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百合耳かき  作者:
7/7

幼馴染の耳かき

「ただいまー」


 ボケのつもりで言ったのだが、未来は反応すらしない。

 そりゃそうか、とひとりごちる。般若の面が飾ってあるような純和風邸宅の玄関を、私は目を瞑ったって歩き回れるくらい見知っているわけだから、今さら未来がツッコむわけない。私のボケが弱かった。

 未来はスニーカーを脱いで揃えてから、すたすた洗面所までいく。チョコレート色になるまで年季の染み込んだ廊下。軋ませない歩き方だって私はよく知っている。

 未来の家の洗面所は、これまた今どき珍しく、蛇口周りがタイル張り。広さは一畳ちょっとなので、並んでは入れない。出たとこで待つ。

 未来が手を洗う音を聞きながら、ふと思った。

 帰ってスクールバッグも下ろさず、手洗い場の前に並ぶ、十五と十六の乙女二人って……姉妹過ぎるよな、と。やっぱ、ただいまー、は分かりにくすぎたわ、と。

 ちっさいころからずっと一緒。まさしく姉妹同然で育ってきたわけではあるけれど、戸籍上で見ればやっぱり苗字は違い、早生まれと遅生まれの、同級生であることに間違いはない。そりゃそう、という当たり前のことを、たまに、あぁそうだったな、となることがある。

 未来が出てきた。半身でかわす。石鹸置き場には、レトロチックなこの空間の中ではだいぶ浮いている、新発売のハンドソープ。保湿効果が一日続くという高いやつだ。私の家に置かれることはないので、未来の家に来るたびこの3プッシュがちょっと楽しみ。

 ささっと手を洗って、ぱっぱっと水気を切って、洗面所を出ると、じろっとした目で未来が待ち構えていた。

 私は、あっ、と小さく口元を引きつらせた。


「ちゃんと、タオルで手拭いた?」

「……へへ」


 幽霊みたいにあげた手の指先からは、まさに水滴が落ちている。くるっと戻って、水玉模様のタオルでちゃんと手をふき直して、再び戻って……そこまでにかかった時間、わずか三秒。

 未来の前で大きく手を開いた。


「もちろん、拭きました」

「……」


 片眉がめんどくさそうに持ち上がった。


「よろしい」。未来はくるっと回って、玄関まで戻って、この廊下と隣り合っていた、二階への階段を上がっていった。その足音は、目の圧力からは考えられないほど、軽やかで、すとすとという感じがある。猫が歩くみたいな。

 私もついていく前に、もう一度スカートで手を拭っておいた。爪の間に水気が残っていたので。


 **


 もう十七時になっていた。

 未来の部屋の時計は外来製。長針の先が、スペードの形をしている。

 外から未来の家を見たときの印象は、ザ・日本家屋だ。どっしりとした漆喰壁は、こまめに塗り替えをしているそうで、その真っ白さには品がある。

 けれど、未来の部屋の内装は(意外にも)、女の子女の子した部屋だ(言わないけどね)。

 私は、未来の部屋が好き。

 部屋の壁紙は、一面だけパステル風な若草色というおしゃれ仕様。さらに、カーテンは女子が一番落ち着く塩梅の、うっすら系ピンク色。年中桜餅テイスト。落ち着いた甘さがある。こういう部屋だからこそ綺麗じゃないと締まらないわけだけど、さすが未来にぬかりはない。収納はシンプルな三段ラックで揃えられて、中身も百均収納ですっきり分別済。ラックの縁までマスキングテープでデコレーションされているところが、未来らしい。

 そして、なによりこの部屋の主役は、あちこちにいるポ〇モンのぬいぐるみ。ベッドの枕元にプ〇ン。ラックの上のスタンドミラーの隣にクレ〇フィ。飾っているというよりかは、まるでお気に入りの場所に住みついているかのように、ぬいぐるみが置かれている(ちなみに、フェアリータイプの子が多い)。

