さかさまの学校
半藤勇路くんは、市立の小学校に通う四年生の男の子です。ある晴れた天気の日のこと、給食を食べおえた勇路くんたちは、校庭でボール遊びをしようとしているところでした。
「ゆーろ、俺たち校庭の場所とっとくから、ボールよろしくな」
「オッケー、わかったよ」
勇路くんは一番下の空きスペースに置かれているボールを取るため、いきおいよく階段をかけおりています。
「今日は、空気がパンパンに入ったサッカーボールが残ってますように」
そうして一階までたどり着いた勇路くんでしたが……。
「あれ?」
勇路くんの足が、ピタリと止まりました。なぜなら、いつもはあるはずの空きスペースがそこにはなく、もう一つの階段があったからです。
「ち、地下? この学校に地下なんてあったっけ? ボールの場所も地下に移動したのかな……」
ボールを探すため、勇路くんはさらに下へと続くその階段を、おそるおそるおりて行きました。
「うわあ、やっぱ地下だ、外が真っ暗だ」
一階ぶんおりてみると、黒色しかない窓が勇路くんを迎え入れます。勇路くんはあたりを見回しますが、他は特に変わったようすは無く、いつもの学校の廊下に見えました。
「なんで地下に窓があるんだろう。あっ、そうだ。ボールは……」
勇路くんが後ろを振り返ると、そこにはまた、下の階へと続く階段が。
「まだ下があるの?」
何かにみちびかれるように、勇路くんはさらに下へとおりていきます。
「この階、ぼくの教室がある階とそっくりじゃないか」
地下の二階にたどりついた勇路くんは、不思議なことに気がつきました。廊下の様子が、勇路くんのクラスがある地上二階とそっくりだったのです。
「4-1、4-2、4-3……ここだ、僕のクラスがここにもある」
勇路くんはいつの間にかボールのことも忘れて、この階をさまよっていました。そして、勇路くんは地上にあるはずの、自分のクラスを見つけてしまったのです。
「勇路くん、どうした? 10分も遅刻してるぞ」
教室に入ると、黒板の前には先生がいました。
「せ、先生? 今はお昼休みの時間なんじゃ」
「何言ってるんだよ。お昼休みは勉強する時間だって、決まってるじゃないか」
「ええ?」
先生はわけのわからないことを言っています。勇路くんはクラスメイトのほうを見ましたが、みんなもなぜか、机に座って勉強しています。
「さあ、勇路くんも自分の机に座って、ほら。勉強だよ勉強。はぁ、めんどくせえ」
「せ、先生……」
勇路くんは、ふだん優しい担任の先生が、あまりに嫌な感じになっているのでショックを受けてしまいます。しかたなく、この教室の自分の席に座り、勉強しているフリをするしかありませんでした。
しばらくすると、スピーカーからチャイムがなりました。
「よーし、休憩の時間は終了だな。これから掃除だぜ。キャッホー」
すると先生は黒板消しを持ったかと思うと、それを黒板にバンバンと叩きつけました。黒板は汚れて、白っぽい粉が宙に舞います。
「せ、先生。なにやってるんですか!」
「何って、掃除だよ。掃除はできるだけものを汚くすることだろ? さあ、みんなも掃除するんだ」
先生がそう言うと、今まで座っていたクラスメイトがいっせいに立ち上がり、文房具をばらまいたり、机を倒したり、あたりを散らかし始めます。
勇路くんは目の前のことが信じられず、しばらくボーっとしていましたが、そんな勇路くんに、誰かが話しかけてきました。
「勇路くん」
「あっ、美月ちゃん」
その子はクラスの風紀委員もやっている女の子でした。
「ど、どうしよ、ぼく……」
「勇路くん、手を出して」
「えっ、手を?」
「うん、いいものあげるから」
言われた通りに勇路くんが手を出すと、美月ちゃんはその手に、見たこともないような虫を置いたのです。
「うわああああ!」
「きゃっはっはっは! びっくりした? びっくりしたでしょ! ひっひっひ!」
尻もちをついた勇路くんを見て、美月ちゃんはおなかをかかえて笑い転げていました。
勇路くんはあることに気がつきました。普段の美月ちゃんは、こんなイタズラをするような子じゃないし、そもそも、大の虫嫌いだったはずなのです。つまり、この学校では、なにもかもが逆になっている。
「こ、ここは、さかさまの学校なんだ……!」
勇路くんはどうしていいかわからないまま、教室でじっとしていました。今は授業中のようですが、先生は何もせず、みんな好き勝手に遊んでいました。
やがて、教室にチャイムの音が鳴りはじめました。
「はい、これで今日の授業は全部おわりね。みんなおつかれ」
そう言うと、先生はあっという間に教室から出ていってしまいました。
「やった。これでこの不思議な学校からおさらばできるぞ!」
勇路くんもここぞとばかりに、急いで教室から出ようとしました。
「あ、あれ?」
しかし、勇路くんがドアを引いても、びくともしません。
「な、なんで!? もう放課後でしょ、家に帰っていいんでしょ!?」
「バカだなぁ」
ドアを叩く勇路くんの後ろに、いつの間にかひとりの男子が立っていました。
「放課後ってのは、教室にずっといる時間だろ? 出ようったって無理だぜ」
