第1話 愛と夜空と吸血鬼
齢16の俺、桜井侑斗はたった一人の人間が希望のしがない高校生だった。
幼馴染であり、初恋の相手の、赤峰真宵が唯一の希望だった。
昔から俺は自発性のない子供だった。いつもそばには真宵がいた。
一人で退屈そうにしている僕を見て、明るい笑顔で話しかけてくれた。
うまく話しかけられないときも、助けてくれた。
クラスで浮いている俺を見かねて、クラスの輪に加えてくれた。
いじめられた時も、アドバイスをくれた。
彼女のおかげで、俺は勇気というものを知ることができた。
――これからもずっと一緒に。そう思ってた。それなのに。
「……なにやってるんだよ」
そんな大好きだった真宵は、俺の目の前から突然消えてしまった。
手に触れても、少し前まであった温もりはなく、指先まで届く冷たさが俺を現実へと引き戻す。
真宵はずっと人気者だった。
彼女は特徴的な赤毛と、きりっとした目元、程よい鼻の高さから『赤毛の姫』なんて呼ばれていた。クラスの話題の中心になるくらいには人気で、よく男子から声をかけられていた。
高校に入ってからもそれは変わらず、同級生だけでなく、他学年からも声がかけられていた。
明るいみんなを引き付ける底なしの笑顔と、聞き取りやすいはっきりとした声。
彼女はみんなのあこがれだった。
そんな彼女と幼馴染の俺は、いつも劣等感に苛まれていた。
定期考査で学年トップをとる彼女と、赤点ぎりぎりをさまよう俺。
全く釣り合ってなかったのに、俺達はいつも一緒にいた。
たまたま家が隣で、生まれた病院が同じで、親同士の仲が良くて。きっと彼女にとっては、その程度の関係だっただろう。
でも、俺にとっては違った。たまたま幼馴染だったとか、そんなのは関係なくて、一人の女の子として好きだった。
きっと一目ぼれだった。気づいたときにはもう遅かった。もう彼女のことしか考えられなくなっていた。
でも、気持ちは伝えられなかった。
――赤峰真宵は死んだ。
突然のことだった。なんでも買い物中にトラックにひかれたらしい。
何故か外傷は少なかったらしいが、そんなことは関係ない。
彼女が死んだという事実は、俺が消えるには十分な理由だった。
「暗い……」
薄汚れた廊下。くたびれた生徒会のポスター。
どこまでも続いて行くように見える階段。
俺はゆっくり扉を開けた。
「蒸し暑いなぁ」
高校の屋上に、俺はいた。
太陽は落ちて、月がのぼろうとしている。暗くなっていく世界を、道路にある電灯だけが照らしている。
なんとなく、もうすぐ彼女に会える、そんな気がしていた。
今更だけど、後追いなんて、恰好つかないな。
「まあいいや、もう堕ちよう」
彼女のいない時間なんて、無意味だ。
体がふわりと浮かび上がって、地面に向かって落ちていく。
これが自由落下運動か、なんてくだらないことを考えてしまう。
「なにやってるの、ゆうくん」
落下していく俺の体が突然空中で止まった。
欲しかった温もりに包まれて、ゆっくりと地面に着地した。
「いったい何がどうなってるんだ……」
真珠色の腕が、俺を包んでいた。そこには確かに温もりがあって、どこか見覚えがあった。
「まだ死ぬには早いよ」
俺の知っている限りでは、桜井侑斗という人間をゆうくんと呼ぶやつは一人しか知らない。
「まよい?」
もうこの世に存在するはずのない、会えるわけがない人物の名前を呼んでしまった。
「真宵だよ。なにやってるのさ、ゆうくん」
その声をはっきりと聴いてしまって、俺の理性はボロボロに崩された。
こぼれ落ちてくる涙で俺の視界はゆがんでいる。
「そんな、どうして……」
「誰かさんの愛が強すぎて生き返っちゃったみたい」
真宵はにやっと笑った。
もう何もかもがどうでもよくなっていたはずだったのに、また夢を見てしまう。
また彼女の隣を歩けるのではないかという幻想に駆られていく。
俺の体に密着していた腕がほどかれ、ゆがんだ視界に少女が映った。
涙を拭い、はっきりと笑っている彼女を見ることができた。
「どうして真宵がここに?」
動揺している頭をフル回転させて彼女に質問を問いかける。
「私のこと見て、何か気づかない?」
いつもの高校の制服に、耳元にあるきれいな編み込み。
ぱっちりとした二重瞼のきりっとした目は俺を見つめている。
だけど、違和感があった。
目元がカラーコンタクトをつけているように真っ赤だった。
肌も心なしか白い。
彼女の特徴とも言ってもいい赤毛は、サファイアのように蒼くなっていた。
そして、僕は気づいてしまった。
彼女の背中に真っ黒な羽が生えていることに。
「気づいたかな。私、死んだついでに人間やめちゃいました!」
理解が追い付かなかった。
死んだはずの幼馴染が戻ってきたと思っていたら、背中に羽が生えていた。
まるで漫画に出てくる吸血鬼みたいだ。
でも、今はもうそんなことなんてどうでもよかった。
好きだった人が、生きていて欲しかった人がそこにいる。
頭で考える前に俺は彼女に抱き着いていた。
「ちょ、ちょっと! 急に抱き着いてどうしたのさ。ゆうくんらしくないよ。そんなに寂しかった?」
一度彼女から離れてゆっくり言葉を零す。
「寂しいに、決まってるだろ」
確かな温もりがそこにあった。どんな形であれ、真宵が生きている。それだけで涙が止まらなかった。
「私も寂しかったよ。それにゆうくんが勝手に死んじゃわないか心配だった」
ドキッとして思わず目をそらしてしまう。
「そんなことより、どうやって生き返ったんだ?」
もしかしたらこれは夢かもしれない。そんな気持ちもありながら、希望を抱いて話しかける。
「私にもよくわかんないんだよね。気づいたら実家にいてさ、お母さんに泣かれちゃった」
「それで、その背中についてるのは?」
「なんていうか、吸血鬼になっちゃったみたい」
何事もないかのように告げてくる言葉に俺は困惑しかなかった。
バサバサと羽を羽ばたかせて羽の存在を強調させる。
「まあその話はおいおい話すよ。今はとりあえずおうちに帰ろう。ご飯の支度しなくっちゃ」
「そ、そうだな」
時間も夕飯時で、食欲がわいてくる頃合いだった。
聞きたいことはたくさんあったが、今はとりあえず家に帰ることにする。
この時はまだ、この関係が大変なことになるなんて、思っていなかった。