 部屋についてあれこれ言うとき、『生活感がある』なんて言葉を使うことがあるけど、未来に関して言えば、むしろそれはない。

 未来が毎日整え、掃除し、好きなものを一番落ち着く形で置いてある部屋。気を抜いて暮らすことを生活感というのなら、未来は気を抜くために身の回りを整えなきゃならない、そういう人間なのだ。私とは違う部分で、いいなと思う。


 さて、当の未来はといえば、早々にブレザーを脱いでハンガーにかけて、カバンを片してからベッドに腰をおろして、机の上から取った、携帯ゲーム機を起動していた。枕元のプ◯ンのぬいぐるみが、ベッドがたわんだせいか転がって、未来に寄りかかっていた。

 私はそんな未来を眺めつつ、未来の勉強机の隣にカバンを置き(ここが定位置)、私専用に作ってもらったハンガーラックの前で、ブレザーのボタンを外す。


「それ、今やってるの、ぽ〇ぽけ?」

「そうそう」

「どこまで進めてたんだっけ」

「ストーリーは全部終わって、今はかいがら集めしてるところ。ニン〇ィアが住むお城のために、たくさんいるの」

「はは、貢ぐ女だ」


 そんなこと言いながら、私はブレザーを肩から外した。

 そのとき、急に、肩にどっと疲れがのしかかってきた。あら、と自分でも驚く。まるでたった今、アドレナリンが切れたかのよう。

 ブラウスだけになって、湿っぽい涼しさに気付く。そういえば今日の昼、ちょっと汗かいたっけ。今日は校内中を動き回ったから。


「ふぁぁ~」


 無意識のうちにあくびが出た。そのまま伸びをする。

 今日は、新入生歓迎祭の当日だった。私は生徒会の下っ端として、数日前から今日にかけて、いろいろと駆けずり回っていた。生徒会長や、先生たちとの間を、書類抱えて行ったり来たり……。伝書鳩の気持ちをよく知れる日々だった。

 そして無事、新歓も終わった。

 けど……思い返してみれば、今の今まで、やる気スイッチがつきっぱなしだったらしい。


「ふあぁっ……」


 あくびの終わりに、残った疲れを吐き出すみたいなため息。その勢いで、胸の中のスイッチがパチンとオフになった。

 未来の部屋の万年桜餅なテイストを浴びて、本能が安心したんだろうな。私は急に気が抜けた理由を分析した。ここは、私の寝室の隣みたいな場所だから。

 私は体を力なく、未来のベッドの方へ動かし始めた。

 貝殻集めに忙しい未来の隣へ、全身から力を抜きつつ、腰を下ろした。


「はぁっ」


 ぼゆんと、ベッドがたわんだ。

 未来の小さな体が、ちょっと浮いた気がする。ほんの少しね、一ミリ未満。

 私は大きな息を吐くのと一緒に、許されるならもう、大の字になって寝っころがりたかったけど、そんなことをしたら隣から真冬のような視線が刺さってくる事を知っているので、やめた。『埃が舞うでしょ』と言われるのがオチだ。

 そうして隣を見たら、三月頭のしつこい寒風くらいの視線があって、あら、となった。


「埃が舞うでしょ」

「えー」


 一ミリ未満でも、ダメでしたか。

 

「舞ってないよ。ほら、いつも掃除してるじゃん」


 私は広げた両手でこの部屋を示す。私の部屋みたいに。カーテンの隙間の光を帯びて、チンダル現象がキラキラしているのに気づいたけど──まぁいつも通りだよ。0になんてならないのだし。

 それでも未来は目を尖らせる。


「見えないレベルの埃が、舞うことには変わりないの」

「そうだとしてもさー。ベッドに体重を預ける気持ちよさってのは、何事にも変えがたいものが……」

「人のベッドでしょうに」

「私たちの仲じゃーん、もう家族みたいなもんじゃーん」

「家族のベッドでもダメでしょうに……」


 未来のツッコミに目を逸らす。


「もう……なんであなたは、学校だと気遣い屋なのに、私の前だと無神経野郎になるの……」

「野郎にはなってないけども……。いやー、ここに来るとスイッチがオフになるというか、なんというか……」

「オンオフじゃなくて、目盛り式にしなさいよ。親しき仲にも程度があるわ」

「いやもう、それは生まれつきだからさー。ドライバーで頭蓋骨開けて、中をいじらないことには、どうにもなんないからねー」

「はぁ……わかった。じゃあ私が開けてあげるから……」

「ねー、ちがうじゃーん、冗談じゃーん」


 ベッドから手が届く一番近いラックの中に、生活におけるマイナー用品が修められたペン立てがあって、そこでドライバーが凛と立っている。この女、迷わず取りに行こうとしに行くため、私は未来の肩に覆いかぶさって止める。

