エジソンとゆたぼんの違い
不登校や中卒になるという刺激の多い言葉を聞きながらふとエジソンを思い出した。エジソンは中卒はおろか小卒でもなく小学校中退、しかも通った期間は3ヶ月。
でも、彼が偉大な発明家であることは疑いようがない。
それならば、学校に通わない人はみんな偉人になるのか?
歴史に名を残すような人になるのか?
答えは...
それを考えたいと思う。
すでに色々な人達で議論されているが、学校が知識を身につけるだけの場所ではないことは明らかである。人は1人では生きていけないため、集団生活を送って社会性を身につける必要がある。考え方が違う人達とも歩み寄って生きていかなくてはならない。
そんなことをしなくても引きこもって生きていけるという人は、多数派の人が懸命に維持している社会におんぶに抱っこされていると自覚をした方がよい。
エジソンが小学校中退に至った理由は、学校が彼にとって非常に相性が悪かったことに尽きると思う。エジソンが2つに分かれた粘土をくっつけて1個にして、これは1+1なのに2にはなってない!どうして?と言って教師を困らせたのは有名なエピソードだ。学校ができることは集団に対してある程度決まった流れで教えることだ。その時に掘り下げたい内容があったとしても授業をしている中で大きく脱線してやることはできない。彼の知識欲や知的好奇心は個人対個人なら伸ばすことができたとしても、学校は一斉教授であったゆえにできなかったのだ。
さて、一方のゆたぼんの不登校の原因はというと、宿題の強要とそれに対して満足のいく説明がなかったことが大きいようだ。エジソンと同様に学校の仕組みが合わなかったのだろう。ただ、その理由は大きく異なる。ゆたぼんは、宿題を何故しなくてはいけないか満足いく説明が得られなかった。と言っている。これは宿題と言うから違和感があると個人的には思っている。学習と言うとしっくりくる。放課後になぜ宿題をしなくてはいけないのか、イコール、放課後に何故学習をしなくてはいけないのか、となる。
彼は当時小学校3年生であった、宿題というと漢字練習や音読や計算問題といったところだろうか。これらに対して何故やらなければならないか満足のいく説明が得られなかった...
どうして漢字練習をしなくてはいけないのか
どうして音読をしなくてはいけないのか
どうして計算練習をしなくてはいけないのか
シンプルに、身につくと日常生活が豊かになることに直結する気がしてならない。高校で習う内容なら日常生活と関連が薄いことも頷けるが...当時の教師がどんな話をしたのかは分からない。ただ、これらに対しての納得いく説明と言われても正直首を捻る。
1つ考えついたのは、宿題そのものではなく宿題のやり方への疑問ではないかと言うことだ。漢字学習はただ同じ文字を書き写すよりも、その漢字が使用されている文を書き取った方が学習効率がよい、など。それならば教師と衝突した、宿題を何故(こんな非効率的な方法で)しなければならないのか分からないということも頷ける。
学校とどんなやりとりがあったのかは明らかになっていないので、この辺は完全な憶測でしかない。ただ、この親子ならばやり方で納得いかなかったのなら動画で発信しそうなものである。それがないということは、やはり宿題をすることそのものへの疑問だったのだろうか。
もう1つ考えたことは、教師自体の対応が酷すぎて心が折れてしまったのではないかということだ。実際ゆたぼんは教師の説明が悪い、嘘をつかれた、宿題を強制されたと言っている。教師の対応は体罰だったのだろうか。だが、このような行動力溢れる親子ならば体罰教師がいる、と教育委員会に掛け合わないとは考えにくい。実際にそのような処分があったとは調べた範囲ではなかったと思われる。
ということは、教師のしたことは対応として許容される範囲の中で、処分対象になるものではなかったのではないだろうか。まぁ、これは全て憶測でしかないのではあるが。
憶測ばかりではあるが、これらの前提が当たっているとなると、彼は学習内容ではなく学習することそのものへの疑問を抱いているように感じる。
どうして宿題なんかしなくちゃいけないんだ!
音読なんかして何になるんだ!
漢字を覚えて何になるんだ!
計算なんか電卓でいーじゃん!
といったところだろうか、憶測でしかないが。
真理というか、自分の内なる知的好奇心に突き動かされて教師に詰め寄ったエジソンとは明らかに違う。
これはどういった姿勢と呼べばいいのだろうか。
さて、もう少し比較をしたいがゆたぼんはまだ中学1年生なのでここから先については更なる憶測&予想になる。
エジソンの生涯については調べると色々出てくるので細かくここでは書かないが、彼は色々と苦労をしている。まず、学校での学習が合わなかったので独学で学んで知識を身につけた。(ゆたぼんはスタディサプリを活用しているそうである)
色々な仕事をする中で発明もしてみているが、発明もうまくいくばかりではない。求められているものと違ったためにボツになったこともある。しかし、その失敗をバネにして社会や他人の求めているところに合わせて発明するなど努力をしている。
考えるに、これからのゆたぼんの鍵を握るのは、エジソンが身につけたこの社会や他者に合わせていく姿勢ではないのだろうか。
自分の作ったものや考えなどが社会や他者に合わない時に、自分や発明品を変容させて相手に合わせていく力である。なんでコッチが!!素晴らしいものを作ったのに!!!この素晴らしさをわからないのはオマエラが悪いんだ!!!!となったら物事は平行線にしかならないからだ。
自分の中に貯蔵してあったエジソンの知識とさらっと調べたゆたぼんの状況で考えてみたのだが、当たっているかどうかはあと20年ほど経ったときにゆたぼんがどうなっているかにかかっている。
願わくば、何事かを成し遂げ一角の人となって社会に名を残して欲しいと思う。そうしたならばまことの意味で少年革命家になれると思うからだ。