「そ、そんな」
勇路くんはがっくりと肩を落としました。そんな勇路くんに、その男子生徒はほがらかな様子で話しかけます。
「そんなにがっかりするなって。学校ってのはいい所じゃないか。てきとうに遊んでいりゃいいんだよ。なんなら俺が遊びを教えてやるよ」
その男子生徒は、不思議なほど親切でした。勇路くんは顔を上げて、その子の顔を見ましたが、なかなか名前が思い出せません。
「もしかして、君は時亜くん?」
「うん、そうだけど」
名前と同時に、勇路くんは普段の時亜くんのことを思い出します。いつも表情が暗くて、クラスメイトと仲良くなろうとせず、グループ分けの時はいつも余っている……そんなふうに勇路くんは思っていました。
「ほら、これ知ってるか? 俺が一番得意なカードゲームなんだけど」
時亜くんは、勇路くんにカードの束を見せてきました。そのカードの裏面の模様は、勇路くんもよく知っているものだったのです。
「これって、ドカモンカードゲームだよね? 時亜くん、やってるの?」
ドカモンカードゲームは、世界的に有名なカードゲームなのです。勇路くんは前から興味があり、おこづかいでカードを集めてはいたのですが、一緒にプレイができる友達がいなかったのでした。
「やってるもなにも、俺は公式大会の小学生部門で優勝したことがある実力者だぜ」
「マジで!? すごい!」
勇路くんはこれまでのことも忘れ、素直に感心しています。
「公式で優勝できるなんて、時亜くん、有名人じゃないか!」
「有名人、確かにそうだな」
「ん?」
なぜか時亜くんの顔が不機嫌になっていることに、勇路くんも気づきます。
「優勝しても、俺のパパとママはちっともほめてくれないし、学校でも成績が上がるわけじゃないし、誰も見てくれるわけじゃないけどさ。でも、がんばって続けていたら、どうにかなるかもしれないし」
「時亜くん……」
「勇路。お前もどうせ、俺といっしょに遊ぶのはイヤなんだろ?」
「そ、そんなこと」
すると、時亜くんは窓のほうへと歩き出します。
「俺さ、この学校大好きだよ」
そう言いながら、時亜くんは窓を開けました。すると、地下にあるはずなのに、強い風が教室に入り込んできたのです。
「俺といっしょに遊びたいなら、ここから外へ出てみろよ」
「と、時亜くん。何を!」
時亜くんは窓のへりに足をかけ、外の暗い闇の中へと飛び込んでいきました。驚いた勇路くんは、窓へかけよります。
「う、うわ」
ところが、窓ぎわに近づいた時、強い風が勇路くんの体を持ち上げはじめたのです。
「うわああーっ」
そのまま、勇路くんは時亜くんと同じように、真っ黒な空間の中へ投げ出されてしまいました。
気がついたとき、勇路くんは周りが真っ白な場所にいました。どうやら、勇路くんは横になって寝ているようです。
「よかった。気がついたんだね」
声がしたほうをむくと、そこには担任の先生が座っていました。普段通りの、おだやかな顔で、勇路くんを見ています。
「せ、先生! ここは……」
「ここは保健室だよ。勇路くんはあまり覚えてないかもしれないけど、お昼の休憩の時、階段から転げ落ちて、気を失っていたんだ」
「ええっ?」
「特にケガはしていないと、保険の先生は言っていたんだけどね。先生は心配で……。とにかく、気がついてよかった。今日はもう帰る準備をしよう」
勇路くんは、さっきまで体験していたことを、必死に思い出そうとしていました。あれは、夢だったのでしょうか。先生に話してみたかった勇路くんでしたが、はっきりとは思い出すことができず、結局言えずじまいになってしまいました。
「ゆーろ、大丈夫か。ほんとに」
「帰り道、気をつけてね」
「うん、ありがとう」
早退することになった勇路くんに、みんなはやさしい言葉をかけてくれます。勇路くんはランドセルを背負って、教室のドアを開けようとした、その時でした。
ドアの近くの席に座る男子生徒。その男子生徒がもっているスマートフォンに、ドカモンカードゲームのシールが貼られているのを勇路くんは見つけたのです。
勇路くんは、少し迷いましたが、思い切ってその子に話しかけてみました。
「時亜くん、だよね?」
「……え?」
時亜くんは自分に話しかけられたと思っていなかったのか、不思議な顔で勇路くんを見つめます。
「え、えっと。勇路、くん、だっけ。ぼ、ぼくが何か……」
「それって、ドカモンカードゲームのやつだよね」
勇路くんがシールを指さすと、時亜くんは隠すようなしぐさをします。
「もしかして、時亜くんってドカモンカードゲームの小学生王者だったりする?」
その言葉を聞いて、時亜くんは目を見開きました。
「ど、どうして、それ……」
「あ、あのさ。ぼくもドカモンカードゲーム、興味があるんだ。もしよかったら、戦い方とか、デッキの作り方とか、教えてくれないかな」
これが、ふたりの初めてのやりとりのはずでした。でも勇路くんには、暗い闇に投げ出された友だちの手をつかんだような、そんな気持ちがしていたのです。
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