 しかし、この身長152cmめ、見た目のお人形感に反して結構力がある。

 私と頭半分も背丈が違うくせに、馬力で言えばトントンというフィジカルポテンシャル。体育ではエース扱いされているから、天は二物をってやつだ。

 そして、存外ノリが悪くない女なので、結構本気で取ろうとしているし、多分本気で、わたしのこめかみに突き立てるくらいはやる。


「ちょっとー、ドライバーで頭を開けられるわけないじゃないですかー、未来さーん」

「何事も、ものは試しよ……」

「試さなくていいよー、痛いだけだってー」

「痛みがいい学びの機会となる場合もあるわ」

「ねー、未来さんこの前、教職志望っていってたじゃーん、体罰経験なんてない方がいいようー」


 ほとんど、全力でしがみつくみたいにすることで、なんとか未来を抑え込むことに成功している現状。

 しかし、この状況、これはこれでやばい。

 なにがやばいって、まず今私は、かなり疲れてることだ。今思い出した。

 余力がないからこのままいくと力負けする。そこに、未来自身の、子供の頃から変わらない高めの体温と、毎日お花の枕で寝とるんかというくらい、いい髪の匂いが、ダイレクトに伝わってくる。

 まずい、本当に力が抜ける。

 そしたら、ふっと私の体が軽くなって、私はえっとなった。

 何かと思えば、未来の方が力を抜いたのだった。

 だから、反動で私が抱き寄せるみたいになる。未来がすっぽり腕の中に収まって、私の鼻先でくると振り返った。前髪の端が鼻の頭を掠める距離。黒真珠みたいな目が、まっすぐ私を見つめた。さすがにドキリとした。

 未来の口は小さい。桜のつぼみのみたいな唇。

 が、結んで開いてを繰り返した。


「ほんとに、つかれてるのね」


 私は幼馴染でも、親友でもなく、お姫様でも抱いているかのような気持ちになった。ならば私の立場は、近衛だろうか。いや、さすがにちょっと、自惚れか……?

 恥ずかしながら、口にした。


「うん、まぁ、ほんとに……思ったより、疲れてる」

「帰り道、今日の歓迎祭でのこと、ずいぶん楽しそうに話してたから、まだ元気がありあまってるなぁ……と思ってたわ」

「まぁ、カラ元気というか、初めての後輩達を見たことによるハイというか……」

「準備のときもてきぱき動いてたから、流石運動部だなぁ、と思ってた」

「そりゃあ準備は楽しかったよ。本番もやり切れて嬉しかったし、達成感あったし……」

「……で、オフになったの」

「うん……」


 恐縮至極。恥ずかしながら……。という感じで頷くと、私に体重を預けていた未来が「ふぅん」とだけ呟いて、ついと体を起こし、私の腕の中から出て行って、背筋をまっすぐ伸ばす。そして、スカートの上を二回撫でて、しわをのばした。

