第七話「一つ目の約束」
急遽アイゼンブルームの監督を押し付けられたユーリは、それでも一応と帰りに島のメインストリートに寄っていき、名試合のデータをレンタルしてみたものの、ついついプレッシャーから逃げるように、足は自然と自宅ではなく裏庭の倉庫を改造したユーリ専用の工房へ向かってしまう。
溜息と共に帰宅したユーリを出迎えたのは……いつの間にか勝手に再起動し、一人部屋に佇む黒い少女だった。
「なっ!? え、君なんで起動してるんだ?! 昨夜あんなに弄ったのに全然――……!」
「貴方、知らない。誰?」
駆け寄ろうとしたユーリの喉元に、半分に折れた黒い刀が音もなく据えられた。瞬きすら許さぬ刹那、一瞬で間合いを詰めた少女に驚くと共に、この状況でも尚瞼を開かぬ少女を見てユーリは、そういえば黒い少女は眼球が何故か入っていなかった事を思い出す。
AESは大抵頭髪がサブセンサーを兼ねているのだが、ただでさえ眼球がないのに、黒い少女は頭髪もかなり短い。あれでは精々、周囲一、二メートル程度しか、察知出来ない筈である。
にもかかわらず、この散らかった部屋であれだけ機敏に動く少女のセンサーは、かなりの鮮度を誇っているという事になる。
「お、俺はユーリ、ユーリ=ヒロニクスだ……き、君はなんて言うんだい?」
「ん……分からない。私、誰?」
「誰って言われても……バックアップメモリーは? 昨夜君、蜂のロボットと戦ってただろ?」
「……覚えてない」
開かぬ瞼の奥で、不思議と少女が不安そうに視線を泳がしているように感じたユーリは、自分でもどうするつもりだったのかは分からないが、ついつい差し伸べるかのようおに手を動かそうとしたところ、少女は見えもしないのにユーリに先んじ、警告するように刀をより強く押し付ける。
「勝手に動かないで。警告は二度……しない」
「分かった分かった! 悪かったって。動かないよ」
首筋にチクリと熱い痛みが走り、見えなくても刃が皮に当たっているのが分かった。
機械に命を握られているというのに、何故か素直に従いたくなってしまったのは、昨夜蜂に追い回されて慣れたのか、はたまたこの少女を警戒させたくなかったからか。
「君……これからどうするの? どこか行くあてはあるのかい?」
「…………答える必要は、ない」
「もしよかったら、この島のマップデータをあげようか? 眼球無しじゃ、どこへ行くにも不便だろ?」
「いらない。貴方の指図は、受けない」
頑なに拒絶し続ける黒い少女。しかし彼女も内心では、ユーリに指摘された問題点は軽視出来ないと分かっている筈だ。そしてユーリなら、それらの問題を解決出来るという事も。
「……貴方、目的、まだ言ってない」
「俺の目的? えーっと……君を直すのが目的なんだけど」
「嘘。信じられない。根拠がない」
確かに言われてみれば、ユーリも自分が何故こんなにも黒い少女を直したがっているのかは分からなかった。拾った責任感と言ってしまえば容易いものだが、そんな軽い理由では、記憶を失い誰も信用する事が出来ず、孤独の只中で心を塞いでいる少女を、納得させる事など決して出来ないだろう。
かといって、高度なセンサーを併せ持ち、体温や呼気に含まれる二酸化炭素、果ては心音さえ検知出来るAESは、人間の嘘など容易く見抜く事が可能だ。
この黒い少女も眼球こそ失われているものの、むしろ他のセンサーはアリスを始めとした従来のAESを上回っている可能性さえある以上、この場凌ぎの嘘などついても無駄だろう。
――待てよ……だったら、むしろ、
「そうだな、じゃあ……取引をしないかい? 君を直す代わりに、頼みたい事があるんだ」
「取引? ……内容次第では、考えなくもない」
「時間はかかるかもしれないけど、絶対俺が君を直してみせる。センサーだけじゃない。君が忘れちゃったメモリーも含めてだ。だから……俺のチームとして、AESスポーツの試合に出てくれないかな? 俺、一応監督やってるんだ……さっき決まったんだけど」
