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6 光を探すもの。


       @


 あとで聞いた話である。


 天眼師のクァイは窓を開けて外を見た。


 見渡す限りの畑が広がっていた。だが既に収穫は終わり、切り株の間に落ち穂が転がっているだけだった。それらがすべて落日の赤い光の中で燃えるように輝いていた。


 ひたすら続く赤い地面を区切る道をクァイを乗せた馬車は進んでいた。周囲には護衛の騎兵が三十騎、随行の歩兵が百名同行していた。これは帝国宰相に匹敵する数の護衛であり、天眼師が帝国においていかに尊重されているかがよく分かった。


 赤々とした景色に火に炙られている気持ちになったクァイは窓を閉じて、馬車の揺れに身体を任せながら目を閉じた。


 普段は都の天使庁にいるクァイが都から二日もかかるこんな農村の近くを移動しているには理由があった。

 彼の(スローン)に居座る力ーー天使の予見によるものだった。


 その予見の力でクァイは天の力が西の地に光帯が降りるのを感じたのだった。


 光帯は天眼師の中で『世界に影響を与える大いなる変革の運命の象徴』とされている。今の皇帝の祖であるアルジュオもまた光帯の予兆を受け、当時、圧政を敷いたハイラン帝国への反乱軍を組織し見事ハイラン帝国を打ち倒し、新たにラングーン帝国を建国した。


 アルジュオに降りたものと同じ光帯であれば、天の理を得たものが現れたことを意味する。


 天の理とはすなわち、皇統であり、その更新が始まったと言うことだった。それは天の意志であり逆らうことは許されなかった。


 帝国の天使庁に予知の祝福を持つ天眼師は三人おり、そのうちクァイともうひとりが光帯を感じ取ったため、光帯が事実である可能性が高かった。そのためクァイが代表してその場所に向かうことになり、馬車で揺られていたのだった。

 光帯の降りた先はどうやら辺境近くの小さな郷のようで、すでにそこに天眼師と護衛が向かうことは伝えられていた。


 クァイは現在三十五歳で小柄で痩せた男だった。みすぼらしい身体を天眼師の灰色のローブで覆っていた。


 クァイの前には今回の護衛部隊の隊長であるカランが座っていた。カランは背が高い二十代後半の女性であり、その年齢で百人隊長にまで昇進を果たした、ということは能力が高いだけでなく、(スローン)に強力な獣を宿していると思われた。


 馬車の中にいるのはクァイとカランの二人だけだった。


 実のところクァイは緊張していた。


 何しろ天眼師は通常、天使庁の奥深くから出ることを許されない。つまり女性と会う機会がほとんど無いのだ。

 十五歳の選抜の儀で(スローン)に天使が居ることがわかって以来、クァイは天使庁で暮らしてきた。これほどの距離で異性と二人きりでいるのは二十年ぶりなのだった。しかも二十年前の相手は母親だった。

 条件があまりにも違いすぎた。


 そっと視線を向けるとカランはクァイを見ていた。

 慌てて目を閉じた。クァイは怯え、それから怯えたことを悟られないよう姿勢を正した。


 馬車の中でよく知らない誰かと二人きりでいるのは怖かった。ましてそれがこっちをじっと見つめているときたらなおさらだった。


 クァイは恐怖のため寒気さえ感じていた。


 恐怖を和らげるためにもなんとかカラン会話をしようと、何度か口を開き懸け、結局クァイは諦めた。


 そもそもカランと何を話していいかわからなかったためだった。


 天眼師は未来予知の力を持つため、内政外交すべてに一定の影響力を持つ。皇帝によってはその天眼師の予知に心酔し、政治を左右することもあったほどだった。そのため天眼師が予見に関わる何かを発言するには、皇帝の許可が必要となっていた。


 一方、クァイにはどうでもいい雑談ができる自信が無かった。


 クァイは天使庁の奥深くに部屋を用意されそこで暮らしている。そのため世間のことには極めて疎く、兵士と共通の話題はあるとは思えなかった。天眼師の衣食住はすべて帝国からの提供で、たとえば普段自分が食べている食事も一般的なものかどうかわからなかった。それについて話すとひどく贅沢をしていると思われると恨まれてしまうのではないかという恐怖があった。


 ちらりとカランの方を見ると、カランは変わらず熱い視線をこちらに向けていた。

 突然、クァイは気づいた。


 このまま何も言わないでいるのはカランを無視したことにならないか。無視されたカランはクァイに腹を立てないか。


 そうなると馬車は密室である。クァイを護ってくれるはずの護衛はすべてカランの部下である。カランの意思を優先するだろう。

 クァイを馬車から放り出して立ち去ってしまったら、生活能力も体力も無いクァイは荒れ地ですぐに死んでしまうだろう。


 まずかった。

 死ぬのは怖かった。

 クァイは死なないために言った。


「い……い、いい天気ですね」


 突然のクァイの言葉にカランは弾けるように目を開いた。驚いた顔をしたあと窓を開け外を確認した。

 外は既に暗くなっていた。冬が近づき日が落ちるのが早くなっていた。

 いい天気ではまったくなかった。

 だが、カランは夜空を見て、


「雲はありません! 雨の心配は無いようです!!」


 大失敗だった。なんで自分は天気の話題を出してしまったのか。そもそも天気の話は通常前振りであり、感想によって一瞬で消費される。重要なのは、「ところで--」と始まる次の話題だ。そして次の話題についてクァイは徒手空拳だった。