 子供の頃から、『座り方』を教わっていないと出来ない、綺麗な姿勢。天が三物を……違うか、全部未来自身が身につけてきたものだもんね。

 それから、ぽんぽんと、膝の上を叩いた。


「耳かき、してあげましょうか」

「えっ」


 背が思わず伸びた。上背があるせいだと言い訳して、ずっと猫背を直してないから、それはもう、にょいんと伸びたことだろう。

 未来の小さな笑みが綺麗で、唾を呑み込んだ。


「いいの?」

「どうぞ」


 ぽんぽん。

 未来はまた膝の上を叩く。


 **


 耳かきもまた、マイナーペン立ての中に立っていた。でも彼はマイナーペン立てに収まるには、勿体ない奴だ。机の上の一軍ペン立てに入っていいと思う。私が推薦する。

 それくらい先が細くて、よくしなる、煤竹の耳かき。いつの間にか未来の部屋の中にいた、そこらの耳かきより上等な彼。

 未来は、ペン立ての隣にある綿棒も取って、ベッドの上、自分の腰かけている隣に置いた。それからティッシュも掴んで、取りやすいところに置く。


 私はその姿を、掬い上げるように見ていた。

 私は既に膝枕の上にいた。

 さらついたスカートに頭を預ければ、その下に温かな弾力。未来の脚は白く、やわらかい。子供の頃から変わらない。


「じゃあ、やってくからね」

「うん……」


 未来の小さな手が、私の髪を撫でた。くすぐったさに目を閉じる。

 数度撫でて、髪にかかる髪をかきあげてくれた。昼の汗で湿ってないかなとか気になったけれども、まぁ未来なら気にしないかと、自分をなだめる。

 実際、未来も気にする様子すらない。何度も丁寧に耳の裏へ髪をひっかけ、邪魔にならないようにする。


「耳、ひっぱるよ」

「うん……」


 未来は、両手の指で軽く耳を引っ張ってから、くにくにと親指の腹をつかって、揉みさする。こうすることで耳が温まり、耳垢が取れやすくなるというテクニックだ。未来はこまめに爪を磨いているので、爪の先端が耳たぶを軽くこする感触も、また気持ちいい。


「どれどれ……」


 んー……と未来のこぼれるような息が、耳元に近づいていた。頬が熱くなる感じがして、目を瞑った。垂れた髪の先が、私の首元にふれる。今まさに、耳の奥まで、見られている。


「どう……ですか」


 ふふ……と楽し気な鼻息が漏れたのは、多分無意識だろう。


「けっこう、たまってるわ」

「ほんと? やった……」


 手を軽く握ったりする。

 たしかに、思い返してみれば長いこと、自分でやってなかった。耳の中のことなんて忘れるくらい、生徒会業務にかまけていたから。ご褒美感に、口の端が持ち上がってくる。

 やっぱり、耳かきするなら、溜まってる方がいい。……冷静になれば、幼馴染に汚い耳を見せつけているすごいシチュエーションだけど……まぁそこはほら、お互いもう、見せられないところも、あんまないことだし。


「いれるよ」

「うん」


 未来はいつだって端的だ。そして甘やか。心配しないで、全部任せて、と言葉の外で言ってくれている。

 とはいうが、耳かきの始まりを意識して、私の肩には張りがこびりついていた。


「ほら、力抜いて……」


 そう言って、未来の左手が私の肩を優しく撫でた。私も照れ笑いしつつ、無闇に力まないようにと頑張ってみる。

 しかし、完璧にというのは、やっぱり無理だ──。


「いれるね」


 耳かき棒が最初に入ってくる、この感覚だけは、どうしても……。


 ……。

 ……かりっ。


「……!」


 片目をきゅっとつぶると、体が小さく跳ねた。やっぱりどうしようもない。

 そして、入ってきたばかりの耳かき棒が、耳の壁に沿ってぴたりと止まったのが分かった。ああ、『じろっ』が頭の上から、注がれているのが分かる……。


「もう。あぶない」

「ん、ごめん……でもこればっかりは……」

「だとしても。というか、いつもより緊張してない?」

「緊張というか、疲れてる分、過敏になってるというか……──ひぁっ!」


 かり、かりっ。


 声が溢れてから、私は口をつぐむ。

 くすくす、という鼻息が、花びらみたいに振り落ちる。頬がかっと火照った。話してる最中に、そっちの方から仕掛けてくるとは、反則ではないでしょうか。私がくっちゃべってたら、怒るくせに。


