猫の死期
ニーッ ニーッ
原初の記憶は目が開けられない状態で母親を呼んでいた
極限までお腹が空いていて凍えて体に力が入らない
厳寒の空の下、生後間もない猫は命を絞りこの世界を嘆き泣いていた
数時間前まで一緒に鳴いていた兄弟姉妹の鳴き声はもう聞こえない
カラスが体を啄み、ところどころ出血している
周りに数羽のカラスがいる気配を感じるが対抗できない
このまま生が終わるのを待つだけであった
「ほら!あそこあそこ!学校から帰る時にこの辺りで猫が鳴いてたって噂してたんだ!」
雪が体に積もり鳴く力も無くなってきた頃
小学5年生の美紀ちゃんが声を頼りに駆け寄り私を抱き上げてくれた。
「ねぇ。お母さん。飼っていいよね?私が精一杯世話するから!」
私の薄っすらと開き始めた眼には真っ赤なほっぺの美紀ちゃん
地面の方に顔を向けると亡き母の遺骸
兄弟姉妹の遺骸はカラスにもっていかれたのか辺りには無くなっていた
ニーッ ニーッ ニーッ!
感情が昂ぶり、しばらく私は鳴き続けていた
スポイトのようなものでミルクを貰う
怪我を消毒してもらう
美紀ちゃん家族による付きっ切りの献身的なケアのおかげで
私は一命をとりとめ、美紀ちゃんの家の飼い猫になれた
「雪が降ってたし真っ白だから、名前は雪ちゃんね!」
猫用のケージのようなものを購入してくれたのだが
結局ほとんど入ることはなかった
私は美紀ちゃんが家にいる時には美紀ちゃんの膝の上を陣取り
美紀ちゃんが学校で家にいない時には美紀ちゃんのいつも座るソファーの席を定位置とした
美紀ちゃんは私が近寄るとあごと背中をなでてくれる
猫じゃらしやレーザーポインターで遊んでくれる
私達は家族となった
私が時々無性に機嫌が悪くなった時に、美紀ちゃんのお父さんを
威嚇したりはしたけど、美紀ちゃんはそれでも笑ってくれた
美紀ちゃんの体温を感じたかったので寝る時はいつも一緒
美紀ちゃんが学校に出かける際には玄関先でいつも寂しくて鳴いていた
美紀ちゃんは中学生、高校生の時にもいつも私に語り掛けてくれた
あの夜のように私を両手で優しく抱きかかえて眼を合わせながら
「中学って宿題多くって億劫だな~。雪ちゃん私の代わりに宿題して~。」「にゃーん」
「先輩にチョコあげたのに何か反応びみょいんだよね~」「にゃーん」
「入試近くて勉強を頑張るから、雪ちゃん応援してね!」「にゃーん」
「部活何に入ろっかな~。猫ラ部とか?ふふふ」「にゃーん」
「あ~ん。テスト週間に大会ってどうにかなんない~?雪ちゃん?」「にゃーん」
「彼氏が猫ダメなんだってー。じゃ遅かれ早かれ…よね?うっ…えーん!雪ちゃーん!」「にゃーん」
「私、雪ちゃんと離れたくないから地元で就職するね?」「にゃーん」
私自身は幸せな生活を送っている
しかし、生後間もなくの母、兄弟姉妹の未来は途絶え
私だけが幸せになった事は常にどこか心に引っかかっていた
「あ”ーーっ!仕事しんどーいぃ!雪ちゃん癒してーっ!」「にゃーん」
「ねぇ雪ちゃん。この人が結婚することになった人だよ。仲良くしてね」「よろしくね!雪ちゃん」「シャーーッ!!」
「雪ちゃん。これが私の子供よ。雪ちゃんは今日からお姉さんよ」「にゃー?」
「ゆ・・・きた・・・・」「ねぇ!しゃべったわよね?初めての言葉は雪ちゃんだって!ねー!」「にゃーん」
「ママは猫使いだね」「え?雪ちゃんと私の事?何それ?」「にゃーん」
「雪ちゃん遊ぼ!」「雪ちゃん最近ちょっと元気ないから激しいのはダメよ~」「にゃー…」
そうして私は17年もの長い間を美紀ちゃんと生きる事ができた
美紀ちゃんは私にとって母であり、良き友であり、娘でもあった
成長速度や死までの時間が違う事は種によるので仕方が無い事である
私は自身の死よりも美紀ちゃんとの別れが、、、ただただ、、、悲しかった………
ある夜、美紀ちゃんの太腿の上である夢を見た
猫。なのだが冷蔵庫のようなサイズで眼鏡を掛け、杖を突き二足で立っている毛の長い老猫が語り掛けてくる
「やぁ。雪ちゃんと呼べば良いかな
初めまして、私は猫神です
世の猫の生と死を管理している存在だよ
ちょっと後ろを振り返ってもらえるかな?」
生と死を管理と言われてまず頭に?が浮かんだが、言われるまま後ろを振り返ってみる
そこには4匹の小さな小さな猫がいた
猫神様の関係猫かと一瞬考えたが、その4匹を見ていると心揺さぶられ涙がこみ上げてくる
っ!!お兄ちゃん!お姉ちゃん!弟!妹!