 だが、妙な前振りを投げたあげくの沈黙は、いっそうの命の危機を感じた。


 必死になったクァイは、


「ごごごごごご結婚されているのですか?」


 と聞いてしまった。聞いた瞬間、真っ赤になった。


 天眼師はその皇帝と近い立場と隔絶された生活から出会いはなく、九割以上独身であり、クァイも独身だった。とはいってもまだ生殖能力があるクァイにとって結婚は関心事であり、女性と会うたびにとりあえず「結婚しているのだろうか」と考える癖ができていた。それがここに至って表に出てしまったようだった。だが、初対面の女性に対して既婚かどうかを訊ねるのはどう考えても失礼であり、さらに既婚であるならばともかく未婚であったらどうするつもりなのか、という話だった。自分と結婚してくれとでも言うつもりか。


 怒らせてしまっただろうか、という恐怖がクァイの背筋を凍らせた。


 だが反応がなかった。


 恐る恐るそっと盗み見ると、カランが真っ赤になっていた。さらにどう見てももじもじしていた。


 なんだか恥じらっているカランを見てクァイは驚いた。なんだか力が湧いてきた。


「ど、どうなんですか?」


 前のめりのクァイにカランが怯えたように横を向いた。カランは相変わらず恥ずかしいのか首まで赤くなっていた。

 クァイがなんだか興奮してきた。征服欲が首をもたげてきた。


「もしかして、まだ結婚してないんですか!?」

「……あの……その……実は、ま、まだ結婚していません。仕事が忙しくて……」

「そ、そうですか。実は私もそうなんです」

「クァイ様も、ですか?」

「はい。独身です。天眼師は残念ながら出会いがないのですよ。少ないのではなく、ないのです」


 カランが顔を上げてクァイを見た。


「……そうなのですか。私は軍人ですので周囲は男ばかりで出会いは多いのですが、皆、私を恐ろしいと思っているようで」

「え? こんなに美しくて可憐なのに?」

「え? 私が……?」

「はい」

「美しくて可憐? そ、そんな、馬鹿なことを言わないでください。嘘ばっかり」


 クァイは改めてカランを見た。

 カランは小柄なクァイより頭ひとつ分ほど大きく、分厚い胸板と筋肉質な身体、褪せた金髪を短く切っている。顔立ちは唇がやや厚く、通った鼻筋と大きな目をしていた。

 うん。美人で可憐だ。


 考えてみればクァイは美しくない女性というものに出会ったことがなかった。この国は美人ばかりに違いない、と思った。


 実態は、女性と出会う機会がほぼほぼ無いクァイにとって、女性はすべからく美人に見える、というだけだったが、事実を知らないクァイにとってはカランは紛う方無き美人だった。


 だからクァイは心の底から言った。


「嘘ではありませんよ。あなたは美しくて可憐です」

「クァイ様……」


 夢見るような表情でカランは両手を合わせ祈るような姿でクァイを見た。目が潤んでいた。黒目がちの目がクァイを見ながら揺れた。


 クァイの鼓動が早まった。


 これはなんというか、脈あり、と言うべきなのか、だが経験不足のクァイにはその脈がどこに繋がっているのかもわからず、このあとどうすればいいかもわからず、とりあえず咳払いをして頭に浮かんだ自然な疑問を口に出した。


「ふ、普段はどういった任務をされているのですか? 確か禁軍所属、でしたよね?」

「あ、はい。基本的には皇族の方が出征される際の護衛なのですが、儀式の際の儀仗兵としての仕事も多いです」

「それでは戦争や儀式がない間は暇なのですか?」

「まさかそんな! 普段はひたすら訓練をしています。戦闘訓練が中心ですが、行進や立哨の訓練もあります。儀仗兵は立ち姿も重要なので、動きをぶらさずふらつかないためには筋肉を鍛えるしかありません」

「そ、それは大変そうですね。私にはできそうもない。だが、貴女ならさぞかし立派な……戦女神もかくやという姿になりそうだ。一度拝見したいですね」

「! ……是非」


 思いがけず会話を続けることができた。思ったことをそのまま言えばよかったので楽だった。

 暖かな空気が馬車の中に満ちた。


 気がつくとクァイは勃起していた。

 それをさりげない動作でローブで隠した。


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