 かりかり、かり……。

 かりかり……かり……。


「どう? ……ふふ、緊張はほぐれた?」


 また笑われたんですけど。じんわりエスっけがあるんだよね。このひと。

 とりあえず、耳が動かないように頷く。


「手前から、取ってくから……」


 こっちには、頷く必要もなかった。耳かきの進め方は、全部任せていい。私はベッドに横たえていた手からも力を抜く。


 かり、こりっ、かり……。

 ぺりっ……。

 かり、さり、かりかり……。

 かり……。


 あぁ……。

 心地よさに、ようやく慣れてきた。

 耳かきは、羽ペンを動かすみたいな力で動かされる。迷走神経が丁度悦ぶくらいの刺激で、浅いところをなでられる。細かいのがポロポロ取れているらしい。匙で掬うみたいに動かされ、かさこそ……こそ……と小さな耳垢がかき集められているのが分かる。


 かりかり。こりこり。

 かき、かり、こり……。


 私の耳垢は、乾燥タイプ。薄皮みたいに耳の皮膚から剥がれかけるし、しかも全部綺麗には剥がれないという厄介な特徴をもつ。なので、その剥がれかけの根元の皮膚は、ずっともどかしい状態にある。ちょっとした刺激にも、過敏になるのだ。

 小さな耳垢をとろうとするときに、こういったとこを耳かきが掠めて、ぴりっとした気持ちよさが走る。


 かりっ、こりっ……ぱり……。

 かり、かり……。

 かりっ。かさ……ごそ……。

 ごそ……。


「んぅ……」

 身じろぎしたいのを我慢する。

 未来は、耳かきが上手い。

 初めてやってくれたのはもう何年も前。大人に見つかっては絶対怒られるからと言う理由で、この部屋の鍵まで閉めて隠れてやったあのときから、もう何回やってもらってるのかな。そのたび、上手くなっていく。どんどん私の耳の中のことが、知りつくされていってるのだ。


「かたまってるの、取るね」


 緊張……するのも我慢する。

 ゆっくり鼻から息を吐いて、耳の中の硬いところが、こりこり触られる感触だけ意識した。


 かり……かり、かりっ……かり……。

 こり、こりこり、こり……。

 かき、かし……ぺり、ぱさ……。


 乾いた感じが、耳の中から剥がれた。


「ふぅ、綺麗に取れた……」

 

 こんな風に、痛くならないぎりぎりの加減で、耳の中を掻き進めてくれる。

 剥がれかけているとこは一息に、へばりついているところなら少し深めに、固まっているところならこりこりと……間違いのない塩梅で、痒みを掬い上げてくれる。 

 私は、ときたま小さく唾を飲みこんで、よだれの管理だけしていた。もう女子高生だ。スカートを汚してしまった、小学生のときとは違うのだ。


「手前の方だいたい終わったかな。まだ気になるところ、ある?」

「んん……あ……」


 私はまどろみかけていたところ意識を浮き上がらせて、耳の中に意識を巡らせた。


「ええっと……あの……上らへん? の真ん中あたり……を……」

「ここ?」


──こり、こりっ。


「ふぁっ」


 なんてピンポイント。

 思わず声も出るというもの。

 

「そこぉ……」

「ふふっ」


 こり、こり、こり……。

 かりかりかり……。


 うひぃ……となる気持ちよさ。

 痒いところを掻いてもらえる、それがどれだけ幸せか。未来の幼馴染でない人には、分からないでしょうね。

 でも……なんでこんなピンポイントに?

 まさか……マジで痒みポイントが、目で見えてたりして。

 

「もうちょっとはやくする?」


 甘美すぎない? その誘い。


「おねがい……」

「ん」


 耳かきの先に、ほんの少し力がかかった。


──かり、かりかり。

 かりかりかり、かりっ。

 かきかき、かりかりかり。


 ふぁ……と口を空けてしまいながら、ぴりぴりとした甘い痺れに耐えている。

 痒い場所を、掻き荒らしてはいけない。もちろん知ってる。

 でも、未来はあとが悪くならない程度に、繊細に擦ってくれている。

 私がうっとりするためだけに。

 

