戦い
―――おうじょは、ひとびとのまえでは、いつもえがおでいなさい。なきがおは、みせてはいけません。
霊廟にミランシャ王女を納める儀式も終わり、宵闇が、辺りを密やかに包み始める頃、
先に王、成人を迎えていた皇太子である兄、そして一部の衛兵を除いて「戦う運命」の者達は、家族に永久の別れを静かに告げると、王宮へと戻って行く。
後ろを振り返ること無く、哀しみを迫りくる闇に隠して。
本来なら誰もが涙を流し、すがり、行くな、行かないでと声の限りに叫びたいのだが、
それは「王族」である者達には、許されない事として皆幼い時から教えられ育っている。死へと向かう者達、見送るこの先過酷な運命との戦いに挑む者達、共にこう想う。
……どうか生きろ、生き抜いてと……
―――父の姿が見えなくなると、アリシアは母から着替える様に促された。
手にする服は、粗末な衣。薄根ず色の飾りのないブラウス、今迄身に着けたこともない裾丈の短いスカート。ぺたんこの黒い靴。そして顔をすっぽり隠れる様に、フードの付いたネズミ色の外套。
不思議に思ったがこの場に残った者は皆着替える様子で、皆それぞれに、乗ってきた馬車に荷物を手に手に乗り込んでいる。
幼いアリシアも、母と共にその装いに姿をかえるために馬車へと向かう。
その場に彼女達が居なくなった処で、この先の任務の命を受けた二人の衛兵が、自身達も粗末な衣に着替えながら、ヒソヒソと小声で話し合っている。
二人は軍の中でも選りすぐりの者達であった。
「人数は」
「王妃、王女、王太母、それに一族の奥方五人、令嬢三人、少年が二人だ」
「……十八人か、少し多いな」
「どうする。二手に別れるか?」
嫌、と先に人数を聞いてきた男が反対する。男は考えた、状況を、ひとつでも命を守る為、冷徹に……そして導きだす冷徹な答え。
「今から先俺達は「蜥蜴」だ、切る「しっぽ」は多い程良い。最後迄、御守りするお方達の為にな」
その言葉に彼の盟友は、厳しい表情で頷き同意する。そして皆の準備が整った時、アリシア達は国境を目指して出立した。
それは絶望への旅の始まりになるということを、大人達は薄々気付いていた。
―――国境迄は馬車ですが、その後は先に行った民達の後を追います。
………足がいたい、もう歩けない
軽く足を引きずりながら、アリシアは懸命に前を目指して歩いてる。
道なき道を歩き、食べる物は粗末な物、そんな過酷な毎日が続く。先の見えない日々。
……今迄とは反転したかよのような世界の中、幼い彼女の唯一の心の拠り所は、母が固く手を握っているという事。
時おり見上げると、必ず笑顔を向けてくれる事。他愛のないその二つでアリシアは癒された。
……来る日も、来る日も木々が鬱蒼と育ちいばらが生い茂る、深い森の中を進んだ。
追っ手から逃れるべくひたすら歩く。しかし、深窓育ちの者ゆえ、その歩みは遅々としていた。
鍛えられた衛兵以外は足を引きずり、苦痛の表情を浮かべながらも生き延びる為、血の滲む一歩、一歩で前へと進む。
―――ひとつ目の事件は、国境を越えてから3日目の夜に起こった。
「これは、これは、いい夜ですなぁ」
皆が疲れはて、眠りにつこうとした時、茂みの中から数人の男達が現れた。「夜盗」と呼ばれる輩だった。
衛兵達は、密かに外套の下に隠してある、剣の柄を握りしめる。
「夜盗か、残念だが、我らは何も無いぞ、残念だが引き取ってくれ」
彼のその言葉を受け、ニヤニヤと値踏みするような視線を向ける。
「夜盗?はてさて?何処にその様な者が?私達は商人です。我々の猟場に、勝手に「物言う花」が紛れこんだのすよ。それも「上玉」のね」
………人買いか!若い女そして男女関わらず子供は高く売れると聞く
アリシアは母の側で息をのみ、しがみついていた。皆もそれぞれに身を寄せて青ざめている。
………敵は五人、我らと妃、姫だけなら戦い、突破口を開けるのだが。
衛兵の男は背後のアリシア達に目をやると、盟友と無言で頷き合う。
「逃げるぞ!私に続け!」
スラリと抜刀すると、夜盗に斬りかかかりながら、駆け出す。盟友もそれに続く。
アリシアを力強くで横抱きに抱えると彼も剣を抜き、後を追う。
……何が起こったの?母上は?おばあ様は?
様子を知りたかった。しかし木々の小枝は彼女の目を叩き、髪に絡み引きちぎる。
茂みのイバラは、柔らかい肌を切り裂き、血を流す。彼女はただひたすら目を閉じ、耐えるしかなかった。
―――どの位、どれ程時間が過ぎたのか、息を弾ませ衛兵達が立ち止まった。
「ふりきったか」
衛兵の声に恐る恐る目を開ける。見上げる衛兵はアリシアと目があうと、優しく地面に立たせてくれた。
「ありがとう、たすけてくれて」
栗色の髪は小枝が絡み、イバラの棘で傷にまみれているにも関わらず、彼女は己を守った衛兵に愛らしく微笑み礼を述べた。
「いえ、乱暴に扱いまして申し訳ございません」
そこへ母に続き、三人の少し年配の奥方達、そして少年が二人、息も絶え絶えに現れた。
「アリシア、アリシア」
息を弾ませ、名前を呼ぶ母の元へと駆け寄るアリシア。その腕に抱かれながら、母に問いかける。他の皆は、と……
力無く首を降る王妃、……先ず年配の王太母が切り殺された。そして年頃の令嬢三人と、まだ若い少年の母親、もう一名は夜盗にさらわれた。
王妃の言葉に目を見開き、来た道に目をやる少年達、この二人はアリシアの従兄弟だ。日頃の教えをわすれ、兄が慌てて動く。
「はうっ」
大声で母を呼び、少年が来た道を戻ろうとするのを即座に衛兵の男が、背後から口をふさぎ止めた。
驚き振り返った少年の頬に、鋭く平手打ちをとばす。
「大声を出せば奴等が来るぞ!そしてお前の母親は、おそらくお前達を逃がす為に、残ったのだろう。無駄にするな!」
衛兵の男は地面に倒れこみ頬をおさえ、ぶるぶると震える少年に向かうと、決然といい放った。
「お前は何者だ!お前の父親は王家、民を守る為に命を掛けた。我々の務めはなんだ!民がいない今は、お仕えする王家を御守りすることだろう、父と母を見習え!」
兄の元へと駆け寄り寄り添う弟、二人は体を震わせ、声を殺して涙を流すしか出来ない。
……父は笑って「死地」へと向かった、迷いのない毅然とした姿だった。母は自ら囮となり、少年達を逃がした。
母が見せた別れ際の優しい笑顔の向こうには「生きて」と願いがこもってた。
し…んと静かな深い闇夜の森の中、少年達の声なき哀しみが続いている。
しかし立ち止まることは許されない。やがて、皆はゆっくりと動き出す。
生きるために。
――― 幼いアリシアの過酷な運命は今始まったばかり、そう、
これは序奏でしかなかった。