生後1日にも満たず死に別れてしまった4匹の名も無い兄弟姉妹であると感じた
「そうだね
17年前に5匹の兄弟姉妹の中で雪ちゃんだけが助かったんだけど
それには亡くなった雪ちゃんの4人の兄弟の助けもあったんだよ
人間の世界であっても噂は伝わっているよね?
【猫は死期を飼い主に見せない】
あれは猫神である私の能力の一端だよ
だから猫という種だけに備わっている能力だとも言えるね
猫が死にゆくその瞬間、周囲に猫種以外がいない場合にのみその体を霊体へと変え、
最も守りたい存在がその生を終えるまで守護し続ける事ができるんだ
雪ちゃんには自らの身を投げ出してでも幸福を願う相手はいるかな?
まぁ聞くまでも無いよね
飼い主であり親友でもある美紀さんのために何でもするという気概をびしびし感じるよ
しかし生半可な覚悟では無理ですよ
死して体を霊体へと変えるおよそ1秒
原子レベルでその個体のすべてをエネルギーに変え霊体と言う存在になるまで
あなたはとてもとても長い期間のお祈りをしなければなりません
美紀さんは時々、億劫という言葉を使っていましたよね?
劫というのは時間の単位
あなたが見た事も無い程の、街程のサイズの岩山が雨風で削れ無くなるまでの時間を一劫として
それを億倍繰り返すことで億劫という時間になります
1秒は永遠とも感じられる億劫となるのです
雪ちゃん
あなたには億劫の時を祈りきる覚悟はありますか?
それを成し遂げられるならばあなたが美紀さんの守護霊となる事を認めましょう
あなたの兄弟姉妹の4人はあなたの17年の生を幸せにするために
およそ1秒という億劫の祈りを乗り越えました」
ニーッ ニーッ ニーッ ニーッ
「うわーーーーっ、雪ちゃん何で居なくなったのっ!?あなた玄関開けてないよね??」「いや、、開けてないよ」
「もう3カ月も経つのに…、ビラも配ったし、捜索のプロにも頼んだのに…」「雪ちゃんどこ行っちゃったんだろね?お母さん」
「はぁ、、雪ちゃん。いなくなってもう10年も経っちゃった。でも私は全ての雪ちゃんを憶えているからね。」
「お母さん、私も新居で真っ白な2代目雪ちゃんを飼うことにしたよ」「…いいね。良かったね。」
「駄目だよね。雪ちゃんはこんな事で落ち込んでる私にシャーーッ!って叱ってるよね」
「今日夢で雪ちゃんに会えたよ。私の膝の上に乗ってきたからいつものように雪ちゃんが好きなあごと背中をなでたんだよ。目が覚めてから涙が止まらなかったわ…。」
「私、死が怖くないのよね。50年も前に雪ちゃんと別れる事になったけど、これはきっともうすぐ雪ちゃんに会えるからだよね。」
-そして美紀ちゃんは病気にて人生の幕を降ろすその日がやってきます-
「お母さーん」「お婆ちゃん!」「美紀!」
「今までありがとう。色々と私の我儘で迷惑をかけてしまったけど、私はずっと愛してくれる人たちに甘えられて幸せだったわ。私が死んでもしばしのお別れよ。いつかきっと皆で会えるわ。その時には雪ちゃんもいるからね。」「にゃーん」
そうして赤いほっぺの美紀ちゃんの呼吸が止まり、同時に私の役割も解放されることになりました。美紀ちゃんはあの日の夜のように私を抱きかかえて笑顔で言います。
「雪ちゃん!雪ちゃん!これからはずっと一緒だよ!」「にゃーん」
-そうして一人と一匹は一緒に空へと舞い上がっていきました-
「…ねぇ。」
「うん。聞こえた。」
「きっと一緒に天国に行けたんだよ。本当に良かった。またきっと皆で会えるさ。」
「そうだね。うふふ。お母さんのこの幸せそうな顔。きっと雪ちゃんに会えたんだね。」
「え?雪ちゃんって今…家にいる?」
「ううん。これはお母さんが拾った初代の雪ちゃんのお話。」