 かしかしかしかし……

 かり、かり、かり……。


 痒みが消え去ったら、体まで軽くなった気がした。

 ダイエットにならないかな、これ。


「……はい。手前終わり。つぎ、奥ね」


 あ、奥か。……ていうか、これでまだ手前がなのか。

 じゃあ奥にはまだまだあるんだよね……。


「う、うん……」


 身じろぎして奥を見やすいよう、体の向きを整える。

 そしたら、とんとん、とまた指で肩を叩かれた。

 あぁ……もう。


「やっぱ、身構えちゃうんだよね……」

「奥の方が好きだもんね」


 この年になると、素直にうんと答えにくい問いかけですが。

 むべなるかな、その通りで。


「ほーら。ね? 力抜いて?」


 未来はそう言って、また耳の外側を揉み始めた。しかも、今度は両手で包み込んで、親指以外の指で耳の裏を撫であげてくる。普段されないやり方ゆえ、余計落ち着く。


「わーそれ、いい……」


 抗う間もなく、力が抜ける。


 ぐにぐに、ぐにぐに……。


 ひとしきり撫でられ終わると……あれ、と思った。


「なんか、奥の方が、もっとかゆくなってきたかも……?」

「あら」


 未来が手を離した。さっきまでより、部屋の空気を冷たく感じる。

 あ、と理解した。耳が温まったんだ。


「耳の奥が、汗をかいたんでしょうね」


 たしかに、耳の奥に浮ついた感じがある。

 やばい、想像したらまたむずつきが……。


「じゃあ、あったまったところでさっそくね……」


 未来はまた耳穴を広げて、耳かきをするりと奥まで届かせた。

 ぼおっとしていた私は、身構える暇もなかった。


 ご、りっ。


 今度は、声も出せず、お腹の下の方が持ち上がるみたいになった。

 唾液を呑み込む。


「聞こえた?」

「聞こえた……」

「おっきい感じするよね?」

「する……」


「うん……」と未来が呟く。


「上からだと、全体が見えないのよね。塊だろうなとは思ってたけど……」


 不思議なことに、その言葉を聞いても、もう緊張というのもしなかった。

 むしろ、より大きな刺激に期待していた。未来に身を預けきってしまっていた。

 また耳の奥まで、滑り込む……。


 がりっ。

 ごりっ……。

 ごり……。


「あ、わ……」


 引っ掛かる感じの度に、声未満の吐息が出てしまう。耳垢の下の、痒みも一緒に持ち上げられるので。


 かりっ。ごりっ……。かりかり、ごり……。


 耳かきは、大物の下側をコツコツと攻めていた。根元の方からぐらつかせて、最後は底の方から掬おうとしているらしい。


 すぅー……と、未来の静かな呼吸。集中の音だ。


 かりかりっ、こり、こり。

 かりかり、こりっ、こりっ。


 次は、耳垢のふちが軽い力で擦られる。耳の壁からの浮つきが、大きくなる。

  

 かりっ……。ごりっ……。


 どんどんと本丸の揺れも大きくなる。

 わたしのむずつきも、溜まり続けている。ずっと煮え切らず、解放がない。分かってるけど、焦らされてるみたい……。


「うーん……ぽろぽろ削れちゃうわね……」


 かきかき、かさっ、こそっ……ごそ……。


 そうして未来は、崩れた細かいのを取り去るために、一時耳かきを外へ出した。

 

「んぅ……」


 目を瞑りながら、じわじわうるさい、耳奥の痒みを耐える。

 あぁもどかしい。いずれは取れると分かっているからこそ……。

 私は無意識につま先を擦り合わせていた。それが見られたのか、未来の手が、私の髪をさらさらと撫でた。


「大丈夫。すぐ取ってあげるから……ね?」


 うわ、と急に体の奥が熱くなった。何気ないけど、すごい台詞だ。不意打ちだったこともあって、バレないように私は無言を貫いた。

 そのうち耳かきが戻ってきた。

 本丸に再挑戦だ。


 ごりっ……ごりっ……がりっ……。

 かりっ……。

 ぐらっ……!


 動いた……!

