ふたつめの願い
救急車に乗り人を助けたいと言う、救急救命士の愛する彩斗さん。彼の願いを叶えて欲しいと天使のエルちゃんに頼んでから、3か月後の地方公 務員試験に彩斗さんは合格した。私は自分の事のように大喜びした。早速、お祝いにとブランド物の財布をプレゼントした。丁度、使っているのが古くなったので、買い換えようと思っていたと、とても喜んでくれた。男性に何かを贈るなんて、初めてのこと。プレゼント出来る人のいるありがたさを痛感する。
エルちゃんにお礼を言うと、少し困った顔で「何もしていないの」
「どういうこと?」
「あのね。私が何もしなくても、彩斗さんは合格出来ると分かったから何もしなかったの」
「そうなんだ。でも、有り難う」
「何もしてないのに、ありがとうなの?」
「そうよ。エルちゃんが彼を見守ってくれたから、彼自身の力で合格出来たんだもの」
「そっかあ。良かった」エルちゃんは相変わらず、心を癒す微笑みを見せた。
そして、彼女は静かに話し出した。
「ミカさんは、高原で遭難仕掛けた時、鈴の音を聞いて私を思い出してくれたけど、その後ついこの前まで私の事を忘れていたでしょう。どうして?」そう言われて、確かにその通りだと思う。
高原への旅行後、私は商社に就職し32才で退職した。あの頃は、25才位までには結婚するという暗黙のルールのようなものがあった。それを逃すと相手は再婚か、かなり年上か、行き遅れのハイミスになるかでどれも厳しい。
今とは違い、バツイチやバツニなど、シングル、シングルマザーなどの言葉もなかった。結婚していないと、どこか身体が悪いのか、性格に問題があるのかとか、わけの分からない噂をたてられた。世間体を気にしたり、親を心配させたくないと、好きでもない人に嫁いだ友人も何人かいた。女性には、生きる選択肢の少ない、生きにくい時代だった。
そんな中、友人たちは次々結婚を決めて行くが、私はまとまらない。やっと出会った好きなひとと結婚の話にもなったが2回とも結局壊れてしまう。28才の時を最後に、私は半ば結婚を諦めた。
その後も交際や結婚を申し込む人は結構いたが、好きにはなれない、一緒にいたい、とは思わない。32才の時、職場で気の合う人がいたが、8才年下。私は良いがやはり、結婚は出来なかった。今は男性がかなり年下でもOKしてくれる人は多いが昔はほぼ、なかった。理想が高いのは承知しているし、受け入れる許容範囲が狭いことも。
だから、独りでいることは甘んじて受けようとは思ってきたが、やはり、友人たちの結婚披露宴に行くばかりで、自分の番は回って来ない。作り笑いを浮かべて、新郎新婦に「おめでとう」と言い続けることに疲れ果てていた。
いつしか、私は人の幸せを妬む了見の狭い、嫌な女になっていた。
学生時代の友人たちに加えて、商社での同期入社の女の子たちも、先を争うように寿退社して行く。同期がほぼ辞めて、友人の居なくなった私か仲良くしていた1年先輩も結婚がきまり辞めたのを機に私は商社を退職した。あの頃の商社の女性社員は会社の華だったから、萎れてはそこに居辛い。枯れるまでに辞めたかった。
自宅に近い、社員といっても年配の人が3人のインテリア会社に勤め出した。心は萎えたままで。父が亡くなり、母と二人の穏やかと言えばそうだが、特に心沸き立つことも、刺激もなく印を押したような変わり映えしない暮らしが30年以上続いた。
そして、母が余命宣告されて天使のエルちゃんを思い出したのだ。それにしても、何故30年も彼女の事を忘れていたのか……。