然に振る舞えるレベルで身につけているのだろう。

 大げさじゃなく、不自然さもなく、こちらが警戒心を解くギリギリのラインを見極めている。

 こんな態度を見せられれば、お互いの距離を勘違いする男も出てくるに違いない。

 なかなか罪深い女子だ。


「別に迷惑じゃないし、そんなお世辞はいらないぞ。そんなことより本当に帰らなきゃいけないんだけど、どうにかならないか?」


 あまり帰りが遅くなる(食事が送れる)と、姉貴の機嫌が悪くなるのは必至。

 本当なら俺が作らなきゃいけない理由はないはずなんだけど。


「さっき言ってた夕食の準備だったら、うちから何か届けさせよっか?」


「どういうことだ?」


 シェフに真千田くんの家族の分も作ってもらうの。食材は足りると思うからたぶん大丈夫だよ」

 あっけらかんと話す仕草は、それがどれだけ世間からズレた感覚なのか理解していないようだ。


「流石にそこまでしてもらう義理はないから」


「でもご家族にご迷惑をかけるんだから、それくらいはしたほうがいいと思うんだ。おばあ様もきっと賛同してくださるわ」


 華野鳥は婆ちゃんのところに駆け寄るなり耳打ちしだした。

 こちらに内容が聞こえても何も問題ないはずなのに、なぜ耳打ちをする必要があるのか。

 俺が気にしすぎなだけなのかもしれない。


「そりゃいいじゃないか。住所はわかるかい?」


「たぶん大丈夫だと思います。時間も余裕はあるはずですから」


 住所って俺の家のことだよな?

 個人情報が筒抜けになってるようにしか聞こえないんだが。

 今まで話したこともなかった俺の住所がすぐにわかるなんて、どういう情報網なのか知りたいところだが訊くのが怖くてできない。


「たぶん突然届けられても困ると思うんだけど。知らない人から届けられた食べ物って誰でも警戒するだろ?」


「ああ、そういうことなら大丈夫かな。知らない人じゃないと思うから」


「どういうことだ?」


「華野鳥家が所有しているホテルの料理長だから、ホテルからの配達ということにすれば怪しくもなんともないでしょ。料理長はメディアにも顔が出てるから、たぶんご家族も知ってると思うよ」


