沙世より3
貴志は幼い頃、言葉を失った。
それは、もの心つくと同時、何かを発するということを終えた。
両親は心配し、絶望した。
期待は思わぬ方向へ形を変え、やがて、隔離される。
そして、そこは都会とは、かけ離れた地、全国から問題を抱えた子供たちや
少年少女たちが集まる場所である。
「ねぇ、貴志君、将来なにになりたいのかな?」
施設はそれなりにお金を掛けられていて、清潔だった。
そこで、働く若い女の職員。ある財団により設立されたこの施設、男の子たちは元気にお庭を駆け回っていり、遊戯施設で遊ぶ。
女の子たちは何やら、建物の中で、おままごとに夢中である。
そこは、平和であるが、どこか欠けていた。
人形の首をなんとか引きちぎろうとして、職員が慌てて駆け寄より、
取りあげる。男の子が、滑り台の周りを走れば、脚を止めず、廻り続けてしまったり、職員は何人かで、いろんな子の面倒をみている。
貴志はその中の職員の、みんなが「陽子姉さん」と呼ぶ、まだ若い職員に声を掛けられていた。陽子姉さんはいつも笑顔が耐えない。子供たちが何かヘンな事しようとも、笑顔で受け入れ、駄目なことをすれば叱った。けれど、子供たちは皆、陽子姉さんが、好きだった。いつも明るい彼女の周りは笑顔で溢れていた。
貴志は何も答えなかった。ただ、いつまでも笑顔でいる陽子お姉さんを眺めていた。
ある日、皆でお絵かきをしている時、一人の女の子は声をあげた。
「貴志くん、すっごーい!キレイだね。」
貴志は白い紙に鮮やかに、色とりどり、なにかの模様を描いていた。
クレヨンを使って、それがなんであるのか、不思議な模様を描く。
周りの子たちはお花や、お家を描いている中、貴志のそれは、この世に存在する、そのどれとも違かった。
陽子姉さんもニコニコとそれを眺めていた。
「貴志くん、それ何だろう、とても綺麗だね。絵が上手だねぇ」
と顔をくしゃくしゃにして笑う。他の子たちも、それぞれに声を上げて笑う。
貴志は笑顔で頷いてから、真剣な面持ちになり、一心に描き続ける。
その日を境に、高志は絵を描いたり、工作を作ったり、粘土で形を作ったり、
時間の許す限り創作を続けた。それは、誰が見ても、なんなのかは分からない。
ただ、色鮮やかで、どれも、目を奪われるように綺麗だった。
貴志は言葉を失ったまま、成長を続けた。
貴志は、みんなが呼吸をするように、魚がえら呼吸をするように、
野生動物が狩をするように、クジラが潮を噴き上げるように、
創造を繰り返した。
「君が貴志かい?君の作品を5万ポンドで買いたい。」
ギャラリーのパーティーの最中、そう貴志は声を掛けられる。
「すみません、彼は喋れないのです。ビジネスに関しては
私がお話を伺います。」
そう、マネージメントを執り行っている、デイヴィスが答える。
貴志は、興味なさ気にその場を後にした。
貴志は、立派な青年になっていた。髪の毛は、長く、肩に届きそうだったが
不思議と不潔な感じはない。というより、貴志はどこか女性のような美しさがあった。何の手入れもせずに、どうしてその肌を保てるのだろうと、
知り合いの女の子たちに、いつも羨ましがられた。
今日も何人かに写真やサインを求められ、それに少し微笑みながらも貴志は応えいた。
貴志は黙ってギャラリーを後にし、街を歩いた。
風は、陽射しの熱気を幾分和らげていた。
向こうの方から、男女の二人組みが歩いてくる。
貴志はその顔に見覚えがあった。
「貴志。」
二人組みは、沙世と椎崎である。
「やっと、会えたわね。」
沙世は、久しい再会のはずが、何故だか浮かない顔でいる。
「こいつが、お前の弟か。」椎崎は当然のことながら、そのデカイ体を
貴志の前を立ちふさがる。
「ええ、久しぶりね貴志。元気していた?」沙世は少し微笑み貴志を見る。
貴志も少し微笑み軽く頷く。
「残念ながら、感動の再会はもう少しあとでゆっくりしてもらう。
貴志といったな、お前に確認したいことがある。とういうより、
お前が貴志でないことはもう、分かっている。はるばる、この地へ、
訪れたのも、すべてを終わらせる為だ。」
椎崎は続ける。沙世は深刻そうに一点を見つめている。
「お前が始まりなのだろう、全ての呪いを解いてほしい。」
沙世も静かに語りだす。
「未だに信じられないのだけれど、私たちは長年苦しんでいることがあった。
これが、神が与えた罰なのか、一体なにか分からないけど。ただ、理解することが出来たの。貴方から、発信されたという能力。そう、あなたがいた施設の
全員が持ちえたという様々な能力、その始まりが貴方であること。奇しくも
探し当てたのよ、全てを知ることが出来る能力者に。」
そして、沙世は声のトーンを押さえきれずに吐き出していく。
「死んだわ、何人も。人とは違う能力を得るとはどういうことか、目の当たりにして来たわ。施設の大半の子達は、もう死んだの。そして、貴方が愛した陽子さんに辿りついた。そして全てが分かったわ。貴方は知っていたの?」
貴志は目を静かに閉じた。そして、語りだす。
「人の存在の意義とは何かね。貴志はもういないよ。貴志は望んだのださ。
自分の魂。周りの存在意義。自分の作品に対する渇望。だから、与えた。
そして此処にはもう、貴志はいない。」
「目的は何だ?」
椎崎はどなる。「人を何だと思っているんだ。」
「そう、人を試した。貴志は喜んだぞ。望みどおり自分の存在意義を
証明したではないか。」
「今からでも遅くはないは、私たち全員を元に戻してっ。」
沙世は涙ぐみながら、貴志を見つめる。
貴志はしばらく、考え、やがて静かに首を振る。
椎崎はありったけの力を、練りだし、黒い球体を宙に浮かべる。
「これは最後の忠告だ。元に戻せ。」
「姉さん、もうあんまり泣くなよ。」
放たれた椎崎の球体は、貴志を貫いた。
球体と貴志がぶつかる瞬間、激しい光が辺りに満ちた。
そして、貴志はその場に倒れた。
「こいつはもう、お前の弟ではない。」
沙世は貴志に駆け寄る。しかし、もう息はなかった。
そして、世界は、今までと変わらず、ただ淡々と自転を繰り返した。