 私は心の中で呟いたけど、未来にリアクションはない。耳かきの匙もかりかり動き続けている。それだけ集中しているのだ。


 かりかり、がりっ。こりっ、ごり……。


「もう、ちょっと、ね……」


 零れた呟き。私も今か今かと待ち望む。


 がりっがりっ、ごり……がり……。


 そして、とうとう時は来た。


──ぱりっ。


「ひぅ……!」


 刺激は一瞬だった。びりっ、と耳の奥がしびれて、すぐ快感へとほどける。

 つっかえ棒がはずれたように、耳が軽くなった。

 

「ふぅー。取り出すね」


 未来は、慎重に、慎重に、引揚げを行った。耳垢を耳の壁に押し当てて、ずりあげていく。やがて、ころんと耳の穴の外へ転がり出る。未来の指がそれをつまみ「ふふ」と笑ってから、手の甲に乗せて、私の目の前に持ってきてくれた。

 私は恥かしさと共に、うへぇ……と苦笑った。

 小石のような大きさ。パイ生地みたいな質感だ。歴を感じる。


「よくもまぁ、こんなにためたね」


 呆れ気味の言葉に、なぜだかドキドキする。照れるしかできない。


「……あ」


 未来が何かに気づいたように声を発する。


「ごめんごめん」と言って、手に持った耳垢をティッシュに包み、耳かきを持ち直し、耳を引っ張りなおす。

 何が? と私の方も困惑したのだが、「あ」と自分自身で気づき直した。

 無意識だったのだ。寝っ転がった貧乏ゆすりみたいに、また、もどかしそうにすり合わせ続けていた足の爪先。

 その根源はと言えば──もちろん、耳のむずつきだ。

 耳垢が痒いんじゃなくて、本命はその下だもの。

 未来はまた、見えてたようにさっきの大物の真下まで、耳かきを連れ戻す。


「かゆかったわよね。ここ……」


──かりっ。

 かりかり、かりかりかり。


「うぁっ……」


 声を抑えることなど、できなかった。

 だって、あまりにも、求めていたもの過ぎた。


 かりかりかり。かしかしかし、こしこし、かりかり……。

 こしこし、かりかり、こしこし……。


 ふぁ、あぅ、という形で、口が半開いたり閉じたりする。瞼もぴくぴく、瞑ったり、緩んだりする。ぴりぴりとした刺激が流れ続ける。


「これくらいの力加減で、いい?」

「うん……そこ、やば……」

「わかった。もっと、ね……」


 かりかりかりかりっ。

 かきかき、かしかし。

 こしこし、こしこし。

 さりさりさりさり……。


「ふぁぁ……」


 もはや、恥じらいもなく声が出た。

 ふふん、という未来の声は、なぜだか得意げだった。



「はい、最後に仕上げの綿棒ね」


 持ち帰られた白くて柔らかな獲物が、くるり、こしゅこしゅと耳の壁をこすって、残党たちをからめとった。


 こしゅこしゅ、こしゅこしゅ……。

 くしくし、こしこし……。

 しゅり、しゅり……。

 しゅる……。


「じゃあ、吹き飛ばすね。ふーー……」


 最後に、柔らかな吐息が、私の耳の中にそよいだ。

 お決まりの仕上げ。


 もう眠ってしまいそうになるのを何度も堪えながら、ひとまず片耳が終わった。


「ふぅ……」


 私の方も、吐息が漏れる。


「気持ちよかった?」


 未来の問いに、私は膝枕の上で、ごろんと真上へ寝返りを打つ。今更、なんの疑いがあろうか。だらしない、微睡んだ顔で、私は頷いた。


「ふふっ、よかった」


 未来が、子供みたいに微笑んだ。未来は毎回律儀に耳かきがよかったかどうか、聞いてくれる。首を振ったことは一度もないのにね。


 私が眠気に身を委ね、すこし目を瞑れば、つむじのあたりに手の感触。

 うっすら目を開くと、未来と目が合った。


「このまま寝てもいいよ。もしも暗くなりすぎるようなら、起こしてあげるし」

 

 私は首を振った。

 

