第5話 地獄と夢と交差する言葉
日も暮れていく中、俺と真宵はふたりで家まで歩いていた。
真宵が太陽の光に弱い都合上、日光が強いうちは学校の外に出ることが出来ない。
俺も真宵も部活動には加入してないので、時間を潰すのがなかなか大変だった。
「こうやって夕方にふたりで歩くの久しぶりだね。中学生の時以来かなぁ」
中学校に通っていた頃は、ふたりで陸上部に入っていた。
競い合っていたが、俺が真宵に勝った回数は指で数えられるくらいしかない。
「懐かしいなぁ。あの頃は真宵に追いつくので必死だったよ」
勉強も運動も、真宵に勝ったことはほとんどない。
真宵は文武両道な才女で、学年トップを維持し続けていた。
そんな彼女に少しでも近づきたいと思っていたが、俺が頑張れば頑張るほど真宵も成長していつまで経っても追いつけなかった。
結果的に俺も学年トップまで上り詰めたのでいいかな、と思っている。
「ゆうくんも凄かったよ! 陸上の大会で優勝しちゃうんだから!」
「あんなのたまたまだよ」
そんなこともあったな、なんて思いながら謙遜の言葉をこぼす。
他愛のない会話をしていると、周囲に異変が起こり始める。
「あれ?」
周囲に紅い霧が現れ始めていて、先が見えなくなっていた。
淀んだ空気で、息をするのが苦しくなっていた。
「ゆうくん。離れちゃダメだよ」
「ああ、わかってる」
俺と真宵は周囲の状況を警戒しながら、離れないように手を繋いだ。
まるで神隠しにでもあうのではないかという雰囲気で、少し恐怖を覚えてしまう。
「大丈夫だよ。私がついてるから」
俺の手は震えていた。
こんな時にも勇気を出せないなんて。
心の中が悔しさと自分への怒りで滲んでいた。
「そんなに怯えんなよ。お坊ちゃん」
どこかから低い男の声が聞こえてくる。
全体から声が響き渡っていて、まるで霧から声が出ているようだった。
深呼吸をして、言葉を発している相手を探す。
「誰だ。俺のことを馬鹿にしてるのは」
震える体を抑えながら言葉を返す。
非現実的な状況に困惑もあったが、これ以上真宵に弱い姿は見せられない。
「ここだよ。ここ」
突然霧が晴れ、目の前に金髪の男が現れた。
どこか既視感のある、心臓を掴まれるんじゃないかと思うほど、鋭く紅い瞳。
俺達を嘲笑っているのではないかと言うほどの憎たらしい表情。
筋肉だけでできているのではないかと言うほど膨れ上がった体。
俺の倍はあるのではないかというほどの背丈。
俺は恐怖でなにも言葉を紡ぐことが出来なかった。
「お坊ちゃん、怖くて何も言えないか?」
薄白い顔で俺を笑う。
「……俺はお坊ちゃんじゃねぇ」
体の奥から声が出ない。
まるで血の巡りを止められているのではないか、というほどで小鳥のさえずりのようなか細い声しか出てこなかった。
「お坊ちゃん。そんな小さな声じゃあなんにも聞こえないぜ?」
ガタイのいい男は煽るように俺の事をお坊ちゃんと連呼する。
「ゆうくん……」
その時気づいてしまった。
俺が男に怯えている時、真宵も震えていたことに。
真宵の表情には、いつもの明るさはなく、年相応の怯えた顔だった。
俺は彼女のことを分かったつもりで、何も分かっていなかった。
勝手に彼女は強いと。こんな状況でも臆することなく立ち向かえると思っていた。
でもそんなことはないと、今気付かされた。
彼女はただの女子高校生で、神様なんかじゃない。
(なにやってんだ、俺)
こんなところで勇気を出さなくて、彼女にふさわしい男だと言えるのだろうか。
俺は真宵と繋がっている手を離して、男に近づいた。
「俺はお坊ちゃんじゃない。桜井侑斗っていう名前があるんだ」
震える声を無理矢理体から吐き出す。
視線を男に集めて小さな体で威嚇する。
「ははは。お前、面白いやつだな、気に入ったぜ」
「え?」
空気を支配していた畏怖感が消え、さっきまでと同じように笑われているはずなのに、不思議と恐怖が消えていた。
「俺は月守百次だ。よろしくな、侑斗」
「ああ、よろしく……」
百次は赤くなっている空を見上げてゆっくりと言葉をこぼした。
「新しい吸血鬼が生まれたって聞いたから来てみれば、面白いやつを見つけちまったなぁ」
吸血鬼という単語を聞いて、合点がいく。
どこか既視感のある深紅の瞳は、吸血鬼故のものなのだろう。
「百次は一体何者なんだ?」
「いきなり呼び捨てかよ、まあいい。俺はそこのお嬢ちゃんと同じ吸血鬼だ。吸血鬼がこの世界に実在してることは彼女を見ればわかるだろ?」
「ああ、さすがにその点については疑わないよ」
これ以上舐められる訳にはいかない。せめて心だけは強くあろうと、百次のことを呼び捨てで呼んだ。
「ちょっといろいろ事情があってなぁ。吸血鬼をかき集めてるんだ。それで、そこのお嬢ちゃんにも協力してもらいたくてな」
百次はピンと張った指で真宵を指さした。
「あの……私、真宵っていうんですけど」
「ああ、そりゃ悪かったな、真宵」
そう言葉をこぼす真宵は、すこし様子がおかしかった。もう百次からは先程の威圧感は消えているのに、真宵はまだどこか怯えている様子で、言葉をはきはきと吐き出せていない様子だった。
「まあ詳しい話はまた後日だ。今日は真宵がどんなやつなのか知りたかっただけだからな」
そう告げられて、百次はまるで霧になるように消えていった。
「真宵……大丈夫か?」
「――うん、平気。ちょっとゆうくんのこと見直しちゃった」
「どうして?」
「だって、不思議なことがおきてても冷静に対処しちゃうんだもん。私にはあんなの無理だよ」
その時気づいてしまった。
俺は怖がっていたはずなのに、真宵と違って動けていたし、言葉を発することもできていた。
あの空気感を、恐れていたはずなのに、俺は行動できていた。
――いまはそんなことを考えていても仕方ないか。
「まあちょっと勇気が出ただけだよ。もう空も暗くなってきてるし、そろそろ帰ろうぜ」
「……そうだね!」
俺たちは再び家に向かって歩みを進めた。