「AES……スポーツ? 試合? ……分からない。監督……つまり、司令官?」
「そうそう! そんな感じ。えーっと、フットドールって競技なんだけど……あー、簡単に言うと、AESが三対三で戦う競技なんだ。敵を倒したり、敵陣まで辿り着けば勝ちだね」
ユーリの提案に、黒い少女は虚ろな眼窩の下で思い悩んでいたものの、フットドールのルールを聞くと、ようやくユーリの首筋から折れた刀を降ろしてくれた。
「戦いなら……構わない。取引成立」
「よかった。改めて宜しく……って、君名前がないままじゃ不便だな。う~ん、そうだなぁ……君、何か――」
「ない。貴方が……司令官が、決めて」
「即答か、うーんじゃあ……イチ、なんてどう? ほら君、胸元に漢数字の一みたいなマークがあるだろ? ってごめん。安直過ぎだよな。何か他に――」
「問題ない。イチでいい。私、イチ」
意外にもあっさりとイチという名を受け入れた少女は、何度か「イチ、イチ」と確かめるように自分の名を呟くと、胸元のマークのような部分にそっと指を添えた。
「そのマーク、一体なんなんだろうね? うちのチームのロゴにちょっと似てるけど」
「チーム? ロゴ? 分からない」
「あぁそっか、こればっかりは眼がないと分からないよな。うん、じゃあ眼球を直したら、最初に見せてあげるよ。約束だ」
「約束……悪くない」
「ははっ。イチって内部構造も相当独特だったけど、喋り方も結構変わってるよね」
ユーリが笑い返すと、一瞬拗ねるようにそっぽを向いたイチは「知らない」と呟くと、開かない瞼の向こうで恨めしそうにユーリを睨みつけた。
「ごめんごめん。あーそうだ、チームの皆に紹介する前に、とっても大事な話があるんだ」
「なに?」
「AES……っていうか機械は本来、試合以外で誰かを傷つけちゃいけないんだ。故意じゃなくてもね。イチは故障してるからついやっちゃったんだろうけど、今後は絶対、危ない真似はしないで欲しいんだ。出来るかい?」
「守れるか……自信がない。でも……司令官がそう言うなら、善処する。約束」
「よかった、うん、約束だ。約束したからには、俺もイチの事は信じるからさ、宜しく頼むよ」
どうにか打ち解けられたようだと、安心したユーリはイチの肩に手を乗せようとしたものの、相変わらず超高感度のセンサーでスルリと避けたイチは、ずっこけたユーリの前で涼しげに振り返り呟く。
「今の言葉、忘れない。司令官も、約束、絶対だから。忘れたら承知しない」
「もしかして……イチってけっこー辛辣だったりする?」
「そんな事は、ない」
悪戯っ子のような笑みを浮かべ、そのままくるりと背を向けたイチは、乱雑に工具の置かれた部屋の中で、まるで見えているかのようにするすると出口へと向かっていく。
「あ、ちょっと待ってイチ! その格好で外に出るつもりか?」
「……? なにも、問題ない」
「大有りだよ! いくらAESだからってイチは女の子なんだから、素体のまま出歩いちゃだめに決まってるだろ」
「司令官が、何を言っているか分からない。AESに、羞恥心は組み込まれていない。それに私、見えてないから、どう思われても、平気」
「イチが平気でも、一緒にいる俺が恥ずかしいって言ってるの。服は後で用意するから、とりあえず何か羽織ってくれないか? コートかなにか、その辺になかったかな……」
昨夜の爆発で焼け焦げたのか、そもそも最初から装備されていなかったのかは不明だが、骨のように真っ白な肌を寒々と晒してしまっているイチに、何か着るものをと床に散らばる衣類を漁るユーリ。しかし、
「司令官の命令なら仕方ない。なら、これを装着する」
イチは丁度近くに落ちていた布を拾い上げると、マントのように首から羽織り、ユーリが呼び止める間もなくさっさと退室していってしまった。
「ちょっとイチ! どうせならもっと綺麗な……行っちゃったよ。仕方ないなぁもう」
折れた刀を置いていってくれただけマシかと、慌ただしくイチを追いかけていくユーリは、監督としての初仕事を報告する為、再びドックへと向かうのだった。