「反対も、やってほしい……。ちゃんと、起きたまま……」


 そう言って、寝返り打って、逆の耳を上に向ける。

 未来のお腹に、鼻先を埋める格好。

 未来の手が、私の頭の後ろを支えた。小さな腕の中に、私の頭が収まる。

 私は鼻から息を抜いた。

 シャツの匂いが返ってくる。


「じゃあ、少し休憩してからね……」


 私はまた目を閉じた。

 まだ未来の膝枕の上にいられる、安心感の中で……。


 **


 反対側の耳かきも終わった。


 私は相変わらず、未来の膝枕の上で意識を揺蕩わせていた。自在に。緩慢に。

 未来は、手持ち無沙汰の埋め合わせなのか──あるいは、ただそうしたいのか──ずっと頭を撫でてくれる。


「お疲れ様」


 ふいに、未来がいった。え……? となって、「こちらこそ……?」と返す。

 だって、耳かきしてもらったのは、自分の方だもの。

 未来がくすりと笑った。


「こちらこそ? 歓迎祭の準備より、耳かきが大変なんてことはないでしょ」

 あぁ、そっちかと納得する。その上で、「わからないよー……?」と私は続ける。


「耳かきに必要な心配りは、歓迎祭運営を越えているかも……」

「そんなわけ」


 といって、未来が悪戯っぽく笑う。


「ないわ。十何分くらいの耳かきの方が、あなたの、ここ数日より大変だった?」

「そりゃ、まぁ……」


  私は二の句につまった。私を下げるのは簡単だが、歓迎祭に関わった人まで下げてしまいそうなので、それは違った。

 未来は見透かしていたようだった。


「ほらね。大人しく、認めてればいいのよ。あなたは結構、頑張り屋なんだから……」

「……」


 むずがゆくなる。耳の中じゃなくて、胸の方が。

 寝返りを打った。


「もう少し、このままでもいい?」

「うん」


 相変わらず、頭を撫でられている。


「もしかしたら、寝るかも……」

「どうぞ」


 パチンと、音がした気がした。

 胸の内のスイッチ、オフの、さらにもっと向こう。

 「ひとり」よりも、もっと自分をさらけ出してしまえる「ふたり」。


 私は目を瞑った。

 頬の下の、膝枕の温かさだけ感じている。


 私たちは幼馴染で──同性だし──こんな時間を過ごしていることは、傍から見れば奇異なのかもしれない。

 でも私はこれが平常だと、心の底から思っている。それも、いつか消えてしまうような、儚い時間にも想えない。将来のことを想う度、その光景の中に未来がいる。

 私はふと、思い立った。


「ねぇ未来」

「ん?」

「大学生になったら、一緒に住もうね」


 未来の頭を撫でる手が一瞬止まった。

 未来は「んー……」と言って、それから続けた。


「寝室は別にしましょうね。あなたは寝相が悪いから……」


 私は自分で言ったくせに、ちょっとだけ緊張してしまっていたから、小さく吹き出してしまった。


「お金かかるよ?」

「二人ともすればいいでしょ、バイト」

「そうだねぇ。未来は、塾講師でしょー……?」

「あら、正解。そのつもり」


 淡々としている。未来が思い描く将来の光景は、きっと鮮明なのだろう。

 

「ねぇ……それでいつか、もっと大きい部屋に住もうね」


 私は言った。

 未来はまた「んー……」と言う。


「ちゃんと、掃除してね。私だけなんて、怒るから」

「もちろん」


 私は安心した。

 将来、君の隣にいる私が、元気そうで。


こんにちは。大変お久しぶりです。作者の月です。

今回はお題箱から頂いたお題をもとに書きました。

お題は「熟練夫婦くらいの仲だけど、ふとした途端ドキリとする関係」とのことで、「うぉぉありがとうございます」となりながら書いた結果、ふとした途端ドキリとするのか、もうデキてるのかよく分からない関係となりました。お題主様に一読いただけたら幸いです。


現在作者は別界隈で創作していて、こちらの高頻度更新はちょっと難しい状況ですが、またお題頂けたら嬉しさでモチベが燃え盛ります。もしよろしければ、またどなたからでもお題頂けると幸いです。(ただ、執筆の確約はできません。何卒ご了承ください……)


お題箱:https://odaibako.net/u/tukki2247


これからもよろしくお願いします。

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