「左様で……」


 俺の想像を超える話で頭が回らない。

 とにかく姉貴も親父も安心して食べられるというのなら、俺が口を出す必要はないだろう。

 あとで根掘り葉掘り尋ねられることになるだろうけど。


「それで、一体何を食べさせてくれるんだ?」


「イタリアン、フレンチ、中華、それ以外でも希望のものがあれば何でもいけるかな」


「じゃあ丼もので頼む」


 マナーどうこう言われても困るし、この家で食べなさそうなもののほうがいい。

 なぜならそっちのほうが愛想を尽かされて早く帰れるはずだからだ。

 なんて完璧な計画なんだ。


「料理長は料亭での経験もあるから大丈夫だろうけど、本当にそれだけでいいの? 遠慮はいらないんだよ?」


 華野鳥が困った表情を見せる。

 こちらの作戦通りだ。

 そのまま婆ちゃんのほうへ顔を向けると、婆ちゃんはまた違った反応をみせていた。


「やっぱり食べ盛りな男の子には丼が一番だね。よし、婆ちゃん丼には自信があるから久しぶりに作ろうかね。料理長にはご家族の分を作ってもらえばええ」


「おばあ様の丼なんていつ以来でしょうか。櫻子も楽しみです!」


 一流シェフの丼を食べられるはずが、なぜか婆ちゃん自慢の丼にすり替わってしまっている。


「真千田くんよかったね。おばあ様は料理の腕も一流だから、きっと満足できるよ」


「そりゃ楽しみだな」


 こうなっては断れない。

 一流シェフの味を盗んでやろうかと少し思ったりもしたが、こうなれば婆ちゃんの丼を味わい尽くすとするか。

 二人の後ろについていき大きな玄関ホールに入ると、どこかの歌劇団を思わせる大階段が目に飛び込んできた。

 呆気にとられる暇もなく、その横を通り抜け奥の部屋へと案内されると華野鳥と婆ちゃんは違う部屋へと消えてゆく。

 残された俺は漫画でしか見たことがない白い長テーブルの端の席に座らされ、一人のメイド服を着た女性に監視されるという状況に陥った。

 年齢は二十代後半くらいだろうけど、本当にこんな服を着てる人が存在するとは……。

 少しキツそうな性格に見えるため、自然と背筋を伸ばしてしまう。


「すみませんが、これはどういう状況なんですかね?」


 メイド服の女性は得意げにインテリ風のメガネをクイッとあげる。


「真千田様は、櫻子お嬢様と霞様のお客様でいらっしゃると伺いました。お食事をご一緒されるとのことですので、お料理の準備が整うまで、どうぞこちらでお待ちくださいませ」


「落ち着かないんですけど」


「落ち着いてください」


 笑顔が怖いな。

 強制されているような威圧を感じる。

 あの二人に似つかわしくないというのは自分でもわかっているが、俺の容姿は関係ないと思いたい。


「会話はしてもいいんですか?」


「どうぞご自由に」


 なんだか”独り言は自由ですよ”、という冷たさを感じるのはきっと気のせいに違いない。


「俺は古音呼学園に転校してきたばかりで華野鳥さんのことも全然知らないんですが、ここは凄い屋敷ですよね」


「世界展開している高級リゾートホテル”KT International”、不動産事業である”KT Living”、高級旅客機事業からプライベートジェットの販売を行う”KT Air”、それ以外にも様々な分野があり、それらを統括しているKAYAホールディングスを一代で築き上げたのが先代当主、華野鳥修蔵様でございます」


 俺でも耳にしたことがある企業名がスラスラ出ている。

 世界的企業の孫にあたるのが、華野鳥櫻子というわけか。

 ちょっと場違い感が凄すぎて、逆に感覚が追いつかない。

 どう接するのが正解なのか……。


「凄すぎて実感が湧きませんね」


「庶民ならそれも普通かと。生活していれば交わることのない、接点すら持つことを許されないお方ですから」


 平然と言ってのけるのが凄い。

 しかし、本当にそれだけ凄い一族だということは間違いないだろう。

 逆に考えれば、それを普段から全く感じさせない華野鳥も違った意味で凄い。

 どこかのお嬢様だと感じさせても、ここまで凄い一族だと気づく者はいないだろう。


「ところで今日の食事なんですが、華野鳥櫻子さんとその祖母の霞さん以外は誰が同席されるんです?」


 この長テーブルなら両親に加え、どこぞのお偉いさんまで同席されてもおかしくない。

 それくらい広くて豪華だし、こちらも心構えというものをしておかなければならない。


「どなたも同席されませんが、それがどうかなさいましたか?」


「え? ご両親も一緒じゃないんですか?」


 俺が言ったことが頓珍漢とでも言いたげに、顔を傾けて不思議そうな表情を見せる。


「庶民の生活は存じ上げませんが、お二人とも仕事が忙しく、年に数回程度しか櫻子お嬢様とお食事をする時間が作れませんので」


 その目は庶民と同列に考えた俺を痛い奴と認定したということだな?

