目が覚めると・1
「んん」
「旦那様? おはようございます」
目が覚めるとあの頃の面影は有りつつも令嬢ではなく、若奥様と言える貴婦人のマリン嬢がいた。
「マリン嬢……」
「わたくしは、もうそのような敬称を付けられるような年齢では有りませんわ」
僕が声を掛ければ、マリン嬢は眉一つ動かさず、無表情で僕に淡々と言う。先程まではあんなに明るい笑顔だったのに。何故、今の彼女は笑ってくれないのだろう。
「あなたが妻、ですか?」
「はい。わたくしが旦那様の妻ですわ」
「それなのに、どうしてそのように余所余所しい口振りなのでしょう」
「……」
「マリン嬢?」
「……記憶が戻れば解ることですわ」
「そう、ですか。もし、戻らなければ、その時は教えてくれますか」
「その時は」
僕とのやりとりは、彼女を疲弊させているのだろうか。とても強張った表情で本当に僕と結婚しているのか、と思う。あ、でも子ども達は可愛いし、あの子達は僕と同じ薄紫色の髪の毛をしていた。長男の子は僕と同じ濃い青の目だった。他の2人は彼女と同じ焦げ茶の目だったから、やっぱり僕と彼女は結婚しているのだろう。
でも、マリン嬢、笑顔じゃないんだよな。僕と結婚して幸せじゃないのか? 不幸にしているんだろうか。
「頭痛はどうですか?」
「まだ少し。でもさっきよりだいぶマシかな」
「そうですか。では医者を呼んで参りますので失礼致しますわ」
本当に他人行儀だ。夢の中のマリン嬢は僕にあんなに明るい笑顔を見せてくれたのに、今は……
そんな事を考えている間にもマリン嬢はさっさと去って行ってしまう。入れ替わるようにモッグが現れて僕は尋ねる。
「本当にマリン嬢が僕の妻なのか?」
「左様でございます」
「では何故マリン嬢はあんなに余所余所しくて表情が固い」
「それは、結婚当初から旦那様に対してだけでございますから」
「僕、だけ?」
「思い出す方が宜しいでしょう。もし1ヶ月も思い出さないようでしたら、その時はお教え致します」
モッグの言い方は意味深で、僕は何が有るというのか、と背筋がゾッとした。結婚当初から僕に対してのみ素っ気ないようなマリン嬢。ついこの間の学院での学生会職務では、臨時役員の僕に満面の笑みを見せてくれた事がある彼女だ。少なくとも僕はあの時点では彼女に嫌われていなかった。
という事は彼女と結婚してから何か有った、ということ?
一体、僕は彼女が素っ気ない態度になるような何かをした……? そんなはずは。僕は彼女に憧れこそすれ、彼女を嫌ってなど居ないぞ。そんな事を考えていると、医者らしき人がやって来た。僕と問答していき、僕の記憶が16歳で止まっている事が確かだ、と認める。
「記憶がこのまま戻らない事も有りますが、一晩で戻って来る事も有るそうです。暫くはこのまま様子を見まして、あまりにも戻らないようでしたらその時にお考えしましょう」
医者がそう言うのだから無理して思い出すような事をしない方がいいのだろう。モッグは医者の診察に立ち合ってくれたが、マリン嬢は立ち合ってくれなかった。彼女は人に寄り添う心を持つ優しい女性なのに、何故。
ーーいいや、当たり前だ。
不意にそんな考えが僕の裡から湧き上がった。何故?
ーー彼女は金で買われて来ただろう?
金で買われた……。だから僕を、私を嫌っている……?
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