 ここまで金持ちであっても、華野鳥は皆が想像しているよりも幸せというわけでもないのだろう。

 得るものもあれば失うものもあるということだ。

 この話題にはこれ以上触れないでおこう。

 そうこうしているうちに扉がゆっくり開き、中から華野鳥と配膳ワゴンを押す違うメイドが入ってくる。


「俺が頼んだのは丼のはずだけど、その大量のサラダやカルパッチョみたいなのは何?」


「丼だけだと栄養バランスが悪いでしょ? だから前菜を持ってきたんだよ」


「はぁ……」


 確かに丼だけだと栄養バランスがいいとはいえないけど、だからといってこの量はどうかと思う。

 メイドが大皿から小皿に分けて並べていくが、明らかに取り分けられる量が俺に偏っている。

 こうなる予感はしていたが、あまりに露骨なためちょっと笑いが込み上げてきた。


「真千田くんどうかしたの?」


「いや、これは流石に多すぎるかなって。これじゃメインがくる前に満腹になる自信があるぞ」


「おばあ様が男の子はこれくらい食べられるって言ってたから」


 んなわけないだろ、とツッコミたくなるがそんな仲でもない。

 さっきまで苗字すら覚えてなかったしな。

 ここは婆ちゃんの顔を立てて頑張るべきか。


「婆ちゃんがそう言うのならいただくよ」


 俺が婆ちゃんを立てたためか、華野鳥が嬉しそうに微笑む。

 俺だって親父が姉貴を立てる人がいたら嬉しいし、自然と表情が綻ぶのも理解できる。

 メイドがとりわけ終えると、今度は婆ちゃんと違うメイドが入ってきた。


「会心の出来だよ」


 婆ちゃんから後光が差してるんじゃないかと錯覚するほどの自信を感じる。

 今度の配膳ワゴンには蓋をされた丼鉢が三つあり、その一つがこれまた大きい。

 絶対俺の分に違いない……。


「何丼なのか楽しみだな」


「開けてからのお楽しみだよ。さあ、さくちゃんも席に座りなさい」


 向かいの席の椅子をメイドが引くと、華野鳥と婆ちゃんがキレイな所作で腰をおろす。

 その後ろに三人のメイドが並んで立ち、二人の背中越しに俺を見下ろしてきた。

 三人のメイドからのプレッシャーは凄まじく、残さず食べなくてはいけないという強迫観念に似た何かが俺を突き動かす。


「それじゃあ、いただこうかね」


 ばあちゃんが手を合わせるのに合わせ、俺と華野鳥も同時に食事の挨拶をした。


「「いただきます」」


 山盛りのサラダにフォークを突き刺して一気に頬張った瞬間、今までサラダで感じたことがない衝撃が走る。


「なんだこれ……」


 サラダなんてどれも一緒、所詮ドレッシングの味で食べるものだと思っていた俺の固定概念が覆されたとでも言えばいいのか。

 野菜からは今まで食べたことがないほのかなスパイシーな香りがするし、苦みなんてものはなくむしろ甘みが凄い。

 どうやら俺が今まで食べてきたものはサラダではなかったらしい。

 これはあとで何が入ってるのか聞いてみるか。


「わたしはこのサラダが好きなんだけど、真千田くんも気に入ってくれたみたいだね」


「認めざるを得ないな。これは今まで食べてきたサラダの中で一番うまい」


「気に入ってくれたみたいでよかった!」


 次にカルパッチョみたいな食べ物をいただく。

 なぜカルパッチョみたいなと表現するのか、答えは単純だ。

 俺はカルパッチョを食べたことがない。

 そんな洒落たものを自宅で作るわけがない。

 これは肉じゃなく魚の身を薄くしたものだろうか。

 香草やチーズが乗っていて、これもまた格段にうまい。


「さくちゃんや、男は胃袋を掴むのが一番いいんだよ」


「おばあ様もおじい様の胃袋を掴んだのですか?」


「そりゃあね」


 この二人はいったい何の話をしているのか。

 まあ前菜を全て平らげた俺に立ちはだかるのは、目の前の巨大な丼だけだ。

 まずは何丼なのかが問題だ。

 王道なら親子丼、この前菜の量から考えればカツ丼というのも考えられる。

 もしくは究極の玉子丼かもしれない。

 世間で人気一位を取った人気の丼、牛丼というのも考えられる。


「……これは……」


 蓋を取った俺の目に飛び込んできたのは卵と牛肉……いわゆる牛とじ丼。

 関西発祥で他人丼と呼ばれ、親しまれている丼だ。

 それでも俺が知っている丼とは少しというか大分違う。

 入っている肉がステーキのように分厚く、見るからに極上の霜降りでありえないもの。

 流石大企業の創業家の牛とじ丼だ。


「これはね、おじいちゃんが好きだった丼なんだよ」


「おじい様が!?」


「西のほうで流行ってる丼で精がつくってね。久しぶりに作ったけど懐かしいねぇ」


 その西のほうで作ってる丼とは絶対別物だと断言できるけど、ここはぐっと堪えた。

 味は自信があるだけあってメチャクチャ美味いが、これはその西のほうの丼とはかけ離れた味に違いない。

 一言で言い表すならステーキに甘めの卵丼を組み合わせた丼で、カツ丼よりとにかくガツンとくる感じだ。

 このあともいくらか会話をしたはずだが詳細は覚えていない。

 それどころじゃないくらい腹がはち切れそうになり、とにかくヤバかったことだけは覚えている。

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